遅々としてすすまない→文化の継承

今日は比較的時間があります。なので、月曜日〆の原稿をやっつけようかと。ちなみにこの原稿、完全に学校教育にかかわることなんですよね。で、こういうことを意識化して授業するか意識せずに授業するかでかなり違います。ちなみに過去にはこんなんとかこんなんを書いています。
でも、すすまない。今回は他の人も「難しい」って言ってます。わたしもスジがむずかしいとは思っています。が、みなさん、それでもアンソロジーを書いてこられます。それらをまとめるのがわたしの役割です。いちおうアウトラインはできているけど、文章を詰めるのはまったく別の作業です。ぐえーとなりながら、別の仕事に逃げるのはいつものことです。アカンなぁ。

で、放課後は久しぶりの家庭訪問。少しオイタ(笑)をした子がいるので、話をしに行ったのですが…。
他の教員はオイタにからまって別の事象もとりあげて「反省してない」「悪いと思ってない」と思ってるみたいなんだけど、わたしはなんか、その子が「悪いと思ってない」というのがわかるんですよね。
まぁこんな例えで考えてみましょうか。
Aという国があるとします。地続きでまわりにも国があるんだけど、それらの国の人々はA国には行かない。もしも行こうとした人がいたら「あぶないからやめとき」って言われる。そんな目で見られているから、A国の人もまわりの国に行けない。自然と、A国の人々はA国の人々とだけしか交流ができなくなります。また、まわりの国の人もA国の人と交流しなくなります。
するとどうなるか。
A国の人々は独自の文化や価値観を持つことになります。なぜなら、まわりの国がどのような文化や価値観を持っているかわからないからです。そして、まわりの国の人もまたA国の人とは異なる文化や価値観を持つことになります。と同時に、A国がどのような文化や価値観を持っているかを知る機会がなくなります。そうなると、ますますA国に対して「得体が知れない」「あぶない」という思いを持つようになり「あぶないからやめとき」となります。
で、家庭訪問した子の話です。
わたしたち教員の文化では「悪い」ことも、その子の文化の中では「悪い」という価値観がないとすると、「悪いと思ってない」のはあたりまえです。その子の持つそういう文化は、その子のまわりの大人や子どもたちの相互行為の中で継承されていて、内在化されているからです。そしてその子は正直で素直な子だから、思うとおりに答えてくれた。ところが、わたしたち教員は「悪びれもせず」と評価してしまう。そこには齟齬がある。
じゃ、どうすればいいのか。
とりあえず、その子の文化や価値観を一度飲み込む。そこからスタートする以外方法がないです。なぜなら、先ほどの例えで言うなら、A国が独自の文化や価値観を持つことになったのは、まわりの国が「あぶないからやめとき」という行動をとったからです。なので、その原点にもどるしかない。
教員は子どもたちから学ばないとアカンなぁと思ったりするわけです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です