淡々と、粛々と

今日は出張のない出張日です。なので、まる一日雑務に使えます。そんなに雑務があるのかよ!と言われたら、実はあるんです。年に一回出している『人権教育資料集』の組版という雑務が!
ちなみに、4年前まではA5判縦書きだったのをB5判横書きに変えたんですが、今年度からA4判横書きに変えることにしたので、全面的につくりかえなくちゃなりません。まぁ幸い、もうひとつ資料集をつくっていて、それのスタイルを流用すればいいので、気は楽です。
それにしてもindesignはうまくできてます。仕事がサクサクすすみます。なので、わたしは組版に集中できます。結局朝9時くらいからはじめて、16時半くらいに「やったー」でおしまい。
あとは会長あいさつと先週送った講演の校正が帰ってきたら、ページ数の調整をして完成です。
ただ、わたしデザインのバランス感覚が乏しいからなぁ。そこが不安です。

逃げた自分を反省的にとらえること

ここしばらく、ずっと2次校正をしています。この作業、たしかにしんどいけどおもしろいです。
しんどさはというと、言うまでもなく「校正はしんどいもの」ということです。
てか、トランスクリプトを作成する人が解釈を加えて文章をいじるのをやめぃ!これは「改竄」ですよ。一番ひどい「改竄」は、直接話法で話している中身を標準語的な言葉に変えてしまうことです。それは直接話法とは言わない。で、直接話法で話しているのは、そういうライブ感があって、必然として使っている。そしてそこには講演者の「意図」があるんですよね。で、この「改竄」は、その意図を踏みにじることに他なりません。
なので、結局今日はずっと音声データを聞きながら校正をしてました。でもこれ、なんのためにトランスクリプトをつくってもらったかということですよね。わたしもしんどいし、もっとしんどいのはトランスクリプトの作業をした人です。「せっかくやったのに、自分はなんのため?」って、きっと思われます。そんなふうにならないためにも、文章はいじらない。

なんてことを考えながら、K原さんの講演を読み聞きしてました。
あらためて読み聞きして、「おもしろい!」と思いました。
K原さんは徳島の方です。徳島のとりくみは、それはそれは暑苦しい(笑)。まぁそれだけ分厚い実践があるということです。京都「府」とは比べものになりません。そんな中でK原さんは子ども時代を過ごしてこられたわけです。そして「イヤや!」とそこから逃げてきた。
たいていの場合、「逃げ」は「自分の弱さ」と結びつけて考えられがちです。でもK原さんは違います。「教員のとりくみの問題だ」とバッサリ切られます。まぁそれができるのは、K原さん自身が教員ということもあるだろうけど、もうひとつは生徒時代に感じた「分厚い実践の背後にあるもの」≒「形骸化したとりくみやそこにあるホンネ」を、教員になって再確認したということなんでしょうね。そしてもうひとつは、にもかかわらずある差別の現実を目のあたりにされたとかな。
そこで、K原さんは、そういう現実を引き受ける。具体的には「差別の現実」と「「自分が逃げさせられてきた実践」をやる立場になった」というふたつを引き受ける。ここでおもしろいのは、K原さんが、やはり「教員である」ことにこだわり抜いていることなんじゃないかな。つまり解放運動に「逃げ」ない。解放運動の立場で教員を断罪するのではなく、教員として自己矛盾を引き受け、それを止揚した結果、「目の前の子にかかわる」という原点にもどる。それは、ある種、自分が「逃げ」てきたところに教員としてもどることです。ここでもしも子どもが「逃げ」たら、自分もまた自分を逃げへと追いやった教員と同じになってしまいます。
そして、子どもたちと出会いつながる。
これ、もちろん、孤独な闘いです。なので、はじめは「尖ったナイフ(K原さん談)」です。そんなK原さんが、ナイフにシースをかぶせてもええかと思わせたのがる、K野さんとの出会いだったみたいです(笑)。やれやれ。
でも、K原さんは、たぶん今も孤独な闘いをしてるな。そこにはあきらめというか、絶望というか、そんなのもあるんだろうな。だからこそ、「クズ仲間」として、わたしともつながっていてくれているのかな。
まさに「希望は、絶望をわかちあうこと」ですね。

ムラめぐり

ここしばらくまともに仕事してなかったので、久しぶりにまともに仕事をしようかと。てことで、ムラめぐりの午前です。
なんだろ。なんもないんです。なので迷惑かもしれません。が、やはり行こうかなと思います。大切なのは、なにもないけど行くこと。顔をつなぐこと。そんなことを考えて、ムラをふたつと中学校をひとつ顔を出しました。昔話をしてみたり、これからことを話しあったり。うわついた話ではなく、地道な話は大切ですね。

お座敷8連発の最終日

朝はいつもの通り出勤です。で、試験の見まわりをしたり。で、午前の最後の仕事は採点です。お昼ごはんの前にどこまで採点しようかなと思っていたら、採点が終わってしまいました。よかったよかった。
で、夕方仕事を終えて移動開始です。今日は車で移動です。向かうは京都府北部の街です。数年前はよく呼んで下さいましたが、ここ2年ほどは声がかからないので、「需要がなくなったんだなぁ」と思っていたのですが、なぜかお声がかかったので「お久しぶりです」と行かせていただくことにしました。
それにしても疲れてます。そりゃそうです。10月になってから準備をはじめて、25日にはじめての試みとしてのシンポジウムをやって、その後東九条マダンを経て、11月中ごろの小さなピークを終えて、しかも感想文を打ちまくって、11月終わりの大きなピークの入り口に立って、これで11月がおしまい。12月になって、いきなりお座敷weekと全同教大会です。よくここまでもったなと、それが不思議です。
で、今日の夜がその最後です。
でもまたまた問題が。2時間のネタを1時間半で話せと。しかも、年齢層が広い。どうするか…。とにかく、ところどころの枝を払いながらも、超高速でやるしかありません(笑)。
てことで、お座敷スタート。はじめのうちはみなさん笑って下さいますが、途中からジャブを打たれ続けるボクサーの顔になってこられます。それでも、ところどころのネタで笑って下さるのがすごいです。で、なんとかかんとか最後までたどりついて、みなさんもわたしもフラフラです。
でも、終わってからご自分の話をしにこられた方がおられたりして、すんごいうれしかったです。
さぁ、でも、明日からは日常だ。安全運転で帰りましょう。

スマホ問題→「聞かない」というメッセージ

朝、身体がメッチャ痛いです。実は、昨日は雨が降って、雨上がりの歩道をキックボードで移動していましたが、向こうからやってくる自転車をよけるべく進路を変更しようとしたら、点字ブロックがあって、それにタイヤをとられて転倒しちゃいました。昨日はあまりにも痛かったので、肋骨やったからと思ったのですが、たぶん筋肉痛ですね。つまり、転倒した時、身体をガードすべく瞬間にすごい力を出したなごりみたいです。でもま、それならいいや。

で、今日の午前は「第二の故郷」での会議です。最寄りの駅まで行って、山の上に行くべく、激痛の身体を動かしてると、見知らぬやさしいおじいさまが「乗ってくか?」と声をかけてくださいました。うれしいなぁo(^^)o。
で、会議は相変わらず言いたい放題です。学力の現状と、学力の向上を阻害する要因と、その背景にあるものについて、あーでもないこーでもないと話しあいます。で、今日は「スマホ問題」が話題にあがりました。
これ、悩ましいですね。もちろん通常使用も悩ましいですが、例えば、「こもってる子」にとっては、いまや世界との窓口だったりします。それをとりあげるか否か。片や「窓口をとりあげてはいけない」という意見もあるだろうし、片や「依存だから、一度とりあげたほうがいい」という意見もあるだろうし。まぁ、わたしは後者なわけです。「依存先を増やす」ほうがリスクは少ないし、その方法を身につける方法を考える。
で、最後の最後に「これからの人権教育をどうしたらいいか」とかいう、メッチャ大きいテーマが宿題になったりして、どうしろと(笑)。

会議が終わって、京都駅まで移動です。電車の乗換に45分くらいあったので、ラーメンでも食べようかとお店に入って注文したら、まさかの30分待ちでした。それでも食べ終わって駅まで走ったら、ギリギリで予定していた電車に乗れました。よかったよかった。

で、午後はお座敷。今日は定時制の部の教職員研修です。なんでも教職員数は20人ぐらいだそうです。てことは、こぢんまりとした研修になりそうですね。もちろん、だからといってなにかが変わるわけではありません。
とりあえず、会場の会議室に入ると、机がすべて横向きです。そういや、かつてうちの学校で先輩が「机の向きを変えるぞ」と横向きのをすべて前向きにしたことを思い出しました。あの時「そのままでもええですやん」というと、メッチャ怒られました。「話をしてくれんだから、その人が話をしやすいようにするのは当たり前のことだ」ということでした。それ以来、わたしは必ず机の向きを変えるようになりました。ま、それはあくまでもわたしの考えだから、どーでもいいんですけどね(^^)。
で、お座敷開始。はじめはみなさん「ふーん」という感じだったんだけど、途中からガッツリ聞きはじめられて、そうなるとわたしも気持ちが乗ってきます。が、おひとり、ずっと下を向いて、内職しているフリをしたり寝てるフリをしたりしておられる方がおられます。気になりますね。だって、わざわざ2時間もかかる研修会に来て、最後までおられて、なおかつそういう態度をとられるということは、「そういう態度をとりたい」という意思のあらわれなんじゃないかと思うのです。その「意志」を知りたいなぁと思うのですが、無理でしょうね。もしかしたら当事者なのかなと思ってみたり…。
でも、他の人はニコニコ聞いてくださっています。で、今日も2時間ガッツリと話をして、無事終了です。

ライトワーク

仕事の方はというと、数学の質問受付とか、採点とか、マークリーダーの操作とか。めんどくさいけど、脳みそ使いません。身体が疲れるだけです。
でも、休めないし休まない。なぜなら、それを終えないと、次のことができないからです。なので、採点をはじめたら、終わるまでやめない。10分でできることがあって10分の空きがあればやってしまう。とにかく脳みそを使わない仕事については、単位時間あたりの仕事量を増やす。けっこう疲れます。でもしかたない。そんな生き方を選択したのはわたしだわ。
さっさとライトワークを終えて、次の作業に移らなきゃ。

どこまで続くの9.8合目

朝、通勤電車の中で、とんでもないミスリードに気づきました。頭の中でペーパーを読み返して、「あー、この観点を書いてなかった」と。てことで、スマホでドラフトを書きます。まぁこんな時、ほんとにスマホはいいですね。ちなみに、使うソフトはjota+です。もう何年使い続けてるだろ。秀丸よりも使用頻度が高いかな。そういや昔はVZエディタを使ってたな…。
てのはおいといて、ドラフトを書いてクラウドにあげておきましょう。

てなことやって。

落ち着いたところで、ドラフトを結合。案の定字数オーバーです。あまり前です。字数を調整して、もう一回読んで、訂正箇所をあぶり出して。またまた調整。でも、こんな微調整のところまで来たんだなぁ。2週間前にはここまで来るとは思いませんでした。
で、とりあえずfix!でもこの日に交わした会話が思い出されます(笑)。そういや今回も「暫定完成版」から何回fixしたやろ。
でも、ほんとにそろそろ送らなきゃなりません。てことで、「要項」を見ると

4.投稿する会員は編集委員会事務局に審査用原稿のワードファイルのデータを電子メールで送付し,原稿本体は,審査終了後編集委員会からの通知にしたがい提出する.
5.原稿は所定の執筆要項および『社会学評論スタイルガイド』にしたがうこととする.ただし,提出方法は原則電子メールとなることに注意すること.

と書いてあります。ふむふむメールねと。さらに

表題紙には,題名の全文を記す.なお,著者名,所属は記してはいけない.

と書いてあります。ふむふむ覆面審査だから当然だなと。
て、「スタイルガイド」なるページを見た時、「は?」となりました。

投稿にさいしては,編集委員会事務局に審査用原稿コピー4部および,その電子データをwordファイルとテキストファイルのかたちで記録したフロッピィ・ディスク,CDメディア,もしくは,DVDメディアを送付する.原稿はA4判の用紙を使って,40字×40行で印字すること.また,巻末に示した「チェック・リスト」で,原稿の書き方がこのスタイルガイドに準拠しているかどうかを確認していただきたい.
 以下,形式上の注意事項について述べる.

フロッピー?しかも郵送?さらに

表題紙には,論文タイトルの全文,著者名,所属,文字数(本文・見出し・小見出し・注・文献リストの合計文字数と各図表の換算文字数,および両者を合わせた総文字数)を記す.e-mail
addressを書き添えてもよい(印刷時には,所属とe-mail addressは,文献リストの後に印刷される)

名前を書く?しかも完成原稿じゃなくて審査用なのに?
あかん、わからん。書いてあることがページによって違うし。これ、まさか、投稿させないためのトラップ?いや、もしかしたら、だれか知ってる先輩から「正しいのはこれだよ」と教えてもらえる人のみが投稿できる選別システム?
てことで、先輩のT田さんにメール。すると「最近投稿してないからわからない」とのお返事。そりゃそうだ。この人、投稿される側だったわ。
ええわい!どうせ〆切も「月末」としか書いてなくて、必着なのか消印有効なのかも書いてないし、マージンとって、あしたメールで送って郵送(速達)もしてやる!もちろんその際「ここにこう書いてあるから、それにしたがって」と書きますとも。
ほんまにわからへん。
てか、最後の最後に「おべんきょ成果」よりもこっちに難儀するとはなぁ…。
なので、出したところがピークです。なので、まだまだ9.8合目。そして、受け取ってもらえたところからが、ほんとうの山登りです。
道は遠い…。

やっと本命に向かえる

今日は覚悟を決めてます。
午前は授業が3発。とりあえずこなしましょう。合間を縫って、明日の授業で配る週末課題をつくったり。
そして、読んでないクラスの感想文をドカンと読んで、あとは感想文打ちです。
ひとコマだけ会議室学習会があったので、バソコン持参です。質問に来てくれたら答えるけど、来なかったらヒマですからね。
そして、午後はひたすら打ちまくりです。2時間半ほどかけて、60本近いピックアップした作文をすべて打ちきりました。が、B4判で4枚分。どうする?まぁしかたないから「前編」「後編」の2号だすことにしましょうか。
あとは担任さんにチェックをお願いしたら発行できます。
これでやっと2学期の人権学習がすべて終わりました。こないだ「共同おべんきょ成果」も手を離したし、やっと本命に向かえます。が、残された時間はあと半月。しかも土日休日はほとんど用事で埋まってます。
どないせいと(;_;)

見えない障害から社会の困難を考える

今日は1年生の人権学習の講演会です。講師は小林春彦さん
なんか、障害者差別解消法ができて、世間ではやたら「合理的配慮」についての話をしなきゃということになっているみたいです。でも、わたしは世間の流れに乗るのはイヤなので、いつものように無視してます。が、無視をしながらも、障害についてのことはやりたいとはずっと思っていました。
というのは、合理的配慮という言葉がつきつけているのは、「思いやり」とか「配慮」とかではなく「社会の構造」であり、そこに安住している「わたし」の問題だと思うからです。
でも、たぶん子どもたちは今までの学校教育の中で、そういう学びはあまりしてないんじゃないかな。まぁ、やってるところはやってるだろうけど、例えば「アイマスク体験」とか「車いす体験」なんかで「障害者はたいへん」みたいなことをやったりすると、それは「健常でよかった」にしかならない。でも、例えば暗闇に行ったら視覚に頼る晴眼者はとたんに不自由になるわけです。
まぁ、そんなこんなで、今年はというか、今年からガチで障害者差別について子どもたちに伝えようかなと思いました。そこで誰にお願いしようかと思ったのですが、さんざん悩んで、ここはやはり小林春彦さんかなと。理由は…。「なんとなく」です(笑)。てか、単純にこの時からのつきあいですね。でも、この「なんとなく」という直感は、けっこうあたるので、それを信じることにしています。といっても小林さんは東京在住です。どうすんねんと思ったけど、まぁ、いろいろ算段して、というか小林さんの協力もあって、無事実現できました。
てことで、朝から準備です。
で、10時に駅まで迎えに行って、あとはバタバタと講演会へとなだれ込んでいきます。

で、講演開始。
小林さん、けっこう淡々と話をされます。うちの子ら、スリリングな語りのほうがウケるんじゃないかと思っていたのですけど、案外大丈夫っぽいです。ホッとひといきです。てか、「手をあげて」とか言われたら手をあげてるし。えらい!
それにしても、小林さん、全然自分の話をしないなぁと思ってたら、そこまで引っ張るかというところまで引っ張ってからの自分の話でした。
それにしても、さりげない語り口だし、直接は言葉を使わないけど、障害の社会モデルのこととか、合理的配慮のこととかを見事に織り込んでおられます。例えば「障害に目を向けるのではなく困難に目を向ける」みたいな話とか、完全に社会モデルのことを話しておられるわけですが、それを社会モデルと言わずにさらりと、でも繰り返し話されるんですよね。子どもたちの反応もいい。身体が小林さんを見ようと動いています。
しかもところどころしみじみとしたちょい玄人受けしそうなネタをぶっこんで来られます。個人的には大爆笑なんですが、子どもたちは「えー?」という感じて、けっこうショックを受けてるというかとまどっているというか、そんな感じです。
1時間15分くらい話されたところで、いったん終了。ここでわたしの出番です。質疑応答の時間です。せっかくなので、小林さんと掛け合いをやって、質問できる雰囲気をつくりましょう。と、質問の手があがりました。
「障害があって一番しんどかったことは?」
「失恋ですね」
子どもたちがどよめいています。「え?それ?」という感じなんでしょうね。
「じゃ、よかったことはありますか?」
「いろんな人と出会えたことですね」
きっと来年の講師も再来年の講師も同じことを言うだろうな。だって、来年はゆきみちゃんで、再来年はこの人たちですからね。

午後の授業をすませて担任さんから感想文を預かりました。みんな「おもしろかった!」って書いてました。障害観が変わったと書いてある感想文もあります。そりゃそうです。まぁ「優しさ」とか「助ける」とかいう言葉も並んではいますが、たぶんそういう単語でしかあらわす技術がないんでしょうね。
それにしても、おもしろい作文がいっぱいあるから、打つのがたいへんだな。

これが最後の上映か

今日は2年生の人権学習、沖縄人権学習です。2012年だったかな、いろんな人の強力の中で、長大なビデオ教材をつくって、2014年にその経験を踏まえて新たな35分のビデオ教材をつくりました。これ、愛着もあるし、けっこう好評だったりします。でも、この教材を使えるのも今年が最後です。来年から研修旅行の行き先が変わります。
てことで、担任さんの要望もあって、ファイナルの今年は体育館で上映→わたしのコメントということになりました。ま、コメントといっても、前後に5分ずつですけどね。でも、上映中の子どもたちが見られるのはメリットです。
てことで、朝から上映準備です。少しバタバタしたけど、あっという間に準備は完了です。
伝えたいことはひとつです。
「日本は沖縄をどう見ててるのか」。
それさえ感じてくれたらいい。なぜなら、ウチナーは常にその視線を感じているからです。そして、ヤマトンチュが自らの視線に鈍感だからです。見られる側と見る側の非対称性があるということに敏感になって、そして沖縄に行ってほしい。ウチナーはみんな歴史を知ってます。でも、ウチナーが知ってることをヤマトンチュが知らない。そして知らずに沖縄に行く時、そこでのヤマトンチュの無邪気さは、実はとても残酷なんだろなと思うのです。
逆に言うと、ほんの少しの知識でいい。「少し学習をした」ということを伝えれば、例えばタクシーの運転手さんとか民泊先の人とかと、ほんの少し深くつきあえるんじゃないかと思うのです。
で、ひと言コメントのあと、ビデオを流しました。みんな真剣に見てくれてる気がします。まぁあくまでも「気」ですが(笑)
放課後、感想を読ませてもらいました。みんな、自分が知らなかったことへの驚きを書いています。そしてそれは伝えられてこなかったことへの驚きやとまどいとともにあります。そんな中で、はじめて知ったからこそ染み渡るなにかが書かれています。
やってよかったという気持ちにさせてくれます。できれば来週みんなに感想文を返したいな…。

さてと。
来年へ向けて、新たな教材をつくらなきゃ…。