で、GID学会・1日目

昨日合宿所に着いたのが5時半。それからビールをもう一杯だけ飲んで、寝たのは6時頃。目が覚めたら9時。
「どうするねん」
と思いながら、とりあえず会場に向かいます。
ふらふらになりながらとりあえず受付。ヒョイと見ると、参加費に「8000円」と書いてあります。ん〜、かなり迷ったけど、いちおう当事者ということにしてしまいました。あ〜。
で、ロビーにあったテレビを見ると、すでに「会長講演」がはじまっています。途中で入るのもなになんで、そのままロビーでダラダラ過ごします。なんか、この時点で今回のGID学会への態度が決まった気がします。

で、プログラムの方は休みなく「GID診療の健康保険適用について」がはじまっています。でも、これ、お昼時ですがな…。
と、そこにO田さんとM橋さん@jaseがおられます。なんとなくそのまま食事をしに行くことにしました。
店に入って、とりあえず
「Bールありますか?」
と聞くと、ジョッキはないとか。思わず却下です。で行き着いたのがパスタ屋さん。この店、けっこう正解でした。パスタとピザをつつきながらBールを呑んで、ふたたび会場にもどります。この時点で、聞きたかった「一般演題1」を逃しています。

でもなんとか「一般演題2」には間にあって聞きはじめるのですが、なんかイマイチ発表が頭に入ってきません。なんでだろう…。会場を出ようかと思ったその時、向こうから来られたのはH優子さんです*1
H「セックスワーカー、聞かないの?」
い「あ、行きます行きます」
てことで、SWASHの発表を聞きます。おもしろいけど、やっぱり頭に入ってこないOπ

続いて、今日一番楽しみにしている「DSM5案の診断基準に見られるGID概念の将来」です。
まずは中根drが歴史的な動きをまとめられます。ふむ。コンパクト。ふむ。ふむ。と、突然眠気が…。
続いてH優子さんです。「さぁ聞くぞ!」と集中した瞬間、Hさんの声が子守歌のように聞こえてきて、気を失いました(笑)。目が覚めると、順子姐さんが登壇されるところでした。しまった。と、隣を見ると、K西医科大学のY田さんも寝ています(笑)。
順子姐さんの
「今日日の学生は、性同一性障害は病気ではなく個性だと思っている*2
という報告はおもしろかったですね。なるほどなぁ。
まぁ、いままで「脱病気vs病気」という感じだったのを「脱精神医療」へと持っていったことで、かなりクリアになる気はしますね。でもその一方、完全に「精神的領域の治療」をなくしてしまうと、それはそれでかなりヤバイ気もするし。

で、最後に「特例法の現状と問題点」です。このあたりで完全に目が覚めてきました^^;;。
康さんの出されたデータを見て、予想していたとはいえビックリです。若年層FTMのスピードの速さです。猛烈な勢いで書類上の性別変更まで持って行ってしまいます。もしかしたら、「書類上の性別変更」がGIDのスタートラインなのか?ぐらいな感じです。
渡邉さんのドイツの違憲判決の発表もおもしろかったですね。ドイツではかなりハードルの高い要件が設定されているものの、GID概念の変化とともに、個別の事例については違憲判決が出て覆っていくこともあるようです。このあたり、日本の最高裁とはまったくシステムというか考え方が違うみたいですね。

てことで、1日目終了。結局まともに聞いたの半分くらいかOπ

*1:「あずま」ではありません(笑)

*2:意訳

で、懇親会

で、月島に移動して懇親会です。とりあえず「2次会コース」で9時45分〜11時45分。ビール→ワインと呑みはじめます。当然話の内容は映画の話とか、次回以降の上映会の話になるわけですが、もう一個、あしたからはじまる「GID学会」にも及びます。なんだかんだと話をしているうちに、あっという間に2時間が経過。でも、ぜんぜん足りていないUITトリオとかO島さんがいるわけで。さらに、某K西医科大学のO田さんも最後の方に合流です。
てことで、お店に
「残留させろ」
とお願い。席は変わったものの、無事残留できました。もちろん、
「ぜったいヤバイ」
と思われた聡明な人は帰られたわけですが…。
で、結局5時頃までなんだかんだと呑み。店を出ると、すでに明るいです。
さて、どうするかな…。まぁO島さんと合宿か(笑)。

で、謎の上映会

その後谷川さんと一緒に電車に乗って、京都駅で別れます。まぁ電車の中の話は、いろいろディープでしたけどね。で、わたしは新幹線に乗って移動。到着したのは江東区です。
今日は「coming out story」の正式版の上映会です。とはいえ、バージョンはふたつあるとか。今日はwetバージョンかな。
会場に到着したら、交流会をやっておられます。顔ぶれを見ると、
「ありゃまぁ!」
という感じの人が何人か。いやぁ会えてよかったです。
で、しばしセッティングをして上映開始。
基本的には45分バージョンと同じ流れですが、最大の違いはA久◯さんの登場シーンがガッツリあることです(って、それかい!)。
それにしても、上映直後のみなさんの反応は、前回もそうでしたが、「沈黙」なんですね。いったいなんでなんだろう。たぶん単純に「暗い」という話ではないような気もしますが…。もっとも、映画のことを忘れたようにだベルよりははるかにいい反応だと思いますが…。

人権学習

てことで、今日は3学年一斉の人権学習です。1時間目と2時間目があいていたので、ここでいろいろ仕込みをします。で、3・4時間目に授業をして、ここから一気になだれこみます。特に2年生の1学期は部落問題についての講演。今年の講師は昨年と同じく谷川栄一さんです。
それにしても、うちの生徒たち、人権学習の講師については、ほんとうに幸せだと思います。1年生は具志アンデルソン飛雄馬さん、2年生は谷川栄一さんで、3年生は中倉茂樹さんです。かなり豪華としかいいようがないですよね。

谷川さんの講演は、ある意味とりとめがないんですよね。メインテーマがどこにあるか、あまりはっきりしていない。でも、それこそが魅力なんです。
つまり、ひとりの人間の生い立ちは一本の道であらわされるものではなくて、さまざまに寄り道をしながら、いろんなことが重なりあって、今に至るんじゃないかと思います。そして、その複合的な結果「今やっていること」にいたります。なんというか、「これがあったからこうなった」ではない。それがおもしろい。
だから、もしかしたら生徒たちにとってわかりにくいかもしれない。でも、それを越して谷川さんの話には魅力があります。その魅力を引き出すのは、実はわたしたちの仕事なんだと思います。
月曜日の授業で
「いやぁ、谷川さんの話聞いたけどなぁ、わたしは◯◯と思ったわぁ」
と生徒の前でふとした感想を言うことで、子どもたちになにかが伝わると思うんですよね。

講演が終わってから小部屋でふたりで話をしていると、やんちゃ坊主がやってきました。
坊「バイク、なに乗ってるんですか?」
谷「スカイウェーブ」
とたんにやんちゃ坊主の目が輝きます。
坊「やっぱり改造してるんですか」
谷「うん、◯万円ぐらいかかってるよ」
坊「チームとか入ってるんですか?」
谷「30過ぎてチームはいってたら恥ずかしいやんか。でも、ツーリングチームには入ってるよ」
坊「オレも将来スカイウェーブ乗りたいんです」

もう、やんちゃ坊主、キラキラしています。まぁそんなもんですわ(笑)。

企画側

うちの職場の人権学習、基本的には担任さんがそれぞれのクラスでやるスタイルです。わたしが着任した頃は
「話す内容に違いがあったらまずい」
という名目で、人権担当*1が体育館で講義をしていたみたいですが、わたしが担任をしはじめた頃に、「自分のクラスで自分が好きなようにやる」というスタイルに変わっていきました。というよりも、当時の先輩の「命」を受けて、わたしが切り込み隊長でそういうスタイルをやっていったんですけどね(笑)。で、その後20数年間、そのスタイルでやっているわけです。
ただ、わたしが担任をしていた頃と大きく変わったことがあります。それは、「好きなようにやる」人が減ったということです。

かつて自分が担任をしていた頃って、人権担当の人がいうのは
「自分を語れ」
のひとことでした。なので、必死で自分を掘り下げて、自分の中から言葉を見つけて、自分の言葉で生徒たちに語っていました。でも、それがわたしにとってはとてもよかったと思います。なぜなら、わたしのクラスでは、わたしにしかできない授業が展開できる。それは隣のクラスも同じ。そういうのが、実は大切なんだと思います。
昨日の講師の話を借りれば
「経験的に蓄積した差別観念に対して、知識で対応しようとするとミスマッチを起こす」
ということになるのでしょうか。
もちろんみんなでいろいろ探してきて「共通教材」を使ったりすることもあるんですが、その料理法はそれぞれにまかされていました。

ところが、現在は全クラスが同じ教材を使います。しかも、ワークシート。そして、解説・解答付きです。これはなぁ…。
でも、そういうふうにしてきたのもまた、わたしなんですよね。
自分が担任をしていたら、隣の担任とフラットな関係で情報交換できるのですが、「企画側」になると、そうはいかなくなるんですね。いろんな人がいろんなことを言ってくる。なので、リファレンスみたいなのを出してしまったんです。これがいけなかった。去年出したものは今年も使わざるを得ません。こうやって、膨大な量の印刷をしなくちゃならなくなってしまうという。

こういう状況を、「企画する側」としてはなんとかしたいと思うのですが、まわりはじめた歯車のまわり方は、そう簡単には変わりません。
てことで、「やる側」もしんどいけど、「企画する側」はかなり前から気が重いという話です。

*1:当時の同和部

やっと一息

考えてみると、先週中頃から中間試験。試験中は基本的にはヒマなはずなんですが、なぜか出張が山のように入っていました。ということは、当然採点ができない。しかも、土日が玖伊屋。採点なんてできるわけがない。
てことで、採点の祭典は金曜日の遅くにようやくやったという状況。
あけて月曜日はけっこう授業や会議が詰まっている日。あっという間に一日が過ぎます。てことで、雑務はできず。火曜日は本来出張日なので出張のない日は結構仕事ができる非難ですが、今週は遠足だったんで、これまた雑務はできず。昨日は教職員の人権教育研修会で、その事前準備とかなんとかで、あっという間に一日過ぎて、結局それにかかり切り。
今日は今日で、明日の全学年一斉人権学習の資料の印刷((1年・3年各8クラスに対して、A4の資料がそれぞれ7〜8枚あります。なので、合計5000枚近くの印刷をしました。これだけで2〜3時間かかるというものです。
てことで、今日の午後ちょい遅めになって、ようやく一息です。
さて、いろいろ気になっていたメールに返事をしたり、なんだかんだと優先順位を下げていたことを処理しようかな。
ふぅ…。

さて、あしたは人権学習か。

ある変化

今日の校門の立ち番。みなさん、なにやら手持ち無沙汰な感じです。というか、手のやり場に困っておられます。
なるほど、昨日の研修会で講師の方が言われた
「校門で おはよう言ってる 仁王立ち」
の影響やな(笑)。

人権教育研修会

今日はうちの職場の人権教育研修会です。講師は磯野雅治さんです。テーマは「人権教育をどうすすめるか」。
とかく「人権教育」というと、「人権についての教育」=「特設の人権学習」となってしまいがちです。でも、実際には学校教育*1全体に位置づけられるものだと、わたしは常々思っています。具体的には、それぞれの授業、行事、クラブ、掃除などはもちろん、カリキュラムのつくりかたなど、学校運営にかかわること。さらには、休み時間の子どもたちとの会話など、隠れたカリキュラムの中にも人権教育は存在すると思っています。それをどう意識化していくのか。このあたりがとても大切な気がしています。
で、今回磯野さんにはそういう話をしていただこうと思い、講演をしていただきました。
わずか1時間ほどの時間だったけど、かなり盛りだくさんな内容でした。
キーワードになる言葉もいくつかいただきました。「人権教育のベースは自尊感情を育てること」「自尊感情は教室で育つ(学級づくりの重要性)」「「知識の教え込み」型人権学習の変革」「否定語や「ねばならない」で語る人権教育を超える(肯定語で語る人権教育)」。
いずれも、「そうそうそう!」と納得できる言葉でした。

ところで、途中で「教師として自分のいいところを3つあげてみましょう」というお題が出されて、あてられてしまいました。で、わたしの答え。

  1. 笑顔
  2. 声が小さい
  3. 腕力がない

まぁそんなもんですわ。

*1:と、ここでは狭くくくります

これも仕事

今日は年1回の遠足です。今年は1クラスについていくだけなので、とても楽。しかも教えてるし。
バスに乗って琵琶湖湖畔のキャンプ場へ。到着したらすでに11時過ぎ。とりあえず炭おこしです。子どもたちも一生懸命やっているし、わたしも秘密兵器を使って炭をおこします。
で、班ごとに買ってきた食材をみんなが出しはじめます。
いやぁびっくりしました。
もう、出てくる肉出てくる肉、みんな、すごい高価なものです。もう、サシが入ってメッチャうまそうです。軽くあぶって口に入れると、口の中でとろけます。
それにしても、君たちなにを考えているんだ?こんな高級な肉を…。うれしいじゃないですか。
で、一つ悲しいのは、仕事だからビールがないということ。とりあえず、お茶で焼肉をする悲しさは、どうしようもありません。

で、一通りごはんを食べたら、なにやらやんちゃ系の子どもたちはそわそわしはじめます。そりゃ、琵琶湖です。「ハンドブック」には「水遊び禁止」と書いてありますが、そんなことを守るのは子どもじゃないです。あっという間にジャージに着替えて、いつ濡れてもいいようにしはじめます。でも、自分から水に入るわけじゃないあたりが、まぁかわいいかな。
「おい、押すな。押すなって!」
ジャブン。
まぁこういう感じですね。で
「こらぁ、お前、やったな!」
ジャブン。
で、ふたりとも水に入れると。
まぁのどかなものです。

途中、ある生徒が水鉄砲をわたしに向けて
「先生、かけてもいい」
と聞いてきます。
「やだ」
と答えたら、
「あ、女が出てきた。やめよ」
とやめてくれるあたりが、これまたかわいい。

てことで、いっぱい肉を食べて、いっぱい遊んで、片づけをして、遠足終了です。
でも、日にあたって、ちょっとしんどいかも。

「イヤなら出て行け」考(その1)

先日の記事で一番心にひっかかっていたのは「イヤなら出て行け」とうフレーズなんですよ。だからあの記事をアップした。

誰かに対して
「出て行け」
ということが言えるのってどういう立場なんだろうと、つらつら考えると。
まぁ簡単に言うと、大家と店子の関係ですわね。てことは、
「いつあなたは大家になったのだ?」
と。
いや、わたしは、ああいうことが言える、その自信の根拠がどこにあるのかを知りたいんですよ。少なくともわたしは他者に対して
「出て行け」
なんてことを、よほど特殊な状況がない限り*1、言えません*2。自分の考えの及ばない言葉が、そういうことを言う人は簡単に言える、それがわたしにはどうしても理解ができないんですよね。

*1:例えば、教室の中にクラスと全然関係ない人間がやってきて、暴れまわるとか

*2:ちなみに、クラスの子が暴れまわっても「出て行け」とは言わないです