部屋の大掃除をしていて、腰が痛くなったので、ひょいとパソコンを開けると、今日はこんなニュースが。
自民・稲田政調会長、LGBTの大会出席へ 自民党3役の出席は初。
はい、きました!
まぁ、かつて同性愛者への差別発言をした石原元都知事の元職場でオープニングイベントをされるわけで、隔世の感があるわけです。個人的にはもやっと感があったりするわけですが、それはおいておきましょう。
いや、この「もやっと感」はですね。例えば、第7回GID研究会に日をあわせて開催した「トランス全国交流会」は「日之出解放会館」でやったし、第10回学会の時は「日之出集会所」でやったというわたしのもやっと感なんですけどね。ま、それはおいておきましょう。
まぁ、運動がそれだけ大きくなったってことで、無視できなくなったんでしょうね。
でも、一部のL/G/B/Tにとっては「元から味方」かもしれないけど、一部のL/G/B/Tにとっては自分たちを抑圧してきた張本人が、総括も自己批判もなしで「出席」するってどうよと、わたしなんかは古い人間だから思うんですけどね。
これでわたしも
明日来客があるので、部屋を掃除しようと思ったのですが、本の行き場がない。ということは、本の行き場をつくるしかない。で、捨てられる本は…。大学時代の教科書だな(笑)。
てことで、大学時代の電子工学関係の教科書とノート、あとは「買ってきたノート(笑)」をごっそりと捨てました。
これでわたしも文系だ!
カミングアウト
自民 LGBT理解促進へ自治体に財政支援 法案提出へというニュースがかけめぐる昨今なわけですが。部落差別についても自民 部落差別解消の推進法案まとめるなんていう記事もあるし、ヘイトスピーチ関連法案を提出へ 自民と公明なんていうのもある。
もうね。この間の自民党の「マイノリティ取り込み大作戦」はひどいものだなと思うわけです。
もちろん、それを「一歩前進」ととらえることもできるでしょうけど、ひねくれもののわたしは「なんだかな」と思うわけです。
とりあえず、カミングアウトについて…。
「カミングアウトが必要ではない社会」って、よく言われます。最近もどこかで聞いたな−と思っていたのですが、こないだの全同教でした。レポーターが「カミングアウトの必要のない学校が目標」って発言したんですよね。この手の話、交流会の文脈でも言われるんですよね。子どもたちが「この交流会の目的は、こんな交流会がなくなること」と言ったりとかね。まぁ、子どもが言う分には「まぁまぁまぁ」「そんなことではないと思うよ」でいいんだけど、教員ですよ。しかも、全同教。互いが自分のことを語りあう解放教育をめざしてきた全同教の場においてそれはアカンやろうと思ったわたしは「カミングアウトは、当事者にとっては社会を変える武器です。だから、当事者からカミングアウトを奪わないでください」と発言したわけですが。
でも、たぶんついこう考えちゃうんですよね。で、被抑圧者側にいる生徒が言う分には、まだなんとなくわかる。いや、立場でものを考えちゃいけないってのはそのとおりなんですけど、でも、まだわかる。それに対して、抑圧者側がそれを言うなと。それって、結局、同化じゃんと。まさに、その同化と排除の中でしんどい思いをしているのに、「しんどいでしょ?同化してあげましょ」って、どれだけ上から目線やねんと。そして、その同化が新たな排除を生み出すということへの警戒心がない。いや、警戒心じゃないですね。歴史です。
皮多を排除し、やがて同化する中で、例えばうちなーんちゅやアイヌが排除された。そして、それらを同化する中で在日朝鮮人が排除された。やがて坂中論文に代表されるように在日朝鮮人への同化が進められる中、「朝鮮人ではない外国人」が排除されていく。
常に同化と排除が一体となって進んでいくこの日本社会において、「カミングアウトしなくていい社会」って、いったいなんなんだと思うわけです。
まぁでも、そういうことを考えてなかったら「それ、すばらしい!理想の社会!」って思うだろうな。
だから、歴史を知ることは大切だと思うし、自分以外の被抑圧者の闘いの歴史を知ることは大切だと思うだけど、そんなややこしい人の話は、まぁ誰も聞かないよな。
連休のすき間
朝、地下鉄に乗ると、いつになくすいています。こんな時はゴールデンウィークなんだなと感じます。ちなみに、JRはそれなりの混雑。まぁ、乗ってるのは高校生と公務員としか思えない駅なので、さもありなんと納得です。
今日は午前に3時間。その前にプリントつくって、プリントチェックして。3連続授業をこなして、昼からは少しゆっくりしようと思ってたけど、金曜日のことを考えると、またまたプリントチェックとプリントづくり。それ以外の仕事をしてたら、あっという間に定時です。
なんなんだこれは…。
完全休養日
昨日があまりにも激しかったので、今日は完全休養日です。
朝からボーとネットを見たり、新聞を読んだり、本を読んだり。そうそう、明日の弁当のネタもつくらなきゃ。ほんとは明日のプリントもつくらなきゃならないんですけど、それをやる気力もない。なので、やはりボーです。
ま、そんな一日がないともたないです。
夜はピラミッドの透視の番組を見て。こういうのをやらすと国営放送もいいんだよなぁ。まぁ、一部「中心を担うのが」みたいに「JAPAN as No.1」的な発言があったりして気になったけど。
で、最後の方は寝かかっていたので、さっさと寝ようかなと。
休養休養。
打ち合わせ
昨日が終電なのに、今日も午前中から奈良まで移動。観光客、多いだろうなぁ…。
で、奈良駅で源さんと合流。てか、正確には「源さんたち」ですね。いちおう、今度対談の相手に選ばれてしまったので、それの打ち合わせという名目なんですが、実質は単なる昼の宴会です。
それでも、はじめはいちおう打ち合わせらしきことをしたりして。
ちなみに、なんだというと、源さんが7月9日に野洲市で「誰かと対談をしてほしい」という依頼を受けられたとか。とりあえず、テーマは「LGBT(笑)」らしいです。で、わたしを思い出された。ちなみに、対談を頼んだ方も知り合いだったので、即決だったとか。で、「あとはよしなに」ってことになったらしいです。
はじめのうちは「セクシュアリティとは?」みたいなことをQ&A形式でやることを考えられてたみたいですけど、おもしろくないよなぁと。だって、源さんって、宗教とジェンダーのプロパーですよ。やはりそちらがメインでしょう。
ということで、源さんとわたしがそれぞれ出会ってきた「性」について語る。そこにある共通点や相違点を確認するみたいなことをやればおもしろいんじゃないかと。
いや、フェミニズムとセクシュアリティなんてのは、1980年代に散々やってきたことですよね。まぁ「何をいまさら」です。でも、だからこそ、「今」それをやらなきゃならないんじゃないのかなと思ったのです。
そんな話をそこにおられた源さんの仲間たちに話したら「おもしろい!」って言ってもらえました。よかった(^^)。
てことで、中身は確定しましたが、タイトルだ。でも、そこからが長い(笑)。全然関係ない話が延々と続きます。みんな、食べ物のオーダーなんてする気はまったくないです。
「いつきさん、あなたが一番若いんだから動いてね」
と、愛情たっぷりの言葉をかけてもらって、わたしはひたすらオーダー役兼話の聞き役です。でも、おもしろい。それぞれの人の生活史の中から出てくる話題は、ほんとにすごいです。みんなでゲラゲラ笑いながら、なんとなくタイトルも決まっちゃいました。
てことで、せっかくなので2軒目(笑)。
先ほどのお店は日本酒がおいしいお店。なので、今度はワインです。3人でボトルを一本あけたところで、夕方になったのでお開き。
さて、続いて組合の歓送迎会だ。
実はその後さらにもうひとつ飲み会があるんだけど、それは断念だな(;_;)。
てことで、タイトルは
わたしが出会った「性」と「生」
〜ライフストーリーのなかのそれぞれのセクシュアリティ〜
になりました。新ネタやな(^^)。
卒業生と
今日は放送部の卒業生たちとの呑み会です。なんか、みんな、とても仲よしなんですね。もちろん、現役時代にケンカすることもあるけど、完全に破綻すると、そういう子は来ないから、残った子は仲よしです(笑)。まぁ、クラブってのはそんなもんです。
ちなみに、正月にやったんだけど、わたしはその日を忘れていてすっぽかしてしまいました。今回はリベンジですね^^;;。
で、いつものマダンへ。とりま、ビール→ワインをボトルでo(^^)oあとは、おいしいイタリアンをパクパク。
食べながらしゃべる話が、昔話じゃないのがいいです。「あの頃」ではなく「今」を話す。きっと充実した「今」を送ってるからですよね。だから、話題がいっぱいある。いや、本人たちに聞けば「ない」って言うだろうけど、本人たちは意識してないだけのことだと思うのです。
もちろん、みんなそんなに大企業でバリバリやってるわけじゃない。「明日からニート」とか笑ってるヤツもいるんです。でも、充実してる。きっと、ワークライフバランスがいいんでしょうね。
なんか、そのうち「ひと晩飲んだくれる会」をしようとかいう話もあったりして、どこまでも楽しい呑み会でした。
うわ!終電だ!
表敬訪問
今日は午後から中学校や関連機関のあいさつまわり。
かつてはあたりまえにやってたことですが、ここ数年やらなくなっていました。でも、高校のできることはたかが知れてます。やはり、時として中学校や関連機関と連携しながら分厚く子どもをサポートしなくちゃどうしようもないこともたるのです。でも、そんなことはいきなり電話一本でできることじゃない。やはり
日常よもやま話をして関係をつくっているからこそベストパフォーマンスが発揮できるのです。
てことで、年度当初の「表敬訪問」です。
「なんかあったんか?」
「いや、なんもないです。今年もよろしくっていいに来ました」
「そうか。まぁ、座り。お茶でも飲み」
みたいな会話が大切です。
「いや、こないだこんな失敗してしもてな」
「あー、ありますよねー(笑)」
みたいな。
そんな楽しい午後。
てことで、午後の出張はドーナツを食べさせてもらっただけでした。でも、ドーナツを食べさせてもらえるところまで関係ができたんだな。
メッチャうれしい午後でした。
今年のビッグイベント
うちの職場の人権学習を、いま、3年かけて変えています。なんしか「えー、これが人権学習?!」って思ってくれるようなことを年度のしょっぱなにぶっ放す。今年はその3年目。
一昨年は「地球のステージ」、去年は「ちゃんへん」、そして今年は「和太鼓ユニット「絆」」です。
うまくいくのはわかっているけど、でも、不安です。朝、夢を見ました。リハーサルが順調に進んでる夢。なんとかなりそうな気がします。
朝、出勤して、すぐに準備を開始。昨日放送部員がやってくれた準備の確認です。うーん、ちょいとまずいな。音が出ない。たぶんミキサーやな。照明の接続も間違っとる(;_;)。
で、一コマ授業をして、ふたたび準備。すでに到着しておられるメンバーさんと「お好み話」でもりあがっているうちに
本隊も到着。さぁ、いよいよ仕込みです。わたしはジャマにならないように準備の続行。
それにしても、念入りに立ち位置の確認をしたり、音合わせをしたり。わずかなズレもキャッチして修正していく時の緊張感はすごいです。そして、メンバーさんたちのキビキビとした動きがいい。ほんとは、こんなところも子どもたちに見せたいけど、まぁこれが見られるのはわたしの特権ですね。
昼休みをはさんで、いよいよ公演開始です。さてと、どうなるかな。
まずはリーダーの谷本さんのお話。はじめはざわついてた子どもたちも、吸い込まれるように話に聞き入りはじめます。革の話。太鼓職人の話。そして人権へと話は進み、いよいよ太鼓演奏のはじまりです。
すごい迫力です。体育館の入り口のガラスがビシビシ鳴ってます。子どもたちも食い入るように演奏を見ています。放送部の子どもたちはスポット担当。特等席です。
と、スポットの電球が切れました!ヤバイ!急いで交換です。
なーんてことをやっているうちに、太鼓体験。40人ほどの子どもたちが太鼓を楽しんだり。
そして最後に3曲。カッコイイ!そして楽しそう。この姿が見せたかったんですよね。人権はカッコよくて楽しいんです。なぜなら、自分が変わり、社会が変わることを実感できるからです。この人たちは、それを太鼓を通してやっている。
最後は司会の教員の粋なはからいでスタンディングオベーション。
あぁ、今年のビッグイベントも無事終了。あとは崩しです。
てことで、5時に職場をあとにして歯医者へ(笑)。
にしてもクタクタです。考えてみたら、ずっと歩いてたわ^^;;。
意識化する/しない
今日は某人権教育研究会の支部会議がありました。ところが、その場のある人の発言に呆然となりました。
伏線はありました。別の人が「まるでジプシーみたいだ」と言ったので、その発言そのものの問題性はあるにしろ「いまは、シンディ・ロマって言いますね」とやんわりと指摘をしました。
その後、別の人が、今度は「手短かに」って発言。なんかもう、切なくなって「別に差別発言ではないけど、そういう表現方法はやめませんか?」って言ったんです。そしたら「え?ダメなんですか?」と。
もちろん「手短か」という言葉そのものは、「手続きを短く」あたりが語源でしょうから、いわゆる差別発言ではないです。でも、少なくとも人権にかかわる会議で使ってほしい言葉ではないというのが、わたしの感覚です。なぜか。それは、その後のその人とのやりとりで明らかになります。
い「いや、もちろん「手続きを短く」あたりが語源だろうから、差別発言じゃないとは思いますよ。でも「バカチョン」の「チョン」が拍子木の音だという理由でその言葉を使っていいということにはならないでしょう」
○「え?」
い「わたしには「手短に」という言葉を聞いた瞬間、サリドマイドの人が思い浮かびます。同じように「君には問題が見えてない」とか「君は視野が狭い」とかいう言葉も使いません」
○「え?でも「足がない」とか使いませんか?」
い「使いません。「交通手段がない」って言います」
○「いつもそんなこと考えてるんですか?」
い「はい、考えてます」
○「やってないなぁ。24時間ですか?」
い「はい、24時間です。それが人権でしょう」
○「できないなぁ」
てことで、とりあえずは、そこのやりとりは終わって、会議にもどりました。
ところが、それから1時間ほどたった時
○「まぁ、これは視野が狭いことなんですけど」
みたいな発言が出た。それに気づいた何人かの人が「クスッ」と笑いました。わたしも苦笑い。すると
○「なにかまずいことを言いましたか?」
気づいてない。
なんか、腹立ちを通り越して悲しくなりました。
意識してないんですね。
いや、別にわたしの感覚が絶対的に正しいと思ってはいません。なので、わたしへのアンチとして、あえてその発言というのは「あり」です。でも、そういうわけでもない。かと言って、わたしの感覚に賛同しているとも思えない。つまり、考えてない、意識化してないんですね。自分の一挙手一投足、身体の隅々にまで神経を行き渡らせて、センシティブに生きるということをしてない。
あの会議の場にいるということは、各学校の人権教育を担当しているということです。人権教育の担当をしているということは、その学校において人権を牽引する人であるということ、人権について一般教員とは異なる立場にあるということです。そのことがわかってない。
せめてその役にいる間は、そのことに意識的に生きてほしい。生きるとまでは言わないけど仕事をしてほしい。少なくとも勤務時間の間だけでも。いや、それができなくても、せめて会議の時間くらいは。
ということがわかっていない。
まぁ、こんな情けない話を30代〜40代くらいの教員が見ていたわけで、それはそれで感じるところがあったかもしれませんね。そこに期待することにしましょうか。