今日は6月にある「現地研修」の打ち合わせ。というか、正確には「交渉」です。向かった先は心斎橋。ここには「南小学校」があります。今回はここに行こうかと。
この「交渉の場」は、もともと阪大の未来共生の方々が用事があるのに便乗したものです。もともとはそこにわたしひとりが便乗しようと思っていたのですが、某人権教育研究会の会長さん*1も来られることになりました。が、さらにEのいさんがSん悟さんとかFぁよんとかを連れてこられることになって、いったいどうなんねんと。
てことで、用件のトップバッターはKよぽんさん。
「ご協力いただき、ありがとうございました」
の5秒で終了(笑)。
続いてわたし。
「あの、単刀直入に言いますと、来させてください」
で、日程調整をしたらなんとかなりそうだなと。その後、山崎校長さんと話をしたのですが…。
なんかもう、共通の話がいっぱいです。同推教員として解放教育にかかわりはじめたころの話とか、大阪と京都という違いを乗り越えた共通点はおもしろい。さらに、日之出の話が出てきて、メッチャ驚かれてしまいました。会長さんも長くとりくみをされてこられた方なので、テイストが似てるんですよね。なので、えらいノリノリで聞いておられました。
それにしても、「すべてのことに共通のベースがある」ってことをいつも感じさせられるんですが、山崎さんの話を聞いていて、あらためてそのことを感じさせられました。
日之出の子どもたちへのとりくみのベースにあったのは「自分とはなにものか」という問いへの答えを一緒に模索することだったんじゃないかな。でも、それはまさに「我々はどこから来たのか
我々はなにものか、我々はどこへ行くのか
」という問いかけです。それを小学校の子どもたちにするのか?と問われるなら「しなくちゃならない」としか答えようがない。それ抜きに子どもたちと同じ時間を過ごすことはできないし、それを通して「次」がある。その中で子どもたちは育ち、そしてエンパワメントされる。そんなことをずっとやってこられた。
山崎さんの話を聞くことを通して「我々はなにをしてきたのか 我々ないはなにをしてるのか 我々はなにをするのか」を問うことができたらいいな。
そんな思いを持って、わたしたちの用件はおしまい。
そしてE井さんの用件。ところどころにESDとかいうキーワードが聞こえてきますが、何な話だろ。E井さんは「わかりました」って言ってるけど、まぁ、話の内容をキーワードで分類してるんだろな。と思ったら、ヒマなわたしたち相手に、さらに動画を見せる山崎さん。この人、ほんとうに伝えたいこと伝えなきゃならないことがあふれていて、それも机上の話じゃなくて子どもの姿なんだなって思ったら、ますますみんなに話を聞いてほしいと思いました。

で、南小学校をおいとま。
向かったのは「はてな」です。タイ料理…。まぁ、一部のトランスにとってはソウルフードなわけですが、そういう分類だとわたしのソウルフードは「きしめん」とか「味噌カツ」になるわけで、それは違うなと。ということで行ってみたのですが、これがおいしい!タイ料理、いけますね。
ここでSん悟さんと話をして、ちょこっといじってみたりして。
そうこうするうちにKうさん登場。このミスマッチの中にあるマッチングがおもしろい。そんなこんなで「はてな」の時間はあっという間に過ぎていって、二次会に突入。カクタスです。テキーラです。ヤバイです。
結論は、やはりヤバかったです。終電に乗れたのはキセキですが、明日のことは知らない(笑)。

*1:某高校の校長さん

夜桜見物

やはり、桜の季節は一度は夜桜を見たいというものです。てことで、某所でサシ呑みです。
桜と言えば、やはり焼肉でしょう。

それにしても、野菜炒め用の袋なんかがあるからとても便利ですね。調理の必要がないです。外で食べると安い肉でもおいしくなります。
肉を食べながら、桜を愛でながら、話はあいもかわらず「人生」とか「トランスにまつわること」とか。
ほどよく肉も食べて、ほどよくワインも飲んで、今日は早めの退散としましょうか…。

自分も歩いた道

考えてみると、トランスジェンダーとして生きはじめて17年くらい。自分がトランスジェンダーとわかってからなら20年。ずいぶんと長くやってきたなぁと、あらためて思うわけです。
で、あたりを見渡すと、ようやく自分のことに気づき、ようやく自分の生き方を生きていこうと決意された方もおられるわけです。そんな人の姿を見ると、20年前の自分を思い出します。
たしかにあの頃はしんどかったです。これからどう生きていくのか、わからなかった。理解者は近いところにはいないと思っていました。だから、遠くの人とやりとりすることで、なんとか自分を保ってた。
でも、少しずつ少しずつ、「ありたい自分」と「あることができる自分」が近づいてきて、そして「遠くの人」も増えていく中で少しずつ「近くの人」もあらわれてきて。そんなふうにして、現実の中で生きられるようになってきました。あの頃はとほうもない長い時間をかけた気がしてたけど、今振り返ると、ほんの数年のできごとでした。
いま、渦中にいる人も、きっとあと数年して、自分なりの生き方を見つけられて、ふと振り返った時に「あー、がんばってたなぁ」と、「あの頃の自分」に痛さを感じながらも優しく見つめるようになるんだろな…。

カマ節句

さすがにいっぱい毒を履きまくったら、家に帰ったらすっかりおとなしくなってました。
てことで、晩ごはんの時に家族に質問。
「今日はなんの日でしょう?」
もちろんわかるわけもないのですが、
「3月3日と5月5日の間だからね」
とまでヒントを言うと、パートナーは「あー」という顔をしたので、答え合わせです。
「カマ節句なので、かんぱーい」
で、「トランスジェンダーの日」にまつわる顛末を少し話したりして、あとはワイワイごはんを食べましたとさ。

賽は投げられた

まぁ、しょっちゅう賽を投げてる気はしますけど、年度始めと年度終わりは賽を投げる機会が多いみたいです。ということで、今日は、ある種これからの一年を決めるともいえる会議がありました。さてと、どうなるかな。
この会議のために、年度末から年度始め、かなりいろいろ準備をしてきました。まだ全部は準備しきれてませんが、とりあえず、当面はなんとかなりそうかなというところまでは来ました。ちなみに、今日の資料は50ページ。最終的に出る資料はだぶん70ページくらいになるかな。とにかく、久しぶりの物量作戦でいくことにしました。
でもまぁ、反対する人ばかりじゃなく、協力的な人もいることがわかったのは収穫かな。
てことで、会議が終わるとホッとしてしまいました。
でも、次の動きまでにやらなきゃならないことも多々あるし、「なにもできない時期」にやらなきゃならないこともあります。脳みそが3つくらいほしい気がするけど、3つもあったらそれを制御するためにもう一個必要になりそうなので、それもしんどいな(笑)。

そんなこんなで、「燃えてしまえ」とか「爆発しろ」とか毒を吐きまくった1日が終わりました。

1日会議

年度当初は会議だらけです。かつては「はじまるんだなぁ」と思ってたけど、今年は「めんどくさい」と思ってしまいます。
たぶん、こういう気分にはなった時に「転勤しよう」と思うんでしょうね。でも、転勤のメリットとデメリットを考えると両方とも少ないけど、かろうじてデメリットが多いので転勤をしないという選択肢になります。ちなみに、退職のメリットとデメリットを考えると両方とも多いけど、これは明らかにデメリットが多いので退職しないという選択肢になります。
まあそんなもんです(笑)。
まぁそれでも、何年も一緒に仕事をしている人の中には「理解者」も出てくるのかな。特に最近ボヤキはじめたから、そのぶんだけ「理解」も出てきます。
そんなこんなで、いろんな会議が終わって、定時帰りです。
ごはんを食べて、テレビ見て…。腹が立つテレビはあれど、おもしろいのはないから、とりあえずサッサと寝ることにしました。そのほうが明日のためになる。

玖伊屋はあけたけど

朝、目が覚めるとほとんど人がいません。そうか、みんな帰ったのか…。
残ったのは4人ですが、昨日の夜に焼けたパンと今回料理スタッフで参加してくれた上の子どもがつくったオムレツの朝ごはん。さらに残ったパンはフレンチトーストにしたりして、なかなか豊かな朝ごはんになりました。
で、片づけをしておたふくへ。今回のおたふくはIずみちゃんとわたしのサシ呑みです。なんか最近どんどん人が減っていってるんだけど、まぁそれも時の流れというものです。
でも、Iずみちゃんとのサシ呑みは楽しい!まぁ、それはそういうものですよね。考えてみたら、かれこれ15年くらいのつきあいです。お互いがお互いへのリスペクトがある(たぶん)から、言葉のキャッチボールができるんですね。向かいのおじさまが「楽しそうやな、なんでそんなに笑えるねん」とあきれておられましたが、たしかに自分でもビックリするほど笑います。でもそれが自然なんですよね。
てことで、フラフラになるまで飲んだところで、とりあえずお店を出て、そこにやってきたダメダメ先輩と合流。そこからまたまた公園呑みがはじまったりして、どうしようもない夜がはじまりました。ヤバイよ(笑)。

花はないけど

今日は毎年恒例にしようとしている京都市内某所での花見です。「いつ頃からやってますか?」と聞かれるんですけど、本人もわかりません。「昼ごろから」「何時くらいですか?」「さぁ」としか答えようがありません。
とりあえず会場について、わたしはテーブルセッティング。パートナーは会場に落ちているごみ拾いをしてくれます。ありがたや(;_;)。
そうこうするうちに、少しずつメンバーが集まってきて宴会スタート。今回はカフェの店主も来られて、先週のカフェで残った燻製なんかも持ってこられました。
そうこうするうちにKうさんも来られて、いよいよ焼肉開始です。やはり花見には焼き肉でしょう。ほんとうはカンテキでやりたいんだけど、今回はやむを得ず焼肉プレートです。でも、これはこれで肉が柔らかく焼けておいしいんですよね。

途中、買い出しに行ってもらうと、買い出しのネタだけではなく、一升瓶をぶらさげて帰ってこられました。今年も差し入れがもらえたようで、ありがたいことです!
途中からIルソンさんも来たりして、飲んだくれの午後は盛り上がるのでした。でも、少し寒くなってきたので、とりあえずここは撤収です。みなさんのご協力のおかげでサクサクと撤収はすすんで、会場は玖伊屋へと移行します。

わたしはいったんUりんさんの車で家に荷物を持って帰って、東九条へと向かいます。東九条に到着すると、すでに宴たけなわです。そりゃそうだわ。そうこうするうちに、次々と人がやってきて、これはかなり盛況なのではないかなと。
玖伊屋のおもしろいところは、いろんな人が来ているというひとことにつきます。単一な人しか来てなかったらそこにあてはまらない人は来ても「同じような人」に出会えない。でも、玖伊屋ならなんなとそこにおられたりします。今回も、ふとくちをついて出たような悩み相談を受けた瞬間「ちょっと待って、この人の前でもう一回しゃべって」なんていうことがあって、いい出会いがコーディネートできたかな。
でも、はしゃいでいるうちに、これ以上はしゃがせたらダメと思ったまわりの人たちに、強制的におふとんの中に放り込まれて沈没しました(笑)。

26年目だけど

家に帰ると、母親が来ています。今日は父親の命日です。でも、パートナーとわたしの結婚記念日でもあります。
てことで、母親のおごりで大量に買ってきた肉で久しぶりのすき焼きです。いやぁ、うまかった!でも、食べすぎだな…。

それにしても、つくづく「その他」なんやな

今日は「なにもない」日です。てことは、仕事ができます。てことで、ゆるゆる出勤。パソコンに火を入れて、仕事開始です。
今やっているのは、来年度の人権学習の教材づくりです。今年度の担当者の総括の中で、「来年度は年度当初にすべての中身を渡そう」なんて言ってしまったので、今やらなきゃ間にあいません。
それにしても、テーマを見て教材を見たらなにをどうするかわかるだろうと思うんだけど、それに「展開例」をくっつけて、「導入◯分」とか「留意事項◯◯」とかいう表がなぜ必要なのかと。さらにいうなら「実施要項」とやらが必要みたいなんだけど、なぜにそんなものが必要なのかと。単なる授業じゃんと思うのですが、ひとつのことをやるには、とてつもなくその前に「形式」が必要らしいです。てことで、そんな書類の前でイライラしながら作文していました。

で、ヒョイとホワイトボードを見ると、特定の担任さんの前に赤丸が書いてあるのを発見。どうやら女性教員の印のようです。24人中5人。めっちゃジェンダーバランスが悪い。と思いながら、ふと
「わたしの前にはこの印はつくんだろうか」
と思ったので、そこにいた同僚に聞いてみると…。
「さぁ…」
って、あんたがその印をつけたんちゃうん(笑)。
「どちらかというと…、女…、かな」
まぁそんなもんでしょう。「どちらかというと」なので、「女の印」はつかないみたいです。
「じゃぁ、男ですか?」
というと、別の教員が
「それもちがいますね…。どっちでも…ないんじゃないですか…?」
と、遠慮がちにおっしゃいます。まぁ、わかっていましたけどね。
「でも、わたし、子どもが成人してパートナーと離婚したら性別を変えられるんですよ。で、性別変えたら印はつくんですかねぇ」
と聞くと、
「さぁ…」
という返事。
とてもとてもおもしろいです。
「じゃぁ、性別ってなんなんですかねぇ。なにによって決まるんですかねぇ」
みなさん、無言です。とてもとてもおもしろいです。
「もしかしたら、この職場の男性の数ってチンコの本数で決まってるんですかねぇ」
とぶっ込むと笑われたので、さらに
「もしかしたら、チンコ2本ある人、いるかもよ」
って笑って返事すると
「いや、わかりませんよ。いるかも」
と返されたので、フリーダムな職場だなと。
てことで、「どちらでもない性」ならしいです。
そんな時に思い出すのが、やはりパトリック・カリフィアですね。

しかしわたしは、この<大いなるジェンダー分割線>にとどまり、苦くはあるが貴重な何かを見続ける。この眺めは、危険なほどの高みからではあるが、心躍る愉快なものだ。

「どちらでもない」ことを突きつけられた時の「苦さ」は、たとえそれが自分が選択したものの結果であるとしても、やはり「苦い」のです。でも、一方、それを引き受けるという生き方を選びました。なぜなら、そこからしか「次」がないと思っているからです。少なくとも、今日、「性とは何か」というもやっとボールは投げられた。それが、文科省の言っていることに対してできる、ひとつのことだと思っています。