今日は出張がない出張日。ただ、振り替え授業の関係で、一コマ+ホームルームの代講が入っています。でも、とにかく広大な時間があります。なので、いろいろ考えなきゃならないことをやろうかなと。
で、やりはじめたけど、進まない。
今回は少し気乗りしなかったけど、引き受けたのは自分ですからね。で、「この線で行こう」と思ったけど、完全にはその通りにはならなくて、ここでまた「きびしいな」と。でもまぁ、オファーの内容はもっともな内容なので、その線で進めています。
が、進まない。実は先日公開されたものはメッチャ早く書いていたんですが、それは単に「書けないかも」という不安の裏返しだったりします。その通り、進まない。
それでも、帰りの電車の中で少しプランが浮かんで、ほんの少しだけ「筋」が見えたかな…。
ただ、明日は部落差別問題学習があって、そこから感想文読みとか入力とか、はたまたワクチンとか通院とかがあるから、ちょっと詰んでるな。
初訪問
朝、某国営放送の方からメールが来てました。web版が公開されたらしいです。
で、職場に行くと内線電話がかかってきました。なんでもわたしが副担任をしてるクラスの担任さんがしばらく休むことになったんだとか。
またかよ。
昨年度もそんなことがあったし、一昨年度もこんなことがありました。わたしが副担任をやると担任さんが長期の休みになるサイクルができてますね。
まぁでも時差登校だから少しは楽かな。
ちなみに、ロングホームルームはわたしは不可。その日、部落差別について話をしなきゃなりませんからね。まぁ「休まないことが前提」だとこうなるってことです。
で、ワクチン接種の予約をするなど。
いや、「生徒は若いから感染しない」とか言って、教員は若くないから感染リスクがあるのにエッセンシャルワーカーにしてるから、こんなことなら高校教員がワクチン接種するのは世界で最後かなと思ってたのですが、どうやら優先枠がまわってきたみたいです。で、予約サイトに行ったら、各枠が100人なんですけど、平日はガラガラですね。こりゃ優先枠がまわってくるわ。てことで、サッサと打つことにしました。
ここからわわわと授業を済ませて、午後は出張です。出張先は京都府国際センターです。ここ、基本的には「国際交流」とか「異文化交流」をやってるだけって聞いてたから、そういう目で見てたんですが、一昨年あたりにめっちゃすごい人がおられるって聞いて、これは行かなきゃアカンなと思ってました。が、とてもじゃないけど行ける状況になかったので延ばし延ばしになってましたが、ようやく行ける状況になったのでアボを入れました。ほんとは先週行くつもりだったけど、先週は本店の人が来たから。行けませんでした。
てことで、話しはじめたのですが、京都府ひどい。いや、たいがいひどいと思ってたけど、ほんとにひどい。なーんにも実践してない。
なかでも印象的だったのは「ベテラン教員が自信を持ってる」って話。なーんにもしてないのに、そしてなーんにも知らないのに、不思議と自信を持っていて、そのせいで外国人生徒がしんどい状態に追い込まれていくんだとか。
わたしは自信なんてないです。だって、かつて中国帰国生徒が指の間から砂が落ちるように、サラサラとやめていったのをどうしようもなく見ていることしかできなかった経験がありますからね。あの時わたしはなにができたんだろうと、今も思ってます。
きっと教員を踏みとどまらせるものは、失敗の経験なんだろな。そして、もしもわたしがあの子らとかかわっていなかったら、「失敗した」っていう認識が生まれなかったんだろな。
まぁそういうことです。
ということで、山のようにひどい話を聞かせてもらって、「すみません」しか言えないんだけど、それでも「なにかやらなきゃならないですね」って話をしてるときに、ふと思い出しました。
「京都府って指針を出してるやん!」
で、指針を見せたら
「ちゃんとしたのを出してますやん。でも、忘れてるんとちゃうかな」
と、厳しいお言葉。まぁでも、これをひとつのテコにして、いろんな形で働きかけていく以外方法はないですね。この動きを置土産にしよう。
てことで、すんごく興味深い話のあとは、角打ちです。ようやく長い長い禁酒令があけて、みなさんどうだろなと思ったら、オールスターがそろってました。で、わたしも認識してもらえて、メッチャうれしかったり。
うん。今日はいい1日だったな。
バラバラだから対応できる?
今日の午前は日教組の女性部長会議です。ほんとは終日だけど、午後から用事があるので午前のみの出席です。こういうことができるのもzoomのおかげなんだけど、zoomのおかげでこういうことができてしまうわけで、やはり一長一短ですね。
ちなみに、午前は情勢報告と先達の講演です。いろいろ示唆に富む内容でした。
午後は4人のおべんきょ会。こちらは安定の対面です。身体を前のおべんきょ場所まで持っていくのは気が重いけど、持っていったらおもしろい。これがオフラインなんですね。まぁそれを「古い人」っていうなら、それはそれでいいんだけど、やはりリアルに会うことが大切だなと。もちろん交際範囲は狭まるんだけど、時間と体力とお金を使ってつくる関係というのはたぶん大切なんだろな。
で、約2時間、あーでもないこーでもないと話しあって、なんとなく「筋」が出てきたような感じになりました。
まぁそれはそれでいいのですが、やはり義務制と高校は違うなってことをあらためて感じます。もちろん高校と言ってもひと口では語れないほど、高校によって差があるんだけど、そしてそれは制度的につくられた差でもあるんだけど、でも、その違いよりも義務制との差のほうが、たぶん大きいな。その差はひとことで言えば、教員のふるまいの多様性と言えるかもしれません。多様性はよく言い過ぎか。好き勝手やってるってことですね。
わたしは基本的には好き勝手やってますが、それを嫌う人がいたとしても、放置はしてくれる。なぜなら、嫌う人もまた好き勝手やってるからです。なので、衝突はあります。高校は、それを織り込み済みって感じかな。
そう言えばスクールバス・モデルに感じたすんごい違和感も、たぶんこのあたりにあるんですよね。端的に言うなら、高校はすべての教員が同じ方向を向かないことで幅ができる。幅ができることで、多様な生徒の多様なニーズに応えることができる。それをもっと進めると大学のようになる。逆に言えば、大学ほどバラバラではない。
そんなことを考えると、「学校」というアンブレラタームって、とてつもなく広いというか、すでにアンブレラからはみ出てるんじゃないのってほど、意味をなさない言葉というか。そんなことを感じますね。
で、それが4人のおべんきょ会のおもしろさです。
そんなこんなで、2時間半ばっかがんばって、「次は飲めるかな」と笑いながら解散です。
さてと。帰って飲もうかな。
断捨離った
今日は午前午後とも断捨離の日です。
とりあえず、用事をしに行くパートナーを駅まで送って、上の子どもと某所に向かいます。到着して部屋に入ると、カビが…。こりゃダメだ。主たる原因は、第2のふるさとで使っていたパイプベッドです。パートナーと出会った頃から使っていたのも置いてあるから、30年ものですね。さすがに捨てましょう。第2のふるさとで使っていたソファの骨組みは…。残しましょうか。これ、マットレスさえいいのがあれば、すごく座り心地がいいんですよね。
で、実家へ。こちらも断捨離です。なにせ、母親がものをため込むタイプだから、捨てなきゃどうしようもないです。てことで、がさっと捨てるのですが、たまに残すものもあったりします。が、少しずつ疲れてきて、何を残すべきなのかわからなくなってくる。まぁその境地に達したときに、ほんとうの断捨離に到達するのかな。てことで、2時間半ほど集中して、ひとまず終了。
昼ごはんを食べ損ねたので、王将にいって生餃子を購入。上の子どもに焼いてもらったら、パリパリに焼いてくれました。うまいわ。ビールがすすむ。
とにかくやる
実は金曜日ものんびりです。なにせ、1・2と授業をやったら終了です。しかも、ふたクラスともプリント学習です。が、今日は特殊なタスクをそのあとやらなきゃなりません。なので、朝かなり早めに出勤して、やらなきゃならないことをやっつけたり、タスクリストをつくったり。で、授業が終わったら、女性休養室にこもってひと仕事。
それにしても、プリント学習もおもしろいですね。とても簡単なことだけど、それでも「わからない→気づいた」って時の子どもの顔の変化はとてもいい。思わず「いいもの見せてもらったわ」と感謝を伝えました。
で、午後は来週の部落差別問題学習のポスターをつくったり。
そうそう、プレゼンをいじりましょう。
さらに作文の入力をしたり、必要な生徒のところに行って掲載許可をとったり。
やはりゆきみちゃんの講演は「力がある」から、自己開示してくれる生徒があらわれます。例えば「自分もダブル」「自分は外国籍」というのはもちろん、イジメにあった経験とか、ほんとにいろんな話が出てくる。そんな子らには、やはり掲載許可が必要かなと。そして、拒否する子は誰もいません。
い「載せてもいい?」
生「ええよ」
い「ありがと。だってな、「外国人はまわりにいない」って書いてる子に「ちゃうで!」ってせんとあかんやん」
生「ニコッ」
もしかしたら、それってプライバシーだから掲載はダメって自主規制する人もいるかもしれません。でも、書いてくれたってことは、伝えたかったからです。それを受け取ることで「書いたことの意味」を見出す。掲載許可をとりに行くのは、やはり緊張します。でも、やらなきゃならないし、それを通して「日本人のわたしと外国ルーツのその子」という小さなつながりができるはずです。
そんなこんなで、とにかく今日のタスクは終えたかな。なんか、終わったかどうか自信がない(笑)。
のんびりのはずが一転
木曜日の授業は基本的にはのんびりです。なにせ、時差登校の今は「午後からはじまる」って感じで、それは「午前は授業がない」ことを意味するわけです。なので、午前はゆっくりと雑務に時間をかけられる日です。
ちなみに、今日明日で昨日の感想を1学年分読んで入力するというタスクがあります。
ところが、今は公開授業週間&教育実習中で、午前に見なきゃならない授業がふたコマ+放課後に合評会があったりして、てんやわんやです。まぁでも仕事だから仕方ない。
それにしても、教育実習生と現職教員を比べたら、授業の技術のあまりにも圧倒的な違いに、感動すらしますね。当たり前のことなんだけど、でも、ほんとにそうなんです。その圧倒的な差をつけてる現職教員ですら、ベテラン教員はダメ出しをする。自分のことを棚に上げて(笑)。でも、若手教員はそのダメ出しを聞いて、自分の中の不充分なところを言語化して、次へと活かす。それが日常的に行われているんですよね。
なんのことかというと、とある若手教員に
「そんなに難しいって言わなくてもええんちゃう?もっと軽やかにいけばいいのに、くどく言うからよけいに難しく受け取られてしまうんちゃう?」
って言ってみたんですよね。そしたら、その若手教員
「そうなんですよ。たぶん、自分が教えるのが難しいと思ったところを難しいと言っちゃって、だから説明がくどくなるんですよ」
とのこと。なるほどね。それが自己分析できてるなら、そこから変えていけるってことですね。力のある教員だから、楽しみです。
ちなみに、わたしのコメントは、すべて「授業のしかた」であって、授業内容ではないです。だって、数学苦手だもん(笑)。
まぁそんなこんなでワチャワチャでしたが、それでもなんとか感想文も読んだし、5クラス分入力できたし、よく仕事しました。
帰ってビールだ!
人権学習ウィークス開始とか
今週と来週の水曜日、人権学習があります。今週は2年生。来週は1年生と3年生です。で、今日の人権学習は「ゆきみちゃん講演会」です。いつぐらいからやってるかなと思って検索したら、いっぱい出てきたな。
とりま、授業前に機材のセット。その後3発授業をやって、4時間目に準備をしたかったけど、体育館を使ってるから準備できません。まぁしゃーない。おべんと食べてひと息ついて。
駅まで迎えに行くと、向こうからオーラが(笑)。ゆきみちゃんの登場です。久しぶり!半年ぶりかな。
と、ゆきみちゃん曰く
「いつきちゃんと出会って10年。アニバーサリーですよ」
とのこと。そうか、寝言を韓国語で話してるのでビックリしてから10年か。他にもいろいろあるけど(笑)。
てことで、講演会スタート。
まずは「制度」「言葉」「心」の「3つの壁」の話から。ここはむずかしいですね。「心の問題にしちゃいけない」ってずっと言ってきましたからね。でも、ゆきみちゃんは「心」に焦点化して話を進めていかれます。はたしてどうなるんだろ。
でも、たぶんそうなんですね。「制度」や「言葉」は、ゆきみちゃんにとっての壁ではない。それはお母さんにとっての壁なんですね。だからこそ、自分の存在に正直になれば、そこに力点を置くのは欺瞞になります。さらに、ゆきみちゃんが経験してきたことは、まさに「心」が行為になった事象なんですね。だから、「心」に力点を置くのは、たぶん正直なんでしょうね。
そんなことを考えながら、話を聞いていました。で、最後の方で「ヘイトの三角形」を出す。なるほど。ここで、「心」と「制度」が結びつくんですね。つまり「心」の問題の延長に「制度」があるし、「制度」の底辺に「心」がある。そういうふうに制度や法律と「心」をつなげてるのかな。であれば、いいな。
てか、毎年毎回考えるのが、そこを補足するのが教員の仕事ってことです。
そんなこんなの最中に、某国営放送から連絡がありました。一週間くらいここから見られるんだとか。「あの子」の現実が、あちこちに伝わるかなぁ。それは「あの子たち」の現実でもあるんだよな。
長丁場
今日は午前にヤクゲトです。なので、ちょっとゆっくりとした朝を過ごしました。こういうの、大切です。
で、午後からは会議で出張です。なんでもzoomでやりたいとのことなので、わたしがホストになりました。まぁしゃーないです。当初は「官給品のPC」でと言われていたのですが、断固拒否です。なにせ、セキュリティソフトのせいでろくにアップデートもできないような危ないPCなんぞ使えますかいな。
会議の方は滞りなく修了。
そして、夜は恒例の会議。こちらもzoomです。それにしても、オンライン会議になって、すでに1年以上たっているかな。オンラインは楽は楽だけど、別のしんどさがありますね。
なんしか、長い一日でした。疲れた…。
さすがは!
今日はそれなりにのんびりした日のはずですが、なんだかバタバタしてしまいました。まぁ、昼休みに放送部のミーティングがあったのが原因かな。さらに、放課後は本店からの計画訪問。ちなみに、今年度新しいS括S導S事になった人、古くからの知りあいですからねぇ。そういう時代になったってことかなぁ。
それにしても
「後継者、どうされますか?」
と毎年聞かれるけど、今年はとうとう
「まぁ、はっきり言って、「そんなこと、わたしに言われても知らんがな」ってことですね」
と答えました。だって、人事の問題だもん。それは、わたしが関知できることではないです。支店長や本店が考えることです。で、わたしにそれを聞くってことは、やる気がないってこととイコールってことです。てことで、本店のみなさんも
「そりゃそうですね」
とのお答え。まぁそんなもんだな。
で、夜は打ちあわせ。これをつくった人です。はじめてお会いしたの、もう、25年くらい前になるかなぁ。
とりあえず、近くのちょっとおしゃれにお店に入って、いろいろ近況報告とか問題意識の交換。いやぁ、熱い人だなぁ。
で、とても有意義な時間を過ごしていたのですが、となりのお客さんたちの会話が気になってしかたない。なんか「わたし、3世」「わたし、2世」みたいな会話をしておられます。これ、なんなんだ。そうこうするうちに「イモを呼ぼう」とか言っておられます。なんなんだ。
てことで、打ちあわせもすんだところで、声をかけてみました。そこから大盛り上がりです。最後はオモニが「九条会をつくろう!」とか言い出されて、みんなで「おぅ!」みたいな。
いやぁ、おもしろい夜を過ごすことができました。さすがやな。
「自分史を書く」ことにまつわって
この間、ずっと桜井厚本を読んでいます。まぁほんとうに「今ごろかよ」って話です。それは、インタビューをする側としては、完全にあたっています。が、インタビューをされる側としては、別の意味で「今ごろかよ」だったりするわけです。
最近でこそ減りましたが、わたしはかなりな回数、インタビューを受けてきました。その中には、例えばこんなのもあったりします(笑)。
そんな経験の中で「自分史を語ること」についてはずいぶんと考えてきました。だからこそ、例の本の冒頭に、以下のような内容を書いたわけです。
その時「自分史を書くしかないなぁ」と思いました。と同時に、「それってうさんくさいなぁ」とも思いました。なぜなら「ウソが混じるかも」と思ったからです。確かに「自分史」にウソはありません。しかし、そこからどんなエピソードを拾いあげ、それをどう表現するかということは、「現在のわたし」の評価を通してされる恣意的な作業になります。でも、逆に言うならば、自分史を書くことを通して、現在のわたしを書くことができるかもしれないと思い直しました。
ちなみに、こういうことを何度か「おべんきょの専門家」の人たちに話したことがあります。すると、みなさん「そんなん、当たり前や」と返してこられました。まぁそりゃ「おべんきょ」の世界では当たり前のことなんでしょうね。ただ、当時のわたしは「おべんきょ」は縁遠い世界だったし、どちらかというと「おべんきょのネタ」になっていたわけで、その「ネタ」側がこういうことを考えていたってことです。さらに言うと、はじめて「お座敷」をやったのは2003年頃だったかな。その時、すでにこういうことを考えていました。
で、なぜこんなことを考えていたかというと、たくさんの「被差別者」のみなさんの講演を聞いてきたからです。
みなさんの「被差別の人生」を聞くたびに「ほんとうにそうなの?」ってずっと思っていました。もちろん、「被差別の経験」はそうなんだろうと思います。が、「それだけなの?」ってずっと思っていました。だからこそ
ほとんどの人は、淡々とした日々の中に、小さな喜びや小さなしんどさを感じながら生きているんだろうと思います。わたしもそんなひとりです。
と書いたんですよね。そして、そういう人生って
とてもではないけど、波瀾万丈な人生とは言えないわたしの自分史をできる限り正直に書くと、おのずととても退屈な文章が続くと思います。
なんです。
いま振り返ると、あの本は、自問自答しながら書いていたし、言いかえるなら、「インタビューアー」と「インタビューイー」の両者をやってきたのかもしれないなと思ったりもします。そして、「自分史を書く」ってそういうことなんだろうなと思ったりもします。
まぁ、なにがなんていうこともないけど、少し思ったってことです。