てことで、リハビリ

昨日の今日でリハビリです。担当してくださるのは入院時にお世話になったU村さんです。長い間来なくてすみません。
U村さんは、とにかくよく話されます。なにをどうすればいいのかとか、理屈先行のわたしとしては、とても助かります。が、どうやらそれだけではないらしいです。というのは、U村さんがふと黙られたあとの会話です。
U「集中すると黙っちゃいますね」
い「黙ると、こちらも肩で何が起こってるかわかりますね」
U「それまずいんですよね。肩に集中すると肩が緊張しちゃうんです」
つまり、わたしが肩に意識を集中させないために話をされてたってことなんですね。すごいわ。
で、Kっ川くんのリハビリのおかげかな。関節とか肩甲骨はとてもなめらかに柔らかく動いてるみたいです。ただ、筋肉が緊張してる。それがよくないみたいです。
「家でも可動域を広げるための動きをしたほうがいいですか?」
と聞くと
「それよりも日常の動作が痛みなく楽にできるようにしてください」
とのことでした。
とにかくジッとさせて緊張させるのはもってのほかです。一番いいのは身体のあちこちを触って、「痛みなく動く」ことを脳みそに教えることらしいです。なんでも、今のわたしの脳みそは「動かしたときに痛くてもいい」って考えてるらしい。すると筋肉が緊張するから、可動範囲が狭くなる。
そうか。筋肉と脳みそはつながってるんだ。
リハビリが終わると、肩が少しだるいです。まぁでも、ひたすらストレッチだったので、そんなもんなのかな。Kっ川くんのリハビリのあともだるいもんね。
てことで、これからしょっちゅう来なきゃならんことになりました。交通手段をどうするかだな。

で、家に帰って在宅勤務です。なにせ5月いっぱいは在宅勤務がOKです。
まずはおべんきょタイムです。残り30分しかないけど、SCATのこととかM-GTAのことなんかを教わったり。なんでもSCATはデータ数が10人くらいになると挫折するらしいです。一方、M-GTAはデータ間のつながりみたいなのがズタズタになるんだとか。そんなあたりから、データの取り方とかに話が移行していって、深いなぁと。それにしても、わたしはこういう分析手法をまったく知らずにやってるわけで、ほんとにアカンなと。
午後もおべんきょタイムです。おふたりの発表を聞いて、いろんな人のコメントを聞いて、ついチャットでつぶやいてしまって、みたいな。
その後、職場から送られてきたファイルにいろいろ書き込んで返送。このあたりで肩がちぎれそうになってきました。アカン、もう限界…。
結局自分のおべんきょは進まず。まぁしかたないか…。

骨は順調らしい

今日は肩の骨折の通院日です。
いつものように熱の測定があります。なんか、35.5℃とか言われて、思わず「低っ」っ言ったら笑われました。なんでだろ。
今日は少し待ったけど、それでも待ち時間は短いです。大きな病院って昔は半日がかりだったけど、効率よくなったんだなぁ。
で、診察室に呼ばれて、金曜日に撮ったCTを見せてもらいました。

右が手術直後で左が金曜日のです。
「ここがこうなって、くっついてますね。順調です」
よくわからないけど、順調らしいです。
「腕は上がりますか?」
バンザイしたら
「ダメですね」
とひとこと。
「リハビリしましょう」
K川くんがやってくれてるんだけどなぁ。まぁでも痛がりのわたしにつきあってくれてるから、なかなか進まないんですよね。「焦らず急ぐ」ことの難しさですね。
「リハビリしなかったら、前に言ったとおり「バリッ」ってやらなきゃならなくなります」
ひぃー。
「でも、「バリッ」ってやったら、結局痛むからなぁ」
って、それだったら結局「ふりだしにもどる」ですやん。
てことで、明日リハビリに来ることになりました。どうなることやら。

てことで、職場に行って、あとは金曜日に本店に提出する書類をつくったり。気がつくと筋トレするのを忘れてた^^;

web講義、のちクネクネ

3月の中頃に1本のメールがありました。差出人は「そらにじ」のおかっちさんです。内容を読んで「それをわたしに頼むか」と(笑)。てか、そもそもなんでおかっちさんがそれをやってるねんと。そんなのに乗っかったら、後ろから弾が飛んできかねません。てか、「「障害×学校教員」シンポジウム」の時も同じようなことを思ったしなぁ。いろいろ考えたけど、まぁええかと思って「ええよ」と返事をしました。
もともとはビデオ講義のはずでしたが、こんな状況なのでwebexを使っての講義になりました。
問題は、何を話すかです。なにせ相談員の育成のための講義ですからね。専門外です。まぁただ「交流会を社会化した形で」というオファーなので、やってることから考えたことと、やってることのベースにあることを話すしかないかなと。で、急遽プレゼンをつくって、なんとかこなしました。
収録のあとはしばしおかっちさんとおしゃべり。ひさしぶりだなぁ。また関西に来ないかなぁ。でも、このご時世ではどこにも行けんな。

午後は上の子どもとプチツーリング。自分のバイクに乗ったのは7年前になりますか。肩も動かないし、バイクも本調子じゃないけど、それでもエンジンはよくまわります。やはりバイクは楽しいな。肩がなんとかなったら、少し整備をしてやろうかな。

今日も今日とて

今日はおべんきょ成果をかかねばということでがんばろうとしたけど、なかなかがんばれません。アカンなぁ。とりあえず、送られてきたペーパーをプリントアウトしてパラパラ読んでみたり。はたまた突如各方面といろいろやりとりしたり。そんなことをしていたら、あっという間にお昼です。
午後からは東さんのペーパーをパラパラ。んー、ほんとは深掘りしたくないですよね。やりたいのはその方向じゃないんですよね。でも、おさえておかなきゃならんところでもある。まぁ勉強になるからええか。
それにしても、みなさん、よく調べてはるなぁ。すごいです。ほんとにそういう「成果物」を積み重ねた上になにかを乗せるんですね。まさに「巨人の肩」です。
てなことをやってるうちに、突然やる気スイッチが切れるのもお約束です。
さぁでかけましょう。てことで、到着したのは、今日も今日とて、崇仁新町です。なんでも、今日は地元の人の呑み会があるとかで、なぜかわたしも声をかけてもらったと。
到着すると、すでにT内さんとU本さんが飲んでおられます。机の上にはニラとホソの炒めもの。こんなメニューあるの?と、出ました。

プリンみたいなコゴリです。うまいわ。
と、T口さんとM山さんも来られます。なかなかの重鎮が揃われてます。大事な話があるんとちゃうのと思うのですが、T口さんは飛ばしまくってます。と、なぜかN村さんたちが来られて、そこに焼き焼きの大将も混じって、なにがなんだかわからない飲み会になりました。話の中身はひたすらムラ話。
「張り合う相手はな、やっぱり九条と三条や」
そうなんや(笑)。
「やっぱりな、ルーツは七条や」
ふるさとへの愛がつまった発言です。
「他のところの天ぷらとか食べたら具がないねん。ほんで「具ないやんか」言うたら「衣がうまいねん」って、なんやねんそれ」
ふるさと自慢はまだまだ続きます。
それにしても、こんな話を聞かせてもらえるの、うれしいです。ここがなくなると、どこでこんな話を聞かせてもらえるのかなぁ。と、N村さんのお母さんから
「今度連絡先を交換しよ」
とのありがたいお言葉。
やがてみなさん帰られたけど、ひとり残られたU本さん。
「まぁ、○分のバスに乗りますか」
と、腰を落ち着けられて、ふと横を見ると走り去るバス。というのを3回繰り返されて帰られました。
さてと。わたしも帰ろうかな。

なにもしないのに

今日は帰りに病院に行かなきゃならないので車出勤です。なので、職場の到着がメッチャ早い。とうぜん部屋は一番乗りです。朝ごはんを食べて、ちょこちょこメールをチェックして。で、仕事開始です。
今日は登校日なので、担任さんにくっついて30分のホームルームのお手伝い。ところが少し時間があまったので「なんかありませんか?」と振られました。
うーん、そうだ。コロナ差別について話さなきゃね。第2のふるさとで集団感染が起こったので、そのことも触れながら、さらにHIVとかハンセン病のことなんかも話をしてみました。
あとの時間は、印刷したり丁合機をかけたり。はたまた人権学習の調整をしたり、書類をつくったり。これといって大きな仕事はしてないから「なにかやった感」はまったくありません。
で、帰り道に病院によってCTだけ撮ってもらいました。まぁくっついてるでしょう。
そんな感じの1日。

何回来るねん

今日は家族で崇仁新町です。パートナーは呑まないので車で移動。お店の人用の場所に車を置かせてもらうって、どれだけフリーダムやねん。でも、「ええよー」とのことなので、ええんでしょう。
とりあえず、ちょぼ焼きとおでんの盛り合わせと牛肉のしぐれ煮と思ったけど、しぐれ煮は売り切れだとか。てか、シャッター閉めてはりますよ。
い「なにがあるんですか?」
店「あわび煮」
い「他は?」
店「シューマイ」
い「ほな、シューマイを2つ」
パ「あわびも食べようよ」
マジか…。
シューマイ、おいしい!

大粒でジューシーです。
いや、やっぱり崇仁新町はいいなぁ。雰囲気もいいしおいしいし。
それにしても、みなさんやりたい放題です。奥の方にはなぜか雀卓が。

まぁご時世と言えばご時世ですな。賭けてはいないでしょう。たぶん。
てことで、家族も一緒なので、早めに帰りましょう。

肩がちぎれそうになったけど

今日はこの時のの2次校正を終わらせるぞと固く決意して出勤です。
講演を冊子にするために、わたしはトランスクリプト作成→1次校正→2次校正→講師チェック→組版というプロセスをふんでます。
トランスクリプトを作成する人、めっちゃ大変です。が、基本的には話した内容に忠実に作成してほしい。なぜなら、削除したものはもどせないからです。だだ、忠実に作成したものは、メッチャメチャ可読性が低いです。場合によっては改行すらない。それをとにかく読めるようにするために、上の子どもに1次校正をしてもらってます。ここでかなり読みやすくなります。そのうえで、わたしが2次校正をする。
わたしがやることは、トランスクリプトのミスの修正と見出しつけです。
トランスクリプトのミスって、あります。簡単に言えば聞き間違いです。これの修正は、音声データを聞きながらじゃないと無理です。なので、わたしは音声データを聞きながらチェックをし、さらに可読性を高めるための改行や修正をします。
なので、とても簡単に言うと、音声情報と文字情報を同時に見てるので、内容がメッチャメチャよくわかります。
で、今回それをやって、この間よりも深く理解したかも。
とても大切なのは「いじめと差別との違い」なんですね。差別の中にある「社会全体からの幾世代にもわたる歴史的な痛み、そして将来への絶望という痛み」が、おそらくキーワードなのかな。それこそがvulnerabilityというヤツなのかな。で、これは個々の人間に対してというよりも、それらの痛みを強いられる「カテゴリー」の問題なんですね。で、わたしがこの時に話した「傷つく資格」というのは、そのようなカテゴリーの話を個人の話にスライドさせてたんですね。だからうまく噛み合わなかった。
ただ、自分がなぜ「傷つく資格」にこだわるのかな。
それはたぶん、アイデンティティの話とからまる気がします。
例えば、部落出身である人がそうと知らずに部落へのヘイトを受けた時と、そうと知って受けた時と、傷つきは異なるのかってことです。まぁたぶん異なりますよね。ただ、異なるということは、「部落出身」というカテゴリーではなく「部落出身であるというアイデンティティ」というカテゴリーで考えなきゃならんのではないかと。ただ、ヘイトを加える側は、アイデンティティとか無関係なんですよね。そういうビミョーかズレにこだわってるのかな。
で、なぜそこにこだわるかというと、当然のことながら「傷つく資格がない」と思っていた「トランスいうカテゴリーを知らず」「自分を変態と思い」「変態への忌避感があった」「わたし」がいるわけです。同じトランスのわたしであるにもかかわらず「変態アイデンティティ」であれば「傷つく資格」がないと考え、「トランスアイデンティ」というカテゴリーに入れられた瞬間「傷つく資格」を他者から付与されたという感じなんですね。なんでそんなことにこだわるかというと「vulnerabilityはあるカテゴリーの成員であるというアイデンティティに付随して存在するものなのか、あるカテゴリーに対して他者から付与されるものなのか」ってことなんです。
本来的にはアイデンティティに付随すると思ってるんですよね。でも、Aというカテゴリーが「幾世代にもわたる痛み」を加えられていたとしても、Aが「カテゴリー」として社会から承認されていなければ、それは「幾世代」にはならずに「個人」になってしまう。そうなると「カテゴリーとして承認される」ことを通して「他者から付与される」ことになってしまう。
つまりvulnerabilityが前提とするカテゴリーは、そんなには自明ではないよなったことなんです。
マイクロ・アグレッションって、人種差別の文脈からスタートして、民族差別とか部落差別、女性差別・障害者差別へと概念を拡大させているのかな。ただ、それらのカテゴリーはカテゴリーそのものが「すでにある」ものです。が、いまだカテゴリーとして承認されていないものへは適用しにくい。そこがたぶんメッチャひっかかってるんだと思います。
まぁでも、自分のモヤモヤのありかがわかってたのはよかったし、それは「2次校正」という読み方をしたからこそなんだな。キーボードと半日つきあって肩がちぎれそうになったけど、やってよかった。

継承

今日はなにもないけど出勤です。いつもの電車に乗ろうと思ったら、安定の大遅延。てか、とまってるのかよ。振替輸送はめんどくさいなと思ったら、なぜか電車がやってきました。なんでも1時間遅れのだとか。なので、結局ふだんよりも早く出勤できました。
午前の後半はzoomをつかったおべんきょタイム。この間つくったレジュメを使っての発表です。「こんなんでいいのかな」とドキドキしながら発表したあとは、センセのコメント。よかった、案外うまくいってたらしいです。
ここからコメントとかディスカッションとか。勉強になりますね。なんとなくおぼろげだったMCDの利用の観察って、そういうことだったんだと。ずっと「MCDを利用して分析する」って思ってたけど、「人々が知らず知らずのうちに使ってるMCDの利用のしかたを分析する」んですね。それって、具体的には「わたしたち」が日常的におこなってるカテゴリー化の実践を顕在化させるってことなんですね。で、そのカテゴリー化は「ことば」をつかっておこなってる。なので、その「ことば」の使い方に注目をする。
まさに「発話は行為」ってことです。
ちなみに、センセによるとこないだの「おべんきょ成果」はEM的なものらしいです。自分でも気がついてなかったけど、たしかにそうかもしれません。おそらく「EM的なものの見方」が好きなのかな。

で、夕方は恒例の会議。2ヶ月ぶりの大阪です。新快速はガラガラでした。
会議の前にセルフブランチ。

会議そのものは「フィジカル・ディスタンス」をとっての進行です。ただ、会議のあとのひとときは、あまりディスタンスはとらなかったり(笑)。
そんな中、突然電話がなりました。21年前の卒業生からです。当時はやんちゃくれだったけど、今は社長をしてます。なんでも、いま、いろんなことがわかってきたんだとか。
卒「せんせ、おれな、いま毎朝3km歩いて出勤してるねん」
い「原チャとちゃうんや(笑)」
卒「こないだ「お金ないねん、めぐんで」っいう人がおってな、3000円持ってたから2000円渡したら、すぐにコンビニに行きやったわ」
い「へー」
卒「おれがやで。2000円もらうんと違ごて、やったんやで」
なるほど。カツアゲしとったからな(笑)。
卒「今の子らはどうや?義理人情わかる子おるか?」
い「減ったなぁ」
卒「熱血もおらんやろ」
い「それはおるで」
卒「そうか。せんせ、飲んでるんやろ。じゃましたな。切るわ」
い「うん、またな」
ふと思い出して電話してくれたのかな。すごくうれしかった。
それからもうひとつ。「熱血もおらんやろ」と言われたときに、暑い教員の顔が何人か浮かんだのがうれしかったです。
別にみんな同和教育をやってるわけじゃない。というか、そんなことは意識してないと思います。でも、やってることは同和教育に近いものがあったりします。
なんか「同和教育の継承」って言ってたけど、継承しなきゃならんのは、そういう「形」じゃなくて、「暑さ」なのかもしれません。「暑さ」が伝われば、子どもたちを見る目が変わり、子どもたちの姿を通して見る社会の見方が変わる。そして社会への接し方も変わる。
そんなもんかもしれないな。

てことで、視た

昨日「マジか」となったおそらくは原因の「目撃!にっぽん」を視ました。
最初に感想を言うなら「いい番組やなぁ」です。
なにがいいか。
あったことを淡々と話されて、それが淡々と流される。なにより「被差別体験」を話されない。単に「あったこと」です。例えば会社を受けて「朝鮮人やろ」と言われて落とされたって話がありました。でも「差別された」とは言われない。そういう意味です。て、その「あったこと」を「被差別体験」と考えるのは「聞き手」の問題なんですよね。
例えば、「朝鮮人やろって言われて落とされた」という語りを聞いて「朝鮮人差別にあったんや、許せへんな」とか「朝鮮人やから当たり前やんか」とか「また差別差別言ってるわ」とか、いろんなことを考える。それは、その語りを解釈する「わたしたち」の問題だってことです。「わたしたち」がどういう「ことば」の中で生き、その「ことば」によってどういう「文脈」の中で生きてるか。それが「語り」によって顕在化するってことです。
つまり、顕在化するのは「わたし」なんですね。
で、わたしはどう思ったか。
「人は歴史とか国家に翻弄されて生きるもんなんだなぁ」
です。
ちょうど昼間に安昌林選手のオモニと話していて、「あの子、いま日本にいないんですよ」と。「帰ってこられる予定は?」と聞くと「たぶん当分無理」と。そこにあったのは、ひとつはcovid19なんですが、もうひとつは「在日」という存在ゆえでした。なぜ安選手が日本にいないのか、なぜ当分帰ってこられないのか。そこには歴史とさまざまな国家間にある関係性の中で生み出される思惑とが交差しています。
そして夜に「目撃!にっぽん」のハラボジの話を視た。
おそらくハラボジは「朝鮮人やろ」と言われて落とされた時、悔しかっただろうなとは思います。でも、それが当たり前の時代です。だから、法務省に行くとか、民族団体に行くとか、日本人と共闘して闘うとか、そういう選択肢は考えもつかない。仮にそういう方法を思いつくとすれば、それはそういう歴史をつくってきたからこそ可能になる。だから、例えば民闘連とか「すげぇ!」って思うわけです。
恵さんの話もおもしろかった。「結婚という節目があれば帰化を持ち出せるけど、朝鮮人がイヤというだけでは親が悲しむから帰化したいとは言えない」。考えようによっては「結婚とか関係ないやん」とも言えるかもです。あるいは「ジェンダーが」とか「異性愛規範が」とか言うことも、もちろんできます。でも、恵さんにとってはそうではなかった。そこから恵さん個人のことではなく、恵さんがいた/いる恵さんを取り巻く社会が浮き彫りになります。
それは今のわたしも同じことです。個人として「マジか」とか「当たり前」と感じるひとつひとつの出来事をそう考えるってのは、歴史や国の思惑に翻弄されているなかで、自分がそう解釈してるからなんですよね。だからこそ、そう考える自分を分析することがおもしろい。そこで不可欠なのが、やはり歴史です。
例えば、「番地のない町」に住む人たちは「不法占拠」と言われた。でも、極端な話、平安時代は河川法なんてないから「不法」という概念なんてなかった。ある行為がどう評価されるかってのは、歴史や国に翻弄される。では、なぜ「不法占拠」せざるを得なかったか。番組の中に「立ち退き」というひとことがありました。立ち退き?どこを立ち退かなければならなかったのか。なぜ立ち退かなければならなかったのか。さらに、立ち退く前に、なぜ立ち退かされるところに住んでいたのか。そういう歴史があるはずです。それを通して「不法占拠」という行為が必然的なものとして理解できるようになる。そして「不法占拠」という言葉を聞いた瞬間に感じた自分が置かれた文脈が理解できる。さらにそういう自分が置かれた文脈が歴史や国の思惑に翻弄されながらつくられてきたことが理解できる。
そして、それを理解できるからこそ、そういう歴史や国の思惑に翻弄される文脈を変えうることが可能となる。さらに歴史や国の思惑そのものも変えることが可能となる。
そしてその切り口はどこにでもある。
「番地のない町」に住んでいた人が誰であるか、「番地のない町」がどこであるかを探ることに意味はないです。あの番組は、たまたま「番地のない町」を切り口にしただけのことです。その切り口は、「わたし」のまわりにもある。その切り口をみつけられるかどうかは、わたしの問題である。
そんなことを感じました。
最後に、「番地のない町」と「そこに住んでいた人」という切り口をていねいに聞き取ってこられた村木さんですね。そこには長い時間をかけてつくってこられた信頼関係がある。そのとてつもない労力は、きっと「ものすごく旺盛な好奇心」の先にある「自分一人に留めてはならない」というところに依拠してるのかな。そんな村木さんに感謝です。

やっぱり今日も「マジか」

ここまで来るとヤケです。でも、やはり「マジか」と驚くことがある。
今日は日曜日。天気は晴れ。まずは散歩です。家を出たときは涼しいけど、歩きまわるからか時間が遅くなるからか、家に帰ってくると汗ばむ感じです。
家に帰ってPCを開いて、ブログを書こうかと。で、アクセス数を調べると…。280?「マジか」…。ふだん30人ぐらいしか見に来ないこの寂れたブログが300近い?なにがあったんだ?どうやらみなさん、「目撃!にっぽん」を見て、その関係か東九条のフィールドワークの記事を見に来られたみたいです。たいしたことを書いてないのに、ありがたいことです。にしても、いったいどう検索したら、この寂れたところがヒットするんだろう…。
まぁそれはおいといて…。
今日もおべんきょです。
昨日は「あと少し」まで来ていました。今日はその「あと少し」を埋める日です。うーんうーん、えいや!とやって、とにかく「あと少し」を埋めてしまいました。
午後は某在日外国人教育関係のzoom会議です。ネット会議は疲れますね。たぶん、集中のしかたが違うんでしょうね。会議のあとは、下の子どものために買ったガジェットの設定。あかんな。モノクロでしか出力しない。返品だ!
あとは筋トレ→お風呂→ビールだな。
明日から平常勤務がはじまってしまう…。