アイデンティティ・ポリティクス?

なんか、今度、前のセンセも含め、「エライ人たち」相手に話をしなくちゃならんハメになりました。テーマは「アイデンティティ・ポリティクス」らしいです。
んなもん、無理です。だって、聞く人たちは、そのスジのプロだし、「アイデンティティ・ポリティクス」についての研究もしてるだろうし、そもそも「アイデンティティ・ポリティクスを超え」ちゃってるような人たちだし。そんな無理な話をなのに、なぜか引き受けてしまう。この悪いクセをなんとかしないとアカンなあと思うのですが、なかなかなんともなりません。
でも、考え方を変えるなら、この手の無理を引き受けることを通して、「考える」ことができるとも言えます。ま、合理化か^^;;

なんしか、先行研究には少しあたらなきゃならないだろうけど、別に「発表会」じゃないわけだから、「私見」が入っても怒られないだろうし、考えてきたことを話そうかなぁ。

優しいなぁ

ちょいと故あって、頭を冷やさなきゃまずいので、でも、シップも貼れないので、氷&三角巾で冷やしながら授業をしていたのですが…。
会う生徒会う生徒、みんなが心配してくれます。まぁ、「飲んでぶつけてコブできた(笑)」って言えば、みんな笑ってくれるのでいいんですけどね。でも、みんな「気ぃつけや」って言ってくれます。
果ては「先生、先月も飲んでコケてケガしたやん。ほんまにちょっと、飲むの、やめたほうがええで」と心配してくれる1年生まであらわれました。
いや、ほんとにこんな子らに囲まれて幸せやなぁ(^^)。

南へキタへ

今日は移動に次ぐ移動の一日です。
まずは午前は「第二のふるさと」で会議。いつもの通り、グダグダな会議です。でも、テーマを絞り込んで「ためにする」会議じゃなくて、こういうグダグダから「何が出てくるかな」って探しあうのはおもしろいです。ちなみに、このグダグダ会議のモットーは「なにを言ってもいい」です。セーフティーです。
あ!p4c!
ま、やめときます(笑)。

で、午後は京都市内の北側にある、京都府北部で研究会。
今日は三本のレポートを聞いたのですが…。
なんか、入ってきません。なぜなんだろうと思ったんですが、だんだんわかってきました。子どもの姿が見えてこない。
レポートっていろんな種類があって、例えば子どもとのかかわりのレポートもあれば、授業実践のレポートもあります。後者は一見子どもの姿なんて見えなさそうだけど、実は授業を媒介にして子どもにかかわっているわけで、そうすると、やはり子どもの姿が見たいわけです。で、前者にいたっては子どもの姿が全面に出てくるはずなんです。でも、見えてこない。なぜなんだろうとさんざん考えて、「あ!」と思ったのは、教員の位置が動いていないんですね。子どもに近づいていない。いや、実際は近づいているんだろうけど、それがレポートにはあらわれず、ひたすら「教員目線」で描かれている。
これは「書き方」として、アカンな。でもま、こういうのは「作風」ですからね。京都の小中はこういう書き方が伝統芸能として伝わっているんだろうな。
ちなみに、高校は少し違います。でも、近年、似たりよったりのところがないわけでもない。
考えてみると、わたしは先輩に育ててもらえましたねぇ。「子どもの姿でつなげ」って、徹底的に叩き込まれましたから。それは、「京都の作風」ではなく「全国のレポート」とつながってきた先輩ならではのアドバイスでした。そしてそこから「京都の作風」をつくってきました。あれ、伝えなきゃならんな…。

で、夜は大阪のキタで会議→呑み会。
先月はこの帰りにクラッシュしたけど、今月は引率の方がおられるので安心です。
って、ひとりでは帰れんのかい!

未熟であること

帰りの電車の中で、今年度はじめて本格的に授業をする人と一緒になりました。で、いろいろしゃべってたんですけど、
「不安なんですよね」
って言われます。
「なにが?」
「ちゃんと教えられてるだろうかって」
うーん。
どう答えたらいいんだろ…。
なんしか昔話なんぞをしばらくしていたのですが…。
そう言えば、わたし、1年目はムチャクチャでした。ある項目を教える意味も、それと別の箇所の前後のつながりも、なーんにもわからないままに教えてましたねぇ。単純に不勉強でした。で、いま勉強しているかというと勉強していないです^^;;。まぁ、マニュアル読まずに機械をいじるタイプですから^^;;
なので、その人に
「まぁ、ちゃんと教えられてるかどうか考えても意味ないと思います。ちゃんとは教えてないです。だって、1年目ではちゃんとは教えられないから。だから、指導書通り教えたらええんとちゃいますか?」
とアドバイス(笑)。
「でもね。ライブで授業をすることの意味って、そこになにかひとつつけ加えることなんだと思うんです。それは、例えば散歩した時に見たものとか、いままで勉強してきたことから考えたこととか。そういうことをほんの少し入れることで、話がふくらむ。でも、逆に言うなら、そのほんの少しで充分じゃないかなぁ」
なんか、そんな気がしたんですよね。
未熟なんだから「ちゃんと」なんて考える必要はないと思います。でも、「精一杯」は考えてもいいかな。
うん。
のびのびやりましょう(^^)。

じりじりと

今日は原稿を書かなきゃならない日ですが、なかなか気が乗りません。なので、原稿書きと双璧である部屋の片づけに着手。でも、ずっと大阪の住民投票が気になってます。
で、9時過ぎから開票開始。一進一退の中、最終的に僅差で反対が賛成をうわまわって、「大阪市分割案」は否決されました。
にしても、開票中に「区ごと」の開票結果を見ながら「ここは反対が勝つやろ」と予想したところが、やはり反対が勝ちました。てか、その予想があまりにも簡単すぎる。結果はこんな感じになっているわけです。
まぁ、そりゃそうだろうなと。この選挙結果に大阪にいまある課題とかがはっきりと浮かび上がってきているように思います。
わたしはかつてから「大阪はしんどい人に優しい街」って思ってます。だから、全国学力テストの平均点が悪いのはあたりまえ。生活保護率が高いのもあたりまえ。
で、それに不満を持つ人がいる。基本的には「社会は互助」だと、わたしは思っているけど、新自由主義はそうじゃなくて、そういう層ももちろんいるわけで。
で、問題は、そういう状況の克服のために「しんどい人を、どうしんどくない状況にするためにサポートするか」という方向ではなく「しんどい人をいかに排除してしんどくない人だけで街をつくるか」という方向に、この間舵を切ってきたこと。

これ、わかるんですよね。学校(高校や大学)がまさにそれです。
「いかにして「いい子」を集めるか」
という発想で考える。同じことだなと。
でもねぇ。これ、根源的な解決ではない。それは例えば「葬儀場建設お断り」の住民運動と同じこと。

てのはおいといて。
でも、今回の選挙結果の意味は大きいんだろうな。
同じ日に沖縄の県民集会で35000人集まったとのこと。
沖縄もまた「大阪のミナミ」なんだろな。いや、もっと打ち捨てられた地。

闘いの炎は、そういうところからじわじわと広がっていく。

久しぶりに行きたくて

今日は久しぶりに十三で呑みたいなと思っていたので、出張が終わったら阪急の駅に向かいました。
実はKちゅかるこさんが「行きたいな」と思っていた店に行く予定があったらしく、まぁ向こうで会ったらその場の雰囲気でと思っていたのですが、お相手がお友だちのRささんということで、一緒に呑むことになってしまい…。そうこうするうちに、知りあいがお店に来られ、まぁなんか、いつもの感じになったりして。
うーん、でも、調子に乗りすぎてKちゅかるこさんには悪いことをしてしまいました。反省です。

未来予想・ある日不意に

今日もなんか、ダラダラ仕事をした。でもまぁ、そんなに悪くない一日だったかな。職員室では相変わらず浮いてるけど(笑)、子どもたちは優しい。なので、授業は楽しいし。
で、特に飲み会もなく(笑)家に帰って、家族でごはん。うまいなぁ。ビールが(笑)。
ごはんのあとは家族全員で片づけ片づけ。さっさと片づけてテレビを見なくちゃ。今日は木曜日。9時からケンミンショーですよ。
よし、間に合った。相変わらず大阪はディープです。
あれ?テロップ?
なになに
「本日21時15分、○○国と交戦状態になりました」
へ?
でも、ケンミンショー、普通にやってるやん…。

今日、帰りの電車の中で四条河原町で街宣行動やってるのを知って、あわてて駆けつけたのですが、すでに終わったあとでした。大阪でも東京でもやってるけど、今から御堂筋に行くのはきついので断念。地下道を烏丸までトボトボ歩いたのですが…。
みんな普通に会話してます。地下道に座ってるホームレスのおっちゃんを見た瞬間、なんか、ものすごい怒りがお腹の底から湧き上がってきました。
なんでこんな国になってしもたんやろう。いや、してしもたんやろう。
なんか、「こうやって戦争への道を歩むんだ」ということを、いま経験してるんだなぁ。わたしが子どもの頃は「なぜ戦争をとめられなかった」と、きっと誰もが思っていた。でも、とめられない。いや、とめようとみんなしてる。でも、とまる気がないヤツは人の話を聞こうとしない。だからとまらない。
アベノミクスに希望を託した結果が、アベノミクスの恩恵は一部にしか行かず、全体は戦争への道を歩んでる。
これが自民党に一票を入れた人の望む社会だったんだなと、あらためて問いたいけど、たぶん「うん」って言いそうでこわい。
夜、報道ステーションを見てたら「仕方ない、亡くなる人もでるかもしれないが、覚悟しなければならない」という発言がありました。これ、やらせ?やらせであってもなくても、あまりにもひどい発言。
わずか15分見ただけで血が沸騰したので、寝ることにしました。
寝ようと思ったらしゃっくりがとまらない。
くっそ!安倍のせいや

#安倍はやめろ!
#安倍を倒せ!

なにもできない

やらなきゃならないことは潜在的にはたくさんあるけど、なかなか手につきません。別に忙しいわけじゃないです。でも、手につかない。脳みそがゆるんでるのかなぁ…。
そう言えば、今日、会議中に爆睡してしまい、それも前に倒れたんじゃなくて、後ろに倒れたものだから、とても気持ちよく寝られたけど、会議が終わって目が覚めたら、みなさんの温かい笑いに取り囲まれましたよ。
数学科は優しいなぁ(^^)。

人権教育の三課題

今日は某人権教育関係の研究会の総会です。午前の総会は、まぁまぁ(^^)。
で、午後は記念講演。講師は金明秀さん。講演のタイトルは「人権教育の三課題」です。
基本的にはこのスライドの内容ですが、それを人権教育向けにリメイクされた感じです。

まず、差別の仕組みとしては、「見下し(序列化)」と「遠ざけ(差異化)」がある。で、差異化への抵抗言説としては「平等性」があり、「序列化」への抵抗言説としては「衡平性」がある。ところが、それ以外に「同化」というのがあって、それへの抵抗言説として「承認性」がある。
で、ある人権課題のとりくみをするときは、常に2方面作戦をとらないと、ひとつの反差別の言説が他の差別を引き起こす。
まぁ、そんな内容でした。非常にわかりやすかったです。
で、いろんな質問が出て、話の内容がさらに深まったのですが、わたしも質問しました。「ミョンスさん、なんでこんなこと考えるんですか?」って。で、ミョンスさんは生い立ちから少し話をしてくれました。つまり、在日の生い立ちの中には「同化志向」と「異化志向」が常に混在していて、そこが不毛な争いをする。それをどうにかできないかってことでした。
なるほどなって思いました。
例えば…。
「新渡日の子どもたちへの日本語指導」に対して、とある在日外国人教育関係のグループ(笑)は「それは同化だ!」という批判をかつて強くしていた。まぁ、いまは「母語保障も大切だよね」「日本語指導も大切だよね」となってきていますが。
あるいは、解放運動をめぐる話も似ているかと。
なんしか、ある現象に対して、一方向の抵抗言説だけで進めると、他の方向への差別につながってしまう。
で、両方やれって話ではなくて「意識する」ことの大切さなんですね。いま、自分はどの言説の脈絡で闘っているのか。それを意識化すること。
そんな話でした。

にしても、やはり「アイデンティティ・ポリティクス」ですね。承認原理。ミョンスさんはやはりここへのこだわりは強いです。それは当たり前だと思うのですが…。
わたしはもともと「パラムの会」の影響を強く受けているので、このアイデンティティ・ポリティクスについては「うんうん」と思うのですが、なかなかそうはいかないのかなぁ。