朝、とにかくうるさいので目が覚めました。まぁ、ちょうどいいんですけどね。シャワーを浴びたりテレビを見たり荷物の片づけをしたりとダラダラとした朝を過ごしたあと、9時半頃にチェックアウト。外に出ると、黒い服を着たアンチャンがいっぱいいます。そうか、歌舞伎町の朝なんだなぁ。それにしても、みんな同じ顔に見えるのはなぜだろう…。
そのまま新宿駅から東京駅へ。サンドイッチとビール(笑)とチューハイ(爆)を買い込んで新幹線に乗車です。11時頃からサンドイッチを肴に飲み始めると、けっこういい感じです。窓の外を見ると、近江八幡のあたり。眠くなってきてちょうどいいです。って、もうすぐ京都やんか…。なんとか眠気を覚まして降りました。
家に着いてそうっと中にはいると、人の気配を感じたのか2階から「おとうしゃん?」と子どもの声。黙っていると確認しに来ました。「そうだよ」と答えると、いきなりほっぺたを伸ばされました。なにすんねん(笑)。もちろん、のばし返すのですが…。どうやら「お帰り」のあいさつのつもりだったみたいです。
家に帰ったら昼ご飯。あまりお腹は減っていなかったけど、おつきあいでちょこっと食べました。お腹がいっぱいになったところで昼寝。最高〜。
夕方、修学旅行から上の子どもが帰ってきて、ようやく全員そろいました。えらい機嫌が悪かったのは、最後に友だちとケンカをしたからだったようです。晩ご飯を食べる頃にはすっかりご機嫌になって、いっぱいみやげ話を聞かせてもらいました。
さて、あしたからは日常じゃ…。って、上の子どもは修学旅行に土日が入っていたため月・火と代休らしいorz。
せっかくの東京だから…
散歩終了後、ご苦労さんということで、東京駅でビールを一杯飲んで、アキバへ。ここで、お友だちとまず合流。アキバをふたりで萌えながら歩きました。おかげさまで、モノにかぶせて使うトゲトゲつきのシリコンとか、ぁゃιぃ変換コードとかをゲトできました。しかし、安いなぁ。
とそこに、別の人からメール。「おじちゃんは、すでに新宿にいるよ」。あわてて駅に向かいました。とはいえ、途中でRCAを9個ゲト。遅くなってゴメン。
新宿に着いて、とりあえず店探し。さすがに土曜日。どこもかしこもいっぱいです。と、そこにさらに別の人からメール。「着きました」。とりあえず合流して、あとは「どこでもいいよ」ということで、「おかあさんの飲み屋」に行くことにしました。
てことで、一人用事で来ることができなかったのですが、◯t◯*1有◯の会の人たちとの飲み会スタートです。で、内容ですが、トイレの中で餓死するかもしれない話なんかを交えながら、シモの話からメチャ難しい話まで延々と4時間ほど熱く語りあいました。みなさん忙しい中*2、本当にありがとうございました。
2次会は、中華料理の店。一人の方は、焼きぎょうざを「うまい!}と言いながら食べているウチに、いきなり落ちていました。わたしは羊の水ぎょうざを頼んだのですが、激ウマ。もっとも「おじちゃん」はシモの入った肉(笑)以外は食べられないそうで、全部わたしが食べちゃいました。すんません。と、いきなり落ちていた友だちが復活。「駅まで走ります」と言って、疾風のように走り去っていきました。
最後はおじちゃんとまたーり語りあって、わたしはホテルへ。今回は定宿がとれなかったのですが、同じぐらい安くてしかも広い。一晩中ホストのお兄ちゃんがしゃべっていてすごくうるさいんですけど、気に入りました。そうそう、部屋にはいるとレディスセットがありました。これからの定宿やな…。
部屋に入ってパンイチでふとんに入って爆睡でした。
東京で散歩
なんか、昼から東京でみんなで散歩をするとかいうので、行くことにしました。
朝、ウチの組合員の6%ほど(笑)が京都駅に大集合。一路東京をめざしました。最寄りの駅を降りて地上に出ると、けっこう散歩仲間がたくさんいます。散歩のスタート地点に行くと、北は北海道から南は沖縄まで、全国各地から参加者がいました。やがて、スタート前の行事が行われます。主催者のあいさつには、当然のようにヤジが飛びます。この、一枚岩ではないええかげんさが好きです。連帯のあいさつには元気がでます。
やがて、散歩の開始。と、そこにさらに現地で合流の人が一人参加。これで、ウチの組合員の7%が参加になりました(笑)。ますます意気があがります。
会場を出ると、マスクをしたお兄さんとか、帽子をかぶって耳にイヤホンをつけたおじさんとかがたくさんいます。みんな忙しそうにメモをとっています。新聞がないから競馬じゃないと思うのですが…。
散歩をしながら、みんなでしゃべらなくちゃならないのですが、東京は車の騒音がうるさくて、何をしゃべらなくちゃならないのかさっぱりわかりません。しかも、事前の打ち合わせとは違うのが出てきたり、アドリブで少し長くなったりします。長くなると覚えられません。ふと「◯貧」の旗が目の前でたなびいたのは、わたしだけじゃないと思います。
約2時間、雨の中を散歩して、無事終了。
しかし、◯キの一人もいずに、ロードコーンに制圧されての散歩は屈辱だなぁ…。
情けなくってもいいじゃない…
さっきの話の続きに、どういうわけか「愛国心」についての話が出てきました。ここでもまたまた大きなギャップ。もちろん、学生さんとわたし(たち)の間のジェネレーションギャップなのか、単なる個人同士の見解の相違なのかはわかりませんが…。
学生さんの見解
「自分のまわりにいる家族や友だちは、やっぱり大切」→「(平たく言うなら、)その人たちを守ることが愛国心」→「守るためには国を守る必要がある*1」→「国を守るためにはパワーが必要」→「だから軍隊も必要だし、徴兵制もやむを得ない」
う〜ん。スタートはあまり変わらないんだけど、ゴールがぜんぜん違うのはなぜ?
わたしの見解
「自分のまわりにいる家族や友だちは、やっぱり大切」→「それを愛国心というなら愛国心というのかもしれないけど、別にそんな名前をつけなくてもいいやんか」→「別に国家がなくなっても、家族や友だちとの関係が変わるとは思えないし、国家を守るために命を落とすなら、それは本末転倒」→「ところで、現在の国家間のパワーバランスを考えると、いきなりひとつの国が他の国をかつてのような植民地化をするということは考えられない」→「てことは、別に「勝たなきゃ」と思う必要はないやんか」→「負けてもええやん、情けなくてもええやん」
こんなわたしに「非国民」という言葉が投げつけられたとしたら、それはわたしにとってのほめ言葉です。
*1:「国家」が自分たちの関係性を守ってくれているという解釈かな
距離と時間と密度
今日は、大阪市最南端にある、とある大学に昼から行って来ました。「1時間で自分のことを述べよ」というお題をもらっていたのですが、やっぱり無理でした。どうしたらええんやろ…。真剣に悩みます。それでも、けっこうウケたので、まぁよしとしましょうか*1。
その後、しばし校内の学食*2で歓談。そこでだんだんわかってきたことが「最近の学生さんたちの人間関係って、すごく相対的」ということなんです。いや、あちこちでこういうことは言われていると思うんですけど、やっぱり感じました。
先生たちから「いつきさんの話がわかるのは、80年代に京都にいたという共通体験があって、しかも同じ空気を吸っていたというバックグラウンドがあるからだよ」という説明があったんです。ところが、学生さんから「年代が一緒だからって、僕にはわからないです」という返しがありました。で、わたしのほうから「だって、あの頃はバイクなんてなかった。地下鉄もなかった。移動手段は、自転車か徒歩。だから、みんな大学の半径1km以内に住んでいた。だれかの家で呑んでいて、誰かを誘おうと思ったら、当時は携帯なんかないし*3、じゃんけんで負けたヤツが歩いて呼びに行ったもんです」と解説。さらに「テレビがある学生が、下宿屋の中に1〜2人。だから、テレビを見たければ、そこに行ってみるしかない。まぁ街頭テレビの感覚やなぁ」。このあたりで、またまた先生たちは大ウケ。どうやらみなさんその通りだったようで。「で、テレビを一緒に見ていたら、やっぱりいろいろ話をしながら見るじゃない」。
考えてみると、こういう生活は、学生同士だけじゃなくて、家族もそうでした。家の中にテレビは一台。親と子のチャンネル争いもあったし、やっぱりどちらかがどちらかに譲るわけです。で、しゃーないからそのテレビにつきあったりします。そういう中で、「あ、この人はこういうことに興味があるんだ」とか「あ、この人はこのことに対してこういうふうに考えるんだ」みたいなことがわかっていった。友だちや親との会話っていうのは、こういうことをベースにして行われていたんですよね。
別に、「昔はよかった」という懐古趣味に走るつもりはないのですが、でも、よかったと思います。おそらく、いまはそういう「状況」がつくる「偶然性」に頼れない時代になった。だからこそ、意図的に距離と時間と密度の相関を考えながら、関係性をつくっていく必要があるし、そういう「場」をデザインする楽しさがあるとも思います。
生徒と子ども
樹村さんのコメントに啓発されて、ふと考えたことがありました。
樹村さんのコメントには、某歴史教科書を立ち読みされた時の感想として「最近の中学生は、すっかり子ども扱いされてるんですねぇ」というふうに思われたとのこと。
まぁ、ウチの高校生も完全に「子ども」なんで、まぁそれまでといえばそれまでなんですけど…。いや、見た目はもちろんちゃいますよ。というか、3年生ともなると「オサーン」「オバハン」「ねえちゃん」がほとんどです。でも、中身が…。
というのはおいといて…。
関西の中学校の先生たちは、よく自分の学校の生徒たちのことを「ウチのガッコの子ぉらはなぁ」というふうに表現します。「子」ですわ。まぁ、子ども扱いです。ただし、このときの「子ども」は、たぶん「親」から見た「子ども」であって、「よそさんの子ども」とはちょっと違うかなぁと思います。ちなみに、「ウチのガッコの子ぉらはなぁ」のあとは、たいてい「ホンマあかんたればっかでどうしょもない子らやけど、エエトコあんねん」という感じで続きます。
なんでこんな感じになるのかというと、こういう表現をする教員って、生徒の生活実態まで丸ごと見据えた上で、今ある子どもの姿や、これからの進路のことを考えているんだと思うのです。
なんか書いていてオチがわからなくなったので、とりあえずおしまい。
漢字バトン…
あたしゃ、バトンは苦手なんですよね。もちろん、バトンって「ネタのリレー」という感じもあるから、それはそれでいいんでしょうけど、なかなか考えつかないんですよね。内容にもよるんでしょうけど、いずれにしろ「こだわり」が昔よりは(これでも)希薄になってきたので(笑)、そのあたりが厳しいです。
あと、なによりも、バトンを渡す「お友だち」が極端に少ない(涙)。まぁ、わたしの社会性のなさっていうことですね。
てことで、トライしてみますか…。
1 前の人が答えた漢字に対して自分の持つイメージは?
さやかさんからいただいた漢字は
「夢」「国」「富」
ふぅむ…。
「夢」…。昔、教員のひとことメッセージみたいなのを求められた時、わたしはなにか書いたんだけど、「夢もなく、希望もなく」という言葉を書いた教員がいました。「こいつすげぇ〜!」と思ったことを覚えています。
「国」…。「国破れて山河あり」っていうのもいいかなぁ。基本的には「国」の存在そのものに懐疑的なんだけど…。
「富」…。昔、「すんげぇ〜」と思っていた教員が、「人間は上に向かって堕落する」という某プロレスラーの言葉をひいていました。「すげぇ〜!」と思ったのですが、その某プロレスラー自身が「上に向かって堕落」したような気がするのですが…。まぁ、豊かであることはろくでもないことのような気もしないわけではないけど*1、貧しいこともろくでもないしなぁ*2。
Q2 好きな漢字
「孤」…わたしが尊敬する教員の座右の銘は「孤立を求めて連帯を恐れず」です。
「樹」…「♪この〜樹なんの樹、気になる樹♪」草原の中に一本だけある樹。
「稜」…早朝の澄んだ空気の中、くっきりと見える稜線って、いいです。そこに「樹」が一本立っている
「悠」…いつかこんな人になりたいなぁ。
Q3 大切にしたい漢字
まぁ、好きな感じと一緒かな。一個だけなら「樹」かなぁ…。
Q4 貴方が好きな四字熟語を3つ
「ゴリ夢中」(笑)。今思うとかわいいヤツでした→W31K というのは、おいといて…。
四字熟語って、あまり知らない。
「一点突破」とか「全面展開」ってやつですか(笑)?「性別適合」は違うか(爆)*3。
ってことで
「七転八倒」…いつものことです。
「起死回生」…「七転八倒」のあと「〆切間際」つーのがあるんですけど、そのあとに控えているのが、これです。「塀際の魔術師」と呼んで下さい。
あとは
「変態上等」←四字熟語を完全に勘違いしています
にしましょうか。
Q5 漢字のことをどう思う?
ひらがなの方が好きです。曲線がきれい。漢字を書くのが苦手なばっかりに、パソコンをいじりはじめたんですよね。まぁ、表意文字だからわかりやすいですけどね。ウチのクラブには生徒が「鬱」の字で「鬱」を書いたオブジェがはってありますが、すごくわかりやすいです。
Q6 次にまわす漢字を3つ
こういうのを考えるのが苦手なんですよ。わたしって、創造性がないのかなあ。ってことで、
「創」と「作」と「造」にしましょうか。
Q7 バトンを回す7人とその人をイメージする漢字
7人は絶対無理なので
三橋順子さん。「情」かな。「理」もあるんだけど、なによりベースは「情」な気がします。
http://plaza.rakuten.co.jp/junko23/
まりあさん。もちろん「変」。ほめ言葉です。
http://nonpass.de-blog.jp/maria/
杏野丈さん。この人も「変」か。ほめ言葉です(笑)。
http://d.hatena.ne.jp/annojo/
くぼりえさん。この人は「優」だなぁ。「優しさ」がにじみでています。
http://blog.goo.ne.jp/kuborie/
他にも聞いてみたい人は山のようにいるんだけど、これくらいにしてみましょう。
ところ変われば
午後は用事で大阪へ。在日朝鮮人の集住地域にある学校に行きました。ここ、昼間定時制があります。
いや、定時制って、ある意味いいなぁ。もちろん、生徒のニーズはとても多様だし、そこにきめ細かく対応していく必要があるので、仕事の量も膨大みたいだし、しんどいこともいっぱいあるみたいです。それでも、いいなぁとふと思ってしまいました。ま、隣の芝生状態なのかもしれませんけどね。
この学校、なにがいいかというと、トランスの子が入学してきた時、「性別はどちらで行きますか?」という問いかけをする余地があるようです。というのは、制服がない*1。単位制なので、カリキュラムにも弾力性がある*2。こういう学校って、可能性に満ちあふれていると思うんだけど、世間はそうも思っていないみたいですね。なんらかのつまずきをした子どもたちの通う場所と考えているのかな。さまざまな「規制」の中で生きてこなかった子どもたちにとっては進路は厳しそうですね。
でも、そこの学校のある人が言っていた「トランスの子どもたちにとっての選択肢のひとつになりうる学校である」という言葉は、同時にトランスの子を受けいれながら、その子が将来展望を持てるようにしていこうよという決意のあらわれのように思われました。こういう人が増えていくことがありがたいです。
届かないこともある…
結局、届きませんでした。判別式のところは、例題をするヒマがなかった。まぁいいです。サクッと説明のプリントなどつくって、問の解答もつくって、配布すりゃそれでいいっっしょ。かえってそっちのほうが点数がよかったりして(笑)。
病状
土曜日の夜、大分で呑んでいる時に病院から電話がかかってきていました。なので、今日は学校帰りにお見舞い。
「病院」に着くと、奥の方にいました。心臓をおろして、4ヶ所にわかれています。ちょっと見ただけでは病状がわからないので、お医者さんに病状を聞くことにしました。
基本的に悪い所は2ヶ所。ひとつは左のピストン。これは完全に焼きついていました。いや、みごとなひっかき傷です。そのおかげで、コンロッドのベアリングもいっています。さらに、不可解なのは、右のコンロッドの根本にあるクランクシャフトのベアリング。これもいってます。どうやら、この2ヶ所は別々の原因だったようです。
左の焼きつきは、クランクのシールが硬化してしまって、そこからエアが入ってきて、オイルが薄まっていたせいだったようです。右のベアリングのほうは、まぁ簡単に言えば、老化現象だそうです。いずれにしろ、エンジンは寿命だったみたいです。
問題はパーツ。メーカーに聞いてもないわけです。ところが、どうやら好き者はどこにでもいるみたいで、社外品でけっこうパーツが出回っているそうな。なので、お医者さんは「たぶん、手にはいるよ」と言ってくれていました。さらに「これだけ直したら、エンジンは新品になるね。ということは、このバイク一生モンになるね」と続けてくれました。
問題は、その代償です。なんでも17〜8万円かかるそうな。10月の事故で修理が17万円。今回とあわせると、35万円ほどか…。すげぇ。でも、前回の修理でフロントブレーキのキャリパーまわりとブレーキフルードのタンクが新品になったし、今回でエンジンが新品になります。まぁ、4L3が新品になるなら、安いと言えば安いか…。
なんしか、お金ためよ(涙)。