死のロード・4日目・歴史を拓くよみがえりの家とか…

起床は6時。今日の午後のことを考えて、なんしかシャワーを浴びます。ロビーに降りるとT橋さん・M本さんはお待ちかね。3人で長浜へと向かいます。
去年長浜を案内してもらった時は、どちらかというと「教科書無償化の闘い」の足跡をたどる感じでしたが、今回は「歴史を拓くよみがえりの家」を見せていただくことにしました。
「よみがえりの家」は女性史研究者のもろさわようこさんが、長野の「はじめの家」、沖縄の「はじめの家うちなぁ」に続いて長浜につくられたものです。

「歴史を拓くはじめの家」は「愛に満ちて歴史を拓き、心華やぐ自立を生きる」をテーマに、「自然と出会い、歴史と出会い、自分自身と出会い、そして人びととの出会う場」としてもろさわようこがよびかけ、全国の人びとの自ずからなる拠金によって長野県に建設され、1982年8月1日「家開き」をしました。
無組織・無会費・無規則、かかわりたい人がそのかかわり方・参加のしかたを、自分で考え、自分の責任で物事を行い、営むことを原則として、歳月を重ねてきました。

と『あけもどろ』の扉にあります。
「よみがえりの家」の扉を開けます。正面には教科書無償化をエプロン姿で闘った田村智子さんの写真が、来る人を迎えてくれます。一歩中にはいると、ここがほんとうに人々に愛され、大切にされ、「場」として使われていることを実感します。
ここを訪れた人が記帳をするノートがあります。T橋さんに
「書いたら」
と言われ、名前を書きました。すると、その横にT橋さんが自分たちの名前を書かれ「仲間が一人増えました」と書かれます。「ええ?いいの?」と思うと同時に、なんか背筋が伸びる気がしました。

「よみがえりの家」を出て、近くのお墓へ。朝早くから地元のムラのおばさんたちがお墓の掃除をしておられます。そんな中のひとつに差別戒名が書かれた墓石がありました。生まれてはじめてみる「生の」差別戒名が刻まれた墓石です。そのお墓を、ムラのおばさんはていねいに掃除をしておられます。
差別戒名をつけられてもなお、その先祖のお墓を大切に扱われるおばさんの姿に、さまざまな思いが去来します。

呑んだくれ達の夜・その17

さて、移動開始です。
新幹線に乗ったはいいけど、京都には行かず、岡山で下車。海を渡ります。山を越えます。到着したのはなぜか高知(笑)。
高知駅に着くと、なぜか徳島のお友だち・T橋さんとM本さんがおられます。なんで高知なのに徳島の友だちなんだ?
とりあえずホテルに荷物をおいてひろめ市場へ向かいます。もちろん途中でヘパを買うのは忘れません(笑)。
ひろめ市場でおいしいたたきを食べていると、高知のK村さんとO崎さんが到着。徳島の濃いぃ人々と高知の濃いぃ人々のコラボが実現です。はじめのうちは、軽いジャブの応酬でしたが、そのうちストレートやアッパーやフックが飛び交うすごい飲み会になりました。なんだかんだで話をしていると、あっという間に11時。ひろめ市場閉店の時間です。と、電気が消えはじめました。そうか、放送が入ったら、その後いきなり電気を消すんだ(笑)。
ここで高知の方々とはお別れ。T橋さん・M本さんと3人でフラフラとホテルに向かい、フラフラと部屋に入り、フラフラともう一杯飲んだあたりでダウンです。あしたは大丈夫かなぁ。

死のロード(3日目)・闘いすんで…

全外教の大会も2日目。
分科会が始まる前、子どもたちが交流会でつくった班ごとの寄せ書きを壁に貼ります。参加者は寄せ書きを真剣な面持ちで読んでいます。中には写真をとっている人もいます。
寄せ書きの中には、子どもたちの生の声があり、2日間の成長の跡があります。その成長の場に自分も居あわせたことに、ちょっと誇らしい気がします。
さぁ、今日で今年の大会も終了だ。来年は三重。来年への準備がそのうちはじまるけど、それまでちょっとひと休み…。

「ためにする」でいいんじゃないの?

なぜ自分は交流会にかかわるんだろう?なぜ自分はこどもたちにかかわるんだろう?
もちろん答えは「おもろいから」です。
でも、そのスタートは「〜のためにする」です。
昨日のルーツ別討論で、それぞれの討論班の報告をしている時に、いじめにあっている子どもの話が出てきました。子どもたちは
「とめない先生が悪い」
みたいな話に流れていきます。まぁそれはそうなんですが、そんな話をいくら繰り返しても明るい明日(笑)はこないので、
「先生の悪口言ってもしゃーないし、自分がその子のために何ができるか考えへんか?」
とアドバイスをしてみました。
それに対して、ある教員が
「「誰かためにする」んじゃない。自分は外国人の子どもとかかわることで、自分自身が豊かになっている気がする」
という話をしました。
いや、それはそうなんですが…。
はたしてはじめから「自分が豊かになることをめざして」って、できるのかなぁと思います。というか、はじめからそういうのをめざしたり、あるいはそういう発言が出てくるとしたら、それは「ウソ」が混じっているような気がしてならないんです。
正直、交流会なんてやらなかったら楽です。夜更かしもしないし、飲み過ぎにもならないし(笑)(→違)。
じゃぁなぜやるのかというと、ひとつは、やめてしまうことは、いままでかかわった子どもたちへの裏切り行為になると思うからです。そしてもうひとつは、未だ出会っていない子どもたちと出会うためです。
なんのために?それは、子どもたちのためです。
でも、子どもたちのためにやっていると、いつのまにか、わたしが子どもたちと出会わされていることに気づきます。その時、実は誰よりも自分が豊かになっていることに気づきます。
たぶん、「自分のために」って、そういう「結果として」のことなんじゃないかなぁと思います。
まぁ結果は一緒なんですけどね…。

呑んだくれ達の夜・その16

でも、夜はこれからだったりします。
夜は大人達の交流会です。このころにはダメダメだった体もある程度復活します。これがよくない。ビールがおいしいことを確認して、飲み会開始です。また出てくる料理がおいしい!
考えてみると、昨日からろくなものを食べていません。

  • 19日朝→食べるのを忘れていた
  • 19日昼→バスの車内でコンビニのカツ卵丼
  • 19日夜→交流会会場(少年自然の家)の夕食・冷凍ハンバーグ
  • 20日朝→ 〃 ・冷凍オムレツ
  • 20日昼→ 〃 ・冷凍コロッケ

広島のオモニ達の手づくりの料理を食べて、ようやく人間の食べ物にありついた気がしました。

全外教大会開始!

生徒達の交流会の終わりは、自動的に全国在日外国人教育研究集会のはじまりへと結びつきます。
今日は全体会。その最初は交流会の報告です。30分に渡って子どもたちが話しあった内容を報告します。その内容は、毎年、全体会に参加する教員・保護者達を圧倒します。わたしも報告を聞きながら、2日間の内容を思い出します。「ダメダメ」だった班も、自分たちの討論内容を、無事発表できました。ちょっと涙が出そうになります。
でも、実はダメダメなのはわたしです。
報告の後、子どもたちは解散して、それぞれの場所へともどっていきます。それを見送ったところでパワーが尽きました。

死のロード(2日目)・出会いは可能性へと続く

強烈な寝不足と二日酔い(笑)で交流会2日目がはじまりました。このダメージは、これからの日程を考えるとかなり残りそうです(;_;)
今日は午前に2時間の班別討論の時間があります。昨日の生徒実行委員会のミーティングで、班別討論の状態を聞いていたのですが、
「ぜんぜんダメ」
という班がひとつありました。どうやら話が出ないみたいです。
話が出ない時、その理由はおそらく3つぐらい考えられるんじゃないかと思います。

  1. ほんとうに話がない。
  2. 話はあるんだけど、それを「話」として認識できていない。
  3. 「話」として認識できているけど、それを表現できない。

交流会に来る生徒達は、基本的には2または3です。こうなると、子どもたちの生活実態を知っている引率にしか「掘り起こし」はできません。基本的には班討論の運営は生徒達に委ねていますが、どうしようもない時は当然介入をしていくわけです。「ぜんぜんダメ」と言っていた班のメンバーに、昨日の夜から今朝にかけて、引率教員達がそうとうアプローチをしています。
班別討論が終わった後、リーダーの生徒に
「どうやった?」
と聞くと、昨日の夜の落ち込んだ顔とはうってかわった顔で
「話ができた」
と返事をしてくれました。
どうやら「泣き」が入るほどの話し込みができたようです。
「自分の社会的立場」を認識しないと話ができない。でも、それを認識し、話ができるようになった時、互いの話を出会わせることができるようになります。その出会いは、さらに自分の社会的立場を深く認識することにつながります。そしてその認識の深化は、時として、自分の社会的立場の変革へとつながっていきます。この出会いこそが、交流会の持つ力なんだと思います。
さぁ、今年の交流会も、いよいよ大詰めだ。

疑問の提出だけね

「難しい内容」は、次の話。

なぜ、女性はさまざまな違いを軽々と飛び越えて「おんな」というだけでつながれるのか?

その現実を目の当たりにした時、「わたしは永遠に一人だなぁ」という気がするのです。
そうそう、こんなのもあったなぁ。

たとえ100人がOKと言っても、101人目がNGという可能性を考えて生きる。

これが、わたしにとって安全側に振るということなんですよね。

で、呑んだくれ達の夜更け・その15

交流会のすべての日程が終わるのが10時半。生徒代表者のミーティングが終わるのが11時半。子どもたちを寝かしつけるための努力はそれ以降も延々と続きますが(笑)、12時頃にとりあえずホッと一息つける時が来ます。
で、隠し持った◯ールが出てくる時間です。今回は熊本のお友だちがしこたまビールを持ってきてくれていました。なにせ、キャスターバッグの半分以上がクーラーバッグでしたから(笑)。
ようやくありついた◯ールをグイッと呑むと、身体の細胞の隅々まで◯ールが染み渡ります。ふぅ…。
1時半頃から、今度は隠し持っていたVODKAをジュースで割ってちびりちびりやります。話の内容は、いつのまにか難しい内容へ。内容が頭にまわりはじめた頃には、当然アルコールもまわっているわけで、いつのまにか寝ています。「ふとんで寝ないといけないよ」と友だちに起こされて部屋にもどると、窓の外はしらみはじめていました。やばい…。

「非当事者」がいる意味

この在日外国人生徒交流会に、日本人生徒*1の参加を認めるかどうかについては、そうとう論議がありました。でも、最終的には「それぞれの生徒の引率教員・所属する地域が判断する」ということで決着がつきました。その結果、今回も10人程度の日本人生徒の参加がありました。
この交流会では、ルーツ別討論という時間があり、日本人生徒は「日本」という班に入って討論をします。で、わたしは昨年からそこの班の担当教員になっています。
この交流会に来る日本人の子どもたちの動機はさまざまです。いわゆる「国際交流系・異文化体験系」の子もいれば、朝文研活動をしている子もいます。さらには、外国人の友だちとほんとうに深いつながりをもっている子もいます。
まずは、そういった動機を聞き出しながら、交流会に参加するかぎりは「知る」だけではなく、そこからもう一歩踏み出したつながりをつくるためにはどうしたらいいのか。それを考えるのにまたとない機会だと思います。いや、ふだんも考えられないことはないんだろうけど、やはりそれを「話しあう場」であるということには大きな意味があるだろうと思います。
また「外国人」という大きなくくりでものを考えがちだけど、バスの車中のような経験をすることで、在日外国人自身もひとくくりにできない存在であることも目の当たりにできます。そしてなにより、交流会は、そういうひとりひとりの同年代の在日外国人生徒とつながることができる「場」であるわけです。子どもたちの中では、実は「誰が当事者で誰が当事者でないか」という区別はほとんどないように思います。誰もが「一参加者」。こうした経験を積み重ねることが「共に生きる社会」をつくりだす主体者(のうちのひとつのカテゴリーとしての)としての「日本人」を育てていくことになるんじゃないかなぁと思います。
カテゴリのタイトル「「非当事者」がいる意味」にはそういう意味では相反するふたつの内容があるのかな。ひとつは、「非当事者」がいることの意味を考えると同時に、「実は非当事者はいない」という根本的なちゃぶ台返し的内容があるということになるのかな。

*1:「日本人」の定義はかなり難しいのですが、「国籍が日本」「わかる範囲でのルーツが日本」「本人のアイデンティティが日本」あたりで判断しているのかな。