排除する学校・排除に抗する学校

今日は校内の人権研修会。講師は大阪府立大学の西田芳正さんです。
実は元々は「エフェクティブスクール」についての知識的な話を話してもらいたいなと思って、その道の第一人者と交渉をしていたのですが、どうしても都合がつかず、なくなくあきらめたと。で、途方に暮れながらもいろいろ探していたら、西田さんに行きあたりました。で、どんな研究をしておられるか、最新の本を読んだんですが、これがおもしろい!早く先が読みたくて、結局、一日で読んでしまいました。
てことで、今日の研修は大期待です。
西田さんの話のキモを、あえてひとことで言ってしまうと「学校万能論も学校無効論も違う」「学校にできないことはたくさんあるけど、学校にしかできないことがある」ということかなと。で、「排除に抗する学校」であるためには、学校が何をどのようにして排除してきたのかを考える必要がある。
ということかなと。
で、それを具体的な事例をあげながら説明されるのですが、まさに「いるいるいる!」という感じなんですよね。実感と研究がピタリと一致している感じなんです。だからこそ、そこで最後に出てくる結論に説得力があります。
にしても、もちろん簡単な道じゃないんですけどね。

ちなみに、帰り、校門まで送っている時に
「排除する学校というタイトルはエキセントリックかもしれないけど、誰かが言わなければならない。少なくとも欧米の研究ではごく一般的なのに、誰も言ってこなかった」
と言われました。なので
「いやぁ、ムラに入った教員は、ごく当たり前に親から言われてきたと思いますがねぇ」
と答えました。西田さん、笑っておられました。

インクルーシブ教育

今日は人権関係の研修会。午後は講演です。で、実はわたしは「聞かされ役」にはなりません。というのは、わたしが「聞きたいな」と思う人を推薦してて、たいていみんな通してくださるからです。うれしいな。
で、今日の講師さんは常磐会大学の掘智晴さん。たぶん、ドストライクの人ではないかと。ただ、講演聞いたことないから、わかりませんけどね。
折しも警報が出てる中、講演開始です。
当初は2時間の予定でしたが、急遽1時間半にしてもらったのがまずかったのか、
「これで終わります」
と宣言されたのが、話しはじめられて40分後です。やばい!
ところが、ここからがうちらの研究会のすごいところです。質疑応答の集中砲火です。
そりゃ、
「高校でもインクルーシブ教育をするべきだ」
しか言ってくださっていないわけで、わたしらとしては
「んなもん、現状では無理ですやろ!」
となりますよ。
でも、ここからがおもしろかった。答えがいちいち不器用で、だから本音が伝わってきます。
たぶん、インクルーシブ教育を実現するって、単なる制度改革ではすまなくて、高校の中に根源的にある「適格者主義」を根底から覆していかなくちゃならない気がしました。
で、高校の適格者主義の要請はどこから来るかというと、もちろん教員自身の中にあることは前提ですが*1、それだけではなく「出口=進路」からの要請があります。簡単に言えば、進路先の大学も企業も、基本的には適格者主義です。だから、適格者を育てることが使命にならざるを得ないし、それができない高校は「ダメ」の烙印が押される。教員はその烙印を避けるために必死で適格者主義を守ろうとするし、適格者に育てられる可能性の高い「ほとんど適格者」をほしがる。
インクルーシブ教育を実現するということは、そういう社会のあり方を根底から覆してしまうものなのかもしれません。
そもそも、「適格者」とは誰なのか?「適格する」とはどういうことなのか?根源を問う可能性を持つよなぁなどと感じました。
結局、講演終了から50分質疑応答があって(笑)、講師の方の
「そろそろやめましょうか」
で終了。そりゃぁ質疑応答は疲れますよ。
でも、帰りに何人かに
「どうでした?」
って聞いたら
「最初はどうなるかと思ったけど(笑)、最終的にはおもしろかった」
って返事が返ってきたから、成功だったんでしょうね。

*1:教員のほとんどが適格者主義の中で成功をおさめた適格者である

1学期のメインイベント

今日は3学年一斉の人権学習の日。かつては担当者がふたりいたけど、いまは基本ひとり。これで全校生徒の学習をまわすのは、ある意味無謀という気がします。まぁ、この体制になって3年目になったので、かなりわかってくれる人もいて、すごく協力的な人もずいぶんと増えました。例えば、資料の印刷なんかは、ほとんどみなさんがやってくれたしね。
印刷って、ひとクラス分だけなら、今日日の印刷機は優れものなんで、あっという間に終わります。でも、それが一学年分とか三学年分になると、なかなかの量になります。たぶん
「印刷しといて」
という人にとってはたいしたことはないと思う仕事量なんでしょうけど、それが集まるとえらいことになります。なので、
「こっちでやっとくよ」
のひとことが、どれほどの気持ちの余裕につながるかははかりしれません。
でもねぇ、とうぜん負のオーラも感じるわけです。
負のオーラって影響力が半端ないです。さまざまな正のオーラが感じられなくなるほど影響力があります。んー、例えて言うなら、おいしいご飯を食べてる時に隣の席から流れてくるタバコの煙みたいな。同じ席の人は気を使ってくれるから大丈夫なんですが、隣の席の人が気にしてくれることはほとんどないですからねぇ*1
は、おいといて…。
でも、すこしへこみ気味になったところで、またいろいろ慰めてくれる人もいたりして、それでようやくバランスがとれるわけで。

で、いよいよ午後から本番。
今年の2年生の講演は徳島から「大湾さん」に来ていただきました。
うまいですねぇ。なんというか、感じとしてはオムニバスって感じでしょうか。小さなトピックを少しずつ投げながら、共感の可能性を探る感じかな。だから、「ここはわからなかったけど、あそこはわかった」みたいなことが可能になります。
こんな人が
「いつきさんから頼まれたら断れない」
と、ふたつ返事で言ってくださることも、すごく大きな支えなんだよなぁ。だって、夜は徳島に帰ってミニバスの指導するとか、あしたは愛媛に行かなくちゃならないとか、メチャクチャ忙しいのに、講演後に話に来た生徒とていねいにかかわってくださるし。

ふむ、正のオーラを感じはじめたら、少し元気になってきた。

*1:月曜日の「呑み」のことを思い出しただけ

今年もこの日がきた

今日は、年に一回の「これが仕事でいいのか(笑)」の日です。
なんしか、子どもたちをバスに乗せて目的地へ。到着したのはわたしとしては2年に一回来ているキャンプ場。
で、今年は。
いちおうファイアースターターを持っていったけど、けっきょく使わなかった。いいことです。
で、何といってもおもしろかったのは、メニューの豊富さ。
例年だと、まぁ、焼肉・ヤキソバ程度なんですが、今年はお好み焼きありーの、焼き飯ありーの、チーズフォンデュありーの、チョコフォンデュありーの、なんか、バラエティに富んでました。ピザ焼いてるところもあったし。
まぁ、考えようによっては、それだけ冷凍商品が充実してきたわけで、でもそれはそれでおもしろいなと。逆にいままでの「バーベキュー概念」にとらわれなくなってきたということなのかなと思いました。
おかげさまで、仕事の「つまみ食い」も、いろんなものを食べられました。
だけど、「火の管理」ができないな。どうも炎があがってないと不安らしい(笑)。

決戦前夜

今日は会議・会議・会議の日です。なぜなら、来週からとうとう学校がはじまってしまうからです(;_;)
毎年毎年やっているはずなんですが、それでも「年度の立ち上げ」はたいへんです。まぁ、メンバーが替わるから、「同じ」ではあり得ないと言うことなんですけどね。
ものによっては、準備万端整っているものもあります。ものによっては、「なんとかなるやろう」でスタートするものもあります。ものによっては、「まぁええか」みたいなのもあります。でも、いずれのものも、結局はなんとかなるんです。おもしろいものです。
さて、今年度はどんなことが起こるかな。こわいけど楽しみ。

フィールドワークと講演

朝、へろへろです。でも、今日は午後から出張だし。
職場に着いて、
「昨日の〆は結局天一でしたわ」
と報告すると、みなさんから失笑が漏れます。そりゃそうだ。
午前の業務をこなして、午後から出張。今日は、わたしの「第2のふるさと」のフィールドワークと地元の人*1の講演です。
会場に着くと、会場の人がえらい剣幕です。
「車、何台来るねん!」
「そんなん、わかりますかいな。10台くらいとちゃいますか?」
「おまえなぁ!」
まわりの人たち、メチャクチャ怖がっています。でも、この人、ものすごく優しい人です。ただ、とりあえずワンプッシュしてから笑顔になるタイプなので、そのワンプッシュ中ということです。案の定
「頼んだで」
のひとことあとはずっと笑顔。いい人です(笑)。

で、フィールドワーク開始。案内人の方から
「おまえ、最後尾な。案内できるやろ」
と言われました。いやいや、無理ですよ。
そうか、6年前まで15年間、ここに住んでいたんだなぁ。家の前まで行くと、ちょうどお向かいの人が外出から帰ってこられたところでした。
「久しぶり〜」
「ごぶさたしています」
「変わらへんなぁ。またこっち来たら寄ってや〜」
「ありがとうございます」
みたいな会話です。

その後、ムラの歴史と現状と課題についての講演。
自分史とムラの歴史が重なるあたりについては、やっぱりその人にしか話ができないわけで、すごくリアルな話になりますね。でも、逆に言うと、全体をある程度知っている人間にしかそのリアルさは伝わらないかもしれません。もちろん、内容的には十分はじめて聞く人でもわかる話なんですが、「その先」はそれなりのことがどうしても必要になるのかな。まぁ、それはムラの歴史に限らないことだとは思いますが…。

てな感じで、あっという間の半日でした。
さて、今日は帰ってのんびりするぞ…。

*1:支部長ね

特殊業務

今年も特殊業務の日がやってきました。この業務、「本務」ではありません。なので、当然休む人もいます。きわめてまっとうな態度だと思います。でも、ほとんどの人はそれを知らされないまま、
「まぁしゃーないな」
とやるわけです。教員なんていうのはそういうものです。
ちなみに、クラブ活動も本務ではないのですが、なぜか強制的に顧問をさせられます。で、みんな
「まぁしゃーないな」
とやるわけです(笑)。

しかし、すでに20年以上も特殊業務をやっていると、さすがに慣れてきますね。さらにアナウンサー担当の方とここ数年コンビを組んでいることもあって、リラックスしたものです。でも、これって大切ですよね。過度の緊張は、逆にミスを招きます。今日はまだ寝不足が続いていることもあって、適度な緊張感をもって、やんわりと業務をこなしてしまいました。
さて、後片付けが終わったら、やり残した仕事をやって、さっさと帰ろうかな。

今年も「時」が近づいた

今日はほんとうは午後の授業だったはずなのに、午後から卒業式の予行がある関係で、なぜか1時間目に授業が振り返られちゃいました。めっちゃスケジュールがタイトやん!
でもまぁこいつらと同じ教室でいられるのも、今日を含めて3回。まぁええやろ。
朝、「やはりなショックなニュース*1」があったので、まぁ自分の思いを語ろうかと。
考えてみると、子どもたちにとっては「敗戦」なんて歴史上の出来事なんでしょうね。そして、その「敗戦」を踏まえてつくられてきた「憲法」も「教育基本法*2」も、歴史上のことなのかもしれない。あの時*3みんなが「民主主義」と言っていたわけですが*4、なぜそれをみんなが求めたかということも、歴史上の出来事なのかもしれない。
でも、例えばわたしにとってみれば、父親は1927年生まれなわけです。乙二で戦場には行かなかったけれども、学徒動員で大阪の工場で働いていたという「戦争史」があります。この間岸和田で会った方は、現実に戦場に行かれた方でした。わたしたちのまわりには、まだそういう方々が生きておられます。そんな人々は、自分からは語ろうとはしない。でも、聞けば語ってくださいます。
すでに歴史上の出来事ととらえている子どもたちと、機会がなければ語ってくださらない方々との間をつなぐのは、両方を知っている「わたし」の役目かもしれない。
自分にとってのリアルな「昭和(笑)史*5」を語ることを通して、そこの「つなぎ」をしなくちゃならないなぁという気がしてなりません。
まぁ、そんなことで語ったわけで。

もちろんそのあと授業はしました。でも、あいまあいまに机間巡視*6をしながら生徒と雑談していると
「あんな話をもっともっとしてほしい」
なんていう感想もあって、かなりうれしかったですね。

*1:大阪市の条例の話

*2:改悪前ね

*3:つっても、わたしも生まれていませんが^^;;

*4:それが「転向」であったとしても

*5:子どもたちは「昔のことやん」を「昭和のことやん」と言いますからねぇ

*6:一発で変換できた!

勝負!

某学年の授業、今年は敗北感でいっぱいでした。このままでは、ほんとうにどうしようもありません。
てことで、とうとう「生まれてはじめてパターン」をやってみることにしました。まぁ、はじめての試みは、いつでも「生まれてはじめてパターン」なんですけどね(笑)。
まずは、教室は移動。
理由は
1、いらないものを持ってこない
2、席を自由に設定できる
です。
考えてみると、わたしたちは教室に行く時不要なものは持って行かない。でも、子どもたちは不要なものに囲まれています。だから、あえての移動教室です。
あと、今回は首にひもが掛かっている子どもたちを対象に授業をしようと。となると、そういう子どもたちが自分の意思で前に座って授業を受けることを可能にしなくちゃなりません。ふだんは、
「勝手に席を動くな」
っていわなくちゃならない。で、動かすにしても、誰かをどけなくちゃならない。それはかなりめんどくさいです。てことで、
「自分で勉強できるヤツは後ろでやっとけ!」
みたいなことをやろうと。
さて、どうなるか…。

ふたを開けたら、見事にはまりました。
てか、これだけやって乗ってこなかったら、さすがにアウトやろ。

某研究会にて

午後から出張で某研究会へ。
後半は分散会にわかれてレポートを聞いたのですが…。
なんというか…。

某私学のレポートなんですが、がんばっておられるのはわかる。それも、すごいおもしろいことをやっている。うらやましいほど。
でも、それが「いい生徒」をとることにつなげているのがありあり。それがねぇ。結局パイのとりあいにしかなっていない。いや、私学の経営を考えたらそういう方向に走るのはいたしかたないところがあるのはよくわかります。ましてや、底辺層を引き受け続けてきたから、そうなるのはわかる。でも、そういう自分たちに
「なんだかな」
と思いながらやっているという躊躇感がほしいなぁ。
ま、うちも一緒か…。ひとのこと言えないな。

某市立のレポートなんですが、がんばっておられるのはわかる。でも、そこに行っている子どもたち、京都府全域から集めた超エリートでしょ?保護者もしっかりしているし、卒業生もしっかりしている。
生徒指導をしたら保護者から文句が来たり、地域の人たちから石が飛ぶような苦情が来たりというところでは、はっきり言って、ない。たぶん教育委員会とかあちこちからふんだんにお金も出ている。
まぁ、しっかりやって、エリート層を育ててくれと。うちと比べた時、京都の教育が、日本の教育がどこを目指しているのかよくわかりました。

はぁ…。
でも、この中でやるしかないか。