で、向かった先は

講演が終わったら、そのまま駅まで走って、電車に乗って、上の子どもと合流して、バスに乗る。3時間半ほどたったら、あら不思議。四国にいました。明日の昼にお座敷があるのでK野さん家に前泊です。
迎えに来てくれたのは、なぜかK原さん。家に着いたら、そこにはなぜかO沢さん@小豆島。みんなで鍋を囲みながら、今回持っていったお宝映像の鑑賞会。とてもじゃないけど笑えない映像を笑ってしまうわたしたちはもちろんクズなわけですが、一方「あー、こんな風景、小さい頃あったわ」とか「おじいちゃんから聞いたことがある」とかいう話が出てくるのもまた、このメンバーならではです。
ということで、3時くらいまで呑んでたわけですが、あしたのお座敷、大丈夫なのか?

首がちぎれる

今日は某人権教育研究会の研究講座。講師は土田光子さんです。
講演に先立ってパネルディスカッションがありましたが、こちらはすまないけどおもしろくなかったです。まぁ「若さ」を基準に人を選んでも、その人に話せる内容やそれを言語化するまでの時間がないとおもしろいわけがないです。
で、後半の土田さんの講演。
土田さんは、まぁいうなら同和教育の手法のいくつかある柱のひとつである「集団主義」をずっと中学校でやってこられた方です。もちろん、わたしも「クラスづくり」を自分の実践の基本に置いてきたし、いまも基本においています。そんなわたしにとって、土田さんの講演に期待しないわけがないです。
ちなみに、かつて熊本の全同教大会の時にクラスのムラの子についてのレポートをした時、同じ分科会に土田さんもレポートを出されていて、わたしのレポートを聞いて「京都にこんなにていねいに実践をする教員がいたのか。実践において、大阪は京都に負けた」と言ってくださったことがあります。それを聞いて「あぁ、こんなふうにやっていけばできるんだ」って力をもらった気がしました。
その後、トランスをはじめた頃に大分の全同教でお会いして「いま、こんなになってます(笑)」と言ったら「がんばってや」と励ましていただけました。
今日の講演は「若い教員に同和教育とはなんであるかということを伝える」ことが目的だとか。講演前に「薄っぺらいよ」と笑っておられたのですが、わかりやすい!集団とは何か、つながりとはなにかを、ご自分の経験に基づいて、ほんとうにていねいに話されました。もちろん、わたしも話を聞きながら、いま自分がやっていることを点検するわけです。「あぁ、できてるな」「うわぁ、サボってる」ひとつひとつ確認をする中で、具体的に明日から自分が何をしなくちゃならないかがわかる。そういう講演でした。とにかく、メッチャ笑いながら、首がちぎれるほどヘッドバンキングしてしまいました。
んー、若い衆に聞かせたいなぁ…。

話のまわしかた

今日は夕方から元おべんきょ仲間と呑み。「どこか…」っ言われたので「うーん」と考えて、地球屋に行くことにしました。
てのはいいんですけど…。なんか、気になったのは、話題のまわし方でした。
例えば…。
「○○さんはどんな人が好きなの?」って話があるとします。それに対して、いろんな話題のまわし方があると思います。
パターンA「前につきあってた人はホニャララさんだったから、きっとホゲホゲな人かな?」
パターンB「例えば、ホゲホゲな人とホニャララな人だとどっちが好き?」
パターンC「あなたの感じを見ているときっとホゲホゲな人でしょう」
もちろん他にもいろんなパターンがあるだろうと思います。
で、わたしは基本的にはパターンBでいきたいなと思っています。なぜなら、相手にしゃべらせたい。たぶんパターンBのあとは「なぜそうなの?」って続きます。でも、教員にそういう人は少ないんじゃないかなぁ。教員に多いのはたぶんパターンC?
で、これ、対人関係とか教え方とか、あるいは「おべんきょ」の仕方とか、いろんなところに通じると思うんですよね。
まぁ、パターンBはめんどくさいです。だから、途中で終わってしまうかもしれない。でも、いろんな話が聞ける可能性があるから、やっぱりパターンBがいいなぁ…。

なんなんだ、これは!

夜、いつものように報道ステーションにチャンネルをあわせましたが…。
いったいなんなんだ、これは。ほんとにこの国の政治はどうなってるんだ。
「ちゃんと質問に答えてください」
「だから答えてるでしょう」
「答えてください」
「答えられないって答えてるでしょう」
みたいなやりとり。
子どものケンカというか、子どものケンカよりもひどいというか。
かと思うと、不倫報道。
「「倫」は「仲間」という意味なんですよ」
と、かつてFぁよんが教えてくれたけど、まさに「仲間にあらず」という「扱い」なんですね。ちなみに「倫理」は「仲間の理」かぁ。厳しいですね。
ベッキーの時も感じたけど、別にどーでもええやん。ゴシップやん。しかも、背景にあるのはモノガミー規範やん。まぁ、ノンモノガミーなのかどうか、そういうパートナーシップをとっていたのかどうかはわからないけどね。
なんかもう…(;_;)。

うーん

今日は仕事が早めに終わったので、ちょいとひとり呑み。一杯で帰ろうと思っていたら、となりのおじさまに声をかけられて、なんか話しているうちに3杯呑んでしまった。
ま、それはいいんだけど、だんだんナンパモードっぽくなってきたので、結婚してるって言ったら、えらいびっくりされたんだけど、その時点でジェンダーだなと。でも、ナンパモードがとまらないので、「わたしややこしいですよ」とカミングアウトしたけど、まだとまらない。なので、とうとうはるな愛さんとのツーショットを見せたんだけど、まだとまらない(笑)。
まぁ、最後は酔っ払っておられたので、わけわからんようになってたのかもしれませんが^^;;。

うーん…。
ま、ひとり呑みはややこしい(笑)。

間隙をいかに縫うか

去年、ほんとに「あー、もっとやればよかった」と思うことがありました。それはひとことで言うなら「連携」ってヤツです。
実は、ここ10年、ほんとうに「連携」ってヤツがとてもしにくくなっています。原因のうちのひとつは「個人情報保護」ってヤツです。でも、この「保護」の範囲をどこで設定するかっていう「運用」の問題が、実はほんとうの原因なんじゃないかと思います。
例えば、Aという子どもがいる。この子をサポートしようと思ったら、学校だけでは限界があるとする。必要な資源としてなにが考えられるか。メンタル的なことであればカウンセラー?あるいは社会資源的なことであればSSW*1とか、その先には養対協。GIDだと医療関係者(笑)?で、たぶんこのあたりまでは「個人情報」の共有先になるかな。
でも、このあたりはある種「表の連携先」だったりします。もちろん「専門家」ですから有効な連携先ではあるだろうけど、逆に言えばAという生徒に特化したオーダーメイドではない。
では、オーダーメイドの連携先はというと、もちろんオーダーメイドだから一概には言えないんだけど、例えば昔からAを世話してた隣のおばさんとか、Aが小学校の時に所属してたクラブの指導者とか。あるいは、そんな人たちを有機的につなぐ町内会の役員さんとか。はたまた、子ども会をやってる指導者とか。「専門性」ではなく「地域性」でつながる人たちだったりすることがあります。ところが、「専門性」や「立場性」で「個人情報」の共有範囲を決められてしまうと、こうした人たちはそこから除外されてしまう。すると、そこに連携をお願いしようとしても個人情報を出せなくなったり、仮に出したとしても「なぜあんたが知ってるの?」と言われるのをおそれて結局動けないということが起こってしまう。そうすると、有効な手段が打てないままに時が過ぎていくなんていうことが起こってしまう。
実はかつてはこのあたりを突破することができたケースがあったんですよね。その方策は、「あそこなら連携先だよね」とみんなが黙認する人/グループの存在が共有されるようにしておくってことでした。で、その人/グループのおかげで、どれほどのAが助かってきたか。
「個人情報保護」はもちろん大切です。でも、その言葉がひとり歩きしはじめるなかで、人や地域のつながりが分断されてしまっているんじゃないか。そしてそれは、「つながり」がなくても生きられる人にとってはどうでもいいことかもしれないけど、「つながり」をほんとは必要としている人にとっては死活問題ですらある。ついでに言うなら、「つながり」を必要とする人ほど個人情報を「恥」と感じ隠したがるという問題があるんですよね。
じゃあ、どうすればいいのか。
たぶん、再び「個人情報あるけど、まぁあの人(ら)ならしゃーないな」という「黙認」の人/グループをつくること。そして「助かったわ」という実績をつくること。そんなものをゲリラ的につくるしかないかな。

*1:「スクール・ソーシャル・ワーカー」ね。「最後の・スター・ウォーズ」でも「スーパー・セックス・ワーカー」でもないからね。

フェアウェルドリンク

で、駅前に移動して、またまたI木さん・Sいさん@DPI*1たちと合流。まずは「じゃじゃ麺」&ビールです。でも、まったくお酒が足りない。というか、時間は一時間ほどある。てことで、駅ナカの飲み屋に入ってワインをボトルで注文。去年と同じパターンです。
てことで、ギリギリに新幹線の飛び乗って、あとは6時間じっとガマン。
家に帰ったらフラフラでした(笑)。

*1:本人曰く「だめ・ぴーぷる・いんたーなしょなる」らしいです。[わたしも入れますか?」と聞くと「入れる」とのことだったので、入会資格はあるそうな(笑)

脳みそ全開・日教組教研3日目

今日は総括討論です。が、その前に「言葉のすりあわせ」という画期的な時間がとられました。そうか、そりゃ「3本線」とか「4本線」とか言われてもわからないですよね。てか、たぶん使っている方は「なにがわかって、なにがわからないか」はわからないんだと思うのです。なので、とりあえず「わからない言葉・概念」を出しあって、互いに説明しあうという試みをしようと。ところが、情けないことに、疑問で出された言葉について、すべてとりあえず知っているんですよね。なので、司会の方から「説明できる人」って言われたら、とりあえずすべての言葉について「はい」と手をあげてしまったので、失笑を買ってしまいました。いや、わたしが悪いんじゃないもん(;_;)。
で、本格的に討論開始。テーマは「知ること、気づくこと、動くこと」。
さまざまなキーワードが浮かんでくるので、それらをメモして矢印で結んで、ひとつのストーリーに仕上げていきます。まぁ、これならなんとかなりそうですね。でも、こういうやり方もなんだかなぁと思うのです。というのは、結局これでは「言いっ放し」になってします。やはり、論議は絡めていきたいですね。となると、「◯◯さんも言われましたが」とかなんとか、そういう「枕詞」をつけるためには、きちんと他の人の発言を聞き、それに対してどう切れ込むかも考えないといけません。これはなかなか脳みそを使います。でも、それが楽しい。
てことで、さんざん発言をして、今回の教研も終了。

夜の学習会

昼も本番ですが、夜も本番です(笑)。
てことで、4時頃から急遽お店を探してもらって、いつもの通り呑み会です。20人ほどでワイワイと話。これがいいんですよね。だって、みんな問題意識は共通していて、しかもバックボーンがぜんぜん違う。にもかかわらず、1日半共通の経験をしているわけです。そんな人たちが一緒に話をするんだから、盛りあがらないわけがないです。
で、わたしの役目は「場を提供すること」です。それから…。席替えの号令くらいかな。あとはひたすらクズになればいいです。途中、共同研究者のT賀さんにも来てもらって、もうひと盛りあがり。
なに?12時閉店?じゃ、2次会に行きましょうか。

とにかく発言するぞ・日教組教研2日目

朝、なんとか目を覚まして、分科会会場へ。午前が本丸「性の教育」なのに、こんな体調でいいんだろうか。
でも、レポーター席に座ると、案外しゃきっとするものですね。で、9時になって、いよいよ分科会のスタート。
「帰ってきたなぁ」
という感じです。
午前のレポートは3本。まずは「WYSH教育」にかかわるレポートです。んー。なんか違和感が…。なんなんだろう。目的はとてもいい。でも、なにかが違うという感じがしてならないのです。考えに考えているうちに、「あぁ、多数者を対象にしているんだ」という気がしてきました。いや、レポーターの方はいわゆるLGBTの存在を念頭においておられることはわかります。が、WYSH教育そのものが多数者に向けてつくられているような感じが伝わってきます。いや、WYSH教育そのものをぜんぜん知らないんですけどね^^;;。で、その疑問が解けたのは、池上千寿子さんの解説でした。なるほど、文科省の公認が得られることで変質しちゃったんだ。
で、2番目のレポートは『タンタンタンゴはパパふたり』の実践です。このレポートがおもしろいのは、「誰が悪いねん」ということに焦点化していることです。なので、『タンタンタンゴ』をそのまま使うのではなく、カスタマイズしておられます。まぁたぶんつくったのはI藤さんだろうけどね。それにしても、クラスの子どもたちがすごくよく語る。なぜなんだろう。たぶん、授業実践に注目してしまいがちなんですけど、それ以前に子どもたちがとてもよく語れるようなクラスづくりをしておられるんですね。そんな気がしました。
で、3番目のレポートは公民の授業の中でLGBTにとりくんだものでした。これはおもしろい。「なるほどなぁ」という感じ。また、レポーターの方のゆるーい感じがいいです。肩に力が入っていないから、子どもたちが反応してくれるのかな。「これから子どもたちは日常生活の中でLGBTという言葉に出会っていく。だから、その前に正しい知識を伝えたい」という発言は、例えば部落や在日とも共通するものです。
そんな話のあとは、討論の時間です。いよいよ出番だなということで、ガンガン発言をしてしまいました。いかんいかん(笑)。
で、池上さんの「助言」。そうか、「モントリオール宣言」ね。英語の勉強がてら読んでみようかな。
昼ごはんはせっかくなので、盛岡冷麺。おいしかったけど、おなかいっぱいになりました。
で、午後は「労働」。まずはレポートです。こちらはあまり得意分野ではないんですよね。なので、レポートもひたすら「すごー」っと思うばかりです。特に2本目の姜尚中の『働くことの意味(だったかな)』を教材にした「綴り方」みたいなレポートはひたすらすごいです。「働く」ことを題材にしながら、家族へのインタビューを通してひたすら子どもたちが自分の生活を見つめ、表現していく。地道でていねいな授業実践を聞かせてもらいました。ちなみに、レポーターの方はお友だちですが、この人の実践はいつ聞いてもすごいです。わたしのようなえー加減な教員はダメですね。
レポートのあとは、またまた討論の時間です。今回も、とにかくすべてのセッションで発言するのが目標なので、苦しいながらも発言し続けました。ちなみに、レポーターの中で高校の教員は3人だけ。話を聞いていると、子どもたちの「層」も似ているみたいです。その3人が、異口同音に「夢を語らせることの怖さ」を主張したのはおもしろかったです。ちなみにこれ、ある種のネタなんですけどね。「夢を語らせる」ことそのものはかまわないっちゃぁかまわないのですが、それをなんのためにするのか、あるいはそのことを通してどういう力をつけたいのかということが大切なんですよね。言い換えるなら、ゴールではないということです。そんな問題提起のつもりだったんですが、なんかみなさん「シーン」となったので
「あの。反論してください。そのためにブッコんだんですから」
と、フォローしたら、少しずつ意見が活発に出はじめたのでよかったよかった。
てことで、盛況のうちに、丸一日の討論が終了。それにしても、9時から5時まで、ずっと考えていたから、かなり疲れました。