で、伏見に移動。今日はStudio Big Trashでバーベキューです。
仕掛け人はもちろん家主の石原さんです。
なんでも、このほどGID医療に本格的にとりくもうとしておられて、まぁそんなこんなで「来る?」って誘われました。
で、ワインを一本ぶらさげて会場に到着。さて飲もうかと思ったのですが、さすがにずっと飲み続けなので少々しんどいかな。適当に「焼き役」にまわることにしました。
にしても、多彩な人が集まってます。なんかこう、いろいろ頭がぐるぐるなりそう。で、わさわさ食べたり飲んだりしゃべったりしていると、あっという間に10時半。
あかん、終電や…。
京都在日外国人生徒交流会・イベント4/5
朝、いつもの雑魚寝パターンです。動かないというか、動かしたくたいというか、そんな身体ですが、しばらくゴロゴロしているうちに、ようやく動きはじめました。で、朝ごはんの「〆のラーメン」。昨日の鍋の〆は今朝らしいです。
「卒業生の会」の翌朝は京都の交流会です。果たして参加はあるんだろうか…。
フタを開けると、卒業生がひとり参加してくれました。
みんなでワイワイ言いながらお好み焼きづくりです。
いつも思うのですが、核心に触れる話なんて、そうそうできるものじゃないです。なんしか集まること。一緒に時間を過ごすこと。それが繰り返される中で「この人に話してみたいな」って思う。それは決してシェアではない。でも、それでいいんです。そこからしかスタートしない。交流会は、その出会いをコーディネートする「場」です。と同時に、それをするための「場」でしかないとも言えるんだと思います。
そんなことを感じたのは、交流会が終わってからの帰り道。ダメダメ先輩と京都駅に向かおうと歩きはじめたら、ある参加者が「一緒に帰りたいオーラ」を出しはじめました。「ふむ」。
駅に近づいたところで、「コンビニで飲み物買って、もう少ししゃべる?」ということになって、そこから悩み相談開始です。
その悩み、その悩みそのものをストレートに聞くと、決して「外国人としての悩み」ではありません。でも、その背景に、例えば両親の持つ文化と本人の文化の齟齬であるとか、本人の育ちの中で獲得してきた文化が移行していく過程での、本人の中の文化のズレとか、いろんなことが複雑に絡みあっていることがうかがわれます。
それを出したいんだな。そして、それが出せるのが「いま」なんだな。
てことで、道端に座り込んで、1時間半ほど話を聞いたりしたり。
ま、最後は本人が解決するでしょう。てか、解決策は本人が知っている(^^)。
卒業生の会・イベント3/5
打ち上げ・イベント2/5
で、とりあえず家に車を置きに帰って、しばし屋根の下でコーヒーブレイク。
で、打ち上げです。
今回の人たちは、北河内の人権教育関係のみなさんで、常々すごくお世話になっています。みなさん、ほんとうにアクティブに人権を楽しみ実践をしておられる。元気をもらえます。
で、軽く1時間半ほど呑んで、みなさんは「あした」のために、わたしは「次のイベント」のためにバイバイです。
地底にもぐる・イベント1/5
今日〜明日の2日間は怒涛のイベント5連発です。
でも、その前に大工仕事です。猫の額ほどの庭に屋根をつけました。
これで雨でも庭でビールが飲めます。そんな時間があるかどうかはおいといてではありますが(笑)。
で、車で出町柳へ。ここで、北河内のみなさんと合流。向かうは丹波マンガン記念館です。
ここ、ほんとうにすごいです。「行かなきゃわからない」というのは、ここのためにあるんだろうな。松代大本営跡もすごかったけど、坑道の広さがまったく違います。狭い!そして、不規則。なんしか、「働く人々の痕跡」です。
そしてもうひとつすごいのは、その坑道を「一般公開するために整備した」という親子の執念ですね。なにしろ、一切の補助なくつくられた記念館です。よくぞここまでと思うのは、やはりここで働き、塵肺で死んでいった在日や部落の人々の姿をこの世にとどめたいという「恨」なんでしょうね。
その執念があらわれているのは、もしかしたらあちこちにあるマネキンかもしれません。とにかくミスマッチ。思わず笑ってしまうんですけど、でも、そのチープさこそが、この私営の資料館の凄みなんだと思います。
坑道をひと通り歩いて、資料館をひと通り見て、みやげ物コーナーに行くと、ハルモニに捕まりました(笑)。でも、このハルモニの話がまたすごい。初代館長さんのおつれあいさんです。ものすごい苦労をされてます。そこに、在日社会のジェンダーを見てしまいます。
その後、散策コースへ。約1キロで「森林浴を楽しんでくれ」と書いてあるのですが、そういうコースじゃないです。ひたすら登ってひたすら降りる、約1キロの山歩きでした。でも、その途中にいっぱい坑道の入口があって、歴史の語る現実に引きもどされます。
で、みんなの出した結論は、探偵ナイトスクープの「パラダイス」で放映してほしいなと(笑)。
作戦会議がふたつ
なんか、地元の男女共同参画センターから「デートDVの啓発番組をつくりたいので、つくってくれへん?」という依頼がうちの放送部に来ました。それだけだったら、「大切やけど、めんどうやなぁ」なんですが、そのために協力してくださる人が、あまりにも豪華です。その豪華さに誘われて「やりますよ」って言っちゃったのがこの間。今日はそれの第一回の打ち合わせでした。
会議がはじまって、いきなりワチャワチャです(笑)。
なんか、みなさん言いたいことや思いついたことを話すので、話の方向がわかりません。これはやばいです。でも、そういうところからしか出てこないこともあるので、しばし放置。子どもたちの顔を見たら、ポカーンとしています。おもしろい。でも、途中から「なんぼなんでもやな」と思い、子どもたちの発言を促す方向で動くことにしました。
まぁ最後は上田假奈代さんがイニシアティブをとる局面になったので、これ幸いと共同で「しでかし系」の方向へと話を進めて、無事終了。
にしても、どうなるかな…。
で、京都駅まで移動して、M橋さんと合流。なんでも「頼みごと」があるとか。そりゃ、M橋さんからの依頼とあらば、断るわけにはいきません。とにかく、できる限りの協力をさせていただくことにしました。
にしても、M橋さんとの会議はいつも呑み屋です。今日もおいしいお酒でした。
ニーズの変化
思えば、はじめて大人数を相手にしたお座敷で呼ばれたのは2002年の宮崎でした。まぁ、それまでも内輪の研修なんかはありましたけどね。
で、その頃から一貫してるのは、「話の内容はトランスのこと」です。それは、自分をネタにする時も、交流会の子らから学んだことを話す時も、つねにそうです。そして、それでみなさん満足されました。
で、もちろん今も「満足」は変わらないんだろうけど、明らかにニーズは変化しています。最近は「LGBTについて」っていう依頼が来るようになりました。なので、「わたしはLGBT全体を俯瞰した話はできませんよ。できるのはトランスのことについてです」といったん返すことにしています。そりゃまぁ、LGBは隣町のことなので、少しは知ってるけど、でもそんなことはお話できるものじゃないです。でも、みなさん「それでいいです」って再依頼がくる。「いいのかなぁ」って思いながら依頼を受けるのですが…。
でも、考えてみると、わたしはずっとそうですね。野球で言うなら、スライダー投手みたいな。軽く芯をはずす球を放る感じ。例えば「GIDについて」って言われてるのに「トランスジェンダーの話」とかね。
で、今日もそんな感じでした。まぁ、せっかくなので、ほんの少しは隣町の話はしましたけど、メインはトランスの話です。まぁ、それが身の丈にあってるからいいんです。下手に知らないことを言うよりも、知ってることを確実に話すことで普遍化できることもあるわけで。
10人ほどの方を相手に1時間ちょい話をして、呑み会です(笑)。こちらは1時間ですむはずもなく。まぁこちらがメインという話もあるくらいです。
呑み会では、逆にいろいろ話を聞かせてもらえます。今回の人は田川の人なんで、興味津々です。炭鉱の街には、在日がいて、そこにはおいしいホルモンがあるわけです。話を聞いているうちに「行きたー」って思いました(笑)。
てことで、11時前におひらき。なんか、二次会に行く元気な人もいたけど、わたしは退散。明日のことを考えるとは、歳をとったな(笑)。
なんか、ダルい
2〜3週間前に悩ませていた風邪も治ったみたいだし、まぁなにがどうということもない、ある種平和な日々が続いているのですが、なんとなくダルい。
なので、ローテンションに授業して、ローテンションに会議に参加して、ローテンションに雑用をして、さっさと仕事を切り上げました。
さてと、帰って、ビール!
にしても、不安やなぁ…。
少人数の学習会に来てほしいと言われてるんですけど、「待遇」のことをなにも言ってこない。うーん…。
先行研究をふまえること
なんかもう、さみしくなってくることが多々あります。
まぁ、わたしはチキンですから、ここみたいな寂れたところにしか書かないのですが…。
この歳になると、ふと「昔のこと」を思い出したりするのです。で、「昔のこと」を思い出したりすると、その延長線上に「わたしの昔」よりもさらに過去の人々のことも考えたりするのです。
なんでこんな話が出てくるかというと…。
年寄りの繰り言なんですが、最近の若い人(笑)は「発信」がうまいなと。ちなみに、この「若い人」の定義は年齢というよりも、運動歴とか発言歴とか、ま、そんな感じでしょうか。
例えば、わたしなんかは、生まれてはじめて実践レポートを書いたのは1989年くらいなので、もうかれこれ30年近く前のことなんですよね。当然、手書きです(笑)。で、レポートにはそれぞれの時代の「作風」というのがありまして、わたしが徹底的に叩き込まれたのは「実践で語る」だったんですね。あるいは「事実を差し出す」とも言われました。つまり「理念で語らない」ってことです。
すると、とてもしんどい。あることを発信したいと思っても、それを実証する「子どもの姿」がないと語れないんです。だから、日常の子どもたちとの出会いから、ひたすらそれを探すんです。
ちなみに、ここで「被差別当事者」と「教員」の圧倒的なアドバンテージが出てくる。それは、被差別当事者は「自分のこと」を言えばいいわけですからね。
てのはおいといて…。
でも、そうやって「言説の蓄積」ってのをつくってきました。そういうのに基づいて、現在の言説がある。その中には「子どもの姿で語る」ことへの窮屈さとかもあるんだと思います。例えば「もう少し自由に語ろうよ」とかね。だから、実践なしでも話を聞いてくれる地盤ができた。
もうひとつ。「term」の問題もあります。わたしよりも前の人たちは「term」がないところから現実とのせめぎあいの中で「term」をつくりだしてきた。わたしの世代は、実践を通して、その「term」に則りながら、その中身を検証し、ふくらましてきた。その延長線上に、いまの「term」があるわけです。
何が言いたいかというと、いま、ひとつの「語り」があるとしたら、その語りはオリジナルなものじゃなくて、長い歴史の上にある「語り」なんだということです。言い換えるなら、いま、自分が感じて発信する「自分がオリジナルと感じる語り」は、その前に「その語りをつくる過程で「語ること」すらできなかった人々の「語りとはならなかった語り」」の上にあるってことなんです。
それは、例えば部落問題でも、障害の問題でも、ヘイトの問題でも、トランスの問題でも、レズビアンの問題でも、ゲイの問題でも、Xの問題でも…。おそらくはすべての「問題」についての「語り」の中にある。
で、わたしが大切にしたいなと思うのは「「語ること」すらできなかった人々の「語りとはならなかった語り」」に思いを馳せることなんです。例えばそれはウトロのハルモニやハラボジの「言葉」であり、カルーセル麻紀さんやケイト・ボーンスタインやパトリック・カリフィア、いやいや、もっと前の世代の人かな。わからんけど。そんな人々が編み上げてきた生き様と、そこから出てくるふとした「言葉」ですね。そこに「語り」の源流を見出し、その系譜の上に自分の「語り」があるということなんです。
それは、過去へのリスペクトです。言い換えるなら、「おべんきょ」の世界における「先行研究をふまえる」ってことです。
当然「先行研究」を踏まえると、容易には語れなくなる。でも、それをしなきゃアカンと、わたしは考えています。逆に、それを踏まえればこそ、「語り」の中に厚みが出てくる。それを追い求めたいとも思っています。
最初の話にもどると、「若い人」の「発信」=「語り」のうまさは、その前にいる人々の「語り」や、さらには「「語ること」すらできなかった「語りとはならなかった語り」」の上にあるということなんです。
それを踏まえてない*1さまざまな言動を見聞きすると、どうしようもなくさみしくなってくるんですよね。
*1:それは、語った人に限定するのではなく、受け取った側も含まれます。
淡々と
さすがに昨日早く寝たから、朝はちょっとマシな体調です。
とにかく、「休日の疲れを平日に癒やす」わけですから、今日は癒やしの日にしましょう。
午前は淡々と授業。
午後は淡々と雑務。というか、6月中旬の個人的ビックイベントへ向けての準備です。いろんな人に頭を下げまくって、それでもみなさん快くOKをくださるわけで、みんないい人だ。でも、こんなこと、一生に一度か二度…。一度だな。
てことで、定時なんかに帰れるわけもなく、それでもさっさと帰って、あとはゴロゴロ。
ま、こんな日でしょう。