まぁいろいろ

午前はずっと出ずっぱり。でも、試験範囲終わったクラスがほとんどなんで、まぁなんてこともありません。ガチで授業したクラスが少しずつ育ってきたかな。授業中に質問が出てきたり、授業の後にわからなかったことを黒板の前で話し合えるようになったり。
この空気を大切に育てていきたいな…。

放課後、そろそろ暗くなってきたので帰ろうかと思ったら、生徒が質問に来ました。ま、ええか…。
「どれがわからへんの?」
「こっからあとはまったく」
絶句しましたよ。んなもん、説明不可能です。
でも、いくつか質問したらまるっきりわかってないわけじゃなくて、「確実にわかっているわけでない」レベルとわかったのでひと安心。30分ばっかつきあいました。
質問に来た生徒への教え方っていろんなパターンがあるんですよね。
いちから全部説明するパターン。授業の内容を思い出させるパターン。考えさせるパターン。
わたしは…。
思い出させるか考えさせるかですねぇ。「全部説明」はしたくない。てか、試験前にそんな質問は基本的には受け付けません。
てことで、必然的に質問に来た生徒との間で沈黙の時間が長い(笑)。下手したら、パソコンでメールチェックしてます。傍から見たら冷たいやっちゃと思われるでしょうけど、冷たいです(笑)。だって、試験で問題と対峙するのは生徒ですから。孤独な作業なんです。その経験を教員に見守られながらやる時間のことを「質問」と呼ぶんだと、わたしは思ってるんですよね。ま、それに耐えられる子にしかしませんけどね^^;;。

で、帰りの電車に乗るべく駅に着くと、昨日しゃべった子がいました。
「コロボックルさん、今日も来てくれたで!」
「よかったやん!」
「おかげさんで、ひと仕事終わったわ!」
「やったぁ!」

まぁ、いろいろあったごく当たり前の一日でした(^^)。

子どもたちはどこまでも優しい

今日日のガッコは年に最低一回は管理職が授業を見に来ます。まぁ、勤務評定がらみです。
しかし、かつては教員や保護者、市民がみんなで勤務評定に反対していたわけですが、いまやもう^^;;。
てのはおいといて…。
まぁ、わたしの授業を見てなにを考えたでしょうねぇ。起立礼はしない。寝てるやつは起こさない。声は小さい。机間巡視はしない。問題はあてない。服装はえーかげん。望ましい教員像の対極にありますよね(笑)。
でも、それができるのは子どもたちの優しさに支えられているんです。今日は普段よりたくさんの生徒が起きて勉強してたし、
「これ、どう思う?誰か、声ちょうだい」
答のつぶやき。
「OK(^^)。もうひとりくらいちょうだい」
答のつぶやき。
「そやね(^^)」
みたいな会話もできたし。子どもたちがわたしの「やりかた」をわかって、それにのっかって授業を一緒に運営してくれます。たぶん、空気は伝わったんじゃないかなぁ。
ちなみに、寝てるやつはほっといていいんです。たぶん、今日の授業でわかったやつから教わるわけです。それが「クラス」で授業をすることの意味なんです(笑)。

夕方、これ以上仕事にならんなと思い、退勤。駅のホームでバッタリ会った子ども。いきなり
「ちゃんとコロボックルさん、来た?」
「うん。来たけど、散歩行ってしもてん。そやし、今日はあきらめた」
「あかんやん。ちゃんと捕まえておかんと」
「そやなぁ。でも、また明日、きっと帰ってくると思うねん」
「うん、がんばりや」
「うん、がんばるわ」
会話が成り立ってるあたりがなんとも^^;;。優しいです(^^)。

とまった_| ̄|○

ここしばらく「コロボックルさん」が来てくれるのを待つ毎日でした。で、うーんうーんと待っていたのですが、今朝、突然コロボックルさんが来ました。
「おぉ、これだ!」
と作業をはじめたのですが…。
3時をまわったあたりで突然とまりました(;_;)。
もしかしたら、コロボックルさん、散歩に出かけたのかなぁ…。

ま、またあした来てくれるでしょう(^^)

あきらめではなく

来週から中間試験です。一週間くらい前になると、ボチボチ試験範囲も終わりはじめて、復習の時間へと移行していきます。
先週試験範囲を終えて、今日から復習に入るクラスがひとつ。あした終わるクラスがひとつ。たぶん明後日終わるクラスがひとつ。
問題は、この「復習」の時間をどう使うかなんですよね。
ここで遊んでしまうヤツがいるんですが、たいていそういうヤツは試験はボロボロです。まぁ、何度も繰り返してるので、マヒしてるんでしょうね。で、「どうせできない」ってあきらめる。
そうそう。この間、こんなことを生徒に言いました。

君たちと大学生。あるいは大学生と大学院生の違いはなんだと思う?
勉強ができるかどうかじゃないよ。大学院生よりはるかに勉強ができる大学生はいるよ。大学生よりはるかに勉強ができる高校生はいるよ。違いはそこじゃない。違うのはね。
「わからない」と思った時にどうするかなんだ。
勉強ができない高校生や大学生は「わからない」と思った時にあきらめるんだ。でも、勉強ができないけど大学院まで行く人は、「わからない」と思った時「考える」んだ。そのほんの少しの違いなんだよ。

わかるかなぁ…^^;;。

メッチャうれしい!

で、いつものようにおたふくに行くと
「ちゃんとおいてあるで」
とのお言葉。出されたのはこれです。

これ、「四若神輿会のお守り」と手ぬぐいです。
「四若神輿会」は、祇園祭の神輿のひとつ「四若」の神輿を担ぐ人たちの会です。で、そのお守りは、前の神輿をつぶした材木を切り出してつくったものです。なので、このお守りは「四若神輿会」の人たちだけのお守りです。それがもらえたって、そりゃもう。ホントのホントにうれしいです。なんか、足の先だけであっても仲間に入れてもらえたみたいな。
そう言えば、前にKっくんが
「神輿、かつぐけ」
って言ってました。すぐに
「ウソや」
って笑ってましたけどね。
ま、いろんな意味で担ぐのはアレだし、そもそも足手まといにしかならないからウソなのはわかってたけど、それでもあのひとこともうれしかったなぁ…。
てなわけで、当然、メッチャビールがおいしいわけです。焼酎もおいしいわけです。飲みすぎるわけです(笑)。
さて、でも今日は明るいうちに帰りましょう。

玖伊屋の朝

昨日の夜はちょっと荒れてしまって、かなり反省。でも、みんなびっくりしたでしょうねぇ。ほんと、もうしわけないです。でもまぁ、A新聞の記者さん、「楽しかった」って、玖伊屋から出勤されたし、まぁ、総体としてはよかったんでしょう。
さて、玖伊屋の朝は片づけです。
この間、冷蔵庫の中を整理したし、できるだけ冷蔵庫の中にはものを残さないようにしたいなと。てことは、当然「あまった食材は食べる」わけで、いろいろ食べきりました。まぁ、これも片づけの一種です(笑)。
てことで、いつものように昼ごろに閉店。

で、あけて玖伊屋

今日の玖伊屋は気合いが入ります。なにせ、「琉球紅型No RacismTシャツ」のワークショップが同時開催です。
いや、もちろん玖伊屋の主催じゃないわけですが、常連さんのK田さんが講師なんで、そりゃいいだろうと。
で、メニューはどうしようかと…。
そういえば最近してなかったなと思い、粉モンで攻めようかと。で、こないだもんじゃを食べておいしかったから、もんじゃでいこうかと、安易な発想で決めちゃいました。

7時、準備の開始時間です。ワークショップの準備は万端です。

すごいな…。
で、玖伊屋の方は…。誰も来ない。仕方ないので買い出しに行きました。
買い出しから帰ったら、ワークショップはすでにはじまっています。パラパラとお客さんもやってきて、わたしはひたすらキャベツ切り。
そうそう。今日はA新聞の記者さんも来られていて、いろいろ話をしながらのもんじゃ屋さんの店長です。台所と会場を行ったり来たりにつきあわせてしまいました。ま、しゃーないですか。

にしても、今日はお客さんが少ない。スタッフも少ない。
でもまぁいいか。まぁいろいろあったけど、こういうこぢんまりとした時もいいかな(^^)。

孤独の万有引力

クィアな会」という謎のグループがあります。ここ、不定期に「孤独の万有引力」という集まりをしていて、そこで「話をしろ」ということになりました。
それにしても「孤独の万有引力」!なんというかっこいいネーミング!同僚や生徒にこの名前を言うと、みんな「おぉ!」ってなってました。
で、ここ、またテーマが難しいんです。
「闘う理由のない日本において、どうやって違和感を表明し、どう表現し、どう仲間とつきあっていくのか」
んな難しいことをどう話せと(;_;)。
いろいろ考えて、結局自分史を語る以外ないなと。それも「オフィシャル」の、もうほんの少し内側にあるものを語る以外ないなと思いました。
自分史って、おそらくそれを言葉や文字にした瞬間に「オフィシャル」になってしまいます。逆に「オフィシャル」にすることによって言葉化や文字化ができるのかもしれません。
で、今回のチャレンジは、いままでさまざまな形で「オフィシャル」にしてきた、それは印刷物になったりお座敷で話してきたというだけではなく、例えばメールでやりとりした内容であったり、どこかのメモであったり、呑み会での会話であったり、あるいはブログで書いたりしてきたことも含むと思うのですが、そういうさまざまなものを拾い集めることで「オフィシャル」のほんの少し内側を出すことができるんじゃないかと思ったのです。
さてさて。はたしてそれが成功したのかどうかはわかりません。
でも、話しながら自分の中にある言葉をまさぐり、そしてパズルにピースをはめこむように内容を組み立てていくという作業は、しんどくもあり、でもとてもスリリングでもあります。返ってくる質問もわたしの内側に深く入り込んできます。まだ言葉化しきれていない言葉は、その質問に耐えきれないこともあります。でも、その姿をさらすこともまた表現といえるのかもしれません。そしてそれが許される空間は、とても優しい。
なんだかとても刺激的なひとときを過ごすことができたんじゃないかなと、みなさんの顔を見ながら、なんとなく思いました。

そうそう。「孤独の万有引力」の意味は、孤独は孤独を寄せ集める。そして、より孤独を深めてしまう。そういう万有引力を持っている。その負のスパイラルからどう脱出できるのかって話だったんです。
あとから聞いて、それもまた「なるほど!」と…。

ある異変

朝、地下鉄に乗って、あちこち見に行って…。ん?見に行ける?あり?
そうか!京都〜四条だけネットつながってたけど、そっから北もつながるようになったんだ!メッチャラッキーo(^^)o!

悪魔が来たりて

今朝はとても睡眠が浅いです。ゆっくり寝られなかった。なぜだろう…。
あー、夢とうつつの間でいらんことをしてたんだ。

いや、なんか、夢の中ですごい文献が見つかったって興奮してたんです。中身は「教育力が低いとされる家庭における子どもの友だちが来た時のもてなし方についての1970年代と2010年代の比較検討」という、メチャクチャなんだかな話なんですけどね。まぁ、結論的には1970年代の文献が見つかって、現在と比較したら大差なかったということで興奮してたようです。いや、そんな文献、あるかないかしりませんけどね。で、もしもあったとしても、こんな話、たぶん三重県調査とかからNべ島さんあたりが書いてそうな内容です(笑)。

にしても、
「文献ハケーン!論文書ける!」
とか夢の中で興奮してるって、そりゃ熟睡できるわけないです(;_;)。
ぜったいこれ、脳みその錆がちょいと落ちて、「考え過ぎの悪魔」がやってきたんだわ。