セクシュアリティの病理化と非病理化

今日は夕方から阪大で「SOGIの多様性と共生の課題」なるセミナーです。なので、午後から休みをとって阪大に行こうと思ったのですが、そうは問屋が卸しません。ちょいとヤバイ生徒に追い込みをかけなくちゃ。渡り廊下に呼び出して話をするなんて、本当に久しぶりです。でも、追い込みかけるの、なにげに楽しいです。
その後、駅まで同僚に送ってもらって移動開始。乗換を少しずつ早めていくと、最終的には予定より20分早く着けました。よかった。
軽く打ち合わせをしていると、続々と参加者が来られます。なんだかんだで、30人以上来られたかな。けっこう盛況というか、ニーズがあるんだなと、あらためて思いました。
今日のスピーカーは康さん。テーマは「セクシュアリティの病理化と非病理化」です。「「SOGIの多様性」がテーマなのに、なぜ精神科医がしゃべるねん」という疑問は当然ありますよね。でも、わたしはここからはじめたかったんです。なぜなら、「非病理」あるいは「脱病理」を考えるためには、その前史としても「病理」を抑えておかなきゃならないと思っているからです。ではその時誰に頼むか。それははやり康さんかなと。いや、誰かアクティビストの方にお願いすることも可能だけど、そちらのバイアスは避けたかったんですね。というか、はっきり言って、康さん、「非病理化のアクティビストと違うん」と、わたしは思っています。精神科医として脱精神医療化をするということは、まぁ言うなれば、「自己否定」ですね。
ということで、康さんからの問題提起スタート。はっきり言ってマニアです。なぜに『変態性慾論』を自分で買うのかなぁ。でも、それを自分の手元に持っていないと気がすまないんでしょうね。話の中身は、まさに「非典型的なセクシュアリティを持つ人が、宗教的な罪→犯罪→病理を経て脱病理化されてきた」という世界の動きを押さえた上で、日本においては、「病理」のロジックでものごとが進んでいるということをきっちりと話されました。特に、最後のところでは保険適用についても触れてもらって、最新の状況を教えてもらえたかな。
ただ、いかんせん、gender dysphoriaに偏ってしまうんですよね。まぁそれはある意味しかたないです。だって、康さんはそっちの専門家だし、わたしもトランスジェンダーが専門だし、唯一ほんまなほさんが全体を網羅した感覚を持っておられるけど、司会者ですからね。なほさん、司会者の役割として、一生懸命LGBについても話題が進むようにしようとされるんだけど、聞いておられる人たちもトランスジェンダーに話題を移していくので、なかなかたいへんそうでした。って、そんな他人事でいいのかという話はありますが。
それにしても、日本って、トランスジェンダーに限らず、病理化することで「配慮の対象」にするという感覚が強いですね。それは例えば「落ち着きがない子」も「ADHD」にすることで「配慮の対象」としていることからもわかります。そういう社会において、あるゲイの人が「同性愛も病気だったらよかったのに」という、もうなにがなんだかわからないつぶやきが出てくるんでしょうね。こうなってくると、日本社会全体が病理化されているという感じがするわけで、そんな中でgender dysphoriaの脱病理を人口に膾炙させるのは難しいですよね。さらにそれは、保険適用で一層拍車がかかった気がします。
ちなみに、今回のセミナーでのわたしのチャレンジは「しゃべるスピードを落とす」でした。どうやらそれはうまくいったみたいで、けっこう好評でした。これからもがんばろう。
そんなこんなで、セミナーも修了。

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