どんだけ呑むねん

で、「夜の街」へゴー。
なんでも主催者の方のいきつけの居酒屋で、すごく安くて融通が利くらしいです。
気がつくと、30人ぐらいの大宴会です。目の前には刺身の皿があるわ、カニがあるわ。もう、えらい御馳走です。宍粟の方が向かい側におられて、
「これ、呑む?」
と日本酒を出されます。黄金色に輝くお酒です。一口飲んで
「うまい!」
と言うと
「じゃぁもう一本」
って、ええんか?
おいしい食べ物とおいしいお酒、なによりおいしい仲間に囲まれて呑むのは最高ですね。

そうそう。ある部落の高校生*1から
「女の友だちから「女の人が好きな自分を変態と思う?」と言われたんだけど、どう返したらいいんでしょうか?」
と相談を受けました。
その子、精一杯受けとめているんだけど、それをどう表現していいのかわからないみたい。
別に「公式」はないけど、でも、「あなたと会えてよかった」というオーラがあふれるように出てくることが一番大切なんだと思うんですよね。なので、そんな感じのことをつらつらと酔っぱらった頭で返しました。
にしても、酔っぱらい相手にちゃんと話を聞くって、よくできた子だなぁ…。

気がついたら、1時。さすがにお開きです。って、この店、何時までやってるんだ?

*1:もちろんノンアルコール

出たとこ勝負

今日は米子でお座敷です。
てことで、お座敷の開始は7時なのに、なぜか朝からスタート。
米子に到着直前に主催者の方にメールを打つと
「すでに徳島組は到着している」
との返事。いや、だからなんで米子なのに徳島の人が来るわけ(笑)?
で、無事主催者&徳島メンバーと合流。
「お昼ご飯を食べに行きましょう」
「どこまで?」
「島根」
「へ?」
島根は小さな山の向こうにありました。
当然ここでおいしいランチ&燃料補給です。すでに、若干テンションが高めです。大丈夫かなぁ。

ところで、道中、米子にニューハーフをしている知りあいがいることを思い出しました。で、メールを打ったら
「会ましょう」
ということになりました。久しぶりにあった彼女、けっこう疲れていました。やっぱり激務なんですよね。なんでも、「夜の仕事&昼のダンスレッスン」という生活をしているとか。約1年いるけど、ほとんど知りあいもいないみたいです。そりゃ、知りあいをつくるヒマもないでしょうねぇ。たいへんだよなぁ。
2時間ほどいろんな話をして、それぞれ仕事(笑)があるので、いったんバイバイです。

で、お座敷の会場へ。
なんでも300人はいるホールだそうです。しかも、当然のことながら動員なし。ただ、メチャクチャ顔の広い主催者の方が、ほうぼうにビラをまきまくって、電話をかけまくってしたらしいです。徳島の人はもちろん、八頭の人とか滋賀の人とか(笑)兵庫の人とか、けっこうあちこちから「行くよ」という返事が来たとか。どないなってんねん。
で、お座敷開始。
ホールには200人ぐらいおられます。これはえらいこってす。
でも、みなさんしゃべりやすい感じ。適度な笑い声が心地よいです。こういう時は、えてしていらん話をしてしまうものです。まぁ、広報誌には開始時刻は書いてあったけど、終了時刻はあえて書いていなかったらしいので、多少の延長はかまわないとか。
てことで、多少延長させていただいて、まぁだいたい無事終了。
いやぁ…。なんかテンション高い自分です。

「10年遅かった」の意味とか

考えてみると、大学生の頃から
「10年遅く生まれたよなぁ」
と、友だちとよく話をしていました。10年前なら学生運動もさかんだったし、まだまだ「混沌」という言葉があてはまる時代でした。
で、そんな学生運動をやっていた人たちが、自分の生産点で活動をはじめる中で、みなさん当然のように部落解放運動とか在日朝鮮人の問題とかにとりくむわけです。で、さまざまな実践を手探りの中からつくっていかれた。
で、わたしはその「学生運動」が埋め火のようになっている時が大学時代なんですよね。学生運動の経験をもたないままに、在日の子たちとか部落の子たちとかかわるようになっていきます。でも、その時すでに先達達ははるかに先を行っておられるわけです。まぁ言ってみると、ひたすらその後を追いかける感じ?
で、いまや10年年上の人たちは退職の時代になります。しかも、みなさん早期退職をしていかれる。
身体も無茶ができなくなってきたし、なによりも、この閉塞した状況の中で「もう、希望はない」と言われます。
それはよくわかります。
最近「フリーハンド」で絵が描けなくなってきています。
曰く「自由に絵を描いていいけど、道具はこれとこれとこれとこれを使いなさい」みたいな。さらに言うと「テーマはこれだから自由に絵を描いてね」みたいな」。それって、自由じゃない(笑)。
先輩達はフリーハンドで絵を描いてきたからこそさまざまなとりくみができた「あの頃」を知っているがゆえに、今の時代はとても窮屈なんだと思います。それは、わたしも同じです。もっとも、「フリーハンドの時代」の最後をちょこっと知っているだけですがね。
でもね。
今の状況がほんとうにきついのは百の承知です。でも、だからこそ、その中でもやらないといけないとも思っています。状況は「フリーハンド」の時代よりも、ある意味悪化しています。だからこそ、やらなきゃならないことがある。そう、10年下のわたしは思うわけです。
今朝携帯を開くと、外川さんからメールが入っていました。
なんでも体調を少し崩されていて、休まなきゃならないとのこと。昨日控え室で「無理せんと休んで下さい」と言ってはいたのですが…。
でも、実は休んでいる外川さんは外川さんらしくないんですよね(笑)。なので、返事は定番のこれでした。

こんなこといつまでも
長くは続かない
いい加減明日のこと、
考えた方がいい。
どうしたんだ!ヘヘーベェベー
お前までそんなこと言うの
いつものように決めて
ぶっ飛ばそうぜ!

この歌を自分にも向けつつね。

で、まんまるの会

講演が終わったら、とりあえずいったん家に帰って電車に乗って大阪へ。夜は、まんまるの会です。
まぁ2月も半ばを過ぎているけど、今日は新年会。ふだんは1部・2部とやっていますが、せっかくの新年会なので最初から居酒屋で呑みです。
遅刻して会場に着いたら、世話人のみなさんは深刻な顔をしているし、参加者のみなさんは盛りあがっているし(笑)。まぁいつもの「まんまるの会」ですね。
わたしはというと、ある方から「GIDってなんですか?」とかいう、ほとんどビーンボールのような球を投げられて、思わず熱く語ってしまっていました(笑)。
9時過ぎにお店を出て、そのまま「2次会!」とかわめているヤツがいるので、「王将」へ(笑)。餃子セット*1を頼んで満足満足。
でも、冷静な人が「いつきさん、終電に間にあいませんよ」とタイムキープをしてくれるのがうれしいいです。おかげさまで、ちゃんと家に帰れました(笑)。

*1:餃子2人前とかに玉とライスがついている

熱き心に

今日は午後から某人権教育関係の研究会の研修会です。今日の目玉は外川正明さんの講演。
外川さんとはじめてお会いしたのはいつの頃だろう。もう、かれこれ10年ほどになりますか。なんか、やたら知識と経験が豊富で、さらに状況の読みも深くて、「すごい人だなぁ」と思ったのが最初の印象でした。で、わたしが一方的に知っているだけのはずだったのですが、外川さんも、実はわたしのことをご存じだったみたいです。どうやら幾度か出したことのあるわたしの実践記録を読んで下さっていたみたいなんですね。で、あちらはあちらで「一生懸命やってる人だ」と思って下さっていたみたいです。で、いつのまにか親しくおつきあいをさせていただいているという…。
4時間目の授業を終えて、そっこう職場を出ます。で、京都府中部の小さな町まで移動。会場に到着すると、すでに会そのものははじまっています。でも、外川さんは控え室で、京都解放研の事務局長と談笑中です*1。わたしもお弁当を広げて聞かせてもらうことにします。
まぁお二人の話の詳細はおいといて、つくづく思ったのが「生まれてくるのが10年遅かったなぁ」ということです。
で、講演開始。
基本的には「若い人に同和教育の財産を引き継ぎたい」というスタンスの話です。なので、「知識」としてはいまさらな話になります。
でもね、その「いまさらな話」が、深く心の届いてくるんですよね。日常の挫折感とか、あきらめ感とかの中で、いつの間にか「まぁいいや」と思ってやり過ごしてきたことを、再び思い出させてくれる話なんですね。「そうだよなぁ」「そうだったよなぁ」という思いが自分の中からわき出てきます。
気がついたら、涙が出ていました。てか、まわりの人見たら、泣いてる人がかなりいました。
さあ、この涙を自分のものだけにするんじゃなくて、明日へどうつなげていくかが本当に大切なことなんですよね。

にしても、最後のあいさつが「熱い話をありがとう」ってどうよ。ピッタリですがな。わたしも最後に力を入れて話をしている外川さんの横に、ふと森口健司さんの顔が見えた気がしたのですが(笑)。
あ〜、暑かった。

*1:「だんしょう」で最初に「男娼」が出てくるのって、高校数学教員のパソコンか(笑)?

今日も留守番

なんだか今日もパートナーは忙しいみたいです。まぁいつもわたしが夜ほっつき歩いているので、たまにはパートナーにも遊んでいただかないととは思っていますから、まったく問題はないのですが…。ただ、ひとつ懸念があるのが、時間の読みができない見たいなんですよね。もう少し言うならば「ハードディスク80%の法則(だっけ)」みたいなもので、時間に余裕を見て動こうとしても、最後のところでやたらつまってしまうみたいです。
というのはおいといて…。
昨日おからの料理が好評だったので、今日もおからで攻めようかと。というか、昨日、一袋100円だったので、つい2袋・800gも買ってしまったんですよね。なので、食べないともったいないわけで。

  • おからのもちもちナゲット

おからと同量のお豆腐と、2/3の片栗粉、1/3のパン粉、そこに塩こしょうというのが標準のようです。もっともわたしはいつもの通り目分量ですけどね(笑)。で、これをミニハンバーグぐらいの大きさ*1にして、フライパンに少し多めに油を敷いて、ふたをして蒸し焼きにするわけです。
あとは、この「ナゲット」に自分の好きなものを混ぜ込めばOKです。
わたしは今回はとろけるチーズをブレンドして、さらにそこにコーンを混ぜ込んだものと、キャベツのみじん切りを混ぜ込んだものの2種類をつくりました。
コーンを混ぜた方は、どちらかというとモッチリした感じかな。キャベツの方はサクサクです。
子どもたち曰く「お好み焼きつくったんか?」「ソースつけるのか?」いや、ちゃうんですけど。でもまぁ、何をつけてもいいんですよ。
にしても、おからが100円弱、豆腐が33円。具材は冷蔵庫の中にあったものを使ったので、材料費は3人で200円ぐらいですか。これでお腹がいっぱいになるので、なんともお得ですねぇ。えらいぞ!おから!

*1:でなくてもいいですけど

たまには留守番でも(笑)

今日は職場は「特殊業務」の日でした。こういう日は、実は楽だったりします。いや、担当の人とか役つきの人はきっとたいへんなんでしょうが、わたしみたいな「ヒラ」は楽なんですね。まぁちょっと朝が早いですけどね。
てことで、朝早かった分だけ夕方早く帰らせてもらって、と。

今日の夜はパートナーがおでかけ。なにやら急遽舞い込んできた仕事*1が入ったみたいです。
家に帰ったら、なにやらあちこちと連絡をとりあっています。忙しそうだなぁ(棒読み)。
てことで、パートナーが出ていったところで、まずは犬の散歩。寒い〜。
続いて、晩ご飯の支度。
今日はふと思い立って、おからづくしで攻めてみることにしました。

  • おからのチキンナゲット

鶏のムネ肉1枚をみじん切り。玉ねぎ半分もみじん切り。ジャガイモ小1個をおろす。おからはそのままで250gぐらい。卵を1個割り入れる。で、グチャグチャに混ぜる。
味つけは塩・コショウ・ナツメグオールスパイス)かな。
固さを見ながらコーンスターチ(片栗粉)を入れる。
フライパンに多めの油を入れて揚げる。

ささがきゴボウ、ニンジンの千切り、キクラゲ、玉ねぎのスライス。ここにおからを放り込む。だいたい200gぐらいかな。卵を1個割り入れる。で、グチャグチャに混ぜる。
味つけはダシ、塩、砂糖かな。固さを見ながら小麦粉を少々。
で、揚げる。

両方とも全然油を吸わないみたいで、メチャクチャ軽い味になります。すごいヘルシー。最近体重を木にした下の子どもも、現在ダイエット中の上の子どもも、かなり喜んでいました。
よかったよかった。

*1:趣味と言ったらパートナーに怒られる。

お散歩

昨日の朝、A久◯さんから
金泰九さん東九条を案内したいんだけど、どこに行けばいい?」
という連絡があって、つい
「どうせ明日はあいてるし、案内しよか?」
と答えてしまっていたという…。でも、金泰九さんを案内できるって、考えたみたらすごい機会だし、やっぱり気合いが入ります。
てことで、今日は朝からお散歩です。
とりあえず、今回はさまざまな施策がなされている「北側」から入っていくことにしました。柳原銀行資料館の前で、聞きかじりの部落史*1を話をしてみました。にしても、いつ行っても、周辺とのギャップに、なんとも言えないものを感じますねぇ。
で、そこからいよいよ八条通りへ。
八条通りの真ん中に立って、北と南を見渡しながら、「金さんの「街」」のありようを感じてもらいます。金さんの顔がこわばっていくのがわかります。正直言ってしんどかったのですが、でも、これを知ってもらわないと、「東九条がなぜここにあるのか」ということがわかってもらえません。
続いて「ひかり公園」に行って、これまた聞きかじりの「オールロマンス事件とオールロマンス行政闘争」の話を軽くします。その後、いよいよ東九条の街中をうろつきます。マンモス団地とかパッチギ橋とかを経て、40番地の跡地へ。ちょうど向こうから東九条マダンのメンバーが来たのであいさつ。若い同胞の姿に、金さんの顔がゆるみます。うんうん、これが東九条にはあるんですよ。
厳しい現実がありながらも、でもその中で精一杯楽しみながら運動をしている朝鮮人と日本人がいる。それこそが東九条の魅力なんだと、わたしは思います。
40番地の跡地を見た後は、マダンセンターに行って、当時の写真を見ます。ちょうど東九条マダンのメンバーもいたので、自治会活動をしていた朴哲さんに説明をしてもらいます。
たぶん、金さん、もうこのあたりで「お腹いっぱい」になっているんじゃないかなぁ。でも、シャワーのように東九条の空気を浴びてほしいなぁと思いました。

で、近くの食堂へ。ここ、ウリマルが飛び交う食堂なんですよね。ここでいっぱい食べて、ちょこっと呑んで(笑)、お次は同志社大学へ。尹東柱の碑を見に行きます。
ジッと碑を見つめられる金さんの心になにがあったのかは、やはりわたしにはわかりません。でも、「行きたい」と言われたその奥に「なにものか」があることはわかります。

ここで最後に記念写真を撮って解散です。
食堂でごはんを食べながら
「ありがとう」
と言われたのですが、こういう時間を与えてもらった金さんに、わたしのほうこそ
「ありがとう」
でした*2

帰りに寄った古本屋では父親の名前を見つけるし、なかなか有意義な半日でした。
さぁ、今日の晩ご飯はわたしがつくる番ですわ。その前に一眠りしてがんばろうかな。

*1:部落内の貧富の差とか、融和運動とかなんとか

*2:さらに昼ご飯、おごってもらったし。