とある比較

とにかく暑いです。なのに、昼に
「電力使いすぎなんでクーラーとめてください」
とのお達しがあって、クーラーとめられちゃいました。まぁええけど…。ちょうど寒かったし…。
「寒い…?」
と思って熱を測りにいったら、微熱があります。こりゃ寒いわけだ。でも、どうせ夕方にはさがるだろうし、放っておくことにしましょう(笑)
仕事が終わったら大阪へ。しばし真剣な会議をして、そのまま呑みへ移行です。
しばらく他愛もない話をしていたのですが、ふと
「ところでいつきさん、いじめってどう思いますか?」
という質問が飛んできたところで、一気にみなさんに火がつきました。これ、どっかであったなぁとか思いながら…。
ちなみに、いじめについては、ここここみたいに過去何度か書いてきたし、状況は悪くこそなってはいるものの、改善しているとは思えません。最近だと内田樹の「いじめについて」や「いじめについての続き」は
「あぁ…」
とか思いましたねぇ。
ちなみに
「昔は…」
という言及をされる方もおられたのですが、別の方から
「昔は当たり前だったから認識されなかった」
みたいな意見も出てきて、その実例として「巨人の星」がでてきたあたりでかなり納得です。
たしかに星一徹の子育ては完全なDVと虐待ですわな。そこにジェンダーバイアスがはいって悲惨なものです。
そんなこんなで盛り上がっていたのですが、たまたま精神科医がおられたので
「あの…。精神科医から見て、星飛雄馬矢吹丈とどっちがヤバイですか?」
と質問。ともに梶原一騎のキャラですからねぇ。で、精神科医の方は即座に
星飛雄馬でしょう」
とのこと。曰く
矢吹丈は独立してたけど、星飛雄馬は最後まで親の束縛から自由になれなかった」
なるほど。曰く
矢吹丈は真っ白に燃え尽きることができたんですよね」
なるほど。たしかに星飛雄馬は大リーグボール3号で腕を痛めて失踪しました。燃え尽きてないです。
「そうかぁ、だから赤軍派は「われわれは星飛雄馬である」とは言わず、「われわれはあしたのジョーである」と言ったんですねぇ」
もう、わけがわかりません。でも、精神科医的に見ると、あらたな見方もできるんですねぇ。
てなことを話していると、けっこういい時間になりました。さてさて、帰りましょう。今日は余裕やな。

とある比較” に2件のコメントがあります

  1. いじめ。昔っからあった、と言う点はまったく同感です。ただ、
      > 状況は悪くこそなってはいるものの、改善しているとは
      > 思えません
    とお書きになっているのは、そうなのかなぁ?とやや疑問に思います。改善はされていない、それには同意しますが、悪くなっていますでしょうか?報道されているようなことは、私が子供の頃〜学生時代に塾や予備校でバイトしていた頃から、同じようなことを見聞きしていたので。

     なので、一部の方が言うように、学校評価制が隠蔽傾向を大きく助長したとも思いません(多少の助長は、そりゃあるかもしれませんが)し、新自由主義がイカンのだとも思いませんし。それとは逆の立場の一部の方が言うように、道徳教育をすれば減るようなものでもないように思います。

     また、リンク先を拝見すると
      > こんなことは現場はやっている
    とお書きになっておられますが。いえ、それはいつきさまの周囲の教員の皆さまが素晴らしいだけで、私の見聞きした教員では、やっていない人の方が多かったです。

     ある教員など、その人の面前で毎日いじめが起きているのに、普段はまったく無視。それが、どこかで叱られたのか、突然皆を集めて「このクラスではイジメがあるそうだなっ!良くないぞっ!見て見ぬふりをせず、みんな仲良くなっ!」と説教をぶったこともありましたっけ。見て見ぬフリをしているのはアァタ(その教員)でしょうに、と当時強く思いました。

     また、内田氏の書くことにも強い違和感を覚えます。

     いじめって、私の見聞きした限りでは、多くは、いじめている方にしてみると「楽しい遊び」(大津のは、当人たちの言い分を信じるならこれですね)、もしくは「歪んだ正義感の発露」(私が小中高と職場でいじめられていたケースはコレ)なんですよね。その辺りについての考察が、内田氏には欠落しているように思います。

  2. わたしは 小学校→高校卒業までは苛められました。
    (ミッションスクールです)
    でも大学になって 事実上 学級とか担任の教師という概念が無くなり、
    好きな時間に好きな講義を受けて
    自分ひとりで勉強するという環境になってから苛めがなくなりました。

    つまり学校の外に身を置いて
    学校が相対化されることで苛めがなくなったのです。

    だから
    学校の「内側の原理」が相互支援と共生の原理であるというのは
    ある種の幻想にしか思えません。
    子どもは本来残酷なものです。

    それとも「内側」では相互支援と共生の原理が誰かによって
    強制されるのでしょうか?
    それもまたとても怖いことです。

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