連続と不連続

今日のテーマは、すごく簡単に言うなら、「江戸時代の眼差しで近代を見る」っていうことでした。
従来の教育学という教育史というか、そういうのって、「起源は明治」「欧米型の教育が入ってきた時を起点として考える」みたいなとらえ方でした。それに対して、今やっているメディア論は江戸時代の教育の再評価というか、近代の教育のありようは江戸時代からの連続性の中にあるという観点が通奏低音として流れています。
で、その時に大切な観点は「今」から江戸時代を見るのではなく、江戸時代の眼差しで江戸時代を見、さらには江戸時代の「次の時代」を見ることであるとしています。
なぜなら、「今、ここ」にいる人間にとっては、「未来」は「今」の眼差しでしか見ることができない。それに対して、近代の教育の起源を「明治」ととらえる観点は、「未来」から「今」を見る見方である。で、そうではなくて、江戸時代からの明治時代への移行をとらえようとするならば、明治時代(未来)を江戸時代(今)の眼差しでとらえないとわからないということなんですね。
で、そうやってとらえると、江戸時代からの連続性の中に近代の教育はあるし、近代の教育のありようを考えるためには江戸時代にさかのぼらないといけないということになります。
ただ、この本、常に「現代はメディア革命の時期で、教育のありようが根底から揺さぶられている時代なんだ」っていうのが出てくるんですけど、それはどうかなと。
まぁ、今日の論議はそのあたりを中心に進みました。というか、進めました(笑)。

なんというか。
常に「今」って激動期であり転換期な気がします。それは、10年前の「今」がかつてそうであり、10年後の「今」もきっとそうであろうという意味で、です。そして、激動期・転換期は、常に「ここが不連続点なんだ」という主張とつながります。
でも、わたしは「歴史は連続と不連続を併せ持ちながら進行していく」んじゃないかなと思うのです。そして、その連続と不連続の間には「きしみ」がある。そのきしみをもって「転換点」との主張がされる。でも、それはいつだってある。

こういう話に対して、「「不連続」という主張がなされる時、きっとそこには「そこを不連続」ととらえる「意図」がある。実は注目すべきことはそこなんじゃないか」という指摘がセンセからありました。
これ、すごく納得します。
「誰が、どのタイミングで、なにを不連続というか」ということへの問いかけこそが大切である。でも、ついついそれを忘れてしまう。

そうそう。
わたしがこういうものの考え方というかとらえ方というか、そういうことができるようになったのは、まぎれもなく「部落史の見直し」に触れたからなんですね。
例えば、敗戦前後の連続(行政や経済構造・政治構造)と不連続(一部の法律)。あるいは明治維新期の連続(民衆の意識)と不連続(支配体制や社会構造・経済構造)。その中で部落はどのような眼差しで見られてきたのか、あるいは地区改善への意欲はどうであったか。そんなことを考えるきっかけをもらいました。
まさに、歴史に触れることによって歴史のとらえ方が変わり、そのことがものの見方の変化へとつながったわけです。

もう一つの論点は「稽古と反復練習の違い」でした。
おそらく「反復練習」は練習課題の習得のためにやるのですが、意図は明確であり、練習する側も「意識化された課題をより早く正確に」するためにやる。
ところが「稽古」は、練習課題が明確なのかどうなのか。もちろん「内容」は明確なのですが、なぜやるのかというと「身につける」ため。じゃ、「身につける」って?おそらくそれは「身につける」としか言いようがない。あるいは「行為を身体化する」。「稽古」って、「なぜこれをするのか」を超えたところにある。
で、そういう方法って、あるんだけど、学校の中ではカリキュラム上にはあらわれない。つまり「表のカリキュラム」の不連続と「隠れたカリュラム」の連続があり、そういう意味では、近代以降の教育のありようは、その「きしみ」の中にあった/あると考えることができる。

で、その「きしみ」の中からもうひとつのテーマ、「学力観の転換」が出てきます。
不連続点には「価値観の転換」みたいなのがあって、教育をめぐる価値観の転換は、「学力観の転換」につながるように思います。
ただ、これ、「連続・不連続」の話と通じるわけですが、「誰がいつどのタイミングでなにを不連続というか」と密接にかかわっています。
そういう意味では、「今」、「学力観の転換」が叫ばれているのですが、果たして今は「不連続」なのか「連続」なのか。「不連続」であるならその中身はなんなのか。そして「不連続と連続が同居」しているなら、なにが連続しておりなにが不連続なのかを今一度見つめ直さないと、「誰か」の意図に乗せられてしまうことになってしまう。
そんなことでしたかねぇ。

おべんきょの前は疲れてたんですけど、おべんきょが終わったら、妙に元気になってましたとさ(笑)。

やっときたこの日

とても激しかった6月も今日で最後です。土日が完全に滅亡していましたが、今日ばかりはなーんにも予定が入っていません。
ずっと懸案だった車のパンク修理でもしましょうか…。
あり?パンクしてない(笑)。
あ、おいしいビールが呑みたい。身体が「ヴァイツェン」を要求してます。買いに行こう!と、ジーンズ屋が…。こないだ一本「ダメージジーンズ」になったから、買おうかな。久しぶりに○ニクロ以外で買いますね。確かに高い。てか、○ニクロが安いのか。ま、安いは安いなりの「カラクリ」があるんでしょう。
そんなこんなでフラフラとした一日を過ごしました。
いや、ひとつ仕事があったんですが、ま、あしたでいいや^^;;。

次のネタふり?

で、懇親会の会場へ。
会場に向かう道すがら、首謀者の方から
「若い教員に「法律ってなんのことかわかるか?」って聞いたら、「わかりません」って言ってたよ」
という情報をもらいまして^^;;。うーん、これはまずいんじゃないかなぁ。そう言えば、うちの若手も
「人権教育は選択科目だった」
って言ってました。そうか、人権は選択のうちのひとつでしかないんですね。
なんてことを考えながら、「チヂミの王様」へ。
ここ、食べものおいしいんだけど、量が多いんですよね。ま、少ないよりはいいか…。
で、食べはじめて呑みはじめて、呑みはじめて、呑んで…。
ビールとマッコリだけでどれだけ酔っぱらえるねん^^;;。

で、2次会へ。
「日本一おいしいスジ肉を食べさせる店」に行こうと電話したら
「ちょうど店、閉めたところや」
とのこと。しゃーないです。いつものパブへ。
ところがこちらがまた大混乱。なんでも、外国人の大学教員の集まりかなにかがあったらしく、客があふれかえってます。まぁ、パブらしいっちゃぁパブらしいんですけどね。
一緒に行った人は、他のお客さんとベラペラ話をしています。なんか、ビールをおごってもらった人もいます。で、わたしは…。
「ふんふん」
とわかったふりをしてごまかしていました(笑)。
てことで、12時前におひらき。って、12時前か(T_T)。

完全放出

今日は午前は某外国人教育関係の会議。
午後は「きたかわち近未来塾」というところのお座敷&お散歩ハーフコース^^;;です。
この「きたかわち近未来塾」、去年も呼ばれて話をしたんですが「今年もよろしく」ってことで呼ばれてしまいました。というより、今回は「招いた」ですか。
去年の飲み会の時、
「京都の南部は魅力的」
って話を酔っ払ってしていたら
「今年はお散歩しましょ」
って連絡が入りました。で、さらに
「ついでに新ネタも」
とか言われて、もう、どないなんねんと。

で、約束の時間に、知る人ぞ知る、というか、知る人はほとんどいない待ち合わせスポット「祭時計広場」に向かいます。到着して、しばしスタッフの人と話をしていると、参加者が集まりはじめるのですが…。お、多い^^;;!
みなさん、せっかくの土曜日になにをしに^^;;。
てことで、マダンセンターに行って、とりあえず新ネタ披露。あまり笑いの場所がないのが新ネタの難点です。もうちょっと練らないといけませんね^^;;。
で、一段落して、お散歩開始。
しかし、企画された方、きっちり一時間単位で予定を組んでおられます。なんでも、懇親会は6時からとか。で、南半分をまわったところで、すでに6時前。はい、ムリです(T_T)。
まぁ、ムリなものはムリだし、お店にはあとで謝りましょう。
ってことで、6時半に「フルコースの1/3」のお散歩終了。
みなさん、暑いところお疲れさまでしたm(__)m

で、夜の打ち合わせ

5時15分(笑)に西成高校を出て、コースを逆に歩いて、カマをプチフィールドワークして、向かうは玉造。
ここはとりあえず
「せっかくゴニョゴニョしたのに、なんで玉造」
とお約束のネタを振ったら、肥下ちゃん、ちゃんと反応してくれました。ありがとうございます。優しいなぁ(^^)。

で、お酒と魚のおいしいお店へと。
肥下ちゃん
ヱビスビールください」
とオーダーしたら
「この店はヱビスしかないんです」
とのお返事。思わず
「うちの冷蔵庫にもヱビスしかないです」
と、いらんことを言ってしまいました^^;;。
ここ、お酒、ほんとにおいしいです。なんだろ「ちゃんとしたお酒」が普通なんです。なので、他の店が「ちゃんとしてないお酒」しかないっていうのは言い過ぎですが、まぁそういうことだってことがよくわかります。
にしても、お酒がありすぎて、しかも「味は人それぞれ」とか言いながら味の「指標」を教えてくれないんです。なので、何を飲めばいいのかわからない(T_T)。ま、でも手探りで味を探すのも悪くないです。
おいしいお酒とおいしい魚をいただいて、おかんじょうも予想よりすごく安くo(^^)o

てことで、2軒目(笑)。
沖縄料理の店に行くと、いきなり「いつきさん!」へ?知り合いでした^^;;。
もう、あまりにも世界は狭いです。
で、身体は汁を欲してます。ソーキそば、んまい!
てことで、〆!

環境はできるもの、環境はつくるもの

今日は午後から出張です。向かうは西成高校。今度の夏季研で来てもらう肥下さんとの打ち合わせです。
もともとは「夜の打ち合わせ」にしようかと思っていたのですが、打ち合わせって公務だし、「出張だよ」とも言われていたので、そもそも「昼の打ち合わせ」をしないと、なにも決まらなかったりしますからね^^;;。
てことで、新今宮へ。カマを通って鶴見橋商店街を通って、「聖地」に到着です。
しばらくしたら、神奈川のK巻さんも来られて、西成高校のとりくみのレクチャーや、朝鮮語教室の見学をさせてもらいました。
なんだろ。西成高校のとりくみは、日々進化している感じです。前に行ったのは三年ほど前ですか。その時聞いたことや、本で読んだことは、たぶんすでに過去のことになっています。教材が教職員全体に浸透する中で、学校の空気になり、さらに学校のあり方そのものになっていく。そんな感じでしょうか。
で、それはひとりではできない。
もともと、西成高校には西成高校の環境がある。で、西成という地域には地域の環境がある。それぞれのところでほんとに真摯なとりくみがある。でも、互いに遠慮や不信感なんかがあるときは、それは単なる「置かれた環境」でしかない。それがコラボをはじめた瞬間、「環境づくり」へと進化と深化をはじめる。
実践を言葉であらわすことは簡単なんですが、それを言葉にする前に実践しているってすごいことだなと思います。

さて、わたしはここからなにを学べるだろう…。
わたしにはわたしの置かれた環境があります。それは西成とはまったく違う。学べることは、おそらくは「進化と深化の可能性がある」ことだけです。あとはスクラッチから…。

そうそう。
打ち合わせもしました。
うーん。ま、簡単に言うなら、
「肥下ちゃんはなぜ肥下ちゃんなのか」
ってことでしょうか。
どんな話が聞けるか楽しみですo(^^)o。

研究者って人間だなぁ

今日のテーマは「古典的条件づけ」です。「レスポンデント条件づけ」ともいいます。
すごく簡単に言うと、「パブロフの犬」の話です。
これまでの話は「オペラント条件づけ」といわれるもので、スキナーが考え出したもので、スキナー以前という意味で「古典的」と言われています。
レスポンデントとオペラントを比較すると、前者は「先行刺激によって反応が生じる」「生物学的基礎を持つ反応」「対提示(餌とベルみたいなペア)」がキーワードになるのに、後者は「結果事象によって増減する」「強化経験によって獲得」「行動と強化の随伴性」がキーワードになります。
つまり、レスポンデント条件づけは、いわゆる「条件反射」なわけで、ベースになっているのは「無条件反射」なわけです。
で、行動療法のおもしろいところは「一定の法則で関連づけられたものは消去できる」ってことです。
これが発揮されるのは、「恐怖症」の治療みたいです。
恐怖症は、元来恐怖を感じないもの(中性刺激)に対して「無条件刺激(無条件反射を起こさせるもの)」がセットになることで(対提示)、元来「無条件反応」だったものが、「中性刺激→条件刺激」となり「無条件反応→条件反応」と関連づけられることにより起こります。
なので、それを消去(レスポンデント消去)すればいいということのようです。
で、消去の方法はめっちゃ簡単で、「段階を追って慣れさせる」です(笑)。
なーんだって結論なんですけど、でも、経験的に正しさを感じるのではなく、理論的にそれが正しいと言えるっていうことこそが「治療」につながり、そのことによって治療が「よりよい方法の模索」へといくわけですから、やはり意味があるんでしょうね。

にしても、ところどころではさまれるエピソードが…。
生後11ヶ月の「アルバートくん」にレスポンデント条件づけの実験をしてすごい成果をおさめた「ワトソンさん」は、助手と不倫して大学をクビになったとか、とある心理学者は自分の子どもが生まれた時に、ついレスポンデント条件づけの実験をしてしまったとか。
ま、研究者って、あまりにも人間なわけです(笑)。

もどれない身体になってしまった^^;;

今日はいろいろあって、車で出勤。通勤時間のこともあるのでいつもと同じ時間に出たのですが…。
早いです。1時間ですね。
でも、ダメです。その1時間、なにもできないんです。これはつらい(T_T)。
いかに自分が電車の中でいろんなしょーもないことをしているのか、よくわかります(笑)。
さらに、帰り道。道が混んでます。
なんというか、やれることって、コーナーでちょい攻め気味みたいなことだけですか^^;;。
すっかり電車通勤の身体になってしまいました(^^)。

「うまくいったこと?」「うまくいかなかったこと?」

今日はうちの職場の人権研修です。講師は神野ちどりさん。ちなみに、「神野ちどり」で検索かけると…^^;;。
わたし、神野さんのお話をこれまでに少なくとも2回聞いています。2回とも同じ感想を持ちました。その感想があったからこそ、神野さんの話をみんなに聞いてほしいと思いました。おそらく万人ウケする話ではない気がします。でも、
「あ!」
って思う人は必ずいるはずです。
さて、どんな反応があるかな…。

ちなみに、少し早めに来られたのでいろいろ話をしていたら、前にうちの職場に来られたことがあるとか。なんでも研修資料がうちの職場にあったので、それを来られたとか。びっくりしました。

で、お話開始。
なんだろ…。
「うまくいかなかったこと」を話されるんですね。これ、すごいことだなと思います。
「うまくいったこと」は話しやすいんです。でも、聞きようによっては「自慢話」に聞こえてしまいます。あるいはそうは聞こえなくても、「うまくいったこと」から学べることは「一本の道」な気がします。そして「そのシチュエーションだから」と逃げることも可能になります。
に対して「うまくいかなかったこと」は話しにくい。それどころか、忘れてしまいたいことであることもありえます。でも、「うまくいかなかったこと」から学べることはたくさんある気がします。「もしも自分ならば」「もしもシチュエーションが違えば」。これって「たられば」ではないと思います。なんか「無数の道」がある気がします。

神野さんの話は、たくさんの生徒・保護者・先輩たちからの学びがベースにあります。それはわたし(たち)にもできることです。でもできないとすれば…。
それは、物事をとらえる時の「まなざし」なんだろうな…。ひとつひとつの言葉に勢いのある人なので、ついそこにとらわれてしまいがちなんですけど、そこに惑わされずに、「まなざし」に気づいてほしいな。
そんなことを考える一時間ちょいでした。