「自然」と「反自然」の線引き・どこまで続く?(4日目)

今日の夜はトランス関係のミーティング。当然その後は飲み会なわけですが…。
まぁ、トランス関係の人と飲んでいるわけですから、話題はトランス関係になるわけです。で、話題はホルモン療法のことになっていって、そこではたと考えたわけですが…。

例えば、わたしみたいな年とってからのMTFのホルモンって、まぁ「効き」はたいしたことないです。すでに変化し尽くしたあと、ちょいと変化する程度です。でも、MTFであっても、例えば2次性徴直前あたりのホルモンは、おそらく劇的に効くんじゃないかと。そうすると、放っておいたらあっちにいくであろう成長の曲線を人為的に曲げることになる。そして、身体の形をコントロールしていく。例えば、胸の大きさはこれくらい。身長はこれくらい。声の高さはこれくらい。
しかし、そうした身体の形にはモデルがある。そのモデルは、おそらくは社会のあり方に規定されている。そして、その社会のあり方は、女性のあり方を規定している。そして、その規定に沿わないネーチブ女性の生きづらさをつくっている。
とするなら、「モデル」にあわせて身体の形をコントロールすることは、「モデル」からはずれたネーチブ女性の生き方を抑圧することにつながる。
トランスがトランスとして生きることを決意する時に「ありのままの自分で生きようと思った」なーんていうタームが出てくることがあります。でもその「ありのままの自分」が、実は「モデルとしての女性/男性」であるとしたら、そしてそのためのホルモンや手術ならば、それはほんとうに「ありのまま」なのか?っていうことなんですよね。

じゃぁ、わたしがやっていることは?
程度の差はあれ、同じことと言えるし、でも、違うとも言える。なぜなら、その「程度の差」こそが問題になるんじゃないかと思うからです。
トランスなんていう行為は、基本的に「反自然」なんだと思います。でも、その「反自然」の中に、どの程度「変えないもの=自然」をブレンドするのか。そのことで「モデル」からはずれた身体の形を持つ女性への抑圧を少しでも緩和することができ、そのことは最終的には(モデルからはずれざるを得ない)MTFへの抑圧を緩和することにつながるんじゃないかな。

たぶん正常な呑み会→?・どこまで続く?(3日目)

今日はとある研究会の最終会議です。まぁ、今年一年振り返って、来年を展望する感じでしょうか。
で、終わったら、これまた恒例の呑み会。
まぁ、そんなにひどい飲み方をする人たちではないので、しみじみとこぢんまりと飲むわけです。
と、そこにいきなりメール。
「呑も」
「うん」
早々に終わった飲み会を脱出して、別の飲み会へ。気がつくと終電です(笑)。
まぁこんなもんだわ^^;;。

明けて現役の会・どこまで続く?(2日目)

5時半くらいにふと目が覚めて、ベッドに潜り込んで再び爆睡。9時前に起きて、和室と台所の窮状を見て、「これはあかん」と直感。だって、11時には現役生が来ます。
今回は働き者の卒業生が多くて30分ほどで片づけ終了。それから、昨日の鍋に辛ラーメンを放り込んだ朝ごはん。おいしいけど、食べ過ぎそうです。
そうこうするうちに、11時です。ボチボチ現役生が来る時間。
「おー」
「来たでー」
「今日、何つくるん?」
「鍋」
てことで、みんな買い出しに行きました。さて、なにができるんだろ。
帰ってきた中国帰国の子、土鍋に八角・ナツメ・くこの実・人参・ニンニクあたりを入れて煮出しています。すごいよ!さすがは中国料理!医食同源です!肉団子を鍋にくぐらせては取り出します。
「固くなるしな」
もうね!感動です。
やがてできあがった鍋のおいしいこと!
そんな鍋をつつきながら、話はディープに進みます。
「ルーツ、どこやったっけ?」
「ややこしいから言わへん」
「せやけどな」
そこからルーツにこだわる、パラムの会からはじまるわたしのストーリーがはじまります。「ネーチブややこしい」に対抗するためには「自ら求めたややこしさ」でいくしかないです。だって、自覚的にややこしさを選ぶって、「選べずに担うしかない」というのとは違うややこしさをはらんでいるんですよね(笑)。
なんだろ…。
逃げられたのに逃げなかった。ので、逃げられなくなった。それはそれで変なんですよね…。
で、なおも突っ込んでいくと、ボチボチと「ややこしさ」を話してくれます。だって、同じ親から生まれたきょうだいだけど、生まれた場所が小さな海を隔てただけで国籍が違うんです。国籍ってなんだろう。民族ってなんだろう。わたしがわたしであることと、国籍や民族はどのような関係にあるんだろう。そんなことを、子どもたちの言葉を聞きながら考えさせられます。
こんな時間は至福の時間です。こんな時間を独占するのはもったいないなぁ。みんな来たらいいのになぁ…。
そんなことを考えているうちに、話題は「たいしたことない」話へと。まぁ、ガチな話は長続きしないです(笑)。
てなことやっているうちに、お部屋の片づけしなくちゃならない時間に。でもわたしはそろそろダウン気味^^;;。
まぁそんな現役の会でした(笑)。

卒業生の会からはじまる・どこまで続く?(1日目)

今日の午前・午後は、某在日外国人教育関係の会議です。いろいろ情報交換をしたり、いろいろ将来を展望したり。展望できる将来、ないなぁ(;_;)。
で、そんな人たちと夕方呑み。なんか、ほっとできる会話を楽しめました。F知さん、ありがと*1

で、東九条へ。今日は「卒業生の会」です。
この会、発足当初はけっこう勢いがあったんですが、最近参加者が少なくなって寂しい思いをしています。なんでかなぁ。
たぶん、発足当初のメンバーが大学を卒業式、あるいは仕事が充実し、あるいは結婚し。そんな中で、それなりにしっかりとした日常を送れているからなんでしょうね。まぁ、「便りがないのは元気な証拠」ってヤツです^^;;。それからもうひとつは、現役大学生の忙しさかなぁ。みんな、バイトとかサークルとかでバタバタしてるみたいです。
でもね。たぶん充実し、あるいは忙しい日常の中で、ふと立ちどまって考えるひとときは大切だと思うのです。だから、やはり「卒業生の会」は続けたい。
そんな中、最近よく来てくれる子が、今回も「行くよ!」と手をあげてくれました。俄然ファイトがわきます。で、Tーマスがやってくれました。「Fぁよんが行くよ」「Sーじが行くよ」。Jョディも顔を出してくれるみたいです。気がつくと、なかなか賑やかな会になりました。

酒を飲みながら、笑いながら、あるいはデッドボールすれすれの珠を投げながら、「自分って何人?」「自分って何?」という、ともすればスルーしがちな会話が延々と続く空間に自分が身を置くことができることは、どうしようもない幸せです。
そんな幸せを感じながら、ふとんにくるり沈没をしていく「いつまで続くのか?」の日々の一日目は終わります(笑)。

*1:こんなとこ見てないだろうけどね(笑)。

ある意味〆の日

今日はとある大切な会議の日。
午前は会議のための資料づくり。別にこの日のためにやってきたわけではないけど、でも、一部の子にとっては、やはりこの会議の結果は大きいと思うわけです。「あんなことがあったよなぁ」「こんなことがあったよなぁ」「あの時のあれがここにつながるのかぁ」。一年間のいろんなことが頭の中をぐるぐると駆け巡ります。
でも、結果が出たら、そこでFIXです。その結果をいじるのはアンフェアです。だからこそ一年間粘るわけです。
で、午後から会議。
みんなで結果を確認しあって、とりあえず終了。
さて。一年間の勝負は終わった。今日は早く帰ろう…。

歯止めは必要なのかなぁ

何が悲しくて1日おきに難波まで行かなきゃならんのかと思うのですが、今日も難波です(笑)。
今日はこれの第2回目です。
今日は織田さんvsWinterさん。さてさてどうなるかな。
まずは織田さん。
織田さんは、ブルーボーイ事件から30年の空白があったこと。そのために、治療が再開した時、少数の病院に人が殺到したこと。そのためにインフラの整備が追いついてないこと。しかし、医療はインフラの整備なしにはできず、結局、精神科医が治療をしながらガイドラインも考え、インフラの整備もしなくちゃならなくなったというあたりの話をされました。で、だからこそおもしろいんだけど、新規に参入してくる人にとってはハードルが高いだろうなと。そりゃそうですよね。
で、印象的だったのは…。
ひとつはインフラの整備について引用したのが「戦争で玄人は兵站を語り、素人は戦略を語る」だったっていうことですね。「よりによって戦争かよ!」って思いながらも、なるほどなと。
あと、自殺対策について元警視総監が話した内容を引っ張ってこられたんですけど、で、それはそれでいいんですけど、「講演を聞きながら、ずっとGIDにひきつけて考えていた」って言っておられたんですよ。てことは、織田さんの中で、今GIDが中心課題なんだなって、あらためて思いました。

で、Winterさんは「Gender recognize」の必要性と「特例法批判」(笑)でした。
まずは、国際人権規約とか社会権規約とかジョグジャカルタ原則なんかを引っ張ってこられて、「Gender recognize」の正当性を主張されました。そういう意味では、特例法は正当であると。そのあと「however(笑)」と続くのはお約束です。会場にさざなみのように笑いが広がりました(笑)。
で、拷問禁止の条約とかいろんなものを引っ張ってこられて、手術要件の不当性を主張されたのち、イギリスの性別承認法やアルゼンチンの性同一性法(Gender identity law)なんかを紹介して「性別承認に医療が一切関与しない国もある」とされました。

で、質疑応答。
まずはこんな質問。
日本においてはもともと性別移行のハードルが低い文化があるのではないかと。で、例えばアルゼンチンのようなことをしたら、とめどなく性別移行の人が出てくるんではないかと。歯止めはどうなるのか不安だと。

で…。
わたしなんかは「いいじゃん」と思うんですよね。というのは、本来性別なんて何回変えてもいいし、その重みがもっと減ればいいと思っています。で、例えば、ネタで性別を変える人がいてもいいとも思っています。なぜなら、「望まない性別」での生活がとてもしんどいということをGIDという存在が証明している(はず(笑))だからです。まぁ、そんなもん、続きません。
これ、学校の制服についても言えるわけで、ネタでスカートはいて女子生徒の生活やって、果たして何日もつかなと(笑)。で、もしもそれが居心地よかったら「よかったね(^^)」なわけです。そんなのでいいと思っているんです。
で、はじめのうちは、たぶんいろんな人がいろんな形で性別変更していくだろうけど、結局はどこかで平衡状態がやってくる。つまり、必要な人はするし、不要な人はしない。そんなところにくるんじゃないかなぁ。
で、何が問題かというと、そこに外科治療が必要となるったところだと思っています。という意味では、Winterさんの話は、深く納得がいくんですよね。
で、わたしもひと波乱(笑)ののち質問。
わたしの質問は、ひとつは「(未成年の)子なし要件」のもたらすストレスについてでした。「子どもがいるためにトランスできないストレス」「トランスしたらしたで性別承認されないために実態的な性別とは法的には反対の性別になり、それが子どものための稼ぎを邪魔する可能性が高いというストレス」みたいなのを考えると、「(未成年の)子なし要件」はかなりまずい要件なんじゃないかと、かねてから思っています。Winterさんは心理学者で臨床もしているということなので、そのあたりについて聞いてみました。
あ、そうそう。日本では性別移行の縛りはゆるいかもしれないけど、「家族の縛り」はきついように思うし、いまそれをますます強くしようとする動きもあるように思いますねぇ…。
それから、もうひとつは「移行した性別での承認が簡単になると、さまざまな不利益は性別移行をすることで回避する回路ができ、それはひいては「あえて性別移行しない人」へのバッシングの強化につながるのではないか」ということでした。
で、結論的には、どちらの質問も意図を汲んでもらえなかったなぁと(笑)。
ま、そんな感じで2回目終了でした。

効果のほどは?

11月にプレマリンを1日1錠からエストラーナを2日に1枚に変えました。
ある人に聞いたら、
エストラーナは吐き気なんかが起こって、自分にはきつすぎた」
ってことだったので、数値的にはどうなるのかなぁと思っていました。
ちなみに、エストラーナに変えてから、久しぶりに胸に張りを感じたり、少しだけ大きくなった気がしたり。ま、ほんの少しですけどね(笑)。
てことで、測定結果。

測定日 E2(pg/ml) T(ng/dl) 薬(錠/日) ビールの本数 ビールの味
2006/08/10 67.3 0.05(ng/ml)     4 1本弱
2007/02/08 1430.0    5 1本弱
2007/04/10 1386.0     4 1本弱
2007/06/14 587.2   3 1本
2007/08/16 104.1   2 1本
2008/02/14 681.1   2 1本
2008/04/10 418.0   1.5 1本+α
2008/06/04 65.0   1 1本では足りない
2009/01/27 69.0   1.5 1本
2009/09/17 88.8 603.9   1.5 1本
2009/12/8 174.9 33.6   2 1本
2010/04/26 97.5   5/3 1本
2010/08/09 10以下 0.4 12.9 43.3 0 1本
2011/02/16 43 0.3 13.7 35.3 0.5 1本(無敵)
2011/09/21 24 0.2 14.3 36.3 0.5 1本
2012/07/24 10以下 0.1以下 17.8 63.0 0.5 1本
2012/11/17 30 0.2 9.9 25.1 1 1本
2013/11/11 42 0.1 4.7 19.2 1 1本
2014/03/04 50 0.1 10.2 22.1 1/2 1本

※2013/11/27よりエストラーナを1/2

なるほど。黄体化ホルモンがかなりあがってます。これが胸の張りの原因かな?あと、卵胞刺激ホルモンが少しあがっています。これが胸が少し大きくなった原因かな?
実はこのあたり、あまりよく知らないので、ぜひともご教授いただきたく^^;;。

ちなみに、基準値は以下の通り。

ホルモン 男性 女性
E2(pg/ml) 19~51 19~226(卵胞期)・49~487(排卵期)・78~252(黄体期)・39以下(閉経後)
テストステロン血清(ng/dl) 225~1039 3~67
望ましいT値(ng/dl) 100

で、ホルモンよりも問題なのはγGTP関係です(笑)。

測定日 γGTP ALT
基準値 1-80 5-45
2010/08/24 107 36
2011/08/23 223 82
2011/09/21 184 57
2012/07/24 100 29
2012/11/17 72 26
2013/11/11 118 34
2014/03/04 100 22

一時223までいったけど、あれ、絶対に測定した日の問題だと思います。だって、夏の終わりだもん(笑)。今回は100か。ま、えーか(笑)。
てか、今度の土曜日から一週間「まつり」がはじまるんですけどね^^;;。

モヤモヤ…

今日からこんな連続セミナーがはじまります。
今日はその第一回目、康さんvsSam Winterさん*1です。テーマは「子どものトランス」です。さてさて、どうなるやら。
とりあえず、仕事を終えて難波まで。遠いわ…。

で、セミナースタート。
康さんは3人の症例を紹介しながら、具体的な話を展開されました。
子どもの場合は身体治療の話はほとんど関係ないので、どちらかというと「サポートのあり方」と「カムアウトの是非」の話になります。結論的には「ケースバイケース」なんですが…。でも、出された症例に限って言うなら、カムアウトしてる子のほうがうまくやってるように見えますねぇ。なんというか…。ノンカムの子の「やり過ごし方」は、常に「ウソ」が伴うんですよね。それがすごく気になった。ま、「方便」っちゃあ、それはそうなんですが…。
続いてWinterさん。
いきなり「脱医療」です。「Gender DysphoriaではなくGender Different」とか「Trans GenderではなくTrans Gifted」とか、なかなかおもしろい言葉が並びます。で、話は当然DSMとかICDの話になるわけですが…。まぁ、それぞれ脱医療の方向に向かっているのはいいんだけど、DSMやICDに入っている時点で「病理」だと。そこの矛盾をどうするか。で、「Zコードに入れたらええやん」と。ま、そんな話でした。
(ここから追加)
そうそう。とても印象的だったのは、「子どものトランスジェンダーをもしも社会が受け入れられないなら、それは社会の側がGIDであるといえるのではないですか」という言葉でした。
わたしもたまぁに人前で話をするときに「子どもたちが社会に適応不良を起こしているのか、社会が子どもたちに適応不良を起こしているのか」って言いますが、そうなんですよね。
(追加、ここまで)

で…。
なんか、モヤモヤしちゃいました。ま、Winterさんが客層を把握しきれてないってことはあったかもしれません。が、それよりも大きなモヤモヤの原因は「脱医療と言いながら、論議されているのは医療者としてのサポートの方法」ってあたりなんでしょうね。まぁもちろん、スピーカーが医療者なんで当たり前っちゃあ当たり前なんですけど。でも、会場からの質問も、医療者にHUBの役割を期待するような感じなんですね。
このあたりにモヤモヤを感じるのはなぜかなぁと考えると、きっとそれは、わたしが在日外国人の交流会や隣保館学習会にかかわってきたからなんでしょうね。
おそらく医療者にHUBであることを期待する根っこにはやはり「専門家」っていう意識があるんじゃないかなぁ。
でも、隣保館学習会も在日外国人生徒交流会も、部落外であり日本人である「わたしたち」がやってきました。やる人に専門性や当事者性がなくともできるというところからスタートしたからこそ、「広がり」ができたんだと思います。

考えてみると、例えばサポート体制をつくることや、専門家を育てることって、「他者を動かすこと」です。でも、交流会を企画することは「自分が動かすこと」です。前者と後者では、後者が圧倒的に楽だと、わたしは思います。だって、やろうと思った「わたし」が「やろう!」と手をあげればすむからです。
そんなことを、わたしは解放運動や在日朝鮮人教育運動から学んだ気がします。

うーん。
このモヤモヤ、どうしよう…。まぁ、「第3回」があるか(笑)。

*1:≠うぃんた(笑)。って、見てねーよな^^;;。

どの角度から語るのか

今日はウトロのフィールドワークです。
大雪注意報が出て、京都府南部にも小雪がちらつく今日、なにが悲しゅうて外を歩くねんって話ですが、夏に日程を決めたのでしかたないんです(笑)。
今日お願いしていた講師はもともとはS藤さんって方だったんですが、体調を崩されて、急遽T川さん*1って方がピンチバッターです来られました。
T川さんの話、とてもよかったです。
もちろんS藤さんの話はウトロの現実をとてもていねいに話されて、すごく勉強になります。それはそれでとても大切だと思います。それに対して、T川さんの話は「守る会」としての話なんですね。つまり、支援者としてウトロをどうまなざしてきたのか。そして、自分にできることはなんだったと考えたのか。そして、支援者として今後ウトロにどうあってほしいのか。そんなことを話されたように思います。
これ、一歩間違えると「当事者の主体性をさしおいてなにを」みたいはことになりかねないのですが、きっと、いや、絶対にそうはならない。なぜなら、ウトロと守る会はそういう関係をつくってきたからです。その何人かのうちのひとりがS藤さんでありT川さんである。そして、T川さんの「役割」は、たぶんT川さんが語られたことなんだろうなって、わたしなりの20年のウトロとのつきあいの中から感じました。

ひとつの町をめぐって、いろんな語り口がある。ひとつの物事には多面的な見方がある。そんなあたりまえのことを、今日再び感じさせてもらいました。

*1:外川さんではない(笑)。って、わかんねーよな^^;;