こちらもプレイベント

なんかこのプレイベントの仕切の人は、来年の全外教大会の地元実行委員会の副代表の人みたいです。地元のみなさんのお話では、とってもいい人だけど、思いつきで動く気があるとか。今日も終わりのあいさつで、いきなり壇上で「打ち上げします」宣言をしておられました。スタッフのみなさん、驚いておられたので、まったく想定外だったみたいです。
でも、おかげさまでスタッフの人たちや出演者の人たち*1。かといって、泡盛は苦手です。さてどうするか…。
「あの、クセのない泡盛ください」
でごまかすことにしましょう。
で、ロックで呑むと…、「うまっ!」。若干のクセはあるものの、いつになくブランデーのような感じです。やがて大将が
「島巡りです」
とか言いながら5種類ばっかの泡盛を持ってこられました。その中の60゜の泡盛を飲むと
「うまっ!」
なんとも言えないとろみがあります。これはいい!とは思いましたが、そんなものそうそう呑めるわけがありません。ちびりちびりとなめているうちにお開きの時間が来てしまいました。もったいないorz
その後、N尾さんのお家に移動。今晩は4人で合宿です。明日の行動計画を立てながら、もうひと呑みしたあたりでボチボチダウンです。

*1:半分くらいは知っていますが))と交流ができました。
ちなみにお店は「さすけ」という沖縄料理の店。なんでも、ここの大将はプレイベントに出演して、その後店の仕事をしにもどってこられたとか。すごいなぁ。
沖縄料理の店に行って困るのは、飲むものです。当然日本酒なんて基本的には期待できません((期待してなくていいお酒があったら、とてもうれしい(笑)

プレイベント(全同教大会・0日目)

授業が終わったら速攻帰宅。その後向かうは三重県四日市市です。
四日市に到着したら友だちのN尾さんが迎えに来てくれていました。すごくありがたいなぁ。今日は前日のイベントで「人権の夕べ」というのがあります。友だちのI藤さんたちは*1こちらに参加しているとのこと。さらにわたしの知りあいも出ていそうなので、わたしも参加することにしました。
到着すると、いきなり受付から手を振る人がいます。全国在日外国人生徒交流会の世話人の人です。なるほど、どうやらこのプレイベントはそちらの方面が仕切っているみたいです。
中にはいるとアイヌの舞台。きれいなハーモニーですね。続いて在日ブラジル人ふたりのトーク。このふたりは生徒交流会の参加者なのでわたしも知っています。あたりをうろうろと具志さんがうろついています。続いて在日朝鮮人ふたりのトーク。ふむ、まさに「多文化」です。
若い子の話はおもしろいなぁとは思いながら、一方で「未熟だなぁ」とも思います。なんというか、すごく表層的なとらえ方をしている側面もあるわけです。まぁこれからいろんな人と話し合ったりぶつかったり笑ったり泣いたりしながら、でも「今」の感覚を忘れないままに考えを深めてほしいなぁ。

*1:一緒にほめられた人ね

安あがりなお祝い

昨日ちょっとめでたいことがあったので、今日、一日遅れでお祝いで夕食を食べに行きました。パートナーからは「あんたのおごりやね?」と念押しをされていたので、安あがりなサイゼリアです(笑)。
でも、ビールも飲めて、ワインも飲めて、グラッパも飲めたので、満足満足。
って、わたしのお祝いじゃなくて上の子どものお祝いだったわ。

ロッカールームトーク

またまた出ました、ロッカールームトーク。今回は「誰とならロッカールームトークをできるか?」なんですね。
女性とこの話をすると、
「あぁ!それそれ!」
という感じの人もいれば
「わたし、ロッカールームが苦手」
という感じの人もいるんです。
後者の人たち、おそらくは「女性の最大の味方は女性だけど、女性の最大の敵も女性」ということを肌で感じてこられた方みたいです。今回も、フェミニズムはすごく大きな武器だということをふまえた上で、既存のフェミニズムへの違和感をずっと感じてきた話が出てきました。
でも、これこそがロッカールームトークだと思うんですよね。生まれ持った属性「だけ」で同じロッカールームに入れるかというと、本当は違うと思います。どちらかというと、互いの共有できる経験をたくさん積み、そういう自分たちの経験をフラットな関係で語れ、そこから新たなものが生み出される。それが「同じロッカールームに入りたい」と思える関係なんでしょうね。
もしかしたら、これが性別二元論を突破するひとつの契機になるのかもしれないと、ふと思ったりして…。

III部の迫力

今日は夕方(というか、夜)に桃谷高校III部*1の人権学習の時間にお呼ばれです。単なる定時制ではない。単なる通信制でもない。桃谷III部ならではの雰囲気があると聞いているので、ちょっと緊張気味です。
基本的には聞くか聞かないかは本人の自由。制度上は「聞いたら(たぶん特別活動の)出席」になるというだけのこと。それだけに、「聞こう」という人が来られるわけです。
教室に集まってこられた人を見たら、身が引き締まる思いです。いわゆる高校生世代の子どもたちはどちらかというと少数派です。一番前に陣取っておられるのは、ハルモニ・ハラボジたち、ムラのおじちゃん・おばちゃんたちです。
この人たちの思いにつながるためには、やっぱりわたしの実践を差し出しながら、自分の思いを話すしかありません。この人たちが聞いてくれたら、きっと高校生世代も聞いてくれます。聞いてくれさえすれば、やっぱりIII部に来ている子だから、どこかでつながれるだろうと思いながら話をしました。
なんというか、ウケるところが「通」です。うなづかれるところでは、首がちぎれるほどうなづかれます。
与えられた時間は1時間ちょい。逆に言えば、それ以上伸ばしてしまうと、きっとみなさんしんどくなるはず。
普段よりも実践をたっぷりと話し、自分の話は枝葉を刈り取って最小限にとどめながら、それでもなんとか話せました。
終わった後の拍手、すごく暖かかったです。いい経験ができました。「新ネタ完成」という意味でもね(笑)。
今回段取りを組まれたC原さんが
「いつきさん、III部に来たくなったでしょ?」
ときつい球を放ってこられます。
「でもね、夕方ビールが呑めないから却下(笑)」
まぁ、理由はそれだけです(笑)。

*1:夜間通信制

ささやかな幸せ

昼休みに生徒が「教えて〜」とやってきたので、グダグダしゃべりながら対数の計算を教えていました。と、横にあるシンクを見たら…。青く光る小さなガラスがあります。いったいなんでシンクの向こう側に飛んでいるんだ?
でも、すごく幸せな気持ちになりました。

アクシデント!

ここ数日、なんか視界がぼやけています。「おかしいなぁ」と思ってコンタクトを見ると、なんか曇りがあります。どうやら油汚れみたいです。
しかたないので、始業前に、とりあえずはずして職場のシンクで洗剤を使って洗おうとしたその瞬間、そこにはコンタクトがありませんでした。
シンクを見てもわからない、排水口を見てもわからない。しかたないので、排水管をはずしてみたのですが、それでもわからない。

あぁぁ!お金と時間が…。

回復の方法

朝、すごくお腹の調子が悪い。きのうの晩から何回もトイレに駆け込みました。
きのう遊びすぎたのかなぁ。それとも身体が冷えたかな?バーベキューとかで生しいものを食べたのかもしれない。
とりあえず、いつもの通りお弁当をつくって朝ご飯を食べて出発。
昼、マジで体調が悪い。なんとなく熱っぽい。保健室に行って体温を測ると36.8℃とか36.9℃とか。び、微妙…。最近の子どもたちだと「熱がある〜!」とか言って騒ぐ体温ですが、わたしの場合はこれくらいだと「熱がある」状態にはなりません。なんとなく、赤字で書いてある「37℃」がラインなんですよね。てか、平熱知らないし(笑)。
でも、お腹が減っているので、いつものお弁当を食べます。でもちょっとよく噛んだかな。
で、夕方。マジですか。雨ですかorz。
カッパを着込んで帰ります。家に帰ったら元気になっていました。お腹の具合も問題なし!

身体の回復は日常生活をすることだな。

ジェンダートーク・ふたたび

琵琶湖から京都への帰り道は、実はダダ混みの道です。特に秋が深まり紅葉の季節になると目もあてられません。これを避けるためには、大原から大移動がはじまる前にそこを通過する。これしかありません。
てことで、焼肉はサクッと切り上げて、京都へ向かいます。おかげさまで無事渋滞がおこる前に市内に抜けられました。
さて、夕方からはこの日の続き、自転車の引き取りです。実は、ショップの人から「一緒にいてあげてね」と言われていたのでした。まぁ実際にはつつがなく引き取りは進んだみたいで、わたしは空気入れの使い方を実習してはるところに到着。
さて、自転車で京都の街を闊歩しますか。
まぁ、闊歩と言っても飲み屋を探すだけのことですが…。
京都の街の広さは、自転車にちょうどいいですね。特に、鴨川〜東大路あたりをふらつくには最高です。
で、とある飲み屋へ。
今回のテーマは「運動は自分のためにするのか?」。あぁむずかしい。
わたしにとっての運動は、結局は「場づくり」なわけです。で、大切なのは、「場」の中心にわたしがいて、わたしを中心にすべてがまわることではなく、わたしは単に「場をつくる」にとどまることなんですよね。もちろん、「場」をつくる瞬間には深くコミットをするのですが、そこからできるだけすばやく身を引く。後の仕事はコーディネートですか。
こういうスタンスでやるためには、「その場が自分にとってなくてはならない場」であっては、とてもではないですが、できないんですね。なので、「場」をつくるたびに、「そこがなくてもいいわたし」になる。まぁかっこよく言うと、「つくった場の最初の卒業生はわたし」みたいな感じになるわけです。
もちろん、その「場」へのわたしの影響力はすごく大きいだろうとは思います。でも、それはわたしが主張するのではなく、そこへの参加者が自分で感じることなんだとも思います。
こんな感じなので、「自分のために」という感覚は、非常に稀薄なんですね。どちらかというと、「その場を必要としている人」「いまだ来ないけど、きっと必要とするであろう人」のためにやっている感じ。当事者感覚がすごく稀薄なんです。
で、こういうわたしの感覚は、
「男性の頃からあったのか?」
という質問があったりして。で、答は
「もとからあった」
なんですね。
わたしとしては、ジェンダーとはあまりかかわりないように思うのですが、どうなんですかねぇ…。