言葉は誰かがつくってる

昨日のネガティブシンキングなことを思い出して、めいっぱいテンションが下がった朝ですが…。
自分の内側にある力に気づき、それをとりもどすことを「エンパワー」というなら、自分の中にある力を奪われるのは「デパワー」かなぁなどと思った次第です。ちなみに、人権教育の文脈で「デパワー」という言葉は聞いたことがないので、「これは一番乗り!」と思ってググってみたら、出てくるわ出てくるわ。なんか、凧とかヨットの用語みたいです。なんでも、風の力を弱める仕組みみたいです。
と、その時「あ!」と思いました。
わたしの人権学習の教材は、基本的には「自分が話をするならこんなふうにしゃべるだろうなぁ」というのをプリントに落としてあるんですね。つまり、自分用にカリカリにチューンしてあるんです。

例えば、自分用にカリカリにチューンしたバイクは特性が尖ってて、たぶん他の人にとってはとても乗りにくい。もちろん、「同じ方向性」を持つ人にとっては「これわ!」とくるんでしょうけどね。つまり、はまるレンジが狭く、好みの差が大きい。なので、一般的なバイクはデチューンすることで特性をマイルドにして、誰もが乗りやすいものに仕上げています。

そりゃ、わたし用にチューンした教材で授業やれと言われたらきついわな。かと言って、いちから教材をつくれと言われても、それはなかなかきついかとも思います。てことは、「フルパワー」ではなく「デパワー」した教材をつくらなきゃならんということですね。

しかし、これがむずかしいんですよね…。
てか、フラストレーションたまるかも^^;;。

2 thoughts to “言葉は誰かがつくってる”

  1. 人権教育では 土肥さんが 直接 何かをお話になるのですか?
    その場で何か言われたりすることはありませんか?

    わたしが 何かを擁護すると 「言えた義理か? お前たちへの同情と忍耐も限界だ」と返されることがあります。

    https://www.facebook.com/photo.php?fbid=744671555545597&set=a.220210174658407.63897.202904329722325
    よかったら コメ欄読んでみてください。
    ( もちろんこれと逆のもたくさんある )

    いつも「誰にとっての人権?」ということを考えてしまいます。

  2. わたし、基本的には学校では「人権学習」はしません。もっとも、数学の授業中に「雑談」として人権にかかわる話をすることはありますが…。
    あと、自分のスタンスとして、セクマイ、特にトランスのことはあまり言わないです。「自分の人権を主張する」(?)みたいなのがあまり好きになれなくて…。

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