電車通勤も2週間が過ぎました。たしかに朝はしんどいけど、それ以外はなかなかいい感じです。なんといっても、駅から歩いたり自転車に乗ったりするので、心なしかお腹も締まった気がします。たぶん気のせいだけど(笑)
で、もうひとつのメリットは、飲み会があっても急いで帰る必要がないということ。
今日は職場の宴会でしたが、ふつうに電車に乗って、ふつうに行きました。楽やわ~。
宴会は…。
まぁ、あんなもんでしょう。ビールは○ーパー○ライやし(;_;)
そういう意味では2次会のほうがおもしろかったな…。
教育哲学は理論と実践の二項対立ではないらしい
話を聞いていて、なかなかおもしろかったんだけど、考えようによっては「臨床の現場*1」の人って、そう考えるのがあたりまえなんじゃないかなぁと。
例えば、引用文献のなかに
「学校のなかで逸脱行動が見られたとき、それは治療の対象とみなされることが多いように思われる」
みたいな文章が出てきて、思わず
「んー」
ってなりました。
そりゃ、そういう人もいるけど、例えば「非行は宝」という有名な言葉がありますが、まさに「逸脱行動」を「治療の対象」とみなさず、逆にその「行動」を通して、「教育とはなにか」「学校とはなにか」「教えるとはなにか」「教員とはなにか」「生徒とはなにか」ということを問い、それらをつくりかえていく営みは「常に既に*2」あるわけです。
で、たぶんこれって、「教育という臨床の現場」だけではなく、どこにでもある。そんななかで、例えば「SOC7」だって出てきたんじゃないかなということで、この話に行き着くわけです(笑)。
「かかる」か…
「病気にかかる」っていうのは、たぶん「健康な状態」がもともとあって、「病気な状態」になることで、それは治療の対象になるわけなんでしょうね。
で、たぶんGIDって、生まれながらのものっていうことなんでしょうね、たぶん。まぁ、「かかる」場合とか「悪化」する場合もあるような気がしないわけてもありませんが。
で、「その人としての健康な状態」は生まれながらに実現されていなくて、それが「治療の対象」になると。つまり、「生まれながらの治療の対象」ってわけか。まぁ、「健康な状態」はいまだ実現されていないわけですから、なにが健康かわからないけど、「いまだ見ぬ健康な状態」を目指して「治療」するってわけですね。
なんか、それってイヤだな。
まぁ、あたしゃトランスだから関係ないか。どっちかっていうと変態やしな。変態なら「治療」なんて蹴飛ばせる。
「生まれながらの変態」。かっこいいな。そっちがいい。
異変
なんか今年は変。一年生の最初の授業でもざわめきはなかったし、いまだに「クスクス」ってやる子がほとんどいない。なんでだろう…。可能性としては
1、完パス
2、完バレ
3、単に変なやつと思ってる
4、特に関心なし
5、すでに知られてる
ん~。まぁ、2か3やろな(笑)
と思ってたら、放課後一年生から呼びとめられました。
「先生と話したいと思ってたんですよ!
」
「なんで?」
「先生、性同一性障害っていう病気にかかってはるんでしょ?」
「かかるて(笑)」
さらに他の生徒に向かって
「テレビにも出てはるんやで」
「すごー」
いや、すごくはないんだが…。
てか、GIDって、かかるもんやったんや(笑)
てことで、どうやら答えは2と3と5みたいです。
花粉がきつい
スギ花粉が終息したと思ったら、ヒノキ花粉の最盛期。
かつて血液検査のついでに花粉症の抗体検査をしてもらったら、スギ・ヒノキともに数値が振り切れてたし、そりゃきついわけですよ。
まずはコンタクトが入れられない。てことはメガネ。で、マスクが必要。となると、マスクからでる呼気でメガネが曇る。
朝、出掛けにマスクを忘れたら最低です。一時間ちょい、いつくしゃみの嵐がやってくるか、ドキドキもんです。
一度くしゃみの嵐がやってきたら、もうダメですね。
せっかくの気持ちいい「春うらら」の季節がなぁ…。
ヒノキ花粉の終息はいつだ?
今日の夜は、なぜか大阪で会議。
でも、サクサクっと終わってしまいました。わたしともう一人の方はここで仕事は終了。でも、まだ会議が続く人がおられるので、近所で待ちます。
が、なかなか来ない。まずいよ。ふたりでボトルをあけちゃうよ。
てな感じで待っていると、ようやく本隊到着。
あとはワイワイ飲んでいるうちに、見事に終電の時間です。あやうく飛び乗って、即爆睡。ふと目が覚めると
「次は山科〜」
とか言ってるよ!あやうく飛び降りて、無事お家に帰れました。
久しぶりにセーフやんか。
家に帰ったらほめられたんやけど、なんか違う気もする…。
語っちまった
なんか、最近イヤなことが起こりつつあります。そんな気持ちがわき起こってきて、つい教室で語ってしまいました。
わたしは大きな声で言えば勝ちという社会は嫌いです。
それはどうしてか。
わたしは人権教育を担当しています。
人権とはなにか。それは少数者が生きられることだと思います。では少数者とは誰か。それは、人数が少ないという意味だけではなく、パワー、すなわち権力を持たない人のこともさします。
それは例えば部落の人であったり、在日外国人であったり、子どもであったり、障害者であったり、女性であったりします。
こうした人たちは、少数であるがゆえに、あるいは権力を持たないがゆえに大きな声を出せません。
もしも大きな声がまかり通る世の中であれば、少数者の小さな声は無視をされてしまいます。
だから、大きな声がまかり通る社会ではなく、小さな声に耳を傾ける社会でなければならないと思っています。まぁいいか。授業をはじめましょう。
「正しいこと」を主張する人は、自らを正しいと思っているがゆえに躊躇がなく、大きな声で主張することが多いように思います。そして、そこに同時に他者への抑圧が潜んでいることに気づきにくい。なぜなら、自分は正しいことがわかっているから。
それならわたしは躊躇しながら、自信なく、小さな声でつぶやく生き方を選びたいと思います。
楽しい!
今日は、ある意味、はじめての「講義」。先週は、まぁガイダンスって感じでしたから。
今日の講義は10人くらいの、まぁいってみれば読書会です。
読書会なんて、30年ぶりくらいですよ。
誰かが一段落を読んで、そこで疑問や感想を述べる。今のところは、それにたいして教員がコメントを入れてる感じだけど、相互に考えを述べあうようになったら楽しいだろうな。
でも、いまも充分に楽しい。自分の疑問に直接答えるわけではなく、著者の思想や時代背景の紹介を通して、自分で自分の問いへの答えを探す感じ。
うん、こんな授業、自分もしたいな。きっと、どんな子らが相手でもできるはず。いや、うちの子らだからこそ、これをしなくちゃならないんだろうな。
でぇ〜
今日も花見
今日は大阪で花見と思っていたけど、朝、Mちゃんと合流したところで、なんとなく九条で花見に変更。たしかに大阪に行かなくても、京都で十分ですわ。てか、有名な観光地に行かなくても、九条の桜は十分にきれいです。しかも、すいてるし(笑)
てことで、しばし桜の下でなごんでから、なぜかおたふくへ。まぁ、Mちゃんの「おたふくデビュー」てところですか。
おたふくに入ると
「おぅ」
と声がかかります。Kっくんです。いや、久しぶりです。
「いつきちゃん、いつもいっぱい連れてくるやろ。だから、席あけたってるねん」
あぁぁ、すみません、すみません。でも、Kっくんがいないと、なんかさびしいんですよね。
それにしても、Kっくん、なんか雰囲気変わったな。前から優しい人だと思ってたけど、「優しさ」に触れるためには、ちょいとハードルを越えなきゃならないところがあったんだけど、そのハードルがすいぶん低くなった気がします。たぶん、パートナーさんの影響だな。すごく楽しそうにしてるもん。
で、一通り食べて飲んだところで、ふたたび鴨川の河原をブラブラしながら九条へ。
こんなとき、京都っていいなぁと思います。河原を歩けば中心街を南北に移動できますからね。
で、コンビニで晩ごはんを仕入れて、九条の河原でピクニック。河原のご飯はおいしいです。って、先週もやったな(笑)
さてさて、寒くなってきたから、そろそろ帰りましょうか。あしたも朝が早いです。