変わるんだな

今日は北摂地域のとある学校でお座敷です。
学校のお座敷で、ちょいとしんどいのが、校長室に通されること。
もちろん、迎えてくださるみなさんはそれなりの敬意をということで校長室に通されるんでしょうけど、慣れないですね。できれば職員室の片隅とか、保健室とかのほうがはるかにいごこちがいいです。
校長室のしんどさは「ちゃんと話をしなきゃならん」ってところです。で、この「ちゃんと話」ってのはしんどい。おそらく校長さんはわたしがどんな話をするかとか、どんな人間かとか何も知らない。なので、それに探りを入れるような会話になります。で、わたしはというと、これまたいろいろ考えなきゃならないことがあるから、「はい」「ええ」「そうですね」くらいしか話せない。あるいは時として知識をある程度持っておられる校長さんだと、「理解があるよアピール」をしてくださって、それはそれでうれしいんだけど、「そこ、ちゃうし
」っていうところがあったりするんだけど、それも言えないから「あー、ですよね…」みたいな会話になります。
で、終わってから再び校長室に通されると、今度はかなり楽です。わたしがどんな人間なのかとか、どんな話をするのかとか、なにを考えてるのかとかがわかったうえでの会話になるので、警戒心みたいなものがなくなるんですね。
今日のお座敷でも、なんか、そんな「ビフォー・アフター」みたいなのが感じられて、なかなかおもしろかったです。

それからもうひとつの変化は、ほんの少しだけリスペクト感が出ることかな。
たぶん、単なる平の高校教員だから、「まぁたいした話もでけんやろう」みたいな感覚が伝わってくることもなきにしもあらずな時もありますが、話のあとにはそういうのはなくなります。まぁでも、「たいした話」はもちろんでけんのですが、それなりにものを考えてきたし、それなりの経験も積んできたし、その中身は、単なる年数とは違うものなんですけど、それはなかなかわからないんですよね。
もっとも、同じことは、「迎える側」としてのわたしにもありうることなんで、そこは「自戒の念を込めて」ってことになりますか…。
あー、でもわたしは好奇心旺盛だから、ちょいと違うかなo(^^)o

変わるんだな” に4件のコメントがあります

  1. あー、ありますね。敬意の表現として「立派な部屋」に通されること。「理解があるよアピール」も。(それが「がんばってる人を知ってる」話だったりすると内心苦笑い。) 私の場合は、、「学校」に足を踏み入れたとたん、アウェイ感で緊張します。終了後も同じ部屋に通されることはあまりないです。いつきさんの場合、教育現場という共通項があるからこその「アフター」があるようで、ちょっとうらやましい気もします(^^;

  2. わたしにとって、校長室とか「立派な部屋」がアウェイなんですよね。いつもビビりまくりです。
    たぶん「理解があるよアピール」って、共通項をさぐるというか、つくるというか、なんというか、そういうののためなのかもしれませんね。

  3. ありゃ、そ、そうなの?
    ビフォーのジャブの応酬は穏やかにお願いいたします。

  4. 「りっぱな部屋」より、職員室の片隅とか保健室の方が好きなので、あいさつ終えたらそっちに移動しましょ。
    てか、準備があるがな^^;;。

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