実はね…

昨日、2年生の授業と1年生の授業で演説をぶったのですが、はじめに話した2年生の授業で、あれ話ながら泣いちゃったんですよ。最近、歳のせいか(涙)ホルモンのせいか(笑)涙もろくてねぇ。
授業に入って、問*1を出して、教室をウロウロ*2をしていたんです。そしたら、一番後ろに座って全然別のことをやっている子が「先生、大丈夫?もう泣いてない?」と声をかけてくれました。思わず返した言葉が「今日から僕らは泣かない」でした。わかる人はわかりますよね。

涙が涸れる

けふから ぼくらは泣かない
きのふまでのように もう世界は
うつくしくもなくなったから そうして
針のやうなことばをあつめて 悲惨な
出来ごとを生活の中からみつけ
つき刺す
ぼくらの生活があるかぎり 一本の針を
引出しからつかみだすように 心の底から
ひとつの倫理を つまり
役立ちうる武器をつかみだす
しめっぽい貧民街の朽ちかかった軒端を
ひとりであるいは少女と
とほり過ぎるとき ぼくらは
残酷に ぼくらの武器を
かくしてゐる
胸のあひだからは 涙のかはりに
バラ色の私鉄の切符が
くちゃくちゃになってあらわれ
ぼくらはぼくらに または少女に
それを視せて とほくまで
ゆくんだと告げるのである

とほくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ
嫉みと嫉みとをからみ合はせても
窮迫したぼくらの生活からは 名高い
恋の物語はうまれない
ぼくらはきみによって
きみはぼくらによって ただ
屈辱を組織できるだけだ
それをしなければならぬ
吉本隆明詩集」1958.1書肆ユリイカ

*1:中心が決まっていて、一点を通る円の方程式

*2:専門用語(笑)では、「机間巡視」らしい

車とバイクと自転車と

学校に行く道すがら、バイクに乗りながら考えていました。
バイクに乗る時、わたしは「死ぬかもしれない」と思いながら乗っています。では、車に乗る時…。「殺すかもしれない」と思いながら乗っています。自転車に乗る時は…。「殺されるかもしれない」と思いながら乗っています。
車は、「強者」の論理かなと思います。自転車は「弱者」の論理かなと思います。
自転車に乗っている時は、「殺されるかもしれない」と思いながらも、どこかで「守られている」というふうに思うことがあります。だから、無茶ができてしまう。でも、守ってくれるのは「強者」である「車」です。
「強者」である「車」に乗っている時、「殺すかもしれない」よりも優先する価値観、例えば「急いでいる」という価値観が優先した時、必要以上にアクセルを踏み、「殺すかもしれない」という思いは、どこかに忘れ去られてしまいます。その時、はたして「弱者」である「自転車」を「守る」ことはできるでしょうか。答えは、言うまでもなく「No」です。
「自転車」が「守ってくれるかもしれない」と考える相手は、「車」です。すなわち、「弱者」の立場になってしまうと、「強者」におもねるしかできなくなってしまいます。
バイクに乗る時、「死ぬかもしれない」と思いながら、わたしは同時に「殺すかもしれない」と思います。そして、自分の身を守るには、自分が注意深く走り続けるしかありません。「急いでいる」という時にも、「死ぬかもしれない」という思いを吹っ切ることができません。その思いは「殺すかもしれない」という思いと、常に同居してくれます。
バイクは、「強者」にも「弱者」にもなり得ます。その微妙なバランスの上に、バイクのライディングがあると思います。

予想通りの…

しかし、ここまでとはねぇ…。
思わず今日の授業で演説をぶってしまいました。

大人達の一部を代表して、まず諸君に謝らなくちゃならないことがある。わたし達が君たちに残せたものは、戦争だけだった。昨日をもって、日本はいよいよ本格的に「戦前」になった。
今後、教育基本法改悪・憲法改悪などを通じて、「強者の論理」がまかり通る社会ができていく。だれもが「強者」になれるわけではない。「強者」は実は、一人しかいない。残りすべては、実は「弱者」である。しかし、そうした社会を求めたのは、実はわたしたちだった。
なぜか?わたしたちはヒーローを求めてしまった。そして、合法的に選ばれた「ヒーロー」を生み出してしまった。これは、かつてドイツがワイマール憲法下で歩んだ道と同じである。
わたしは、いずれあと20年、30年後には死んでしまう。死なないまでも、すでに戦争は行かない年齢になっているだろう。しかし、戦争に行くことになるのは諸君である。そして、その後に続くのは、わたしの上の中2の子どもであり、下の小2の子どもである。だからこそ、いま、話さなくてはならない。
わたしたちが生き残る可能性は、それでもまだある。諸君の中の大部分は、やがて選挙権を持つ。ちなみに、少数でははあるけど、在日外国人の人がこの中にいるかもしれない。残念ながら、在日外国人の人たちは選挙権がない。わたしたちは在日外国人の人々を巻き添えにしていることを、たいへん申し訳なく思う。だからこそ、諸君が選挙権を行使できるようになった時は、ぜひとも「やさしい」選択をしてほしい。無関心になることもなく、皮肉なものの見方をすることもなく、ヒーローにまかせるのでもなく、現実にきちんと向きあってほしい。
かつて、こういう話を諸君にしようと思ったことは、何度もあった。でも、話さなかった。なぜか。「聞いてくれない人」がいることに絶望し、だんだん話さなくなったからだ。でも、それはまちがっていた。教室の中にたった一人でも聞いてくれる人がいるならば、その人に向かって話すべきだった。そのことを怠ってきたことが、今、この時代を迎えることになってしまった。
もしも、諸君が4年後、国の行き先を選択する権利ができた時、今日のこの話を、ほんの少しでいいから思い出してくれるとうれしい。

じゃぁ、授業に入ります。

で、投票

で、行ってきました。「負け戦」に…。てか、京都2区って、入れるべき候補者がいないじゃんか。自民・民主・共産だけで、しかも、民主って松下整形政経塾あがりでっせ。やってられまへん。でも、しゃーないわな。おたかさんに当選してもらうためには(笑)、行くしかないですわな。
で、受付。送ってきた紙には、さすがに性別欄はありません。パートナーのと比較しても、通し番号が違うだけで他は変わりなし。よしよしと思いながら受付へ行くと、本人確認のために生月日を言うだけです。よしよしと思いながら、ひょいと見ると、わたしの名前の横にデカデカと「男」と書いてあります。そりゃそーだけどね(笑)。で、小選挙区投票用の引換券をもらって、ひょいと見ると「女」に◯がしてあります\(^o^)/。受付の人、かなりメガネをいじくっておられたから、度があってないのかなぁ。しかし、きちんと名簿通りに記載しようよ。じゃないと、集計結果があわへんで。
会場から外に出て、パートナーに話したら「あんた、パスしたやん、よかったなぁ〜」。きみの頭のネジもピッチがなくなってるんとちゃうか(笑)?

子どものバレエの発表会

「なんでウチの子どもが…」と思うのですが、バレエをやっています。で、今日はその発表会。まぁ、ヘタレな親に似てヘタレな子どもですので、あんなもんでしょう。まっすぐに並べない、動きはワンテンポ遅れる、身体の動きはバレエというより体操。まぁ、それでも一生懸命やっていたからいいか…。
なんか、途中で「メイクが落ちた〜」とか言って泣いてたらしいけど、先生もたいへんだわなぁ…。
でも、うらやましいわ。正直…。
そうそう、男性のダンサーはかっこいいっす。ジャンプの高さも半端じゃないし、「美しい〜」と素直に思ってしまいました。

で、晩ご飯。

せっかく買ったスキレットなんで、こいつで鳥でも焼こうかなと。でも、どうせ鳥を焼くなら、野菜も一緒にということで、結局鳥のごった蒸し焼きになってしまいました。レシピは…。

  • 鳥のごった蒸し焼き

タマネギ・ジャガイモは櫛形に8つに切ります。ニンジンは乱切り。ブロッコリーは小さく割って、ついでに普段は使わない根っこもついでにスライスします。セロリは適当にちぎります。ニンニクのスライスもあったらおいしいし、ローリエもいいかも。あとは、とり肉と一緒にスキレットに入れて、ふた(ダッチオーブンのものでいい)をして、弱火で1時間弱。はじめはカリッとさせようと思っていたけど、途中でやめて白ワインを入れてしまったので、どうなるかわかりませんが…。それでも、できました。塩こしょうをするのを忘れていたので、最後に入れたけど、それはそれでいいかも。

レインコンディション

バイクに乗ってしばらく走っていると、どえらい夕立になりました。もう、前が見えない。めっちゃ、やばいっす。なにせ、わたしのバイクは晴れ仕様です。こんなブレーキこんなタイヤですから。しかも、スプロケットとチェーンが新しくて、エンジンパワーが素直にタイヤに伝わります。まともにとまらない、まともに曲がらない、パワースライドしまくり。しかも、体中びしょぬれ。すごかった。でも、まぁいいか。それもバイクライフ…。

祭の翌朝

声が出ません…。昨日が悪すぎた。とにかく、声が出ません。でも、午前から会議です。
ちょうどバイクの修理があがってきたので、バイク屋さんまで自転車で行って、そこから会議の場所までバイク。ところが、朝しんどかったので出発が遅れ、その分自転車を必死で漕いだので、気分が真っ青。会議の場所に着いたら、ほとんど倒れそうになっていました。
午後からは、パートナーや子どもを送り迎えしながら、その合間をぬって会議に出席。なのに、司会だったりします。えらいこっちゃ。
で、夕方会議も終了。みなさんは会議より長時間になる「飲み」へ出発。でも、わたしは子どもの晩ご飯をつくらなくちゃならないということで、失礼しました。

で、教員は打ちあげ

文化祭が終わったら、当然打ちあげです。てか、どういうわけか、わたしが21年間幹事をやっています。しかし、新採からやってるかなぁ…。まぁ、学校っていうのは、けっこう体育会系のノリが強かったりして、特に、しんどい学校ってそうなります。すると、文化系のノリは肩身がせまくなります。文化祭なんて、文化系の最たるもので、大がかりな割りにイマイチ全体の盛りあがりに欠けたりします。で、打ちあげも「じゃぁ、体育祭のあとにまとめて」なんてことになりがちなんですね。でも、「それじゃぁなんぼなんでも」なんで、お祭好きの私がやるハメになって、そのままやり続けているということなんです。
1次会は、いつも行っている中華料理屋さん。ここ、わたしが担任した卒業生の家がやっています。いろいろ便宜を図ってもらっていてやりやすいんですね。しかも、なんと言ってもおいしいし。はじめは少ないかと思っていたのですが、気がつくと10人を越してえらい盛りあがりました。で、そのまま2次会になだれ込む。田舎ですから、カラオケです(笑)。若い連中が歌う歌う。思わずわたしも連中のノリでやってしまいました。すると、突然なぜかホイッスルを取り出して、ピッピッとやる体育の教員(こいつ、なぜかしらふでミルクティーをあおってた)が出てきたり、みんなで飛び跳ねて大騒ぎ。えらい夜でした。
ま、こんな日もあっていいでしょう。

文化祭最終日

てか、数年前までは3日あったんですけど、「行事の性腺精選」「授業時数の確保」というかけ声の中で2日になってしまったわけです。なので、今日はすでに最終日。てことは、片づけの日です。
午前中はダラダラと待機状態&原稿書き。昼に閉会式。で、午後は撤収。
撤収がまたたいへん。組むのはおもしろいのですが、撤収はどんなイベントでもめんどくさいもの。しかも、保障されている時間が少なかったりします。
とりあえず、自分が張り巡らせたロープを撤収したり、仮設の電話線の撤収をしたり、放送機器や照明関係(これがメッチャ重い)を撤収したり。ドンドン汗が出てくるので、思わずタンクトップになってしまったり(笑)。
で、一息ついて職員室でネットをしていると、放送室から電話。「先生、ちょっと来れへん?」「ええよ」。
で、行ってみると、フルーチェパーティーです。わたしも混ぜてもらって、無事文化祭が終了したのを記念して「かんぱーい!」。ココナッツミルクの味が異様に甘かった。でも、疲れた身体にはしみました。生徒も一緒みたいですね。「朝からなんも食べてへん〜」とか言うのがほとんどでしたから。