まぁ、仕事はじめですから当たり前ですか…。てなこと言いながら、実は4日に出勤するのははじめてです。なにせ、普段だったら雪の上にいるシーズンですから。
というか、本当に安心して休めるのって、実は、年末年始ぐらいだったりするんですよね。それも、最近ではずいぶんと短くなって…。はぁ…。
カテゴリー: work
日直
いちおう、今日の午後は日直ということで。
といっても、「何かあった時」のための日直なわけで、なにもなければ「いる」ことが仕事というものです。しかも、なにもないことの確率の方がはるかに高い。てか、日直が走りまわらなくちゃならないことが起こったら、逆に困るわけで…。
てことで、とてもヒマな午後でした。
まぁ、そんなことですから、ふだんはなかなかいろんなことで邪魔されてできないような時間のかかる仕事、集中力のいる仕事をすることができました。
ま、平和な一日かな…。
やっと終業式
なんだか、ことしは長かった。てか、期末試験のあと2週間も授業があったんですが、んなことやっても、ウチの学校ではムダな希ガス。間にクリスマスと正月をはさんだら最後にやったことなんて全部飛んでしまいます。なので、3学期がはじまったらまた最初からやり直し。完全な数字あわせのための「授業時間確保」という感じです。
もっとも、教員の側もたいがいなわけで、試験を後ろに持ってきて試験後の時間を短くすると「採点の時間が少ない」といい、試験を前に持っていくと「授業が長すぎる」という。で、そんな行事日程を組んでいるのも同じ教員なわけですわ。わたしなら、ちゃぶ台ひっくり返しますね(笑)。
ま、グチはこのへんにして…。
案の定、朝から絶不調です。昨日の飲み過ぎがきいています。
とにかく、悪い体調をだましだまし、大掃除だの終業式だの不振者指導*1だのをして、無事午前の部が終了。午後は、生徒たちの成績の処理をしたりしながらしばらく仕事をしていましたが、ふと年休が大量に残っていることを思い出しました。勤務日は、今年はあと4日半。全部休んでも使い切れません。てことで、年休とって帰りました。
帰りに、ちょっと用事のある中学校に行ったり、三月書房に寄ったり*2。探していた本はなかったのですが*3、それでも本に囲まれてその間をフラフラできる瞬間が持てたことは、すごいリフレッシュになりました。
おかげさまで、体調もすっかりよくなって、晩ご飯のビールがおいしいぞっと!
仕事は逃げない…
今日は期末試験最終日。今日もフルに2時間とも監督が入っていました。やれやれ…。
監督が終わったら、職員室に帰って雑用。まずは、仕事関係のメールチェック。簡単にはしていたけど、なにせホテルが「圏外」だったので、チラリと見るだけで、中身まで確認できなかったし、ましてや仕事をしておくこともできませんでした。
で、雑用が終わって、さて採点と思ったら、大学受験用の勉強をしに生徒がやってきました_| ̄|◯。
昼過ぎにその生徒も帰って、ようやく採点。ところが、突然眠気が襲います。眠気と闘いながら、2クラス分の採点。さらに、ノートチェック。たいていの子はいいのですが、やっぱりノートに「ひとこと」を書いてあげた方がいい子もいます。眠気と「イヤ気」のふたつと闘いながら、それでもなんとか成績処理を終了。
でも、まぁこんな程度で助かりましたわ。机の上*1に仕事がてんこ盛りになっていたらどうしようと思っていましたから…。どんな仕事でもそうだけど、休んだ分の仕事はたまっているだけのことで、結局一気に来るというのがよくわかりますねぇ。
学校の帰りに整形外科によってレントゲン。だんだんとくっついてきているようで、今後は少しずつ動かさなきゃならないらしいです。とりあえずは、まだ肩はあげられないけど、「アイロン運動」はするように言われました。ようやくだなぁ…。
*1:正確にはキーボードの上ね。机の上にはすでにてんこ盛り。上があいているのはキーボードの部分だけという^^;;
今日は迎える側
今日はウチの学校の人権学習第2回目。1年生は若い在日の子の講演会です。
20歳代半ばも過ぎているいい大人に向かって「子」って、と自分でも思うのですが、実は京都の交流会の卒業生なんですよね。もうかれこれ10年くらいのつきあい。だから、なんとなく「子」なんです。
で、この子、「自分探し」を真剣にしていたんですよ。そんな中で共感することも多々あった。なので、今回来てもらいました。
話を聞いていて、「なるほどなぁ」と思うことがたくさんありました。
中学の頃、「オレ、在日朝鮮人やねん」と友だちに言った時「関係ないやん」と言われ、「ちがう」と思ったこと。大学の時、韓国に語学留学して、下宿屋のおじさんから「早く韓国人と思えるようになったらいいね」と言われ、「違う」と思ったこと。なぜ、どちらかしかないのか。なぜ、両方をとったらいけないのか。
そんなことを淡々と話してくれました。ちょっとあがっていたみたいで、それが残念だったかな。あと、ウチの生徒たちのかなりの部分にはちょっとハイレベルだったかもしれないです(笑)。でも、わかる子にはわかるだろうな。また、月曜日以降、授業の中で返していこう。
方針が決定
昨日の感想文返し、数十本あるのをばっさりと削って10本程だけを返すことにしました。で、わたしからのひとことツッコミを入れる。
とりあえず、やっつけ仕事だけど、30分ほどで8割完成。あとの2割はあとでね。
作文うち
先々週やった人権学習の講演会の感想文がボチボチ集まってきています。てか、それを打って生徒に返すの、あさっての金曜日なんですけど(;_;)
で、いい話だったから、生徒たちがしっかりと感想文を書いているのはわかります。それをできるだけ生徒たちに返したいというのもわかります。でもね、いくら「これいい!」と思ったからといって、一クラスで7枚とか8枚も出すのはやめてほしいんですよ。それも長いのばっかり。
これを7クラス分打ったら、はたしてB4*1で何枚分になるか考えていますか?
で、まぁ打っていたのですが、だんだんイヤになってきました。
というのは、みんなの感想が同じパターン。「話を聞いて泣けた」。そらね、部落のおっちゃんのしんどかった体験談だからそういう反応をするんだろうけど、その涙って、えてして簡単に乾いてしまうのよ。「差別はいけないと思いました」。だれだって思ってます、とりあえずは(笑)。大切なんは、そこと違うだろう…。
そんななか、キラリと光る作文もありました。その生徒にしか書けない感想文を、講演を聞いて触発されて思わず書く。そういう瞬間に立ち会えることがうれしいです。
そうそう。最近の作文で増えたのが「部落ってなんなん?」です。かつては関西では考えられなかったんだけど、そういうご時世なんだなぁ。もはや、伝えなくてもいいことなのかなぁ?
*1:学校では、生徒向けプリントはいまもB4が標準です(笑)
なので、教材づくり
昨日の放課後、「明日には教材をお渡しします」と言ってしまいました。マジでできるかできないか、自信はないのですが、こうやって自分にプレッシャーをかけることで小人さんが発動してくれるかもしれないという、一縷の望みをかけるわけです。
で、今日も通勤途中いろいろ考えながらバイクを走らせ、1時間目の授業中も半分はそっちの方を考え…。
まずは困ったのが、生徒たちからの最も多い質問「なぜ部落ができたのか?」
いや、これ、マジで説明に時間がかかります。でも、これをコンパクトにまとめなくちゃなりません。困った…。それでも約2時間、なんとかできあがった、超コンパクト版の部落史プリント。
(1)平安時代(800年頃〜1200年頃)
「死」「病気」「火事」「犯罪」「天変地異」など、「秩序の乱れ」を「ケガレ」とする考え方がありました。そして、このような秩序の乱れた状態を回復することを「キヨメ」と呼んでいました。
このキヨメに従事する人たちは、人々から「すごい力をもっている」という尊敬のまなざしと、「ケガレに触れている」という賤視するまなざしの入り交じった、複雑な思いで見られていました。(2)鎌倉時代〜室町時代〜安土・桃山時代(1200年頃〜1600年頃)
このころになると、民衆の「キヨメ」に従事する人たちへのまなざしは、次第に尊敬の思いが薄れ、賤視し排除する意識が強くなってきました。
しかし一方で、庭づくりなど、日本の伝統文化を担っている人たちも「キヨメ」に従事する人たちでした。
また、「キヨメ」に従事する人たちの中でも、皮革産業に従事する人たち(かわた)は、実は武士・大名にはなくてはならない存在でした。なぜなら、皮革産業は同時に軍需産業でもあったからです。そのため、各地の大名は自分の藩にお抱えの「かわた」を住まわせました。(3)江戸時代(1600年頃〜1870年頃)
江戸時代は、身分を強化する時代でした。そのため、武士身分・町民身分・百姓身分などがつくられました。また、被差別身分も身分としてハッキリとさせられる時代でした。
しかし、このような身分は突然できたのではなく、それまで民衆の中にあった差別意識を助長・固定化していったと考えられています。
ところで、被差別身分の人たちは、皮革産業をはじめさまざまな仕事をしていたので、けっしてみんなが貧しい暮らしをしていたわけではありませんでした。(4)明治時代〜(1870年頃〜現在)
明治になって、法律上の「身分」はなくなりました。
しかし、人々の意識の中には、江戸時代までの被差別身分の人たちやその人達が住んでいる地域への差別意識は強く残っていました。
さらに、戦争や不況のため、決して貧しくなかった「地域」に住む人たちの暮らしは、一気にしんどくなりました。まわりの人たちは、そうした「地域」の姿を見て、厳しい差別のまなざしを持ちました。そして、その「地域」を「部落」と呼ぶようになりました。
現在、地区改善事業により、かつての「貧しい」部落の姿はほとんどなくなりました。しかし、いろいろな差別はまだまだ残っているし、なによりも人々の中にある差別意識がなくなったわけではありません。それが一番はっきりとあらわれるのが「結婚差別」なのです。
我ながら、よぅまとめたわ^^;;。
これができたら、あとはなんとか…。京都府のさまざまな意識調査なんかを織り交ぜながら、どうにかこうにか8割方は完成。
最後は、「映画を受けて」ということだったので、代表的なキャストの「心の動き」を追うことで「変わり目」を感じさせ、その後を予測させる、と。
できた!と思ったら、すでに4時。そこから「解説プリント」をつくって、最後のブラッシュアップ*1をして完成。と、5時10分。やべっ!なんとか「今日中」に間にあいました。ホッ…。
さて、ご意見を待ちますか…。
*1:一枚一枚のプリントを独立させて、順番や、やるかやらないかを自由に選択できるようにするとか…
教材づくり
来週の人権学習に向けた教材、ようやく先週末にできたんですが、どうも不満らしいです。なにが不満なのか、やっとわかりました。
実は、先週、生徒たちには映画を見せたんですが、わたしの教材にはそんなもの一切入っていません。どちらかというと、「それはそれとして…」という形で組んだんです。ところが、みなさんが持たれた不満は「映画を踏まえてほしい」ということだったんです。
そうか、ぜんぜん違うんだ…。
わたしにとっては、映画は「ネタ」なんですよね。あってもなくても関係ない。じゃぁ、「ネタ」だからそんなものはいらないかというと、それは違うんです。たくさんの「ネタ」を振ることで、中身が豊かになっていく。つまり、網の目をどれだけたくさんにしていくか。わたしはそう考えているんです。
ところが、不満を持たれた方は、すべてがひとつの「線」である必要があると考えられているようです。なので、その線の上に教材を準備していき、ひとつの結論を導き出していくことが「指導」であるということのようです。
根本的に、わたしの考え方と違うなぁ。
わたしのテーマは「気づき」。いつだってそうです。なにに気づくのかは、その子の関心によるし、でも、そういうものを喚起していくのがわたしの役目だと思っています。だから、すべては「ネタ」。
こういうのって、はやらないのかなぁ…。
でも、しゃーないです。そういう教材をつくろうか…。
ハードな1日・はじまり
今日は学校公開の日です。最近の高校って、こういうことをやるんですよ。でも、ウチの学校のありようを地域の人たちに公開するの、悪いことではないとは思うんですが…。なので、わたしとしては、ガイダンスの放送担当は、あえて部員にやらせたいと思っているので、みんなで一緒に休日出勤です。
とりあえず、セットを組んだところで、「何ごとも経験!」と1・2年生にまかせて、3年生とわたしは放送室で待機、という名目でダラダラ。まぁガンガレや…。
で、終わったら、速攻、次の目的地へ…。