フラットなのか?

考えてみると、最近1年生の生徒が脇腹をつついて遊ぶんですわ。今日なんか、背筋を上から下までさわって遊びますねん。
掃除監督で廊下に座り込んでいたら、生徒がスリッパを飛ばしてきました。危うくあたりそうになったので「これはあかんで!」と言ったのですが、それはミスだったみたい。生徒もあわてて「ごめん」と言ってくれたから、まぁそれはそれでいいんだけど、まぁこれも遊びの一環みたいです。
よく考えたら、みんなよぅわたしで遊んでますな。まぁそういう距離感なんだろうけど。いいのか悪いのか*1

*1:とか書きながら「いいんだよ」と思っていたりしますがね

こだわりを受けとめるということ

今日〜明日、徳島からお友だちが来られています。てことで、もちろん今晩は「呑み」です。しかも、Pクシルさんというスペシャルゲストもおられます。
で、楽しく呑んではいたのですが…。
途中で、ある人が
帰化をした方が権利の獲得は楽なんじゃないのか?」
ということを、強く主張をしはじめました。
もちろんそれはそうなんですが、そうしない「こだわり」が、その道を選択しない在日の側にあるということが、どうしても理解できないようなんですね。
そうそう、わたしは「オールロマンス事件とオールロマンス行政闘争」あたりの話をしたのですが、これまたうまくかみあわない。「なぜ解放同盟は訂正をしないんですか?」って、そりゃぁ^^;;。
大切なのは、そういうこだわりが自分の思いもよらないところにあり、そのことを学ぶことなんだと思うのですが、そうはならないみたいです。ふぅ…。
あ、「10年後・100年後、こんな世界になってほしいというの、ありますか?」という質問もありました。これもなんか…。
わたしは「求め続けること・変化し続けること」の中に人権というものを見ていて、「これこれこういう世界が到来すればOK」とは思っていないんですよね。そういうのがわかってもらえなかったなぁ。

2次会〜3次会をお友だちのW田さんと過ごして、しばし昔話なんかをしながらクールダウンです。
にしても、けっこうスリリングな夜でしたね。

マイナスのスパイラル

もう担任をしなくなって何年だろう。
かつて担任をしていた頃は、人権学習*1なんて、言いたいことがあふれていて、ひたすらアジテーションをしていた気がします。
そこから人権学習を「つくる側」になって、あまりの温度差に愕然としたんですね。まぁ「暑すぎる*2」側も悪いんだけど(笑)。
はじめのうちは「なんでやらへんねん」と思っていたんだけど、だんだんめんどくさくなってくるんですね。そのうち、「何を話すればいいかわからない」とか言われはじめて、そこで思いついたのが「穴埋めプリント」だったんですね。
「自分だったらこう語るだろう」というのをプリントにして、ところどころに穴をあけておけばすぐに完成します。で、自分の意図と大きくはずれることもない。やる側にしても、一緒に読みあわせをすればOK。まぁ安全です。
でも、こうなるとますます「熱」が奪われていく。すると、聞く側の生徒はおもしろくない。おもしろくないと、教員はますます語るのがしんどくなる。となると、ますます「安全側(楽な側)」へと行く。
こんなスパイラルがあったんじゃないかと、ふと思ったのです。
でも、このスパイラルから脱出するためには、自分自身が「熱」をとりもどさないと、なかなかむずかしいんです。

で、今年、外的な要因から、どうしても真剣に考え直さなくちゃならなくなって、そこからだんだんと自分自身の考えを組みかえていこうという気になってきているんです。
「あきらめる」のはやめよう、と。マイナスのスパイラルは「あきらめ」からはじまるんですね。じゃなくて、きちんと向きあおう。そこから出てくる「熱」は、きっと子どもたちに伝わるはずなんですよね。

*1:当時は同和学習

*2:熱いを通り越すと暑くなる

やっぱり避けて通れない

2学期の人権学習の中で、ある学年は部落問題を扱います。
まぁビデオを見せて、生徒に考えさせたり教員から話をしてもらったりという感じで2時間を過ごすのですが…。
実は、わたしの職場の同和部は、「部落史の見直し」でけっこうその筋(笑)では知られていたりするわけです。もちろん、わたしがやったわけじゃなくて、うちのボスがやったわけなんですけどね。
でも、子どもたちに専門外*1のものが話をできるかというと、けっこうしんどいわけで。なので、5年ほど前までは1年かけて部落史の学習をしていましたが、ここ数年は避けて通っていたんですね。
でも、今年、いろいろいろいろ考えて、やっぱり避けて通れないなぁと。で、どこからアプローチするかと考えて、やっぱり教科書の記述かなぁと。
てことで、家に帰って下の子ども(6年生)の社会科の教科書を貸してもらって読んでみました。

検地と刀狩によって、武士と、百姓・町人(商人や職人)という身分が区別され、武士と町人は城下町に住み、百姓は農村や漁村、山村で農業や漁業、林業などに専念するようになりました。こうして、このころ、武士が支配する社会のしくみが整えられていったのです。
注)百姓 もともとは、一般の人々という意味でした。武士が登場すると、しだいに農業や漁業などを営み、年貢などを納める人々を指すようになりました。そして秀吉の時代に、農民や漁民など、村に住む人々の身分を指す言葉になりました。

人々の暮らしと身分
江戸時代の社会は、支配者である武士をはじめ、百姓や町人など、さまざまな身分の人々によって構成されていました。
武士や町人は、豊臣秀吉の時代から、政治や経済の中心である城下町に集められました。江戸をはじめ、全国につくられた城下町では大名やその家来たちが住む武家地、寺や神社の地域、町人地など、身分ごとに住む場所が決められました。町人地では、町人たちが町という小さな社会にまとまり、商業や手工業、流通、文化など、さまざまな仕事を営みました。都市には、城下町のほか、門前町や港町、宿場町、鉱山町などがありました。
いっぽう、人口の80%以上は、百姓によってしめられました。百姓は、農村や山村、漁村に住み、農業や山仕事、漁業などを営んで、米をはじめとする農産物をつくり、山は海から自然の恵みを得てくらしていました。百姓は、名主(庄屋)とよばれる有力者を中心に、時部tなちで村を運営しました。幕府や藩は、こうした村のまとまりを利用し、また五人組という仕組みをつくらせて、収穫の半分にもなる重い年貢(税)をおさめさせたり、いろいろな力仕事(役)をさせたりしました。
このほか、皇族や公家(貴族)、僧侶や神官などの宗教者、能や歌舞伎をはじめとする役者、絵師、学者、医者など、多くの身分が見られました。また、百姓や町人とは別にきびしく差別されてきた身分の人々もいました。
注)差別されてきた人々 百姓や町人とは別にきびしく差別されてきた身分の人々は、住む場所や身なりを百姓や町人から区別され、村や町の祭への参加をこばまれるなど、きびしい差別のもとにおかれ、幕府や藩も差別を強めました。
これらの人々は、こうした差別の中でも、農業や手工業、芸能を営み、また治安などをになって、社会を支え、伝統的な文化を伝えました。

いやぁ、おどろきました。今さらながらだけど。
ほんとうに細かいところまでていねいに書いてあるんですね。
ただ問題は、これを子どもたちが覚えているかどうかなんだけど…。

*1:例えば、わたしは社会の教員ではない、という程度の意味

原点に返ること

帰りのバイクの上でもずっと考えています。
と、なんとなくわかってきました。
結局、「テーマ」がはっきりして、「教材」がはっきりすると、かえって「なんのためにやるのか」ということを忘れてしまうんですね。テクニックに走ってしまうというか…。
そうだ、なんのためにこのテーマをするのか、なんのためにこの教材を使うのか。なんのために人権学習をするのか。そこに立ち返って考えれば、おのずとなにをしなくちゃならないかがわかってくるはずんですね。
少し光が見えた。

仕事が溜まる

午前中は所用で、ちょいとお休みをいただいて…。
午後から出勤をしたら、やっぱり仕事が溜まっていました。てことで、定時まで仕事に追われて、人権学習の教材づくりはできませんでしたorz。もっとも、頭の片隅でずっと考え続けているんですけどね。

方向がわからん

もういい加減人権学習の教材を提示しなくちゃならないのですが、なんか方向が定まらないんですね。
見せようと思っているビデオはある。ビデオのテーマもわかっている。補足しなくちゃならないことが何かもわかっている。でも、翌週の講演につながらない。
隙間を埋めるために、何をしたらいいんだろう…。

さすがに沈没

昨日の今日ですから、やっぱり朝寝坊。
午後から東九条マダンの会議。行くのしんどいけど、行かなきゃならないのがつらいです。会議の後交流会があったけど、パス。チャプチェ、おいしそうだったけどなぁ。でも、マダンの人たちといろいろ話をしなくちゃならなかったこともあって、行った意味はありましたけどね。
家に帰って晩ご飯を食べて。ビールを呑んだら、ちょっと回復してきていることがわかったのが収穫か(笑)。

カテゴリ

ちなみにセクシュアリティについての話ですが…。
一緒に呑んだ方に
性自認ってどうやったらわかるんですか?」
とか聞かれたので、
「そんなんわかるわけないですよ」
と、いつもながら適当な答えを発してしまいました。まぁそれはそれでいいのですが、セクシュアルオリエンテーションの話になって
「わたし、MTFレズビアンでネコです」
という話をすると、大うけ。
「え〜、わたしタチですよ〜」
「それは珍しい。わたしのまわりはネコばっかりでねぇ」
「え〜、すごい!わたしのまわり、タチばっかりなんです!」
どうやら、ネコのまわりにはネコが集まり、タチのまわりにはタチが集まるらしいです。で、結論は
「合コンしましょう!」
って、どんな会話やねん(笑)。

てな大切な会話もあったわけですが、そのうち
「自分自身のセクシュアリティがよくわからない」
みたいな話になるわけで。
でも、わからなくて当たり前なんじゃないかと思うんですよね。いや、わかる人ももちろんいるんだろうけど…。
自分のセクシュアリティと向かいあって、それについて考えれば考えるほど、自分をある特定のカテゴリにあてはめるのが難しくなるんじゃないかと思うのです。そもそもカテゴリ・ラベルっていうのは、物事を単純化した上で、それに「えいや!」と貼るものなんじゃないかなぁと思います。で、そこに自分をあてはめようとすると、単純化した「器」には入りきらないところが当然出てくる。すると、「このカテゴリには入らない」となり、別のカテゴリを探す。でも、そこでも同じことが起こる。こうして、カテゴリ探しの旅は永遠に続いてしまう。
逆なんだと思うのです。自分の中には「こういうカテゴリとこういうカテゴリとこういうカテゴリがあって、それぞれがこれこれこういうふうに絡みあっていて…」みたいな感じなんじゃないかなぁと思うのです。
例えば、わたしは、基本的には女性に性的指向が向くけど、まったく男性にむかないかというと、そういうわけではない。じゃぁバイセクシュアルかというと、それも違う。おそらくは、バイセクシュアルというよりは、「レズビアン、ごくたまぁにヘテロ」みたいな感じ?
カテゴリとカテゴリは、概念としては排他的かもしれないけど、実際にはそれらをオーバーラップしながらわたしたちは生きていると考えてもいいんじゃないかなぁと思うのですが…。