耐久レース終了

ホテルで目が覚めると7時半。てか、アラームか鳴ってるよ!せっかく寝坊ができる日に(;_;)
それでもふだんより2時間寝坊できたからいいか…。
さぁ、今日一日をどうすごそう。というか、午前の過ごし方やな…。チェックアウトは10時。ビミョーな時間です。いや、ホテルとしては当たり前の時間なんですがね。
選択肢はいくつかあります。
1、サックリ帰る
2、一時間ほど時間をつぶして、生しらす丼を食べて帰る
3、東京に行って、だれかと遊んで帰る
もちろん順番は「常識順」です。ということは「いつきらしさ順」としては逆順ですね(笑)。
んー、どうしよう…。
9時30分の時点で、選択肢1に決めました。常識的な選択です。
なにせ、先週の日曜日から昨日まで、木曜日以外毎日宴会。なんぼなんでも、自分のアホさ加減はわかっています。でも、歯をくいしばって(笑)一週間走り続けてきました。ここらでいったん休憩することにしようかなと。

てことで、昼過ぎには家に帰って、家族で昼食。午後はみんなは友だちと遊びに行ったり、犬の法要に行ったり。で、わたしはお留守番。なにをするわけでもなく、ただひたすらゴロゴロ。やらなきゃならないことはあるのはあるけど、今日は絶対しないと決めて、ゴロゴロ。
そのまま夜までゴロゴロ。

さて、せっかく買ったホームベーカリーもあることだし、あしたのパンをしかけて寝ることにしましょう。

かなりディープやわ

夜は主催者の方々と飲み会。
どうやら行きつけらしい隠れ家的なお店につれていってもらいました。
はじめは静岡名物の話なんかをしていたのですが、しばらくするうちに、なぜわたしに声をかけてくださったかというあたりから、ディープなところに話は突入していきました。
静岡における部落の話も出てるし、実家が関西の方の生い立ちの中の部落や在日との出会いの話も出てくるし、たぶん日常の中では忘れてしまっていたり、覚えていても話さないでいたりしたことが、あふれでてきた時間だった気がします。
お店を出てからも、ブラブラ歩きながら話をして、ホテルの前でまたまた話をして、いっぱいいっぱいいろんな話を聞かせてもらったひとときでした。

にしても、生しらすはうまい!あの目のざらざら感がたまらない。ほかにもおいしいものがいっぱい。静岡、いいなぁ…。

久しぶりの静岡

今日は午後から静岡でお座敷です。
なんでも、前にフェミカンの研修会に来られた方が
「地元の人たちに」
と考えてくださり、機会をつくってくださったとのことです。
静岡かぁ…。いろいろ頭を駆けめぐりますねぇ…。
というのはおいといて…。
朝、久しぶりにのんびりして、昼前に到着。まずは燃料補給です。しばし悩んだあげく、せっかくなので、静岡らしいものをたべさせてくれそうなお店に入りました。で、頼んだのは「桜えびのかき揚げ丼」。出てきたのを見て、ビビりました。全部食べられるのか?しまった、しらす丼にすればよかったと思ったものの、とにかく、パリパリワシワシ食べて、なんとか食べきりました。おいしかったですけどね。

で、会場へ。みなさん、コースの研修会をすでに三年受けておられるとか。そのせいか、なんとなく和気あいあいとした雰囲気です。
しゃべりはじめると、すぐに空気がほぐれました。いい感じです。
今日は本編2時間、質疑応答30分と、たっぷり時間をもらっているので、しょうもない話もたくさん入れられます(笑)。
ただ、不安がないわけではありません。なにせ、2時間しゃべったのは、もうずいぶんと前のことです。はたしてネタを覚えているだろうかと^^;;
途中、緊張のためか、足がつりかけましたが(笑)、それでもなんとかしゃべりおえて、ホッと一息です。
質疑応答では、けっこう活発に質問が出て、わたしも楽しませてもらいました。
終わってからも、数人の方が、たぶんモヤモヤ感がただよって言葉にできなくて質問しきれなかったことなんかをしゃべりにこられて、またまた考えさせられるひとときを持てました。
やっぱり、話終えたあとも、ゆっくりそこにいることって意味があるんやなぁ。

今日は6年ばっかお世話になったT中さんが仕事をやめられたので、その「お世話になりました&ありがとうございました&これからもよろしく会」です。
T中さんって、なんだろう…。すごくいい感じの人なんですよね。観察眼が鋭いし、それをアサーティブに表現できる。すごい人なのに「すごい人オーラ」がない。だから、自然と人が集まるし、みんなが和む。
今日も、わたしたちのグループの中の、とりわけ元気な女性たちが集まって、ワイワイと呑みました。
ほどよく呑んだところで、一緒に帰ります。なにせ、家がすぐ近くなんですよね。で、なぜか地元でもう一杯。
ここの会話で、T中さんのすごさをあらためて感じさせてもらって、同時にグループ内でわたしがしなくちゃならないことをあらためて教えてもらいました。
T中さん、また帰ってきてほしいな…。

居場所

今日でようやく一学期が終了。午前の仕事をかたづけて、午後から出張。こちらの方も無事終えて、さて、どうしよう。
このまま京都に帰ったら、飲み会の時間まで二時間くらいあまってしまう。
二時間って微妙です。本屋にはいるには少し時間が長い。ヨドバシ行くにはもっと長い。飲み屋で軽く一杯入れておくにも長すぎる*1。家に帰ってしまうには短すぎる。てか、出るのが嫌になります。
いろいろ考えて、
「そうだ!おべんきょ部屋に行こう」
と決めました。
あそこなら誰かいる可能性が大だし、いなくても図書館があります。
で、行ったら、先輩がいて、とりとめもなくいろんな話。それが終わったら、センセがちょうど帰ってこられました。
「飲み会行くまであと20分くらい暇なんです」
と正直に事情を話すと、つきあってくださいました(笑)。
「あたしって、優しいやろ(笑)」
「はい、優しいです(笑)」
和やかな会話です(笑)。
さて、9月以降のための作戦会議もできたし、呑みに行きますか。

*1:ガチで呑んでしまいます^^;;

「問い」への「対応」

きょうのおべんきょタイムはグループ討論です。お題は「高校生から「こんなことやって役に立つのか?社会的に意味があるのか?」と聞かれたときの対応」でした。ちなみにこれ、4年ほど前の京都市の教員採用試験の問題だとか(笑)。
で、討論しながらの感想。
各グループにふたりずつ「年上」がいて、四人の「おべんきょ仲間」がいるんですが、「おべんきょ仲間」の人たちは、「問い」そのものに「答え」ようとされるんですね。「いかに役に立つか」ということを一生懸命答えようとされている。でも、お題には「どう答えるか」ではなく「どう対応するか」と書いてある。そこがミソだと思うんですよね。
つまり「役に立つのか?」という問いそのものがどういう意味を持っているのかということ、あるいは「役に立つとはなにか?」という、問いそのものの意味を問い直すことに意味があると、わたしは思ったんですよね。そのことを、問題作成者は「対応」という言葉であらわしたんじゃないかと。
で、少し論議を深めたいと思ったので、
「この質問をする生徒は、どんな気持ちでこの質問をすると思いますか?」
と「おべんきょ仲間」に聞いてみました。すると、みなさん
「勉強がわからなくて…」
とか言われます。と、もうひとりの「年上」の方は
「いままでやらなきゃならないと思い込んできたことに対して、疑問をもったんじゃないかなぁ。勉強との距離感を測ろうとしているんじゃないかなぁ」
と言われました。一同、深くうなづきました。
おそらく、「問い(what)」に「答える」ためであれば、その文章に対する答えに集中すればいい。
しかし「問い(how)」に「対応」するためには、「「問い」そのものを」問い、「「問う」主体を」問い、それらを通して「対応する自分自身を」問い、それを追求することは無限の「入れ子」をあけつづけること、あるいは無限の螺旋のドミノを倒しつづけることへとつながるのかもしれないと、ふと思いました。

しかし、たいりょくが続かんやろなぁ…。でも、それでいいのかも…。

授業最終日

なにが悲しくて、授業最終日に同一講座が二回もあるねんと。
でも、この講座の子ら、ええ子らです。昨日の授業では、全員が寝たふりをしてわたしを迎えてくれました。そんなこととは露知らず、あまりにも静まり返ったクラスを邪魔したくなくて、思わず15分お昼寝タイムをとってしまいました。
でも、こんなことができるクラスって、いいクラスだと思います。
今日も、適度な授業と適度な雑談で一学期の終わりのひとときを過ごしました。

「愛」は届いたのか…

インタビューが終わったら、三人で「わかば」に移動。実は社納さんから
「おたふく希望!」
というリクエストがあったんですが、定休日ですから…。でも、
「すじ肉は絶品です!」
と言ってあるので、たぶん満足していただけるでしょう。
実は、社納さんとはこの「試合」にかかわってはじめて出会ったんですよね。で、実はあの「試合」の総括を、わたしはまだきちんとできていませんでした。なんとも言えないモヤモヤとしたものが、いまもずっと残っています。おそらく社納さんもできていなかったんじゃないかなぁ。知らず知らず、あの「試合」をめぐる話へと移行していきました。で、わかったことは、おそらくは社納さんもわたしと同じ思いを持っておられるであろうということでした。まぁ、そうでなければ、あの「試合」に参加しようとは思いませんよね。
なんか、とりとめもなく、でもたぶんとても大切なことを話していると、知らぬ間にビールはハイボール濃い目へと変わっていきます。とてもいい夜です。
でも、いかんいかん、そろそろ出なくちゃ帰れない。

遠くの理解者、近くの理解者

とにもかくにも、昼間は淡々と仕事。
実は耐震工事の関係で荷物の整理をしなくちゃならないのですが、日常業務をしながら荷物の整理は、とっても難しいです。まぁ、単にやる気が起こらないだけのことなんですがね(笑)。
それでも、夕方には目がちぎれそうな感じがしたので、仕事は完全にストップ。定時にあがりです。
で、京都駅へ。なんでもO府の人権関係の団体がインタビューしたいんだとか。担当のM村さんとは1月にひょんなことでお会いして、けっこうおもしろい感覚もってはるかたやなぁと思いました。でも、わたしなんかにインタビューしても、なんもしゃべることないし、あるいはすべて既出だしとは思いましたが、まぁ、しゃべっているうちに新しいことを思いつくかもしれないからいいかと思って引き受けたんですよね。
で、あとで聞いたら、実際書かれるのは社納葉子さんだとか。久しぶりやなぁと、ちょっとうれしくなりました。
で、インタビュー開始。
どうもわたしはへそ曲がりなのかな。いや、へそ曲がりなんだよな。ひとつの質問への答えを少しずらして話すクセがあるみたいです。例えば
「なにか転機みたいなものはありましたか?」
とたずねられると、
「小さな変化が少しずつあって、徐々に変わっていったから、「これ」っていうのはないですぇ」
みたいな。
でも、ひとつ話をしながら新たに気づいたことがありました。
わたしは自分がトランスであることに気づいた当初、「遠くの人」からカムアウトをしていったんですね。近くの人はやっぱり怖いですからね。で、その頃って、遠くの人は理解を示してくれるけど、一番近くにいるはずの生徒たちはわたしのことをクスクス笑ったりオカマ呼ばわりしていたんですよね。
で、いまはというと、わたしのことをあまり知らない生徒とたち、まぁ、少し遠い生徒たちは、相変わらずわたしのことをクスクス笑ったりはします。でも、一番近いところにいる生徒は、まったくそんなことがない。ちなみに、その子らには特にはカムアウトはしてません。
結局、カムアウトが重要なんじゃなくて、日常の積み重ねが大切なんやろなぁと、インタビューを受けながらふと感じたという、まぁそれだけのことだったんですが、新たな気づきでした。