本当は今日は昨日に引き続き大阪でカウンター行動をするつもりでしたが、なにやら中止になったみたいで、ぽっかりと一日あきました。
なにをしよう…。
とにかく疲れた身体と心を休める。
ちょっと買い物。あとは睡眠とマンガと文章読みとビール(^^)
けっきょく「文章読み」はできなかったけど、それ以外はダラダラできたかな。
充実感と空虚さと
わたしはどうやら「一般論」でものを考えるのが苦手なようです。常に頭のどこかに「リアルさ」をおきながら、ものごとを考えるようです。
例えばわたしにとっての多文化とは、ウトロでオモニたちとビールを売りながら、
「お金はここに置けばいい」
「いや、あっちがいい」
「あーだ!」
「こーだ!」
とやりあったり、でも一段落ついて
「まぁ、食べ」
とか言われながら、特別に持ってきてもらったサンチュで肉を包みながらビール呑んで、気がつくとチャンゴ叩いてハルモニがノレをやりはじめて、みんなでオッケチュ厶。そのうち
「えーかげん終わるぞ!」
と怒られて片づけやって…。
みたいなものなんです。
なので、例えば「朝鮮人」というひとつの言葉の中には、必ず固有名詞が入ります。あるいは、できるだけ入れたいから、そういう場所にのこのこ出かけて行って、そういう人と出会って、しゃべって、呑むわけです。
そういうわたしにとって、一般論でしゃべる人はどうしてもどこか違和感を感じるし、ましてや一般論で「殺す」とかいう人には怒りと恐怖と…。なんだろう。
まぁ、ダメなんです^^;;。
てことで、今日は行かなきゃならないだろうと思ってこれに参加してきました。
んー。
細かいことについてはIWJなんかに譲るとして…。
空虚です。「彼ら」はやたら「朝鮮人」と言っていましたが、中身がないです。「朝鮮人」のかわりに、例えば「岡山県民」を入れても、それこそ「在特会」を入れても成立するヘイトスピーチです。そのことが、わたしに空虚さを突きつけます。
でも一方、「stand against racist」というフラッグにたくさんの人が立ち止まってくれました。
わたしはできなかったけど^^;;、留学生や外国人観光客も関心を持ってくださったみたいです。カウンターは、単に「対在特会」というだけではなく、「わたしたち」を見る人々にそれなりのアピールをしていたことを感じました。
その充実感と、でも在特会へのカウンター行動そのものの虚しさへの疲れと、いろんなことが交錯する一日でした。
終わってから呑み。
はじめて出会ったツイッタ上の人々とのやりとりは大きな収穫でした。いろんなことを教えてもらい、話をした夜でした。あまりにも話が弾んで、いつもの通り、食べずに飲んだら寝ちゃったのは、まぁこれまたいつもの通りでしたが^^;;。
それにしても、ほんとに疲れていたのを家に帰った瞬間実感しました。
プレッシャーからの解放
プレッシャー
去年、何度かレジュメ切って発表をしました。が、まぁ正直、趣味の世界ではあったと、振り返って思います。で、趣味の世界だと、まぁ好き放題言えるわけです。だって、ツッコまれても
「えー、わかんなーい(^^)」
で終わらそうと思えば不可能ではありません。だって、ツッコむ人が「一番知ってる人」だし、
「まぁしゃーないな」
としかならないわけです。
ところが、趣味の世界でなくなると、そうはいきません。
ペーパーを読み込んで、わからないところを調べて、それなりの準備が必要になります。というか、その場では自分が「一番知ってる人」でないといけないわけです。
で、今日はじめてそのプレッシャーをヒシヒシと感じました。今ごろでは遅いやろうという話は、もちろんあるのですが^^;;。
でも、これからこのプレッシャーを感じながら2年ばっか過ごすのかと思うと…。うん、でも、それが必要なんでしょうね(^^)
行動をコントロールする
夜は夜でおべんきょです。
今日は「強化」とか「強化子」とかいう話です。
わたしがいま自分の授業でやっていることが、式を分析的に見ることだとするならば、おべんきょでやっていることは「行動の変化を分析的に見ること」なのかな。まさに、「行動分析」です。で、分析的に行動を捉えることによって、行動をコントロールすることができる。
にしても、出されたお題が難しい。
「増やしたい行動を決めて」
「それを増やすための「ごほうび」を決めて」
「実際やって一週間カウントする」
なんですよね。
増やしたい行動…。ないわ…。
別にビールは呑んでるし、逆にそれを「ごほうび」にしちゃうと「行動ができなかった時」には呑めなくなっちゃうし(T_T)。
うーん。
自分の行動を分析的にとらえるって、けっこうむずかしいかも…。
さぁ、アナリーゼだ!
今年、15年ぶりくらいにちょい勉強できる(はずの^^;;)クラスの授業を担当しています。
うーん。
そりゃ、みんな担当したがるはずです。
いや、楽といえば楽ですが、考えなきゃならないことが、あまりにも違います。
いままでならば、「できないことをどこまで遡って教えるか」がメインだったのですが、それを前提とはしなくてすむわけです。だから、「いま」の内容に集中できます。そしてそれを深く掘り下げることができます。
例えば「a(x-b)y+(x-a)(x-b)」みたいな式があったとして、この式をどう見るか。
いままでなら「あきらめるな」とか「まぁこれはこうなんねん」とか、そもそも扱わないとか(笑)、そんな感じだったわけですが、今年は「これはyの1次式として見るわけで」みたいなことを話せるわけです。
こういうことって、おそらく「なんとなく解ける」から「確実に解ける」へとステップアップするために必要な作業なのかなと思っています。
でもまぁ、そんなことを考えられるのは、もしかしたら、いままで数学が苦手な子らをずっと相手し続けていたからかもしれませんね。
考え違い?
この間から読んでいるペーパーの中にセジウィックのホモソーシャル理論とやらが出てきていまして。で、ペーパーの中には詳しい説明がなかったので、かと言って原典にあたる時間もないので、ネットでグリグリと探していたら、原典を引用しながら説明している文章に出会えました。で、
「ふんふん、なるほど。そーゆーことかー。あー、あるある(笑)!」
とか思いながら電車の中で読んで、家に帰ってもぎょりながらいろいろ考えていたのですが…。
突然わたしはとんでもないところで考え違いをしていたことに気づいて、ひっくり返りそうになりました。
そうかぁ。だからあの時あんなことを考えたんだ。
でも、もしも「あの考え違い」がなければ、わたしの人生はぜんぜん違っていただろうなぁ…。
復活!と…。
今朝事務室に行くと、人権のメールボックスに箱があります。なんだろ…。お!電源ユニット!
てことで、先日破滅の音を出したパソコンにさっそく装着。さて、マザーは?石は?メモリは?…。
ふぃーんとか言ったあと、無事起動。助かった〜。これで仕事がまともにできます。にしても、かなりたまってしまいました(T_T)。
そうそう。地下室に捨ててあったモニタもつないでみましょう。なんせ、版組しているのに、いままで17inchのモニタで、見通しが悪いのなんの。で、地下室に19inchのがあったので拾ってきたんですね。画面に引っかき傷があるものの、どうやら使えそうです。うわ!画面、広!さすがは1600×900です。
てことで、環境が整いました。
しかし、このパソコン、マザーが変わって石が変わって、メモリが変わって、電源が変わって。残っているのは、ハードディスクとDVDドライブだけじゃん^^;;
←こんな一日
朝、突然飛び込んできた用事でバタバタ。この時点で、完全に一日の段取りが崩壊しました(T_T)。でもまぁ先送りにしていた仕事だったんで、それはそれで意味はあるんですけどね。それにしてもパソコンが火を吹いたのが痛いです(T_T)。
で、昼からは出張。まぁ、充実した話し合いをしながら、無事会議も終了。
で、移動。
途中、ちょいと友だちと晩ごはんをつまむべく、待ち合わせ。
待ち時間の電車のホームでおべんきょ。どうも机の前でやるより、こういうところの方がやる気が出るみたいです。ホームに吹く風がひんやりしていて、なんか気持ちいいです。
にしても、まとめなくちゃならない文章、なーんか、アジテーションみたいです。言いたいことはわかるし、その内容に賛同もするんだけど、「我田引水」って言葉が頭をよぎります。うーん^^;;。
で、友だちと合流して、軽く晩ごはんを呑みながら、「澱」のことや「ピュアなプレイヤー」について、ちょっとだけ話。
んで、夜の会議に参加。こちらはツッコミどころを見つけられずに、ちょいみなさんを退屈させてしまったかも^^;;。
で、その反省の意味はないけど飲み会。帰る間際に
「いつきさん、なんであそこでツッコまへんかったん?」
となかなかいい指摘をもらったりして^^;;。
てことで、無事終電でおうちに帰りました。
めまぐるしくも楽しくも充実した一日だったかな…。
歴史をどこまで遡るか
今日から月曜日のおべんきょがスタートです。
去年読書会で、「おべんきょの楽しさ」を教えてくれたセンセが担当されます。なんでも「大正期の自由教育」あたりがテーマだとか。なんか、よくわかりまけんが、このセンセならきっと楽しいだろうと思って選んでみました^^;;。
で、フタを開けてみると…。
「なぜ大正期なのか?」というと、大正期は大きな分岐点だとか。で、ここでのさまざまな思想や実践が現在にもあてはめることができると。すると、例えば、現在問われている理論と実践の乖離、あるいは理論と現実の乖離みたいなものの分析を大正期まで遡ることで可能になるのではないか。
まぁそのあたりが大正期への着目の理由だったとか。
ところが!
実は大正期にはすでに理論と実践、あるいは理論と現実の乖離はおこっていた。「わかっちゃいるけどできない」みたいな。
さらに、分岐点の前に、継承されなかったものがあるのではないかと。まぁ、ここでは教育がテーマなのでそこにしぼるなら、近代教育が「近代であろう」とするがゆえに切り捨ててしまったものがあるのではないか。あるいは、理論というか根源的なことを伝えなかったままに、形式だけが残っているものがあるのではないか。あるいは、形式すら残っていないものがあるのではないか。
このあたりのことを分析するために、歴史をどこまで遡るのか…。
そこでセンセが着目したのは「江戸期」。それも、江戸の初期らしいです。
去年はデューイに彩られた月曜日でしたが、どうやら今年は貝原益軒に彩られそうですo(^^)o。
にしても、デューイと貝原益軒。センセの語り口だと、なんとなく似てます。たぶん、そういう人が好きなんでしょうね、このセンセ。
にしても…。
おべんきょの進め方として、ひとつのセクションにレポーターとコメンテーターがいるらしいです。で、どちらを選択するかを迫られたのですが…。迷わずコメンテーターを選択しちゃいました。いや、けっしてレジュメを切るのがイヤなんじゃないです。じゃなくて、斜め37度くらいから切り込んでみたいなと、ふと思いまして。それが「ピュアなおべんきゃー*1」ではないわたしの役割かなと^^;;。
*1:「おべんきょプレイヤー」を略してみました^^;;。