かかわることにしようか…

今日の午後はウトロの火事の跡の整理です。ちなみに「かじのあと」って打ったら、「カジノ跡」って出てきたのでびびりました。
てのはおいといて。
久しぶりにウトロに顔を出すと、いつもの面々が「久しぶり-」と声をかけてくださって、やはりうれしいです。ただ、「いつもの面々」が少しずつ変わっていっているのがおもしろいです。東九条もだけど、ウトロもまた、世代交代を少しずつしていますね。それがうまくいっている場所のうちのひとつじゃないかな。ちなみに、わたしは「ウトロ守る会」の、ほぼ第1世代です。1988年に守る会が結成されて、わたしがウトロに入り浸りはじめたのが1992年です。ニューヨークタイムスに意見広告を出すって話は、守る会の会議で聞いていました。守る会の立ちあげメンバーではないという意味では1.5世代かな。第2世代ではないですね。ただ、ウトロの運動をやってきたというよりも、「ウトロ農楽隊」でチャンゴを叩いていただけです。年表には書いてないけど、1993年から1998年の5年間に、京都会館での集会なんかもあって、そのあたりの頃は農楽隊の練習で毎週のようにウトロに行っていました。たまに生徒をつれていったりもしてて、そんなのが新聞にもとりあげられました。

ただ、居住権の話とか、なかなか難しい話が出はじめるとともに、農楽隊の活動が減っていって、それにともなって、イベントの放送を手伝う程度になってしまって、さらに、交流会がどんどん増えていくなかで忙しくなって、だんだん行かなくなってきたってのが、ここ15年くらいの話ですかねぇ。そんなわたしですが、それでもウトロの会議の情報をずっと送り続けてもらっていて、今日は時間がある&力仕事なので、せっかくだから行こうかなと。
火事の跡はやはり痛々しいですね。そこから看板救出作戦です。「これはオモニの歌のやつや!」「おっ、セウォル号のが出てきた!」。ひとつひとつの看板に思い入れがあるだけに、ほとんど文字が見えなくても、なかなか捨てられません。そんなこんなで、そうとうな枚数が、とりあえず保管されることになりました。
その後、ボランティアの要請の時間です。さてさて、わたしはボランティアできるのか?時間があるのか?なにができるのか?悶々としながらその時間を過ごして、「ウトロ平和祈念館」予定地へ。なんか、ほんとうにウトロの「奥の方」の町並みが変わっています。かなりショックです。でも、祈念館の前には「焼肉スペース」をつくることは決定しているそうです。なんでも、祈念館をつくる時のウトロのみなさんの第一声が「焼肉やる場所はあるのか?」だったんだとか。だから、焼肉スペースはマストです。そんな話を聞くと、「町並みが変わっても、やっぱりウトロはウトロやなぁ」という気持ちになってきます。
てことで、今日の作業は終了。会館にもどって、帰ろうかな。帰らないでおこうかな。そんなふうに逡巡しながら、なんとなく居残って、展示パネルの話をしていたら、おもしろい歴史の話を聞かせてもらって、おもしろいなと。そんなふうにしていると、やはりかかわらなきゃなという気持ちになってきます。
てことで、気がついたらライングループに入れてもらっていました。まぁええか。もう1回ウトロで遊ばせてもらおう。

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