今日は本番。Tシャツにもこだわりましょう。
「誇」Tシャツです。堀池の青年部の人々からもらったものです。
自分に誇りを
友に誇りを
自分の生まれた故郷に誇りを
みんなが思えるそんな世の中を
って書いてあります。
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今日は本番。Tシャツにもこだわりましょう。
「誇」Tシャツです。堀池の青年部の人々からもらったものです。
自分に誇りを
友に誇りを
自分の生まれた故郷に誇りを
みんなが思えるそんな世の中を
って書いてあります。
おとつい台本があがってキャストとスタッフに配布。きのうがいきなり立ち稽古。でも動きと立ち位置をチェックしただけです。今日が音響・照明をあわせる唯一のチャンスです。てことは、当然昼の間に音をつくらなくちゃならない。どないすんねん。できれば
「ここでこれくるか!」
みたいな感じにしたいんですけど、ストックがありません。どころか、台本を見渡して、どこに音を入れるかが思いつかない。かなり事態は深刻です。
とりあえず、音をはめられるところからはめていきます。過去芝居に使った音も聞きながら、すこしずつはまっていきます。たまにすごく音質が悪いのもありますが、そういうのはイコライザーを使って修正。根本的な解決にはならないけど、まぁ「っぽい」感じになればいいわけで。
てことで、なんとか午前のうちに音づくり完了。CDに焼くのがめんどくさいので、今年はパソコンから音を出しますか。
仮にTさんという人がいることにしましょうか。
この仮称Tさん、ある意味、かつてのわたしとすごく似ているんですよね。
わたしにはすごく尊敬する先輩教員が何人かいます。そのうちのひとりの方とチームを組んで仕事を一緒にすることになりました。ところがこの先輩、実践面においても理論面においてもすごいものを持っておられます。目標にするにはあまりにも大きすぎる。かといって、
「自分は自分のスタンスで」
というには、その影響力がまた大きい。
自分のスタンスを変えて仕事にとりくみはじめるんだけど、そうなると自分のパフォーマンスが出し切れない。必然的に、わたしへの先輩の評価が下がる。ところがこの「評価」というヤツがクセモノで、他の人からの評価だったら
「フン!」
とか言っていられるんだけど、この先輩からのそれだとそうはいかないんです。なんとかしようと思うんだけど、自分のスタンスでやっていないからうまくいかない。あとはマイナスのスパイラルですね。うまくいかないことが自分自身の自分自身への評価を押し下げていきます。いわゆる「セルフエスティームの低下」ってヤツです。
結局わたしの場合は、「心」を閉ざして、「仕事のつきあい」というふうに割り切ってしまうことで切り抜けることにしました。でも、そのせいで、例えばちょっとした世間話ができない、ちょっとした息抜きができないとか、そしてなによりもその先輩の人間性とふれあうことができないという、まぁなんとも奇妙な数年間を過ごすことになりましたがね。
で、おそらくはその原因は、ひとことものすごく簡単な言葉で表現するならば、「依存」というものだったんだろうなと思います。そうなってしまったのは、最初のボタンの掛け違えみたいなところにあったんだと思います。「ボタンの掛け違え」というのはたぶんその通りで、ボタン穴とボタンの双方の「ズレ」が原因だったということです。
まぁ以上のことは、とても簡略化した話であって、それ以外にもいろいろいろいろいろいろいろいろ、山のようにいろんなことがあったんですけどね。
仮称Tさんとわたしが似ていると思ったのは、単にわたしの思いこみかもしれません。でも、もしもどこかで「あたり」にかすっているなら、まぁ今の状況を変えることも可能だし、克服することも可能だし、「やり過ごすこと」も可能だということです。
実は昨日そんなことを話していたわけですが、職場の帰りだったので車。ビールが飲めないのが残念でしたねぇ…。
芝居をつくる時、プロってどこからアプローチをするんでしょう。
わたしの場合はアマチュアどころか素人ですから、単なる思いつきからスタートをするわけで、その「思いつき*1」が浮かばないかぎり、一文字たりとも書けないわけです。もっとも、プランが浮かんでも、そこから「書く」という作業に移るには、またそれなりの「なにものか」が必要なんですけどね。
で、わたしの場合は「思いつき」にいたる過程で最初に出てくるのが「音」なんですね。街で流れている曲。ラジオから聞こえてくる曲。そんなものに触れた時に、「あ、これ」と思って、そこからスタートすることがほとんどなんです。
ところが今年はそういうのがないんです。考えてみると、一日の中で音楽に触れる時間がほとんどありません。必然的に「あ」と思うこともないわけで。
てことで、今日はじめておこなった立ち稽古、音がありません。でも、本番はあさって、いったいどないすんねん。
*1:これが「小ネタの神様」
今日は帰りに友だちの家に寄ってみました。この間、心の片隅に棘のように引っかかっていることを、やっぱりしゃべらないではいられません。
ちょうど別の用事があったので、
「行くわ」
とメールをしたら
「どうぞ」
との返事。
家に行って用事を済ませて…。でも向こうもやっぱり心の中に棘があったみたいで、知らず知らず、話はその方向へといきます。メチャクチャ暑い部屋。扇風機がブンブン音を立てる中で、しみじみと熱く語りあうこんな風景の中で、わたしは30年近く前にタイムスリップしそうな気がしましたね。
足りないのはビールだけか…。
今年も例年通り、教職員劇の台本担当になってしまっていました。別に誰が決めたわけでもなく、なのになんとなくそういうふうになってしまうのは、いったいなんなんだとは思うのですが、まぁしゃーないです。
で、7月頃からずっと小骨が喉に刺さったような感じが続いていて、8月20日ぐらいからは、餅が喉に詰まったような感じが続いていて、8月25日ぐらいからは窒息しそうな感じだったのです。でも、「小ネタの神様」が降りてこないことにはどうしようもありません。で、延々と待っていたのですが、やっと昨晩降りてきました。
てことで、今日台本が完成しました。
あとは演出担当がひねりを加えて、芝居は完成します。やれやれ…。
とはいえ、今度は「音」やなぁ…。
燃えさかる空を見て、ふと気がつきました。
大切なのは語ることじゃない。黙って隣に座って、燃えさかる空を一緒に見続けることなんだ。
ごめん…
あるブログを読んでいたら
「みんなが思っていることをふと言える環境をどうやってつくるのか」
と書いてありました。
これ、たぶん教員にとっての永遠のテーマでしょうね。
もっとも、クラスだったら40人もいるので、まぁ「あわないヤツ」がいても、「あうヤツ」をひとりぐらいは見つけられるかもしれません。でも、例えばクラブだったらもっと少人数。そうすると、やっぱり「ふと言える環境」がないと、やっぱりしんどい。というか、もしかしたらクラブが崩壊することすらあるかもしれません。
いろいろ考えているうちに、ふと昔書いた文章を思い出しました。https://blog.ituki-d.net/resource/tusin.txtです。時間がないのでテキストファイルのままアップしてあります。まぁなんのヒントにもならない文章ですがね。
ただ、「解題」をするならば、リーダーとメンバーの距離感が大切だというのが、わたしの持論なんです。
よくあるパターンは、リーダーがズブズブにメンバーの中に入ってしまっている。こうなると、メンバー同士の関係を見ることができなくなります。かといって、完全に離れてしまうと、メンバーは仲間に入れてくれなくなります。ちょうどいい距離は、メンバーのほんの少し外側。メンバーはリーダーの存在を意識してくれるし、しかもメンバー同士の関係を冷静に見ることができます。
それと、先輩教員から言われていたことだけど
100の無駄なことを話すことで、ひとつの大切なことが話せるようになる。
ということです。
ついつい教員って、「大切なこと」だけを話そうと思うんですよね。でも、「大切なこと」はふだんの雑多なつきあいがあるからこそ相手に届くわけです。でも、その時間と労力をかけることを、日常の忙しさにかまけて忘れてしまうことがよくあるんですよね。で、忘れた時に限って…。まぁやめとこ。
家に帰ると、上の子どものお友だちが来ています。みんなで一緒に晩ご飯。ダメダメなわたしでしたが、ここはおとなしく食べることにしましょう。とは思ったけど、ちょっと食べたらすぐにダウン。