遠くの理解者、近くの理解者

とにもかくにも、昼間は淡々と仕事。
実は耐震工事の関係で荷物の整理をしなくちゃならないのですが、日常業務をしながら荷物の整理は、とっても難しいです。まぁ、単にやる気が起こらないだけのことなんですがね(笑)。
それでも、夕方には目がちぎれそうな感じがしたので、仕事は完全にストップ。定時にあがりです。
で、京都駅へ。なんでもO府の人権関係の団体がインタビューしたいんだとか。担当のM村さんとは1月にひょんなことでお会いして、けっこうおもしろい感覚もってはるかたやなぁと思いました。でも、わたしなんかにインタビューしても、なんもしゃべることないし、あるいはすべて既出だしとは思いましたが、まぁ、しゃべっているうちに新しいことを思いつくかもしれないからいいかと思って引き受けたんですよね。
で、あとで聞いたら、実際書かれるのは社納葉子さんだとか。久しぶりやなぁと、ちょっとうれしくなりました。
で、インタビュー開始。
どうもわたしはへそ曲がりなのかな。いや、へそ曲がりなんだよな。ひとつの質問への答えを少しずらして話すクセがあるみたいです。例えば
「なにか転機みたいなものはありましたか?」
とたずねられると、
「小さな変化が少しずつあって、徐々に変わっていったから、「これ」っていうのはないですぇ」
みたいな。
でも、ひとつ話をしながら新たに気づいたことがありました。
わたしは自分がトランスであることに気づいた当初、「遠くの人」からカムアウトをしていったんですね。近くの人はやっぱり怖いですからね。で、その頃って、遠くの人は理解を示してくれるけど、一番近くにいるはずの生徒たちはわたしのことをクスクス笑ったりオカマ呼ばわりしていたんですよね。
で、いまはというと、わたしのことをあまり知らない生徒とたち、まぁ、少し遠い生徒たちは、相変わらずわたしのことをクスクス笑ったりはします。でも、一番近いところにいる生徒は、まったくそんなことがない。ちなみに、その子らには特にはカムアウトはしてません。
結局、カムアウトが重要なんじゃなくて、日常の積み重ねが大切なんやろなぁと、インタビューを受けながらふと感じたという、まぁそれだけのことだったんですが、新たな気づきでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です