東九条マダンにかける思い

今日は、1時間目の授業が終わったら、府立高校の人権教育研究会の研修会です。
午前は東九条の朴実さんの案内によるフィールドワーク。午後は、朴実さんの講演です。
前にも思ったんですが、やはり、そこで生まれ育った人の案内ってすごいです。実はわたしもたまぁに散歩に同行させてもらったりすることがあるんですが、もう、ぜんぜん深さが違います。たぶん、あらかじめ「何をしゃべろうか」と考えなくても、その場所に行ったらそこにまつわるさまざまな話が、自分の内側からわき出してくるんでしょうね。こればかりは、勉強してどうなるものでもないなあと思います。とにかく、何回案内してもらっても、いつも新たな発見があるし、すごくおもしろいです。
で、午後の講演を聞いて、朴実さんの話は、「単なる経験」に裏づけられたものじゃなくて、やはりさまざまな活動の中から生み出されたものであることがよくわかりました。
民族名をとりもどす話、「帰化」時にとられた指紋を取り返す話、その他、どの話もすごくよかったのですが、なかでも、東九条マダンにかける思いを聞かせてもらった時、思わず涙が出てきました。
朴実さんが、東九条マダンをしようと思った原点、そして東九条マダンにかける思いは、子どもたちなんですね。自分に続く世代がどう生きていくのか。自分と同じ思いをしながら生きていくのか、新たな価値観をつくりだしていくのか。そのひとつの答が東九条マダンの中にあるんですね。そして、確かにいま、マダンを担っている人たちの中に、朴実さんの思いはきっちりと根付いているなぁと思います。
わたしも、その東九条マダンという「場」を借りながら、自分たちの「マダン」をつくらせてもらっています。ものすごい恩義を感じるとともに、やはり、東九条マダンにつながるひとりとして、責任を感じさせられました。

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