こんなこともある

今日は月に一度、とてもしんどい日なんです。とうとうきちゃったんです。朝から気が重いです。教室の前で会った生徒が「先生、疲れてんの?」と心配してくれます。でも大丈夫。教室には笑顔で入りますから(笑)*1
しかも、今日は一日3時間の授業の日。でも、その方がかえっていいかもしれません。しんどさを忘れられるから。すっかり忘れて、やっと放課後が来たその瞬間、「アレ」がやってきました。
職員会議です。
なんだか、みんないろいろ話をしています。大切な話もあるのはわかるんだけど…。やがてやってきました。睡魔が…。そして、記憶が途切れます。ふと気がつくと、終わっていました。
よかったのか悪かったのか…。

*1:♪ 苦しくったって〜、悲しくったって〜、教室ーの中では、平気〜なの!

近所づきあい

そんなこんなで、ちょっと早めに家に帰れました。家に帰るとお隣さんが道を掃除しておられます。「こんにちは」と声をかけたのですが、無視。もう一度「こんにちは」と声をかけて「あの〜、◯◯さんのお姉さんなんですよね」とたたみかけると、驚いた顔で「◯◯を知っているんですか?」みたいなところから、やっと会話が成立。
で、しばらく話をしていたのですが、どうも話がかみあいません。やがて、キーワードが来ました。「おたく、ここの奥さんと違いますね。そういえば、ここのご主人も学校の先生をされているらしいけど、おたくさんもされているんですか?」。さて、どう答えたものかなぁと思いながら「はい、わたしもやっています」とごまかしてしまいました。
しかしさぁ、わたし、引っ越した時に名刺を持ってあいさつにいったぞ。インパクトが薄かったのかなぁ…。

人に伝えるということ

今日は、人権教育研究会の総会です。午後からは記念講演。今日のテーマは在日外国人、なかでも新渡日の子どもたちの話です。
講師の人の体験を語られるのですが、それはそれはまぁ、すざまじい経験をされています。知らない言語は、「聞いても意味がとれず、見ても記号にしか見えない」ということを、きわめてわかりやすく伝えて下さいました。
もっとも、これ、数学の授業をしていると、日常茶飯事に起こることなんですけどね。わたしたちにとって「lim h→0」みたいなことを書いたとしても、はじめて習った子どもたちには、まったくの異文化の記号だろうし、その時に「ちょっと待って、それって何が書いてあるの?」と聞いてくれる関係をつくっていなかったら、生徒たちが「わかっていない」事にすら無頓着になってしまう可能性があるわけです。そういう意味でも、すごく意味のある話でした。
しかし、ライフヒストリーがすごい。「いじめにあって」「がまんをして」「がまんできなくなって」「荒れて」「暴走族に入って」「そこではみんな立場こそ違えど、同じような経験をしていて」「心の安住すらすれども」「逆もどりできなくなって」「鑑別所に入って」「出てきたらヤクザ予備軍」。
パターンといえばパターンなんですけど、目の前の人が「そうであった」というのはまたぜんぜん違う迫力がありますね。で、必死に足抜けをしようとするのですが、なかなか許してもらえない。そのために、昼間はまじめなサラリーマン、夜はギンギンのヤクザという二重生活を余儀なくされてしまうという。そのころの写真を見せてもらいましたけど、聞いている人たち、爆笑でした。どんな感じかというと、わたしの10年前の写真*1と今の写真を並べて「昼と夜の顔です」というのの2倍以上のインパクトがあります(笑)。
そこからは、父親の死→更正→子どもたちのために働きはじめるという話になっていきます。このあたりは、う〜ん、ゴメンやけど、たんなるサクセスストーリーになってしまうんだな、これが…。「父親の死」が本人にすごくインパクトを与えたのはよくわかるし、「荒れ」からの脱出の糸口みたいなものがあるのはあるんだけど…。「結局特殊な事情だよな」みたいな感じになってしまう。
と、ここまで書いてふと我が身を振り返るわけです。自分とどの程度違うのだろう。わたしの話って、下手をすると*2サクセスストーリーととらえかねられない内容になりがちかな*3?でも、それが「いつきだから」ですんでしまったら、結局何も残らない。個人の体験に、いかにして普遍性を持たせるかということは、とても難しいけど、それをしないと「語る」意味がない。そんなことを感じさせられました。

*1:はじめての人のために

*2:下手をしなくても。つーか、話が下手やし(笑)

*3:ぜんぜんサクセスでもなんでもなくて、たんなる「クズ」のストーリーなのですが、実際は。

一夜明けて

なんも書くことないです。たんたんと一日が流れ、気がつくと夜。家に帰って晩ご飯を食べて、あとは、モトGPの125ccクラスと250ccクラスを見ているうちにおねむ。無理は禁物です。なので、そのままふとんへ。
ね?わたしは波瀾万丈じゃないっしょ(笑)?>Kさん、HJさん

帰り

会議が3時間。飲みが4時間。いつも通り、飲みの方が時間が長いです。
さんざんワインを飲んで、新幹線に乗ろうとしたのですが、他の人たちは「もう一軒」とか言っています。もうええよ。帰ります。
みなさんの冷たい視線を背中に感じながら、賛同者一人と一緒に新幹線に乗り込みました。京都に着いたら9時。いまごろみんな静岡あたりかな…。

麻布十番の昼ご飯

日曜日の2時頃なんて、どこもあいていません。駅の近くのパスタ屋さんがあいていたので、みんなで入りました。おいしかったです。でも、メチャクチャ高かったです。もう、2度と行きません、たぶん。

会議は趣味じゃない

朝9時から会議。これ、こんなに早いのは、一応表向きは遠くの人が帰れるようにするためなんですけど、本当の理由は、午前いっぱいで会議を終えて、昼からみんなで呑むためなんだと思います。
まぁ、会議でした。みんなきのうの晩の影響でしんどそうでした。ごくろうさま。

有楽町で逢いましょう

電車に乗って有楽町へ移動。HJさんとKさんのふたりと合流。さて、ここからはまた〜りと飲み直しです。
ところが、期待をしていた有楽町のガード下ですが、ぁゃιぃ店がえらい少ないです。「おもしろくないよ〜」と駄々をこねていたのですが、ありましたありました。ガード下なのに、ギネスがあります。中にはいると、ルーツが日本にない感じの人が山のようにいます。この人たちがまた大騒ぎをしています。なんか、いきなり他のテーブルの人にわけのわからないこと*1を大声で言うと、たぶんぜんぜん関係なく来ている他のお客さんたちが一斉に「ぃやっほぉ〜い!」みたいな感じで盛りあがります。おまえら、関係あんのか!ジャン・レノ似のマスターは、そんなお客さんを暖かい目で見つめています。わけわかんね〜。
まぁ、話の主なテーマは、だれが一番波瀾万丈のたいへんな人生を生きているかということでした。もちろん、1番Kさん、2番HJさん、3番わたしだと、自分では思っています。
お店を出て、ラーメンでも食べようということになったのですが、残念ながらお店はいっぱい。ホテルのチェックインのこともあるので*2解散となりました。
あ〜、いい夜だった。

*1:わたしが聞き取れないだけ

*2:もう、12時前だよ!

在日外国人教育のセミナー

新幹線に乗ったのは、東京は蒲田で在日外国人教育のセミナーがあったからなんです。で、会場に入ったのですが…、なんとなく違和感。セミナーがはじまったのですが…、なんとなく違和感。なんでだろうと思ったのですが、やがてわかりました。わたし自身がすっかり「セクマイ系」に染まっているからなんですね。これは、やばいです。頭を切り換えなくちゃ。
てことで、話を聞きながら、徐々に徐々に「在日外国人教育系」に頭をシフトしていきました。
で、話を聞いていたのですが、まぁ「大都会・東京」の実践ですね。わたしの勤務している田舎町ではまったく役に立ちません。あと、「日本語指導」のことと「母語保障」のことが話題になっていました。これはもちろん、両方ともしなくちゃならないということがずっと提起されているのですが、考えてみるとたいへんだよなぁ。
ウチの学校にいた生徒のことを考えると、小学校・中学校でさんざん勉強して、もういっぱいいっぱいなんですよ。高校に来て、ようやく当面の目標まで来たんだけど、「え〜、また勉強!」みたいな感じなんです。ここで、「高校の勉強」「日本語の勉強」「母語の勉強」をしようと提起しても、無理ですね。わたしなら「いや」と言います。
おそらく大切なのは、そんな状況であってもやるための「仕掛け」をどうつくるかということなんだと思います。そのあたりが、ぜんぜん話題にのぼらなかった。で、質問しようかと思ったのですが、「どうやったら勉強しますか?」みたいな質問、あまりにもみっともなくてできませんでした(笑)。まぁコツコツやるしかないでしょうね。
セミナーが終わったら、全国交流会。
オジさまたちは奥の方に座っています。わたしは早めに出なくちゃならないので、出入り口近くに場所をとりました。交流会がはじまって、まわりを見ると、全員(おそらく)女性ばっかり。おもしろいもんだ…。
たまたま隣に座った人が、朝鮮語の先生と養護学校の先生。朝鮮語の先生とは「在日の存在が不可視化されている」ということで盛りあがりました。これ、こういうことなんです。

  • 1985年の国籍法改正後、日本国籍を持つダブルが急増している。
  • 新渡日の子どもたちの急増により外国人問題=言葉の問題・在留資格というとらえ方されている。
  • なので、日本語がしゃべれて、在留資格が安定している在日朝鮮人のことがあまり「課題がある」とされなくなってきている。

でもね、在日朝鮮人の子どもたちの持つ、アイデンティティをはじめとするさまざまな問題は、将来的には新渡日の子どもたちの子ども・孫の問題なわけです。ここをきちんととりくんでいかないと、結局問題を先送りにするだけになってしまうことにつながっていくんですよね。
あと、養護学校の人とは「養護学校の在日外国人のこと」で盛りあがりました。

  • 「障碍をもつ」ということと「外国人である」ということのどちらが本人にとってより大きな問題になるんだろう。
  • 日本語の能力のために、養護学校に強制収容されている子はいないだろうか。

みたいな話でした。これも、なかなか刺激的でした。
てな感じで、約1時間、しゃべくりまくって退散。移動です。