なんとなくエゴサーチしていたら、見つけました。2011年1月9日に奈良女子大学でおこなわれたシンポジウムの報告書です。誤字脱字があったり、今は決して使わない「ところで」が多用されていたりと、まぁアレな文章ですが、ちょっとおもしろいような気がするのでアップしました。
なお、報告書の全体は奈良女子大学のリポジトリからどうぞ。
共感を求める方法の試みとして
土肥いつき
1. はじめに
今回の話を鶴田さんから持ちかけられた時、率直に「おもしろい」と思った。それは、自分自身の語り口は、おそらくは「関東 VS 関西」というだけではなく、あえていうならば「旧来の語り口 VS 新しい語り口」という側面もあるだろうと考えていたからである。
ここで言う「旧来の語り口」とは、単純に述べるなら、ある特定のテーマAに沿って、「Aであるか、非Aであるか」という2分法を前提にした語り口である。こうした語り口は、関西・関東を問わず、社会運動において往々にして見られる。また、とりわけ人権にかかわる場面では、例えば「部落/部落外」あるいは「日本人/在日朝鮮人」といったように、その問題にかかわる「立場」を明確化する形で語られてきた。その意味では、こうした語り口は、特に関西において顕著であると言えるかもしれない。
こうした語り口は、問題の所在を明確にし、獲得目標を具体化させるという意味では、たいへん有用である。しかしその一方、立ち位置の固定化とそこに依拠する「差別/被差別」という「役割」の固定化は、往々にして「被差別者でないものになにがわかるか。わかるはずがない」という「体験・立場・資格の絶対化」(藤田敬一「同和はこわい考通信No.5」)を招くように思う。
こうした「体験・立場・資格の絶対化」への批判は、1987年の『同和はこわい考』を嚆矢として、ずいぶんと一般化されてきた。もっとも、『同和はこわい考』から20年がたった今、それらの論議のすべてがはたして「絶対化」を批判しているのか、それとも単に「逆差別論」の論拠としているのかは、はなはだ疑問ではあるが……。
ところで、2分法への批判は、別の角度からも述べられている。それは、ひとくちに「差別/被差別」という形ではくくりきれない当事者の多様性という観点からである。
例えば、在日朝鮮人のことをひとつとっても、日本籍を持つ朝鮮人は激増している。また、日本籍をとるにいたった経緯も、「帰化」ばかりではなく、日韓ダブルのルーツをもつ場合など、さまざまである。そこで「朝鮮人とは誰か」「朝鮮人であるとはどういうことか」ということが、この10年論議されるようになってきた。すなわち、従来のように「朝鮮人であるということは国籍である」「朝鮮人であるということは名前である」といった単純な切りわけ方ができなくなってきているということである。
このような状況の中から、「何か特定の既存の枠組みに自分をアイデンティファイするのではなくて、自分のアイデンティティを説明するために話をする、「变述的自己表現」という方法」(安田直人「日本籍朝鮮人とダブルの現状」京都府立高校同和研究協議会編『高校同和教育資料集第35集』)が提起されてきた。
ところで、安田直人の提起は、単にアイデンティティ論にとどまるのではなく、実は「体験・立場・資格の絶対化」も揺るがすものである。すなわち、「差別/被差別」の2分法で語れないということは、「被差別者」は「被差別者の立場」に「安住」できないことも同時に意味するからである。
ところで、わたしは高校で人権教育を担当する立場から、たくさんの「被差別者」の講演を聞いてきた。そのほとんどが、自らを被差別者と規定し、そこから見えることを「教える」内容だった。もちろん、高校生たちが知らない現実を伝えるという意味では、そうした講演は必要だと考えるからこそ、そうした学習をおこなってきたわけである。ただ、高校生たちと一緒にそれを聞くわたしにとって、「被差別者の講演」はどうしても喉の奥に小骨がひっかかったような思いを抱かせるものだった。
そしてある日を境に、自分が「当事者として語る」立場になった時、2分法によらず、自分の「体験・立場・資格の絶対化」もせず、いかにして語れるのかということにチャレンジをしたいと考えた。
こうした語り口を、あえて「新しい語り口」というならば、はたしてその思いは届いているのか、あるいはそれは成功しているのか。そのことを、今回検証してみたいと、わたしは考えた。
2. 基調講演の内容
内容は、大きくは「はじめに」「セクシュアリティについて」「わたしのライフヒストリー」「セクシュアリティのバリエーションについて」の4つの部分にわかれている。それぞれの部分で意図していることを述べることにする。
①はじめに
人権にかかわる講演会というのは、えてして「カタイ」雰囲気になりがちである。したがって、聞く人もそういうつもりで来られる可能性が高くなる。そこで、「そうではない」雰囲気をどうやってつくるかが大切であると考えた。
わたしは最初におこなう「質問」と、そのあとの流れの中で、「トランスジェンダー/性同一性障害」がテーマになることを予告した上で、それを深刻に語るわけではないという前フリをすることにしている。
②セクシュアリティについて
ここでは、性別は単に「女/男」に2分できるものではなく、いくつかの要素にわけて考える必要があることを述べている。これは、知識を伝達したいということもあるが、それよりも、わたしの話をわかりやすくするための「航海図」のようなつもりで、この話を冒頭にしている。
③わたしのライフヒストリー
はじめに「自分のセクシュアリティについて語りたいが、自分のことをきちんと話してないので、まだ語れない」という話をする。これは、安田直人のいう「变述的自己表現」を自分なりにアレンジした言い方である。
ライフヒストリーを語るにあたって一番大切にしているのは、「しんどかったことだけをとりあげない」ということである。また、「自分のしんどかったことは『心の箱』に入れる」という表現を使うが、これは聞きに来られた方々と思いを共有できるようにする「仕掛け」でもある。
途中で、部落や朝鮮人の生徒たちの話をするが、ここには3つの理由がある。ひとつには、自分が高校の教員としてとても充実した生活を送っていることを伝えたいと考えている。もうひとつは、「隠す社会か語れる社会か」という、さまざまな人権問題の中に共通している観点を提示したいということである。これは、「部落民宣言」「本名宣言」という、解放運動や在日朝鮮人教育運動でもっとも大切にされたテーマでもある。そして最後に、そういう共通性を持ちながらも、その反面、「人権に軽重をつけてこなかっただろうか」ということもまた、提起したいと考えてる。
④セクシュアリティのバリエーションについて
最後のところで知識を伝える。ただ、「他者を理解するため」ではなく、「自分を理解するため」としての伝え方をしたいと考えている。そのキーワードは「多様性」という言葉である。そして、その多様性が許される社会は「語れる社会」をつくりだすところからはじまるのではないかという提案で、全体が終わる。
3. わたしにあてられた質疑応答で話したこと
質疑応答では、大きくは「語りのスタイル」と「当事者として語ることの困難さ」の質問が出た。それぞれについて述べることにする。
①もともと「笑い」を大切にするスタイルで語っていたのか?
ひとつには、高校で当事者に来てもらって講演をした時、たまに子どもたちの感想に「なぜ自分が怒られないといけない」という感想文が出てくることがある。被差別の立場の伝達や、そこで感じてきた「思い」をじかにぶつけると、そこには「反発」が生まれるのではないかと考えた。
そしてもうひとつ、こちらの方が自分にとっては大きいが、わたしはそうした講演を聞くたびに、「わかるけど、でも自分のことは言えない」という思いをずっと持っていた。簡単に言うならば、「承認される人権」と「承認されない人権」ということをずっと考えていた。
わたしが話をするようになった時に真っ先に考えたのは、「わたしの話を聞いた時、かつてわたしがした思いだけはしてほしくない」ということだった。おそらくは誰もが「重荷」を背負っているであろう時に、自分の重荷を背負わせることに、わたしはなんの意味も感じない。でも、共感はやはりほしい。その時に、「自分の重荷と向きあう」という共通点をまさぐりながら、共感をしたいと考えた。
そういう意味で、わたしの話は「セクシュアルマイノリティへの理解を深める」、あるいは「自分のことを理解してもらう」ための話ではない。逆に、わたしの話を「ネタ」にしてもらいながら、自分との対話をしてほしいと考えている。
②当事者として語ることの困難さ
話の中で紹介した部落の生徒とのかかわりの頃のわたしは、「男性」「非障碍者」「非部落」「日本人」「裕福」といった、被差別の要素のない人間だった。
ところで、反差別の教育運動における教員の語りを聞くと、「共通の被差別性」からつながろうとすることがよくある。しかし、「天か与えられた被差別性」と抗うはずの反差別の教育運動が、「天から与えられた被差別性」に依拠してとりくみをすすめることはおかしいと、わたしはずっと思っていた。わたしは「それ」がなくても子どもとかかわれることを証明したいと思い、「わたしの出自」によらないとりくみをずっとやってきた。
ところが、ある日突然「トランスジェンダー」という当事者になった。そのとたん、強大な「権力」を手に入れてしまった。なぜなら、反差別の文脈において、被差別当事者が「AはBである」と言えば、それは誰にも「(一般論として)違う」とは言えない絶対性を持つからである。しかし、それははじめに述べた「体験・立場・資格の絶対化」に他ならない。正直「こわい」「あぶない」と思った。
その時、「その権力をどう行使すればいいのかということに慎重にならなければならない」と考えた。と同時に、もうひとつ考えたことは「その権利を自分から剥奪していこう」ということだった。それが、わたしの語り口につながっていったと思う。
こういう考え方ができるようになったのは、おそらくは「セクシュアリティ」という文脈で語っているからだと思う。
部落問題や在日外国人問題においては、「当事者/非当事者」という線引きがある程度可能であるが、セクシュアリティという文脈においては、だれもが当事者である。ただ、マイノリティは、常に自分のスタンスを考え続けている。しかし、それは自分を発見する楽しさでもある。一方、マジョリティは自分の持つ多様性に気がつかない状態にされている。そう考えた時、わたしは自分の語りを通して、「自分の持つ多様性に気づくと楽しいよ」というラブコールを送りたいと思っている。
4. 質疑応答全体で考えたこと
直接わたしにあてられた質問ではなかったが、やはり「笑い」がひとつの大きなテーマだったように思う。また、そこにからめてもうひとつ、当事者の自分自身への「受容」もテーマとなったように思う。ここではそのふたつについて感じたこと、話したことを述べることにする。
①当事者の自分自身の受容をめぐって
上野さんから「自分自身を受容していない当事者にとって、前向きに生きている人はしんどい存在になるのでは」という質問が出された。
わたしは自分自身が前向きに生きているかどうかはわからない。ただ、極めて楽観的に生きているとは思う。それは、自分が今どういう現実を生きているかを、あまり理想を持たずに観察をしているからだと思う。
一方、わたしはたいへん恵まれた状況にあるとも考えている。それは、男性として雇用され、一定のキャリアを積んだうえで性別移行をしたということである。
こうした自分が、いま何ができるかという時に考えることは、ひとつは「ロールモデルと出会える場」としての「交流会」をつくるということである。もうひとつは、自分がより身近に感じてもらえるロールモデルとなることである。こちらは「受容できていない当事者」にとっては、「あの人は特別」となる可能性もある。そこは、絶妙のバランスを保ちながらいきたいと考えている。
②「笑い」という手法をめぐって
かつて「『笑い』と『涙』から考える共闘の可能性」という小文を書いたことがある。それを転載する。
「笑い」と「涙」から考える共闘の可能性
いろんな当事者の講演を聞きながら、「涙が出てくる瞬間」って、何度も経験しています。でも、いつもどこか自分の中に「冷めた」ところがあることに気づいていたんです。「これってなんだろう」「自分って、すごく冷たい人間かな」とずっと思っていました。でも、そのことがあったからこそ、わたしは「ウケ」を常に意識しながらしゃべるようになりました。
これ、「関西人だから」と処理されがちなんだけど、もしかしたら違うのかも。もしかしたら、それって「共感」のあり方なのかもしれないと思ったんです。 そう考えた時、「涙」による共感は「他者への共感」なんじゃないかなぁ。簡単に言うと「あぁ、かわいそうな人がいる」みたいな。それに対して「笑い」による共感は「自分への共感」なんじゃないかなぁ。簡単に言うと「あぁ、あるあるある!」みたいな。
ま、ただそれだけのことなんですけどね。でも、わたしは「高座」をするとき、「わたしのことを理解してほしいなんてこれっぽっちも思っていない」んです。じゃなくて、「心の相似形」を探るための「ネタ」を提供しているつもりなんです。で、「あるあるある!」となった時、その人がその人自身を見つめる手がかりが出てくる。その 作業と、わたしがやってきた/いる作業は同じなんですよね。そういう共感を探りたい。
かつて、「教科書『を』教える」のか「教科書『で』教える」のかという論議があった。このことは、講演においても同じことであると、わたしは思う。「◯◯『を』伝える」のか「◯◯『で』伝える」のか。わたしは後者でありたいと考えている。すなわち「セクシュアリティへの理解」ではなく「セクシュアリティを通した共感」を求めたいと考えている。その時に、「笑い」はとてもよいツールになると、わたしは考えている。
5. 全体を通して
今回は、「語り方」「伝え方」について論議をする社会学のシンポジウムという設定であった。しかし、実際に参加された方々は、セクシュアルマイノリティ当事者や運動にかかわる人々の参加が多かった。そのために、会場からの質問の内容が、運動論であったり、直接セクシュアルマイノリティにかかわるものであったり、本来の主旨とはずれたものもあったように思う。もちろん、司会のおふたりが取捨選択をしながら趣旨に添うものにしていかれたわけではあるが、そういう意味では、主催側・参加側ともに、少し消化不良なところがあったかもしれない。
しかし、まさにそれが関西の「社会運動で語ること/伝わること/繋がること」であったように思う。参加者の中にはセクシュアリティの運動をしている人はもちろん、部落解放運動にかかわる人や障碍者運動にかかわる人がたくさんおられた。そういう人々が、「語る」ということを実践的に論議できたという意味では、非常に意義があったと思う。
シンポジウムの2日後、奈良で長く部落解放運動にかかわってこられたNさんという方からメールが来た。数回のやりとりの中に「はじまるまでは少し緊張していたのですが、いつきさんのお話をうかがっていて、すぐに緊張がほぐれ、いつの間にか『ニコニコ』でした。それは考えたら、やはり運動のなかで『当事者性』みたいなところが鼻につき嫌で(感覚的にちがうやろ!)…」という一文があった。
部落の当事者としてのNさんとセクシュアルマイノリティの当事者としてのわたしのふたりが、「語り」を通して「伝わり」「繋がる」ことを、あのシンポジウムの場を通して与えられた。そんな「繋がる場」をつくって下さったみなさんに、わたしは心から感謝する。