ハフィントンポストでこんな記者が流れてきたんですが、どうしたものかな。わたしは最近この演説をよく使っているのですが、やめるべきなのかな。
いろいろ考えたけど、まぁ、使い続けようと思いました。
潘基文さん、無能とかなんとか酷評されてたけど、あの演説が出た時「まさか!」と驚かれながらも絶賛をされました。そして今回は大統領選を睨んでの発言で「豹変した」とか「もともとそうなんだろう」とか言われています。
でもね…。
あの演説は、たしかに存在してるんですよね。仮にあの演説が潘基文さんの本意じゃなかったとしても、あの演説を出すところまで世界は動いたんです。そして、その世界の動きが潘基文さんの口を借りてあの演説を生み出したとしたら、それでいいんじゃないんかな。
そして、今回の潘基文さんの発言もまた、韓国国内のキリスト教の現実を映し出す鏡であるの考えるなら、世界は変わりつつあるけど、でも、楽観的であることはできないということもまた事実なんだってことだと思うのです。
潘基文さんの「揺れ」は、そういう世界を映し出している。そのことを踏まえて「叡智における悲観主義、意志における楽観主義」を実践すればいい。だから、やっぱり使い続けよう。