疑問が少し解けた

今日と明日、「高校カリキュラム交流会」とかいう集まりがあります。これ、日教組主催の集まりで、特に高校教員が集まるものみたいです。で、そこにレポートしろと。まぁ、ここで出していないレポートはいっぱいあるから「ええですよ」と安請け合いした次第です。
で、今日は全体会。上智大学の澤田稔さんの講演とシンポジウムです。ちなみに澤田さん、どこか出会ったよなと思っていたのですが、どうやらこの日路上でお会いしたらしく、そのままfacebookの友だちにしていただいていたという。さらに、こないだのアブタークのイベントにも来られていて、わたしの話を「おもしろい」と言ってくださっていました。
てことで、講演を楽しみにしていたのですが、おもしろい、ふだん「学習指導要領」とかマトモに読まないのですが、やっぱり読んだほうがいいですね。文科省の考えが伝わってきます。
ちなみに「文科省」と言っても一枚岩ではないわけで、かなりリベラルな人もいるはずだと思っていたのですが、やはりそうだったんだなと。そういうリベラルな人と保守的な人と、さらには他の省庁の駆け引きの中で、落とし所として出てくるのが「学習指導要領」だったりします。そういうふうに裏側から読むと、とてもおもしろそうです。
さらに講演の後のシンポジウムで、そのあたりは深められました。ちなみに、このあたりになるとかなり疲れていて、頭が働かなくなっていましたが…。てか、1時から5時半まで休憩が合計20分くらいしかないのはきついでしょ。
ただ、結局は、現在の教育をめぐる多忙化は、教育を事務方によって操作されているところにあるらしいなと。つまり「整理された整った姿」を前提にしている。ところが、現場はそうはいかないです。次の瞬間、何が起こるかわからない。で、それを楽しむようなろくでもないのが教員してるわけです。なので、教員が文書づくりに親和性がないのは当たり前です。例えば、文書づくりひとつとっても、「ごあいさつ」でも「ご挨拶」でも「御挨拶」でもええやんと思うのですが、「ご挨拶」じゃないとダメとかね。
逆に事務方の人が「何が起こるかわからない」ところに放り込まれて動きがとれなくなる(だろう)のと裏腹なわけです。
ただ、教育の本来が「ハプニング」にあるのに、教育行政が「予定調和」を重んじるようになっているので、その歪が教員にくるわけです。
これをどうしていくかですね。

てなことを考えていたけど、ほんとに疲れたところで今日のプログラム終了。
で、懇親会です。さすがにこの交流会に来るのははじめてなので、知ってる人がそんなに多くはないです。でもまぁええかということで、九州ブロックの人と話したり滋賀の人と話したり。そんなこんなで、気がつくとウィスキーストレートと炭酸のチェイサーを握りしめてました(笑)。
で、二次会は地元のスナックへ。ここでわたしは澤田さんを独占。まぁ、名目は明日の分科会の打ち合わせですが、なんか、やたらおべんきょの話をしてました。
てことで、11時頃にはおひらき。ホテルに帰って、歯磨きをして、服を脱いでふとんに入った瞬間に爆睡です。

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