朝、授業を一発やって、しばらく雑事。やはり3連休が連続すると、うれしいけど雑事が滞ります。だって、金曜日にやるつもりの仕事が遅れたら、そのまま火曜日ですもん。
で、雑事をこなしてK岡市へ。なんか、管理職の方々の研修だそうです。
なんか、「ええんかよ」という気分ですね。かつては管理職なんてケンカの対象でしかなかったのにねぇ…。
約1時間ほどダラダラ話をして、とりあえず家へ。バイクをおいたらそのまま大阪へ。某市立大学の社会人大学院で高座です。
最近、自分の中で少しずつ使いわけをしていることがあります。
かつてはどこに行っても同じ話を延々と繰り返していたのですが、最近は少しずつ変えてみようと思っています。得意、少人数のところでは「ネタ話」でウケをとるのもいいのですが、そうではない話も必要かなぁという気がしてきました。ま、「過去」だけじゃなくて「未来」についても考えていることを話してみようかな、ということです。
ところで、「ネタ」を変えると「マクラ」も変わってきますよね。今回は「アボガトシー」がテーマだったのですが、自分的にはこんなん無理ですよね。で、行きの電車の中で一生懸命練ったマクラが
「「アボガドシー」ってお題もらいましたけど、よーわかりませんねん。はじめて聞いた時「アボガドシーって、カリフォルニア巻きの新しいネタかいなと思いましてん」
でした。ウケました。よかったよかった。
まぁ、ネタを変えると「おもしろない」とか言われて寂れていくという可能性も大なのですが、その時はその時でしゃーないなあと思いながら、現在チャレンジ中です。さて、1年後はどうなっているかなぁ…。
高座そのものは50分間です。その後、50分間の質疑応答があって、最後の50分間は受講生の方々の討論の時間で、わたしは参加をしません。で、オフィシャルな校時は50分×3時間なんですが、最後にアンオフィシャルな「4時間目」というのが、近くの店であります。今年はなんでもみなさんお忙しいらしくて4時間目の出席者が少ないとのことですが、それでも確実に続けておられるそうな。もちろんわたしも4時間目に参加。まぁ、そこでしかできない話もあるわけで…(笑)。
東九条の用事
熊本の友だちを案内する場所
熊本からお友だちが来ているので、一緒にお昼ご飯を食べることにしました。どこにしようかとずいぶんと悩んだのですが、やっぱりここは「おたふく@三条」かな、と(笑)。
てことで、京阪三条で待ちあわせ。お友だちは3歳の子どもさんを連れていたのですが、その子どもさんが「焼きそば食べたい!」ということですので、ますますうってつけです。子どもは焼きそば、大人はお好み。んなものを食べていると、お酒が進みます。そうこうしているうちに、子どもさんはおねむ。しばらくはお客さんがだっこしていたのですが、ちょっと身体をいわしておられるので、途中からはわたしがだっこ。うん、小さい子どもをだっこするのは久しぶりですよ。クゥ…と寝ている子どもは、なかなかかわいいものです。なんだかんだで3時間ほど長居をしてお店を出ました。
お客さんは滋賀県に帰られるし、わたしは東九条に用事があったのでバスで京都駅へ。それにしても、市バスに乗るのはいつ以来だろう。アイドリングストップがあったりして、なかなか新鮮でした。
てことで、京都駅でバイバイ。
ノリックが…
デイキャンプ
なんでもこの3連休中にパートナーのお母さんの誕生日があるとか。なので、お祝いがてら、近くのキャンプ場にデイキャンプに行くことになりました。
わたしはというと、きのうの余波で少々頭痛気味ではありましたが、まぁ野外で遊んでいたらそのうちなおるだろうということで、準備開始。といっても、肉を切ったり下味をつけたりする程度のことですけどね。
で、車に乗り込んで出発*1。
30分ほど走ったところで目的地の小さなキャンプ場に到着。ふだんはたくさんの人出があるのですが、今日は誰もいません。ちょっと不気味だったけど、自由に使えるのはいいかも。てことで、さっそく炭をいこして焼鶏スタート。それにしても、鶏肉は脂がすごいです。モウモウと煙を上げながら、それでも脂が落ちるので食べるにはちょうどいいですね。
一通りごはんを食べたら運動の時間です。子どもたちとドッチボールを投げあったりバドミントンをしたり。パートナーのお母さんもけっこう動くのが好きで、気がついたらいっしょにボール投げをして遊んでおられました。
てなことをしていると、あっというまに5時過ぎ。帰り支度をして車に乗り込んで発車。しばらく走るとあっという間にあたりは暗くなりはじめます。「秋はつるべ落とし」とはよくいったものです。家に帰った頃にはあたりは真っ暗。
ま、1日よく遊びました。
これが普通の休日なんだろうなぁ…。
*1:帰りはパートナーが運転してくれるのでOK
定例化するのか?
史跡に行くのが終わったところで、T中市に移動。予定の時間より1時間ほど早く着いたので、しばし散歩。「そうか、ここがKちゅかるさんの職場か」などと思いながら歩きました(笑)。
で、待ちあわせの場所に行くと、えらいたくさんの人が集まってきます。「何人で呑みに行くんですか?」と聞くと、「よりすぐりのメンバーを集めたんや」とのお返事。
みなさんが集合したところで、きわめてジモティ色の強いお店へ。10人ほどなんですが「ええんかいな」という感じです。でも、なかなか懐の深いお店&案内してくれた人は常連化しているということで、しばらくすると裏メニューが出てきたりと、けっこういい待遇になりました。てか、案内して下さったKさんとEさんのおかげか…。
で、飲みはじめてしばらくしたら自己紹介。「言うことは、名前・なにをやっているか・いつきさんにひとつ質問な」というメチャクチャな自己紹介です。でもそこはそれ、「よりすぐりのメンバー」ですから、そつなく質問をされていきます。で、さらに、お友だちはえぐるような質問をされてきます。まいったけど、考えてみるといい経験でした。だって、質問をされて答えるという作業は、自分の中にあるさまざまなものを整理することにつながっていきますからね。
で、9時頃まで呑んで、いったん解散。その後、さらに少数精鋭で別のお店に移動。このあたりになると、なにがなにやらよくわからないことになっていました(笑)。なんしか、ひたすら、終電に乗り遅れないように時間から気をそらさないという状態でした。なにせ、おもしろいから、気をそらした瞬間、時間が矢のように過ぎていきそうですから…。
ところで、1次会の最後に「この会を定例化しよう」とかいう提起があったんですが、ほんとうですか(笑)*1?
*1:やるならそれなりに気合いを入れなくっちゃね!
史跡巡り
なんか、「京都が一望できるところに行きたい」という東京と大阪のお客さんがおられたので、わたしが大学時代に住んでいた某お寺のお墓(笑)に案内しました。
いや、マジですごく見晴らしがいいんです。で、そこでいろいろ話をしながら、約2時間。途中、影を避けながら(笑)見事に日向にいなくちゃなりませんでした。10月とは言え、まだまだ陽射しはきついです。やばいよなぁ…。
あ、一ヶ所だけでは「巡り」じゃないか…。
詳細は、10月中ごろに明らかになるとか…。
やっとの思いの1週間
なんか今週は長かったです。なにせ、久しぶりのフルの5日間。でも、あしたからは3連休。5時過ぎには急に心が軽くなったりして(笑)。
さて、久しぶりに夜更かしでもしようかなぁ…。って、もたんか…。
昨日のエントリの続き
昨日の分の日記にはずいぶんとマスコミについて批判的なことを書きました。
で、実際に自分の場合はどうだったかというと…。
例えば、はじめて取材をされた某N局のN川さん。収録の前に何度かいらして、収録そのものも3日間。その後、放映ギリギリまで練りに練った台本を送ってこられて、最終チェックをさせくれました。そして、その後もおつきあいがあります。
最近の某A新聞(笑)のI田さん。4月から半年間かけて何度も何度も来られました。何度も何度もしゃべりました。おそらくは、本筋とは直接関係ない話もいっぱいしたし、I田さん自身のことも話されました。2回目・3回目については、ラフスケッチみたいなのを送ってこられて、ずいぶんと意見を言わせていただきました。でも、それをていねいに反映されたと思います。
他にも、突然メールをしてもきちんと対応して下さった方や、お猿の国(笑)から一時帰国の時にわざわざ会いに来て下さった方もおられます。
なんというか…。
少なくともわたしが出会ってきた方々は「一緒につくっていく」というスタンスを持っておられた方が多いんじゃないかなと思います。そういうスタンスだと、「つくる側の意図」は原形を保ちながらも少しずつ変わっていくし、それは妥協の産物ではないものでもあると思うのです。そして、わたしも単なる「素材」ではなくなり、「表現者」になれるような気がします。そんな人たちと出会ってきたから、なんとなく昨日のような「一般論」じゃない話になってしまうのが、わたしの感触なんですよね。
まぁ、甘いかもしれないです。でも、信じてみる道もあるのかな、と。
わかんないや…。
オープンに生きることと晒すこと
ある人とメールのやりとりがあった時「オープンに生きる」という言葉が出てきて、「ふむ」と思いました。
はたして自分はオープンに生きているんだろうか…。もう少し言うならば、例えばさまざまな取材に応じるって言うことは「オープンに生きる」ということなんだろうか…。
たぶんその答は「否」ですね。
取材に応じること、マスコミに顔出しをすることと、オープンに生きることって違うんだと思います。
マスコミに顔出しをすることは「さらし者になることを辞さない」ということなんじゃないかなぁ。
この世界は、ある意味「狐と狸の化かしあい」みたいなところがあるんじゃないかと思います*1。取材をする側は、「取材をしたい意図」があり、それを表現するための「素材」として対象者を「使う」。取材をされる側としては、自分に意図があったとしても、必ずしもそうはならないし、下手をするとぜんぜん違うところに行ってしまう。でもそれは当たり前です。前提にあるのは、しょせんは取材される側は「取材をする側が表現するための素材」でしかないからです。
で、さらにそれを受けとった人は、取材をした人の意図とはまた違う受けとり方をする可能性が大です。なぜなら、受けとめる人にはそれぞれの生活があり、それにもとづいて「受けとる」からです。
てことで、幾重にもねじ曲がりながら「マスコミへの顔出し」があるんじゃないかと思います。
では、なぜ「辞さない」か。それは、まさに「化かしあい」だということを前提にしての話なんだと思います。もう少し言うならば、「利用しあい」みたいな…。
てなことを考えると、マジで「オープンに生きる」こととは程遠いなぁと思います。
じゃ、「オープンに生きる」ってどういうことかなぁ。
きっとそれは、自分の生活を大切にし、自分の身のまわりの人を大切にし、そして互いに相手を認めあうような関係を、日々構築していくことなんじゃないかなぁと思います。
自分のしんどさを一方的に受けいれてもらうために「オープンにする」のは、実は「オープンに生きる」と言うこととは違う。相手のしんどさも受けとめてこそ、「オープンに生きあう」ことができるんじゃないかという気がします。そして、そういう人間関係を、自分のまわりに少しずつつくり、広めていくこと。そして、なによりも「蛸壺」に入らないこと。
そんなことを考えながら、はたして自分にそれができているだろうかと、あらためて自分に問いかけるのでありました。
*1:ちなみに、わたしはネコ(笑)