たかだか3000字ですが、それでも書けない時は書けないものです。というか、「オチ」が思いつかない。どうしようかと悩んでいたら、いいものを思い出しました。ここにネタのもとがありました。
にしても、設立趣意書は文体が硬いなぁ…。ちょこっとリメイクして…。そうそう、昔ここに書いた文章もあったっけ。パソコンの中をごそごそ。ありましたありました。これとこれをくっつけて、ちょっと膠をつけてやったら、はいできあがり。
脱稿しました(笑)。
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今日は府立高校の人権教育研究会の総会です。
午後からは記念講演。上杉聰さんの講演「部落差別はなぜ今あるのか? −部落史が変わったPart2−」です。
いやぁ、おもしろかった!とりあえずレジュメを紹介します。
1 部落差別はたいへんに古くから存在してきたものだから
「穢れた血筋」(異民族)「着座飲食拒否」「部落は残忍」等偏見の古さと継続性2 明治4年の賤民制度廃止の際、適切な処置がとられなかったから
賤民廃止令(≠「解放令」)が実現したもの
賤民制度の廃止、法の下の平等
職業の自由(≠「一片の布告」)
欠けていたもの
「過去の差別は誤りだった+今後差別してはならない」の宣言
経済的な補償(華族・士族は国家予算の3割分の秩禄を長期に)
身分制再編成と差別緩和(「四民平等」の語は不在)→部落差別の制度的容認へ
伊藤博文が留意した3点「天皇」「華族」「郷党」 近代の身分図式3 賤民廃止令の不充分さにより解決が遅れ、近代の差別と結合したから
壬申戸籍 肩書きは「平民」「農」などとし、続柄(血縁)に差別を記載
戦前の差別判決 判決の背後にある近代的身分(血縁・家」)精度の強化と天皇制
就職差別 大企業は日露戦争後から身元調査→部落地名総鑑4 戦後に生まれた解放のための新しい条件
1946年 日本国憲法の制定と第14条
「すべて国民は、補の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係に置いて、差別されない」(後略)
1については、簡単に言えば、去年の10月にあった話の復習です。部落の起源は室町・平安にまでさかのぼるという話を、資料にあたりながら話されました。
2以降が今回のテーマ。特に、賤民廃止令についてこってりと話されました。なにより重要だったのが「欠けていたもの」というところ。
賤民廃止令は
穢多非人等ノ稱被廢候條 自今身分職業共平民同様タルヘキ事
辛未八月 太政官
穢多非人ノ稱被廢候條 一般平民ニ編入シ身分職業共都テ同一ニ相成候様可取扱 尤地祖其外除■ノ仕来モ有之候ハ丶引直方見込取調大蔵省ヘ可伺出事
辛未八月 太政官
というやつです(ここからいただきました)。
上杉さんが話された最大の問題点は「今日からは平民と同様ですよ」としただけで、「今までの差別制度は間違いでした」としなかったことである指摘されました。また、「同じですよ」としただけで、「差別しちゃいけない」とも言っていない。では、政府はもしも差別事件が起こったらどのような態度をとるのか。このあたりについても、資料にあたって解説をされました。で、簡単に言えば「まぁ、しゃーないからほうっておく」という態度だったとのことです。
昨日まで「アウトカースト」だった人々が、いきなり「カースト」内に入ってくる。当然混乱が起こるわけです。その混乱に対して、「混乱するのはしかたないし、まぁその人らにまかせておきましょう」となったようです。こういう姿勢が、やがては町村合併時の部落の排除や、部落学校の設立を余儀なくされるというところにつながっていくわけです。
さらに、「過去は間違いではない」→「元穢多というのは間違いではない」という論法から壬申戸籍がつくられていきます。このことが高松結婚差別事件*1での論法「かつての身分を偽るのはよくない」「かつての身分を話さないのはよくない」というのにつながっていく。こういう形で部落差別が維持されてきたということです。
で、法制度上、はっきりと差別を否定したのが日本国憲法であったと。当時の議会の速記録から、「社会的身分」が部落を指すことを明らかにしながら*2、ここをスタートにするべきではないかという提言があって、話は終了しました。
わたし個人としては、明治期以降に部落差別は新たな形で強化されたのではないかと漠然と考えていたのですが、わたしの予期しない形でそれを実証的に話されたという意味で、かなり勉強になりました。
土日って、別に仕事がたまるはずがないんですが、なぜ土日のうちに仕事がたまるんだろう…。
というか、日曜日にあった会議のせいですね。あれのおかげでその方面の「宿題」がたまってしまうんですね。そのせいで、朝からもうバタバタ。
問題は、現在原稿の〆切を3つかかえているということです。
ひとつは今日が〆切。
もうひとつは「今日の〆切のができたら、次がこっちだからね」と言われてしまったここのセミナー報告。まぁ、これは切り貼り&プチ加工でなんとかなるかな。
で、もうひとつは、恒例のやつです。これはまぁ最悪今週いっぱい。まぁネタは浮かんでいるので、なんとかなるでしょう。
てことで、頭の片隅ではずっと最初の〆切のことを考えています。でも、出てきません。
こういう時は、しかたがないので家に帰ります。で、家に帰るともうなにも浮かばなくなるので、自動的に〆切はブッチです(笑)。ゴメンなさい…。
せっかく広島まで来たんだからおいしいものを食べようということで、そこらにあった大衆食堂に入ります。壁には一面「◯◯の刺身」と書いてあります。で、いろんな刺身を食べたけど、いやぁおいしい!シマアジとかプリンプリンです。さすが広島。出てきたお酒も「雨後の月」これがまたおいしい。すっかり体調も回復です(笑)。
あとは新幹線で帰るだけ。帰り道もなんだかんだと呑みながら帰って、夕方には家に帰着。
家に帰る頃には、体調がちょびっと悪化かな(笑)。ダメじゃん>自分。
朦朧とした頭で起きたけど、しばらくおとなしくしていたらだんだんと回復。
朝ご飯を食べて、会議の会場へ。今日は、某在日外国人教育関係の集まりの総会です。といっても、すぐ終わりますが。その後、拡大運営委員会。刷り物担当としては、必要な部分のメモさえとっておけばなんとかなる、と。
会議の最中に、ずいぶんと体調も復活。よかったよかった。
朝から大阪へ移動。奈良のお友だちと落ちあって、広島へ。
今日は某在日外国人教育関係のセミナーです。
まずは地元のとりくみの話。続いて、若い子らのシンポジウム。
後者の方、なかなかおもしろいですね。
同じ在日外国人高校生といっても、在日韓国人と在日ペルー人とではこうも違うのか、と。
例えば、「交流会に参加してどうでしたか?」という質問をしたんだけど、ふたりの答がまったく違いました。
在日韓国人の子は、「仲間と出会えてよかった」なんですね。ところが、在日ペルー人の子は「友達がつくれる」みたいな答なんです。なんでも、この子、日本人と一緒の時の方が楽だとか。外国人と一緒にいると「緊張する」とのこと。
考えてみると、同じような感じ、ないわけじゃないです。トランスと一緒にいると緊張する場面、けっこうあります。それよりもトランスじゃない人と一緒の方が緊張しないかな。
なんでだろうと考えてみたんですが、トランスじゃない人がわたしに近づく時、すでに選別をされているのかな。だって、わたしのことを「イヤだ」と思っている人は近づいてこないもの。となると、たしかに楽ですわねぇ。
在日韓国人の子は、普段通名を使っている。ということは、まわりの子らは「日本人」として扱うことになる。すると、まわりとの緊張関係は相当なものだろうし、「隠さなくていい」ところは格別の気持ちだろうと思います。にたいして、在日ペルー人の子はカタカナの名前だし、見た目もしゃべり方も「外国人」なんですね。だから、相手は「外国人」として扱うことになる。そりゃぁ、いまさら緊張感もないわなぁ。
どっちがどうという話じゃなくて、「そういう差があるんだなぁ」というふうに思ったんですよね。
いや、うれしいのはうれしいのですが、仕事が圧縮されるので、平日がメチャクチャしんどいです。どないしたもんやろ…。
てか、あしたから休みとちゃうしorz