個人と組織、批判と非難

とある場所で目にした光景なんですが…。
ある人が、とある組織を批判する文章を書きました。
それはかまいません。批判は大切です。
ところがそこからのコメントがひどい。いつの間にか組織への非難となり、それはその組織に属する人々への非難になっていって、結論は「こいつらが悪い」となっていきました。
しかも、組織への非難の途中には、デマとも言える内容すら含まれていました。

まぁ、こんな構図、よく見ます。
「とある組織」を「とある業種」に変えると、あちこちでやられてるし、「とある国家」に変えると、これまたあちこちでやられてる。あるいは「とある民族」にすると、これまた。

個人の問題を組織の問題にすり替える。あるいは組織の問題を個人にすり替える。そして、批判を非難へとすり替える。
こうしたすり替えにより、「叩く」相手を見つけ、悪者にし、「原因」をみつける。
それで得られるものは?
つかの間の「安心」?それとも「自分が正義であることの確認」?それとも…。
でも、その先にあるものは、今の日本のあちこちにある状況だと、わたしは思います。

すり替えない。
悪者をつくらない。
「原因」を見つけたら疑う。
もしも誰かを非難しそうになったら、その「誰か」をつくりだす構造があるのではないかと考える。
そして、その構造をつくりだすことに自分は加担していないかを考える。
常に「自分」へと返す。そして、動く。

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