公正中立なんてものはな

とある人権教育担当の会議にて…。
わたしがつくった沖縄人権学習のビデオをめぐって、「基地問題なんかが入ってるから公正中立と言えない」みたいな意見があったんだけど。
腹が立ったので、思わず反論しました。「女性が虐殺されるような今、扱わないことが公正中立を欠く」。
もうすでに言い古されていることだけど、あるものごとを扱う/扱わないの判断をする時点で、すでに公正でも中立でもありません。そして、あるものごとを「公正中立を欠く」という態度をとることそのものが、すでに公正中立を欠いています。とても簡単に言うなら「公正中立なんてない」ってことです。
ところが、「公正中立」ということを言う人は、そんなことを考えずに、自分が公正中立を判断できると考えている。そして、そういう人が、仮に権力者であると、メッチャこわい。いや、教員はすでに権力者ですね。
大切なことは「自分はバイアスがかかっている」ということ、そして「選択し続けている」ってことを、常に自覚することだと、わたしは考えるんですけどね。

そのうち「人権人権なんていうことは、公正中立を欠く」って言われるようになる世界が来る気がします。なにせ、「人権」はすでにその含意に「反権力」がありますから。
いや、すでに言われてるか…。

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