犬の散歩のあと東京へ(笑)。某教職員組合の「両性の自立と平等をめざす教育研究会」に参加するためです。会場に着いたら、すでに午前の部は終了。午後の部もすでにはじまっていました。てか、10時開会は(犬の散歩のあとは)無理やろう(涙)。
わたしが会場には行ったら、家庭科の教科書の執筆もやっておられる大学の教員が話しておられました。いや、おもしろかったです。いわゆるジェンダーにかかわる教員に対して、いつも不満に感じていたことをズバッと指摘されたという感じでした。おそらく、人権教育も性の教育もそれ単独では存在しないんですね。どちらかというと、すべての教育の根底にあるわけで。ですから、なんというか、自分のすべての「教育活動」と不可分であって、「それ」をなくすことは自分自身がなくなることなんだと思うのです。なので、いかなる権力であっても、わたしを殺さない限りやめさせることはできないと思ったりもするわけです。なんて言うといいすぎかな。ま、簡単に日和ったりして(笑)。
あと、やっぱり池上千寿子さん、かっこいい〜!はっきりいって、ファンです。ま、ここ見てないだろうけど…。この間の国際エイズ会議の司会を長谷川さんと一緒にされたそうな。見たかった。それだけでも「キャー!」っていう感じです。ちなみに、講演の最中に「13日に東京でゲイパレードがありますが〜」という発言。ワラタ。
パートナーとのケンカとその後
これも日常ですわ。
そら、こんだけ毎日毎日で歩いていたら、普通は怒りますわね。で、きのうの晩、きっちり怒られた、と。でも、頭ではわかっていても心にストンと落ちるには時間がかかります。わたしの場合は、少なくとも一晩かかるかなぁ。
で、一晩かけてストンと落ちたところで、反省。おとなしく犬の散歩に行ってきました(笑)。
パープルもなぁ
水尾の里
学力問題
今日は府立高校の人権教育研究会の夏季大会です。午後からはレポートしなくちゃならないのですが、まぁそれは人数あわせなのでいいかな、と。
午前中は、大阪大学の志水宏吉さんの講演でした。現在の学力低下論争の論点を、イギリスの教育施策の変遷とあわせながらわかりやすく話していただけました。
イギリスでは、「むかし」「サッチャーの時代」「労働党の時代」と3つの変遷があるとのことです(詳細は忘れた)。「むかし」というのは、まぁむかしですわ。なんでもありの時代ですね。わたしが高校の頃「イギリスでは教科書検定なんかなくて…」なんてことを言いながら、イギリス史の授業で、イギリスの中学校で使っている教科書を使った先生がいたなぁ。さっぱりわからんかった。
それに対して「サッチャーの時代」は、「競争の時代」になる、と。つまり、大英帝国の没落は「ええかげんな教育」にあるという反省から、学力をあげた学校には重点的に投資をし、学力をあげなかった学校からはお金の配分を引き揚げると言うことをやったそうです。でも、これって結局その学校に入学する層で運命がわかれるわけで、しんどい学校はしんどいままになりますよね。なので、「労働党の時代」には、しんどい学校が自分たちなりのプロジェクトを立てて、それに対して重点的に予算化する。そして、成果をあげたらOKというものにかわっているようです。
で、現在の日本の状況はというと、「サッチャーの時代」というわけです。「新自由主義」が蔓延して、かな〜り厳しい競争の時代、というか、スタート地点がぜんぜん違う「競争」の時代に入っているわけです。じっさい、ウチの学校とよその学校を見たらわかるのですが、ウチの学校なんて、鉄筋で雨漏りをしているわけです。ところが、「中高一貫」とか「◯◯学科」とか「スーパー◯◯スクール」とかいう学校にはふんだんに予算がまわされています。なんちゅーか。積極的に格差を広げているとしか思えない。まぁ、でもそれならそれの生き残り方があるとは思うのですが、どうも教員側がそこの腹のくくりかたができないようです。
というのは、おいといて…。
で、大阪で学力調査をしたら「学力の階層間格差を縮めた学校がある」ということがわかった、と。それが「力のある学校=布忍小学校・松原三中」だったというわけです。まぁ、この2校を見に行った感想は、おそらく去年の11月終わり頃の日記にあると思いますので、またアーカイブをつくりますので省略。
で、結論。今の状況は厳しいなぁ、と(笑)。でも、転勤したら楽になるだろうなぁ(爆)。
早朝のお散歩
朝、昨日最後にMさんに送ったメールの送信時間を見ると、23時30分頃。えらい迷惑な時間でした。でも、ここ数日で画期的な早さでした。でも、これ、正解です。なにせ、今日の話は8時35分〜9時45分とか。
てなことで、起床は6時。気持ちのいい朝です。
竹田って、かなり興味深い町のようです。とくに、気になったのが「隠れキリシタン礼拝堂跡洞窟」でした。ここは行きたいなぁと思っていたので、朝の時間帯に行くことにしました。川沿いから町中に入っていくと、おそらく古くからの町で、それもかなり発展していたのではないかなぁと感じられる町並みが続きます。しかも、ものすごくお店が多い。これだけのお店を維持できるということは、それなりの消費力があるんでしょうね。
とことこ歩いたのですが、山の朝の空気が満喫できます。キャンプ場の朝を思い出しました。
ちょっと汗ばんできた頃、岡城址の入り口に到着。でも、営業時間外らしくて入れませんでした。でも、気持ちよかったのでOKかな。あとで聞いたら、建物の裏に回ったらあがれたそうでした。まぁいいっす。その後、礼拝堂跡へ。思ったより浅い洞窟ですが、奥の方に岩を切って祭壇のようなものをつくってあるのが見えました。その後、あちこちまわりながらホテルに向かいます。そうそう、滝廉太郎の記念館の近くのトンネルに行ったのですが、朝が早くてハルナさんの書かれた「しかけ」は動いていませんでした。
ホテルに帰って朝ご飯とシャワー。フロントに行くと、すでに迎えの方が来ておられました。
その後、会場へ。中学校の体育館は満杯です。で、話しはじめたのですが、どうも反応が…。みなさん、きっとまじめなんですね。そういえば、きのうの車の中で「大阪の先生が来られた時、『黒い牛から搾った牛乳がコーヒー牛乳なんですね?』と言われて、答えられなかった」って言っておられました。ツッコミができなかったそうです。その時は「そういうときは『そうでっせ、ちなみにあか牛から搾った牛乳がイチゴミルクですねん』ってツッコミいれますねん」と言っておいたのですが…。それでも、話をしっかり聞いておられるのが、いろいろな反応からよくわかります。やっぱりまじめなんや…。
結局9時45分までと言われていたのですが「すんません」を連発して10時まで話をしてしまいました。すんません。
話のあと、熊本空港へ。途中2台車がひっくり返っていました。むちゃくちゃや…。空港に到着してお昼ご飯。「だご汁」と「馬のホルモンの煮込み」とビール。そしてあとは、熊本空港→伊丹空港→モノレール→…と乗り継いで、家に帰るだけです。
あー、あわただしかった。今度はゆっくり来たいものです。
大分…って日常か?
あした午前中に大分の竹田という町で話をすることになっています。なんでも、小・中の管理職・教員・教育委員会の研究会だとか。いったいどうなってるんだろうなぁ…。で、朝からあるもので、今日は前泊です。で、指定された飛行機が、なぜか熊本空港行き。大分なのに、なぜ熊本なのか、よくわかりません。そういえば、去年福岡に行く時も、「熊本からすぐだから」っていわれたなぁ。九州ってどうなっているんだろう…。
で、伊丹へ行くルートを検索すると、どうやら南茨木からモノレールに乗るのが安くて早いようです。モノレールかぁ…。太陽の塔が見えますね。ワクワク。
伊丹空港でお昼ご飯にたこ焼き生ビールセットを食べて、フライト。熊本空港には、今回お世話になる方がすでに迎えに来ておられます。車に乗せてもらってドライブ。途中、ついフラフラと阿蘇山に寄ってみたりしながら、2時間半ほどで竹田につきました。ホテルに入って地図を見てみると、いろんなものがあるんですね。お城の跡もあるし、キリシタンの礼拝堂跡の洞窟もあるそうです。ちなみに、「頭料理」というのが有名らしいのですが、これはおいといて…。
で、一休みして懇親会(笑)。蔵を改造したビアホールのようで、いろんな種類のビールやビールカクテルがあります。おしゃれ…。で、ビールを飲み始めると…。徐々にスロットルが開きはじめてやがて全開。「小学生に自尊感情を持たせるのは早い」とか「自分らしさなんて中学生の分際でわかるわけがない」とか。さらに「オールロマンス事件が…」。そこまで行ってもいいんかいという感じです。で、10時過ぎにはお開き。なんといっても明日が早いらしいので…。でも、わたしを入れて3人ほどで、12月にこの近くに来ることになっているので、それの打ちあわせ。となりにあったショットバーに入ることになりました。ショットバー…。おしゃれ…。小さな町に思えたのに、いろんなものがあるみたいです。おそるべし…。
てな感じで飲んでいたら、メール。お友だちのMさんからプレゼントでした。「セレスト・ブルー」の着メロ。さっそく登録です。
ここで約1時間、打ち合わせのような打ち合わせでないような話で盛りあがって、とりあえずホテルへ。部屋に入ってMさんにお礼のメールを打って送信した瞬間に落ちました。
あとは…
焼肉しゃぶしゃぶ食べ放題のお店でさんざん肉を食べました。根っから解放教育にどっぷり浸かっているラガーマンと濃いぃ話をしました。結局終電には間に合う時間だったのですが、わたしを呼んでくれた人が、家まで送ってくれましたm(_ _)m。
今日はクズになりませんでした。いい一日でした(マル)
ムラ中のお散歩
みなさん、研修のあと懇親会をされるということで、わたしも参加することになりました。懇親会が始まるまで1時間ほどあるということで、旧南王子村の自主フィールドワークをすることにしました。
まずは、第1住宅(笑)から。でかい…。ピロティーではおばあちゃんたちがジュースで宴会をしていました。コミュニティがあるなぁ。その近くに古〜い工場があるのでひょいと除くとガラス工場。なるほどなぁ。このムラの産業には「人造真珠」があります。これについての詳しい展示はりばてぃおおさかにあります。そこからは延々と住宅とその下の店舗群が並んでいます。それにしても、このムラはほんとうにお店が多いです。それだけ活気があるということなんでしょうね。途中読み聞かせのとりくみで有名なS保育園なんかもあります。
と、そこに肉屋をハケーン。ひょいと見るとカスハケーン。思わず2袋ゲットズサー(笑)。お金を払いながら「これ、どこから入れてはりますの?」と聞くと、「うちは松原からやねん」とのこと。なるほど…。やっぱりここでもなかなか入らなくて、たまたま入荷したとのことです。ラッキー!今度の玖伊屋で出そうかな。
その後、フラフラとあちこち見てまわったのですが、なんでわかるんかなぁ。しばらく歩くと「ん?ムラからはずれた」と直感して左折。「ん?ムラに帰ってきた」と安心。これを繰り返しながら結局ムラの最外周に近いところをまわっていました。でも、だんじりの倉庫とか(前の道を見たら線が引いてあるのを見て納得・引き回しの練習をしてるんだ)お寺とか神社とか、いいものをいっぱい見ました。そうそう、すごくしゃれた門構えの奥に和と洋の建物がある古い豪邸があったのですが、隣を見るとやはり人造真珠の輸出販売をしているところでした。部落=貧困という図式は、少なくともこのムラではあてはまらないということがよくわかりました。もちろん、貧困な人もたくさんいるのですが、それはどこの町でも同じことなんですよね。
てな感じで、微妙に進路を調整しながら、ぐるりと一回り。第1住宅に帰ってきて、約1時間のお散歩糸冬了。
富秋中学校で話
なんと、今日は土曜日だというのに、教職員研修をされるそうな。すごいなぁ…。てことで、ゲストスピーカーで行ってきました。
富秋中学校の校区には、旧南王子村という一村独立のカワタ村がルーツにあるムラがあります。他のムラは基本的には本村の枝村として成立しているので、ここはかなり特殊な成り立ちをしています。もちろん、本村ですから発言権も強かったし、経済的にもかなり潤っていたと考えられています。そうそう、『ある被差別部落の歴史』という本に入っている江戸時代の人口の変化の図はこのムラのことです。江戸時代の中期に、全体の人口増加が停滞するのに、ここのムラは人口はそれ以降も増え続けるわけです。で、著者はどう結論づけたかというと「ムラの人々は信心深かったので、間引きをしなかった」なんです。で、長くこの言説が流布していたのですが、現在は「人口増加を支える経済力があった」という解釈がなされています。
ということはおいといて…。
話の方は…。やはり大阪の人を相手にしゃべるのは難しいです。笑いのレベルが高い。すべりまくりました。修行をして出直して来ますです。さらに、2時間の予定が2時間半しゃべってしまいました。すみません。