怒涛の金土日が終わり、ダメダメな月曜日を過ごし、なんとか火曜日が来て…。
体調はほぼ回復。
午前は雑務雑務。
午後は出張。
特におべんきょもないし。そろそろ〆切だけど、身体と心と頭を休めましょう…。
と思ったけど、どうやら休めないみたいです。身体がとまると頭と心がパタパタするらしいです。こけたらたいへん。困った困った(T_T)。
「今」とはいつで、「日本」とはどこか
で、夜はいつものおべんきょです。
今日の内容は「日本教育史の成立」をめぐる話でした。
もともと日本において、教育学の一ジャンルとしての教育史はなんのためにあったかというと、教職者に「よい教育の伝達」としての必要性があった。なので、教職課程のひとつとして、文部省が必要としていた。で、当時(明治期)の教育史は、江戸期を切り離し、西洋から輸入されたものを「正式な教育」ととらえ、それを認定していた。
ところが、大正期に入って、江戸期に注目する教育学者が登場してくる。ペーパーにはその代表として3人とりあげられました。
で、それぞれに主張は違ったり対抗したりするんですけど、おそらくはナショナリズムみたいなものがあったのではないかと。それは、例えば「日本の教育の本質は教育への情熱で、それは江戸期にすでに見られていた」とか、「明治維新から半世紀にも満たない短期間で欧米諸国をうわまわる教育制度をつくり実現したことを考えると、西洋の教育の輸入だけでは論じられなくて、江戸期(寺子屋)に遡らなくちゃならない」みたいな主張が出てくるわけです。
で、筆者は、近代から近世を見つめるのではなく、近世の目で近世や近代を見つめる必要があるみたいなことを提起して、とりあえず終わったわけですが…。
たぶんこれって、いつの時代も同じことがあるんだろなと。制度改革をしたものは、「これこそが正しい」「これを正史とする」みたいなことを考えてしまう。でも、時代が過ぎていく中で、歴史の重層性みたいなものに着目して「もっと遡らなくちゃ」みたいな論議が出てくる。部落史の見直しも同じ論議ですよね。
ま、そんなことを考えてました。
で、センセからの提起は「では、いま、みなさんが「今の日本の教育」という時の「今」とはいつのことで「日本」とは何を指しているのか」でした。
はじめは、おべんきょ仲間からの「今の日本の教育といった時、受験偏重へと舵を切って以降」みたいな話からスタートして、例えば、「キャリア教育をしろといわれるけどそんなんできない」みたいな話が出てきました。
で、わたし、困っちゃいました。というのは、例えば京都の高校だけを考えても「学校」とか「教育」という一括にはできない多様性がある。例えば、キャリア教育は特別支援学校ではやっているわけです。でも、そんなもの、みんな知らない。なぜなら、特殊である。あるいは伝達する価値のないものとして、知らされていないからですよね。
で、「知らされていない人」って、そういう非常に限られた情報の中にいるのに、あたかも「知っている」かのような錯覚に陥らされている。
それは、教育再生実行会議も同じですよね。てか、より性が悪いです。
それと「今」と言った時、ひとつはまさに「昨日今日のレベルでの今」なんだけだ、もうひとつは教員として働いてきた29年間の「流れ」を今と捉える。まぁ、そんなことを考えていました。
あと、「教育」と言った時、その範囲はどこで誰が担うのかという問題もある。
例えば、高校進学率がさほど高くない時は「学校」を通過しなくても職につくことができた。で、そういう子どもたちの教育はおおざっぱな意味での「社会」が担っていた。ところが、98%あたりになると、「学校」を通過しないと職につけなくなった。すると、「教育」は学校にのみ押し付けられる、社会は関与しなくなる。しかし、学校をコントロールしたい勢力はあるわけで、必然的に素人が自分が責任を追わない形でコントロールすることになる。
あと「なぜ社会への関心を失っていくのか」みたいな問題提起がセンセからされて。
そこで、センセが紹介してくれたのがハンナ・アーレントでした。privateの語源は「なにかを失った状態」をあらわし、その「なにか」とは、「他者から関心を持ってもらうこと」である。で、privateが居心地のいい人は他者から関心を持ってもらわなくてもやっていける人であり、そういう人は強者である。でも、強者が権力を持つ限り、privateな社会へと移行するし、そこで格差は拡大していく。
そう言えば、「組合」って、privateとは真逆の存在です。で、この「組合」ってものの存在は法律によって保障された労働者の権利なんですよね。これ、厚生労働省が作成している労働者の権利にかかわるパンフレットにも書いてあります。でも、privateの広がりの中で、労働者自身が「組合」へと拒否感を持ってしまっている。なーんてことも、ふと思いました。
まぁ、そんなあたりまで話が広がって、さらに大阪市の小学校教員から大阪市の赤裸々な実態が話されて、なかなか「今」につながる話がてんこ盛りのひとときでした。
ダメダメな月曜日のはじまり
朝、目は覚めました。でも、身体が動きません。とにかくしばらく布団の上で泳いでダウン。
出勤しなきゃならないし、したくないわけではないのですが、どうにも身体が動きません。瞬間、
「これって鬱?」
とか思ったんですけど、ちがいますよね^^;;。だって、結局仕事しましたから(^^)。
「名残惜しいですなぁ」
で、近くのビアホールで針間さんの夕食を兼ねた打ち上げ。
みなさん、もりもり食べてもりもり飲まれます。いつも
「あのパワーどこから来るんだ?」
と思うのですが、たぶんこれなんですね。てか、針間さんもあの細身でけっこう食べられます。
そんななか、あまり食べてないのは、昼に大阪王将に行ったふたりだったりするわけです(笑)。
で、新幹線の時間の関係で5時半くらいにお開き。さて帰ろうと思ったら、とあるO島さんが
「うーん、名残惜しいですなぁ」
とひとこと。ごもっとも(^^)。まぁ、今日は暴言もはきまくったから、ここはつきあいましょう。てことで、いつものKうさん、O田さんと一緒にガード下の飲み屋へ。
9時すぎまで飲んだところで、さて帰ろうと思ったら、またまたとあるO島さんがひとこと。
「うーん、名残惜しいですなぁ」
おいおいとは思ったものの、まぁええかと、ガード下のバーへ。
で、ウィスキーなんぞを飲みながら、ダラダラ話。
10時も過ぎたしそろそろ帰ろうかとお店を出たら、とあるO島さんがひとこと。
「うーん、名残惜しいですなぁ」
もう帰りましょう^^;;。
家に帰って倒れるように寝ました。歯磨きはしましたけどね(^^)。
力不足かなぁ
朝、11時に梅田集合と昨日約束したので行ったけど、どこで集合かの連絡もなく、どうしたものかと。ま、しゃーないかと、福島方面に歩きはじめたところで電話。てことで、ようやく最終うちあわせのめどがついたので、ひと安心。
福島の駅でKうさんと合流して大阪王将へ(笑)。
目と目で合図して「生○ールセットふたつ」と注文するのは定番です。
で、二人で会場へ。
「いやぁ、大阪王将で(笑)」
と言っても、誰も驚かない…。というか、優しいほほえみが返ってくるのが、逆にこわいです(T_T)。
で、招待講演会開始です。
まずは針間さんの話。
自分史と重ねあわせながらの日本のGID史。特に制度をどうやってつくり整備してきたかという話です。
たぶん、物心ついた時から「そこにある」人が多くなりつつ今、やはり「昔話」と思われそうだけど、実はそうじゃなくてこの話は大切なんでしょうね。
で、そんな針間さんの話を聞きながら、わたしも自分のできごとを思い出しながら
「あぁ、あの時、わたしはこんなことをしてたなぁ」
と、自分史と重ねあわせながら聞きました。
で、対談。
は「わたし、ウケにまわりますから」
い「いや、わたし、ネコなんで」
ウケませんでした(T_T)。
そんなところから話はじめたのですが…。
なんというか、「組ませてもらえなかった」という感じでしょうか。相撲で言うなら「まわしがとれなかった」?
たぶんガシっと組んで試合をするには、わたしはまだまだということなんでしょうねぇ。ま、ご本人は「傾聴モードに入ってしまった」と言っておられましたが。
それでも終わった後に
「かっこええですやん*1」
「今日の話もよかったですよ*2」
「問題提起できてたと思いますよ*3」
など、あたたかい慰めの言葉をかけてもらって、なんとか終了です。
右往左往な一日(その3)・呑んで呑んで呑んで
しかたないので、K野さん・Fぁよんと一緒に串カツを食べに行って、ウダウダと話。
その後、K野さんは帰還。FぁよんとわたしはBんちゃんと合流して大阪市北部へ移動。寿司をつまみながら話…。してない^^;;。なんか、なんとも言えない「だるさ」を寿司で癒しながら、Bんちゃんはツイッターに書き込み、残り二人はそれを読むという、なんともなんともなひととき。
で、6時に解散。わたしはブラブラと散歩がてら福島に移動。
お店についた時点で、体調は最悪です。果たして飲めるのか?
やがて主賓のH間さん登場。本日最後の宴会開始です。
「生ビール小」
と頼むと
「守りに入ってますね」
とお店の人に笑われてしまいました。いや、しゃーないねん(T_T)。
その後も、おいしい日本酒を無理しない程度にチビチビと飲んで延命をはかります。ま、話の方は今後数年かけて新たな方向性を考えなきゃならんなということで、ひとつ決意が必要になったというか、いままで諸矛盾を見てみぬふりしてきたけど、踏ん切りついたというか。まぁそんなことでした。
で、10時過ぎにいったんお開き。みなさんは元気な声で
「次行くぞ!」
とか言ってますが、明日のためにパワーをケチる作戦に出てるわたしは帰ることにしました。
でも、うちあわせ…。決まったのはひとことだけじゃん(T_T)。明日、なんとかなるのか?
右往左往な一日(その2)・間に合わなかった(T_T)
右往左往な一日(その1)・うっかり引き受けたのが(T_T)。
朝、なんかお腹が減ってます。無性にK野さんのおみやげ・徳島ラーメンが食べたくなり、ついズルズル。なんかおいしい^^;;。
で、会場の片づけをみんなにお願いして、ひとり組合へ。今日の午前は定期大会で、議長をしなくちゃなりません。
日程的にきついのがわかっているのに、頼まれたら引き受ける自分の性格がいやになる瞬間です(笑)。
で、ところどころで意識が飛びそうになりながら(笑)、なんとか議事を進行。最後に7月14日の宣伝をして、午前の用事が終了。そんなこんなでもなんとかやっちゃう器用な自分がいやになる瞬間です(笑)。
最後の一撃
考えてみると、今月は玖伊屋にはじまり、在日外国人生徒交流会が二発とトランスジェンダー生徒交流会、さらにはまんまるの会と、いまわたしがかかわっている交流会がすべてありました。で、今日はその中で玖伊屋と双璧をなすゆるさを持つ「在日外国人生徒交流会・卒業生の会(Uじ迎撃作戦)」です。
もう、どうなるかは容易に想像がつくので、パワーを絞り気味で参加することに決めました。
とりあえず、チヂミを食べたいとかなんで、チヂミをつくって焼きそば焼いて、適当につまみながらビールを飲んで…。
けっして議題が決まっているわけではないのですが、みんなが話している中身を聞いていると、やっぱり自分のルーツのことを話しているんですよね。そりゃそうなんでしょうねぇ。
それにしても、今日はとびきり騒がしいUじとかTーマスとかYきみとかがいます。どうなるのかと思っていたら、さらに騒がしいIさむが登場。なんか、恋バナで盛り上がりはじめました。なんか、支離滅裂です。
でも、話聞きながら、とてつもないうれしさがこみあげてきました。
ルーツのこととセクシュアリティのことが同時に語られ両立する空間ってすごいよなぁと思うのです。ここはほんとに自由な空間なんだろうなぁ。
そんなことを思いながら、でも身体がもちません。そうそうにベッドに潜り込んでしまいました^^;;。
妙なアウェイ感
この「おべんきょ」、おもしろいのはおもしろいんですけどね。妙なアウェイ感を感じます。
この「おべんきょ」、たぶん基本は「知識を獲得する」あるいは「スキルを身につける」話なんですね。その中で深く考えたり、オリジナルの発想を見つけ出したりということがない。すごく簡単に言うと、技術者の養成をしている感じがするんです。
まぁ、この「おべんきょ」を含むコースそのものが、おそらくは専門家を育てることが目的になっているので、そういう意味では当たり前といえば当たり前なんですけどね。
もちろん、この行動分析ってやつも、より高度な世界になると話は変わるのかもしれません。でも、初心者レベルというか専門外のわたしにとっては、高校生の数学をやってる感じです。
で、それを楽しめる、あるいは「役に立つ」「身につけたい」という人と、「考える」「思索を深める」「自分の内側を漂う」みたいなことを求めるわたしとでは、当然そこにかける気持ちは違うわけです。
でも、まわりでニコニコしながらセンセの話を聞いている人たちの顔を見て、「あぁ、もうひとつのおべんきょ仲間とはぜんぜん違うなぁ」と思ってしまいます。ちなみにもうひとつの「おべんきょ」では、みんな「うーん…」て顔をしてますからねぇ(笑)。
でも、なんか、それだけではないような気がします。
そのきっかけになったのは、ダメダメ先輩から来たメール
「実践的である」ってことが行動学な気がします。いまでこそ批判的乗り越えがあると思いますが、学問の誕生した背景が人間の行動は観察可能で統制管理の対象であるという前提に立ってたんじゃないかなぁと思います。動物と同じ刺激−反応モデルにそった。
です。
うーん…。もう少し自分のアウェイ感を掘り下げてみますか…。