なんでも、うちの電話が不通になってるとか。てことで、あちこち点検。
んー。これは…。ターミナルアダプタだな。たぶん。
ところが、TAの交換を頼むのがまたひと苦労。まぁ、いまどきVOIPとアナログ回線を切り替えて使っている人とか少ないかもしれないです。
そう言えば、昔「fusion communication」てのがあったな^^;;
ま、そんなこんなで、4時間くらいかかって、原因のつきとめと、応急復旧にこぎつけました。
やれやれ…。
アレキサンダー・テクニーク
昨日の夜、鈴木重子さんから「アレキサンダーテクニーク」のレッスンを受けたんですけど、すごく印象的でした。
まずは、頭蓋骨がどこで支えられているかってことを教えてもらったんですけど、「へー!そんなところだったんだ!」という驚きです。で、そこに意識を集中して頭蓋骨の位置を調整すると、いきなり頭蓋骨がフリーに動きはじめます。ほんとに力がいらない。
で、今朝、また少しレッスンを受けたんでけど、おもしろい。背骨がいい位置になると、目線がほんの少し上にあがる。で、歩きはじめると、いきなりカクンと落ちる。で、片足だけいい位置にしてもアンバランス。でも、両足をいい位置にするとみごとにバランスがとれます。
「はじめてなのによくわかりますねー」
って言われたけど、そりゃわかりますよ。それほど劇的な変化があります。
ちなみに、重子さんとふとんの上で寝転びながら、あーだこーだダラダラとしゃべっていたのですが…。
「表現」をめぐる話や「考えること」をめぐる話。すごく一致をする。もちろん、質や深さは違うとは思います。あるいは方法や方向性、これは明らかに違う。でも、違いはそんなに大きな問題とはならないのかな。
重子さんは「考える」ときに「身体」と対話しておられるのかな。うん。おもしろい。そう言えば、わたしも重子さんと話しをするときは、身体のあちこちが考える気がします。これはなかなか感じられない感覚です。
もしかしたら、そんなのもアレキサンダーテクニークと関係があるのかなぁ。
なんしか、かなり刺激的な、それもとても静かで深い刺激のひとときが過ごせました。
「違和のありどころ」とか
で、宿舎でやる打ち上げに、なぜかわたしも参加。てか、蓮池さんたち、はじめからそれが織り込み済みだったらしいです。
で、みんなで呑みながら、いろいろ話。で、ついつい「違和のありどころ」の話。
「見習い天使」は、もともと自殺予防のプロジェクトの中で出てきたものらしいのですが、社会の出来事のなかで少しずつ変化してきたようです。そして、3.11で大きく変わって、舞台を福島に移すことになったそうです。
今回の芝居には福島から避難されていて、避難者支援をしておられる方が招かれていました。で、その人のトークもあったのですが…。
福島の話を当事者から聞くのははじめてのことで、いろいろ学ぶところはあったのですが…。
それはそれでいいのですが、やはり「語り口」がなぁ。たぶん震災の話が風化していく、それが特に西日本において顕著であることを肌で感じられるからこそ「西日本の人では」みたいなことを訴えられたのですが…。いや、わかります。その通りです。わたしなんか、その最たるものです。でもね。
例えば阪神淡路大震災の時に東日本の人はどの程度切実だったかってこともある。いや、そんなふうな東日本と西日本を分断しちゃいけないですね。もっと考えなきゃならないのは「絆」という言葉かな。これ、劇中にも出てきたんですけどね。そして「がんばろう日本」。
まさに被災地薄めの言葉だと、わたしは思っているし、それが「風化」の一因ではないかとわたしは思っているのです。
あー、でも、まぁそれをもって「西日本における風化」を正当化しちゃいけないです。
一番の違和は「わからないだろうけど」です。
わかるわけがないです。それは大前提なのです。でも、その大前提であるわかるわけがないことを「わからないだろうけど」と語られると、とてもきつい。そしてそれを散々経験してきたわたしは、その言葉は決して使うまいと決めてきました。それを久々につきつけられたなって感じ。それが違和のありどころだったかな。
たぶん、あの場にはいろんな「しんどさ」を抱えている人がいた。そんな人々の口を閉ざしてしまいかねない「わからないだろうけど」は、やはりしんどいな…。
違和のもう一つは「家族」ですね。
いや、いいんです。大切です。でも、しんどかったな。それはセクマイにかかわるだけではない。「家族」にしんどさとか息苦しさを感じる人にとって、やはり「家族」を自明のこととして提示されると、「う…」となってしまう。
まぁ、そんなことを話しながら、ダラダラと最後まで飲んだら、3時でしたよ。でも、こんなの、懐かしいなぁ(^^)。
「見習い天使」
今日は蓮池さんたちの「見習い天使」上演の日です。
とりあえず徳島から見に来られたK野さんと合流。とりあえず、某所にある立ち呑みで昼ごはん。うーん。ちょっと足りないから、天一で追加の昼ごはん。うわ、お腹いっぱい^^;;。
で、昨日の電話通り2時すぎに会場に到着。わたしの役目は、鈴木重子さんの歌と電子ピアノの音量バランスのチェックだとか。んなもん、できますかいな^^;;。でも、ほんとの役目は受付だったりします。K野さんも一緒に会場案内をしたりして。
で、お芝居開始。
泣きました(;_;)。
いや、ところどころに違和は感じます。それはしかたない。でも、それを超えて、泣きました。ちなみにK野さん、見終わって「泣きそうやったわ」って、あんたも泣いてたやろ(笑)。
で、帰らなきゃならないK野さんを送りがてら、もんじゃとZIMAでフェアウェルドリンクです。
で、K野さんを見送って、夜の部の受付。その後観劇。
2度目はさすがに「落ち着け、自分!」みたいな感じで、少し落ち着いて観ることができました。
その後交歓会→片づけ。
で、なぜか宿舎にわたしも移動^^;;
早いのか遅いのか→突然の電話
月曜日の朝は、たいてい「月曜日が来ちゃったよ」と同僚と嘆きあうのがパターンです。でも、金曜日は「やっときた金曜日」と思いながらも「早かったなぁ」と思ってしまいます。
あー、でもこれ。一年も同じですね。4月は「はじまっちゃったよ」と思いながらも、もはや5月も後半。たぶん気がつくと夏休みになってるんでしょうね。
まぁ、時間の流れを早く感じるのは年寄りなのか^^;;
で、夜、飲み屋から出たところで電話。電話の主は「中二友だち」の蓮池さん(笑)。
「明日、2時に来てくれます?」
「いいっすよ」
うーん。よほど人手不足かな(笑)。
ある種の?
なんか、最近新聞とかまともに読む時間がなくて、いろんな情報を取り入れられなくてまずいなとは思っているのですが。
なんか、MTFTMの方が裁判起こされたとか。
時系列はこんな感じです。
40代で自殺企図
2003年に診断が下る(MTF)
2006年にSRS
2007年に特例法適用
2014年に診断が下る(FTM)
現在50代
という流れらしいです。
自殺企図がいつなのかはわかりませんが…。
まぁ、なんとなくですけど、最初の診断は、別にSRSとは関係ない診断なんじゃないかなぁと。この人が国内の適応判定会議を通ったかどうかも疑問。きちんと文献にあたっているわけじゃないけど、2006年段階でタイの手術へのアプローチはどれくらい厳しかったんだろう。あるいは、国内でも「やってくれるとこ」はありますからねぇ。
何が言いたいかというと、最初の診断がSRSにどの程度の影響を与えていたかってことです。本人の意識としてはもちろんあっただろうけど、例えば本人が「したい」と言い精神科医が「もう少し待とうか」と言ったとしても、現実には「やっちゃう」ことは可能なわけです。
で、「やっちゃう」と、性別変更はできちゃいますよね。だって、やっちゃったもん。やったことを理由として、「最初の診断を下した精神科医以外の人」に書類を書いてもらえばいいわけで。
てことで、WHOなんかが出した声明とは反対に「SRSすれば自由にできる」みたいな状態になっているのかな。
で、最近思うのは…。
手術すれば性別変更できるってことは、ある種「お金で性別が変えられる」くらいの勢いなんじゃないかと。で、SRSの値段も下がってるし、件数はどんどん増えてるし。じゃぁ、もう、そういうふうに割り切ってしまえば、日本はある意味「お金次第ではあるけど性別変更天国」なのかなとか。ま、今のところ片道切符ではありますが。
そんなことを考えてしまう昨今です。
にしても、「なるほどなぁ」と思ったのは、ニュースの文面には一貫して「この女性」と書かれてること。
結局、本人の意志ではなく、書類の性別なんだなと。これが問題だと思うんですけどねぇ。
アイデンティティ・ポリティクス?
なんか、今度、前のセンセも含め、「エライ人たち」相手に話をしなくちゃならんハメになりました。テーマは「アイデンティティ・ポリティクス」らしいです。
んなもん、無理です。だって、聞く人たちは、そのスジのプロだし、「アイデンティティ・ポリティクス」についての研究もしてるだろうし、そもそも「アイデンティティ・ポリティクスを超え」ちゃってるような人たちだし。そんな無理な話をなのに、なぜか引き受けてしまう。この悪いクセをなんとかしないとアカンなあと思うのですが、なかなかなんともなりません。
でも、考え方を変えるなら、この手の無理を引き受けることを通して、「考える」ことができるとも言えます。ま、合理化か^^;;
なんしか、先行研究には少しあたらなきゃならないだろうけど、別に「発表会」じゃないわけだから、「私見」が入っても怒られないだろうし、考えてきたことを話そうかなぁ。
優しいなぁ
ちょいと故あって、頭を冷やさなきゃまずいので、でも、シップも貼れないので、氷&三角巾で冷やしながら授業をしていたのですが…。
会う生徒会う生徒、みんなが心配してくれます。まぁ、「飲んでぶつけてコブできた(笑)」って言えば、みんな笑ってくれるのでいいんですけどね。でも、みんな「気ぃつけや」って言ってくれます。
果ては「先生、先月も飲んでコケてケガしたやん。ほんまにちょっと、飲むの、やめたほうがええで」と心配してくれる1年生まであらわれました。
いや、ほんとにこんな子らに囲まれて幸せやなぁ(^^)。
南へキタへ
今日は移動に次ぐ移動の一日です。
まずは午前は「第二のふるさと」で会議。いつもの通り、グダグダな会議です。でも、テーマを絞り込んで「ためにする」会議じゃなくて、こういうグダグダから「何が出てくるかな」って探しあうのはおもしろいです。ちなみに、このグダグダ会議のモットーは「なにを言ってもいい」です。セーフティーです。
あ!p4c!
ま、やめときます(笑)。
で、午後は京都市内の北側にある、京都府北部で研究会。
今日は三本のレポートを聞いたのですが…。
なんか、入ってきません。なぜなんだろうと思ったんですが、だんだんわかってきました。子どもの姿が見えてこない。
レポートっていろんな種類があって、例えば子どもとのかかわりのレポートもあれば、授業実践のレポートもあります。後者は一見子どもの姿なんて見えなさそうだけど、実は授業を媒介にして子どもにかかわっているわけで、そうすると、やはり子どもの姿が見たいわけです。で、前者にいたっては子どもの姿が全面に出てくるはずなんです。でも、見えてこない。なぜなんだろうとさんざん考えて、「あ!」と思ったのは、教員の位置が動いていないんですね。子どもに近づいていない。いや、実際は近づいているんだろうけど、それがレポートにはあらわれず、ひたすら「教員目線」で描かれている。
これは「書き方」として、アカンな。でもま、こういうのは「作風」ですからね。京都の小中はこういう書き方が伝統芸能として伝わっているんだろうな。
ちなみに、高校は少し違います。でも、近年、似たりよったりのところがないわけでもない。
考えてみると、わたしは先輩に育ててもらえましたねぇ。「子どもの姿でつなげ」って、徹底的に叩き込まれましたから。それは、「京都の作風」ではなく「全国のレポート」とつながってきた先輩ならではのアドバイスでした。そしてそこから「京都の作風」をつくってきました。あれ、伝えなきゃならんな…。
で、夜は大阪のキタで会議→呑み会。
先月はこの帰りにクラッシュしたけど、今月は引率の方がおられるので安心です。
って、ひとりでは帰れんのかい!
未熟であること
帰りの電車の中で、今年度はじめて本格的に授業をする人と一緒になりました。で、いろいろしゃべってたんですけど、
「不安なんですよね」
って言われます。
「なにが?」
「ちゃんと教えられてるだろうかって」
うーん。
どう答えたらいいんだろ…。
なんしか昔話なんぞをしばらくしていたのですが…。
そう言えば、わたし、1年目はムチャクチャでした。ある項目を教える意味も、それと別の箇所の前後のつながりも、なーんにもわからないままに教えてましたねぇ。単純に不勉強でした。で、いま勉強しているかというと勉強していないです^^;;。まぁ、マニュアル読まずに機械をいじるタイプですから^^;;
なので、その人に
「まぁ、ちゃんと教えられてるかどうか考えても意味ないと思います。ちゃんとは教えてないです。だって、1年目ではちゃんとは教えられないから。だから、指導書通り教えたらええんとちゃいますか?」
とアドバイス(笑)。
「でもね。ライブで授業をすることの意味って、そこになにかひとつつけ加えることなんだと思うんです。それは、例えば散歩した時に見たものとか、いままで勉強してきたことから考えたこととか。そういうことをほんの少し入れることで、話がふくらむ。でも、逆に言うなら、そのほんの少しで充分じゃないかなぁ」
なんか、そんな気がしたんですよね。
未熟なんだから「ちゃんと」なんて考える必要はないと思います。でも、「精一杯」は考えてもいいかな。
うん。
のびのびやりましょう(^^)。