今なぜシティズンシップ教育か

今日は謀人権教育研究会の総会です。午前は会議。午後からは講演会。今日の講師は関西大学の若槻健さんです。
若槻さんの話は前から聞きたいと思っていました。ただ、内容は「格差の連鎖」だったんですね。ここ数年はやりの「排除と包摂」とか「効果のある学校」ってやつです。ところが、どうしても連絡先がわからず、そんな時に西田芳正さんって存在を知って、これがまたちょうど『排除する社会・排除に抗する学校』という、もうぜひ話を聞きたいと思ってることそのまんまのタイトルの本を書かれた時だったので、これ幸いと西田さんに講演を依頼したんですよね。でも、若槻さんの名前はずっと引っかかってました。
で、選挙年齢の引き下げに伴って「主権者教育」なんてことが突然言われるようになって、高校にそれが降りてくる。でも、その内容を見ると寒い。だって、やってることって、それぞれの地方自治体の選挙担当の人を呼んできて模擬投票をするくらい?いや、それは「主権者教育」じゃなくて「選挙権教育」やろと。というか、選挙権がない外国籍・無国籍の子どもが学校にはいる(可能性がある)わけで、そんな子らにとって「選挙権教育」がどんな思いをもたらすかなんてことを考えると、怒りすらわいてきます。更に言うなら、「主権者」とは誰か「主権」とはなにかを考えた時、「選挙権の行使」は、とても大切ではあるけど、でもそのごく一部でしかない。と考えた時、「シティズンシップ教育」に行き着いたのです。
で、講師探しです。「シティズンシップ教育」で検索かけるとK都K育大学やD志社大学にも有名な方がおられるようです。が、今ひとつピンときません。それは、カンでしかないのですけどね。まぁ、根拠をひとつだけあげるなら「大阪がいいな」なんですけどね^^;;。
てことで、引っかかってきたのが若槻さんでした。

今日のわたしの担当は「講師の送迎」と「機材担当」です。てことで、駅まで迎えに行って、会場までの道すがらいろいろ話。
い「あの、お会いするのははじめてですけど」
わ「あの、教社に書かれてましたよね」
みたいな。そこからあとは、共通の知人の話をしたり、今回の依頼の意図について話たり。
で、講演開始。
なんというか…。
話の内容はメッチャおもしろいのに、ドラマティックではない語り口なので、みんな大丈夫かなと。いや、けっこう語り口にだまされたりしますよね。有名なところではこんなのがありますか。
でも、みなさんを見ていると、スライドが変わるたびにプリントがガサガサ言ってるから、これは聞いてるなと。そりゃそうです。中身はすごくわかりやすいし、おもしろい。
結局、「シティズンシップ教育」「市民性教育」って、別に新しいことをやっているわけじゃない。ものすごくバクっと言うなら、道徳教育と人権教育を足して1.5で割った感じでしょうか。この「1.5」ってのがミソでして。その中のどこを切り取って「1」にするかなんですね。若槻さんは、その例として、いくつかの自治体でのとりくみをあげておられました。中でも「和歌山」と「品川」が両極端なのかな。和歌山は「個人型」とでも言うべきかな。善悪の判断は個人に委ねられる。そのために、「思い」や「つながり」はバッサリと切り捨てて「情報収集と処理能力」をあげる。とにかく脳みそを使う。に対して、品川は「道徳型」かな。子どもには善悪の判断は無理だからそこは教員が教えて、ボランティアとかやりながら道徳心を身につけるみたいな。まぁ肉体派ですね。
で、それぞれに一長一短があるというのが、若槻さんのおもしろいところです。つまり「人々の思いにそわないのはあかんやろ」とか「道徳心はあかんやろ」とかいう切り捨て方をするのではなく、「ここは大事だけど、これはこわいですよね」みたいな形で、それぞれに評価をつける。で、シティズンシップ教育はそれらの「せめぎあい」だと。この「せめぎあい」という感覚が、プラグマティックなわたしにはピッタリとフィットします(笑)。で、そのバランスのいい場所に「人権教育」がある。
と考えると、「人権教育はこう!」みたいな硬直したものの考え方ではなく、よりよいバランスの中に「人権教育を見つける」ことが可能になるのかな。
そんなことを考えました。
しかし、脳みそ使って疲れました(笑)。

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