「教えること」は誰のためか

クリスマスだというのに呼ばれる子らがいるわけで。赤点をとったヤツらです。で、40分ほどの勉強会をするわけですが…。
わたしはめんどくさいので、ダメダメ先輩から送られてきたペーパーを読みながら教えようかと。
いや、別に教えてもいいんですけど、それは勉強ではない。そう思うのです。
S「わからん」
T「ん?これはな、こうやってこうやって」
こんな風景はよくあることなんですけど、わたし、やりません。
S「わからん」
い「ん?問題読んだ?」
S「読んでへん」
い「アホか(笑)。これ、何を求めるの?」
S「x」
い「そやな、そのためになにをするんやったっけ」
こんな感じで、わたしは教えない。子どもの中にある答えに至るヒントを思い出させるのが、「勉強会」だと思っています。
とにかく子どもがその問題といかに向き合うのか。子どもの中にある小さな引っかかりに気づくのか。それが、自分の力で問題にチャレンジし、さらに次の問題にチャレンジするモチベーションにつながると考えているからです。

で、昨日もそんな感じでやっていたんですが、たぶん自分のクラスの子のめんどうを見に来てくれたんでしょうね。他教科の教員がそこに来て
「これはな、こうやってこうやってこうやったら解けるんやで」
ってやっちゃいました。あーあ。そしたらそっちに子どもが行くの当たり前やん。楽だもの。
でも、そういう「教え」はだれのためにやってるのかなぁ。ほんとに子どものためにやってるのかなぁ…。
教員って教えたがりなのかもしれません。だからこそ、そこを反省して「教えない」という意志を強く持つ必要があるんじゃないかなぁと、わたしは個人的には思ってるのですがねぇ…。

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