シンポジウム「語ること、つながること」

ふと「なんでこんなことしてるんだろ」と思う瞬間があります。だって、フツーに講演やるか、視聴覚教材をどこかで探してきて授業をするか。2時間をやめて1時間でやるか。そんな選択肢もあったはずです。なぜそういう、他のガッコでやってることをしないことにしたのか。ほんとに自分でもわからないです。たんなるわたし自身の思い込みなのかな。でも、あえて「子どものため」ということにしましょう。子どもたちの記憶に残ることがしたいという、ただそれだけのことです。
てことで、濃密な午前がはじまりました。
とにかくまずは体育館のセッティングです。机や機材は子どもたちに運んてもらってるから、わたしの仕事は「組む」だけです。プロジェクタの距離をはかって、テーブルの上に機材をセットして。そうこうするうちに、パネラーのみなさんが集まってこられる時間が近づいてきました。ど、S納さんから衝撃の連絡が!
環状線のダイヤが乱れてて、間に合わなさそうなので、京都まで新幹線で向かってます」
マジか…。
とにかく他の4人と最後の打ち合わせです。ライングループでやりとりはしてるけど、やはり直接顔を見ながらの打ち合わせは安心感が違います。自然としょーもないことを話せるし、ちょいと悪ノリしようという気にもなれるし。
そうこうするうちに本番の時間が来ました。S納さんも間に合われたのでひと安心(^^)。
まずは、わたしから趣旨説明のスライドを見せて、ほんの少しレクチャーです。続いて「We will rock you」に乗せてパネラーのみなさんの登場です。みなさん、かなり恥ずかしそうです。ごめんなさい^^;。
今日のシンポジウムの流れはこないだ考えた通りです。

1、少し深い自己紹介
自分の役回りと、それにまつわる最低限知っておいてほしいことの提示
2、「しんどいな」と思ったこと
自分の「問題」との出会い
3、自分を「キライ」と思ったこと
2とどちらが前になるかは悩みどころですが、内在するフォビアについて
4、変わり目
他者との出会いの経験
5、「語れる関係」をどうつくるか
カミングアウトをどううけとめてほしいかみたいな話

実際に話が進んでいくと、「「しんどいな」と思ったこと」は、どちらかというと「「他者との違い」に気づいたこと」だったんだなと気づきました。なので、緊急で質問。
「みなさんにとって「フツー」ってなんですか?」
つまり「他者」も多様なんだけど、そんな「多様な他者」が「フツー」に見えてしまうんですよね。それがなぜ起こるのかってこと。そして、そういう「架空のフツーの他者」と自分の違いに気がつくところから、自己否定がはじまるのかなと。
それにしても、すごくおもしろいです。だって、はじめはバラバラな社会的背景を持つ5人が、「内在するフォビア」あたりから、重なり合ってくるんですよね。そして、さまざまな出会いを通じた「変わり目」。ここから話は一気にボジティブになっていきます。そして、「最後のひとこと」が必要なくなる「語れる関係」へのメッセージ。もちろん意図していたことではありますが、やはり見事です。さらに、でも、それぞれの語りがビミョーに違います。これがまたいい。
そんなこんなで、10分の休憩をはさんで100分間のシンポジウムも終了。何より聞いてる子どもたちの集中力がすごかった。
でも、疲れたー。

本番の準備

いよいよ明日が3年生の人権学習です。そういや、子どもたちに何をするかを伝えてなかったわ^^;。
てことで、あさイチの仕事はポスターづくり。
その後、グループラインで打ち合わせ。
まぁ、日々仕事をしていて、しかも京都と大阪にわかれてたら、んなもん集まることなんてできるはずもありません。てか、いままでいろんなシンポジウムでパネラーやったけど、集まったことなんて一度もないし。
その後、いろいろ考えてると、何も手につきません。たぶん、すごいプレッシャーなんだろな。ちなみに、リビングライブラリだとこうはなりません。だって、みなさんしゃべれる人ですから。つまり、今回のプレッシャーは「濃度が高すぎる」ってことなんです。みなさん、あまりにもピンでいけるから、だからこそそれらがどうすれば混ざるかってところが、逆に難しいんですよね。つまり、講演ならなんの問題もないってことです。で、わたしの役回りは、そのややこしいコーディネーターなんですよね。プレッシャーです(笑)。
で、放課後は放送室であしたの放送セットの準備です。こういうほうが性に合ってます。
てことで、あとは明日を迎えるだけです。

できたか?

体育祭も延期になったし、今日はおだやかな一日になりそうです。
とりあえず、さっくり授業をやったり、週末課題をつくったり。もちろん、授業のマクラはこれです。
「いま、不安なんだよねー。また来週の月曜日、君たちに謝らないといけないかと思って」
「?」
「日曜日、何かあるか知ってる?」
「総選挙」
「うん、それ。君たち、政治に興味がある?もしかしてないんと違う?」
と問いかけると、やはり
「よーわからん」
でした。なので、ここはひとこと。
「政治は生活と直結してるんだよ。例えば、消費税ひとつとってもわかるよね。そして、君たちのうちの多くの日本国籍を持ってる人は、来年選挙権を持つよね。つまり、その政治を決定するための一票を持つことになる。でも、その時に感心を持ってもわからない。だから、今のうちから関心を持たなきゃならないんだよ」
ちなみに、子どもたちの反応は
日本国籍、持ってない人いるの?」
だったりしたので
「いや、中国籍韓国籍、いろんな人がいるよ」
と返しました。
大切なことなんだけどなぁ。
ちなみに知ってる政党名を聞くと「みんなの党」とか言うので、もうね…。

ま、そんなこんなで、授業のあとはシンポへ向けた教材作成。この間、ずっとあたためてきた妄想を形にする作業です。けっこう楽しいです。
てことで、2時間ほどやったら…。
ん?できた?
さてと、これで少し時間ができたな…。

課題多し

今日は文化祭1日目。
まずは会場セットから。もちろんわたしは放送担当。会場となる体育館にシートが敷かれたところからセットスタートです。ところが、なにやら段取りが悪い。なかなか音が出せない。なんでやねん。
と「まだですか?」とのお声。へ、開会式前にリハーサル?ほんとだ。てか、会場セットから1時間で完成はきついな。
それでも5分遅れでリハ開始。みんな音響のことをわかってない。講習会やったはずなのに…。まぁ、切実にならんとわからんのは世の常です。
で、リハが終わったら昼休みだけど、ここで放送セットの整理です。んなことやってると、軽音が来て、自分たちのセットを組みはじめて、そんなことやってると開会式がはじまって。開会式のあとはノンストップで部活動発表です。ちなみに今日は全校生徒が鑑賞することになってます…。ちょっと待て。これ、放送部は休憩ないやん。思わず部員に
「担当がない人は放送室行って昼ごはんを食べること
!」
と指示。怒られようがなにしようがかまいません。だって、他の生徒とは動きが違う。
わたしも放送を使わない部活動のときにお弁当を食べに行きましたとも。この時点ですでに6時間経過。ノンストップだったな…。
で、3時半からのど自慢大会のリハ。終わったら5時。そこからさらに放送ブースの整理をして…。
結局終わったのは6時。10時間動きまわってたな。

えーと。今回のプログラムはムリ(;_;)
ま、放送部の動きも悪かったけどね。
なんしか、課題は多い。でも、方向性はわかった。

家に帰ってからのビールがうまい!けど、これは水分補給じゃないよな。えーと。今日は水分ほとんどとってないからヤバイかな。

つめつめ

楽しかった昨日とは打って変わって、今日は仕事な日です。
てか、朝イチ目が覚めて、ふとメールチェックすると、仕事が火を吹くようなメールが来ていました。てことで、過酷な一日になることを覚悟の上での出勤です。
とりあえず、朝から外注先に電話して、いろいろ交渉。その後、ほんとうに交渉どおりにことが進むのか検証して、なんとかなりそうな気がしたので、それは放っておいて、午後の出張のデータの準備です。と、支店長から呼び出しを受けてバタバタ。
そうこうするうちに、外注先の人がやってきて、交渉したり。
なんか、わわわわわー!とやっているうちに、あっという間に2時です。って、約束の時間は2時やんか。ということで、午後の出張へ。
あちらのセンター、こちらの中学校と連携先をまわります。ここらでようやく気持ちがなごんできます。なんともいえないのんびり感。
「あそこでイノシシの肉を買おうかと思ってねー」
「えー、でも、季節と違うかも」
「あー」
「やっぱり柔らかいのは子どもなんやて」
「うりぼう?」
「そう」
みたいな。
そうかと思うと、とある支店長と25年くらい前に遡る話が出てきたり。はたまた別のところでも支店長と今後の話をしたり。そうか、支店長レベルと話をする歳になったんだなぁ…。
なんだかんだで、最後の出張先を出たのは7時です。でも、まぁこんなもんだよな。
遅くまでがんばったけど、最後はいつになくなごんだ午後でした。

できてもた

はっきり言って、ここしばらく、毎週ゲンコを書かなきゃならない感じです。でも、そんな合間を縫って、採点とか成績処理とかプリント作成とかいう雑務が山のようにあります。ちなみに、雑務のほうが本務です(笑)。
で、昨日タイトルをつけただけのゲンコ、どうするかです。
とりあえず今日はビョーインの受診日なので、朝はゆっくりしたかったけど、いつもの時間に目が覚めたので、PCをひらいてパチパチやって、ビョーインの待合室でパチパチやって、出勤の途中でパチパチやって、職場に着いてパチパチやったら、あら不思議、できちゃいました。まぁ、かなりの部分が子どもの文章のコピペですが、それがもともとの文で、わたしの文章はつなぎでしかないというのが今回の趣旨なので、それでいいでしょう(笑)。
ということで、来週へ向けたゲンコだな。これがしんどい…。

応答的かかわりと教職員の子ども理解

今日からは期末試験です。でも、台風です。しかも、今日は「生徒指導・人権教育研修会」です。さてさてどうなる。
職場に着いたら副支店長がいたので「今日、どうします?」と聞こうと思ったら、向こうから「今日、よろしく」とのひとこと。あー、中止にする気はないんだ(笑)。「台風やしねー」というと「子どもは関係あるけど、わたしらは関係ない」とのこと。そりゃそーだ。
てことで、カントク2発こなして、さっくりおべんと食べて、駅まで迎えです。駅からあらわめたのは、住友剛さん。住友さんには3年前にしゃべってもらいましたが、今回は職場で話してもらおうと。ちなみに、はじめてお話を聞いたのは何年前だろう。教組の学習会で聞いて「おもしろい人がいるな」と思ったのでした。でも、その頃は「子どもの人権はまだ先の課題」と思ってました。なにせ、目の前にムラの子や在日の子がいて、「そっちだよ」と思ってましたからね。もっとも、「子」である限りは「子どもの人権」のターゲットなんですけど、それはそれってことで^^;;。
そんなわたしが、なぜ3年という間隔ではあっても住友さんに来ていただきたいと思ったかというと、まさに「同和教育の継承」なんですよね。
もちろんマクロレベルでいうなら志水さんのスクールバスモデルとかあるんだけど、個々の教員にあの話をしても「だからどうなん」ってなっちゃう。簡単に言うならば「マネージメント」の話なわけです。いや、小中なら可能かもしれないけど、教職員数が多く、しかも組織的にバラバラで、しかも価値観もバラバラな京都の高校現場では、あんなのは支店長レベルしか実現できません。もちろん、それをサポートすることは、わたしたち「ヒラ」でもできますけどね。
それに対して、住友さんは「リフレーミング」なんですよね。わたしたちの枠組みを少し変える。それは個々の教員ができる個人の営みです。で、いま、それがうちの職場には必要なんじゃないかと。なぜなら、「自ら考える子ども」を育てたいと言ってるんですから、「考えを聞く」ことが大切なんですよね。
そして、それが「応答的かかわり」なわけです。

てことで、講演開始。
とにかく、話がていねいです。レジュメも親切。読むだけで講演内容がわかります。てことは、なにを話しするかが完璧にできてる。しかも、facebookで昨日の夜というか今朝方つくられたのはわかってますから、つまり毎回対象で変えておられるわけです。すごいな。そして、話がわかりやすい。ていねいなレジュメをていねいに追って行かれます。そして、終了が、ジャスト90分。さすがは大学教員!
と思った瞬間に、「あー、学部生相手に話をしてる感じね」と納得。まぁ、大学卒業して何年も経ってる高校教員なんざ、学部の教養レベルですよ(笑)。
てことはおいといて。

結局、「応答的かかわり」ってなんだということです。
わたしの直感でいうなら、例えばスキーですね。スキーは雪面を無視してできるスポーツじゃない。だから、常に雪面からのフィードバックに神経を研ぎすませて滑ります。あるいは、バイク。バイクも路面とタイヤの摩擦で走ってるわけですから、その摩擦の変化に敏感でなきゃ走れない。相手となるものの変数の変動域が大きくなればなるほど、その変化に敏感でなきゃ成立しない。そこが、できるだけ変化をなくして一定の条件でやろうとする他のスポーツとの違いです。
で、生徒はというと、こんなもんPDCAサイクルなんて「なにそれ?食べもん?」くらいに条件は変動します。しかも、マスとしての生徒と個々の生徒もまったく違う。これを十把一絡げにして「生徒たち」ととらえて、なにができるかということです。このことを言い換えるなら、「子どもを色眼鏡をかけて見るな」ということです。あたりまえのことです。
そう考えると、やはりあたりまえのことをあたりまえのこととしてやるという、あたりまえのことなんですよね。

でも、そのあたりまえのことが、なかなかできない。あるいは、したいけどさせてもらえない。そんな「わたしたち」が、元気をもらえた講演だったことが、みなさんの感想文を読んで伝わってきました。
もっとも「理想論」とか「いい子でしか成立しない」とかいう批判を書いておられる方もおられましたが、あの人「かば」の舞台の中学校でアドバイザーやって立て直すのに協力してるんだよね。なので、きわめて実践的な話なんだけどね。まぁでも、「かばの舞台」と言っても、わからんだろうけどね…。

そうそう。質疑応答の中の「アクティブラーニング」の話もおもしろかったな。「どこがアクティブになっているのか」という問題提起。「アクティブな沈黙」は「ペラペラの動き」よりも頭の中はアクティブ。
それですよ、それ。だから、ワークショップはキライなんですよね(笑)。

多文化な小学校

今日は某人権教育研究会のお出かけ研修の日です。今日おじゃまするのは「大阪市立南小学校」です。なんでも、在籍してる子どもの45%が外国にルーツがあるとのことです。まぁ、そりゃ、学校の所在地がミナミですから当然です。
ちなみにこの日の交渉は、今日のためでした。あの時感じた「伝わってほしい感」はみなさんに伝わるかな。まぁ、山崎校長のことだから伝わるでしょう(笑)。
朝、あいさつした瞬間
「せんせいのこと知ってる人、何人か会ったで」
とのこと。はい、すみません^^;;

午前のプログラムは、山崎さんから学校の概略を聞いたあと、授業見学です。日本語教室も普通の授業も、すべて見せてくださいました。外国にルーツのある子が、日常の風景としてそこにいる。それは、ほんとうはどこの学校でもあることなんだけど、でも、子どもたちが顕在化していることが大切なんですよね。一度5年生のどこの国の子なんだろ、目線が絡まって、思わずニッコリ会釈したら、向こうも「やれやれ」という感じで会釈してくれて、授業にもどったり。「物珍しく見られてる」と感じたのが、はたまた「珍しいヤツに見られてる」と感じたのか。ま、おもしろい。
それにしても、カリキュラム的にむずかしいのはわかるんだけど、カタカナの名前をひらがなで表記してるのは笑いました。
で、昼ごはん。混ぜソバの店で食券買いかけたけど、やっぱりやめて「明治軒」へ。おいしいオムライスをいただきました。

午後はいよいよ山崎さんの講演です。
まずは「目撃!にっぽん ーさやかとりきー」の視聴です。抜粋かと思ったら一本まるまる視聴したのは笑ったけど、でも、一本まるまる見ないとわからんわな。
その後、南小学校の子どもたちが置かれている厳しい状況と、それによって奪われる学力の問題が話されました。そこから学力保障のとりくみへと話は進んでいきます。みなさん、ウンウンとうなずいておられる。まぁ、ここまでは、その気になれば京都でもできないことはない。でも、南小学校の真価はここからなんですよね。
「これだけじゃダメ」と「アイデンティティ保障」へと話が移っていきます。だから言ってるじゃん。大切なんだって。どれだけ学力をつけようとしても、「我々はどこから来たのか 我々はなにものか」をたどることなしには「我々はどこに行くのか」にはたどり着かないんですよね。これまでのありとあらゆる講師さんが、話し方は変えこそすれ、みんなが言ってこられたことです。
さらに山崎さんは「これだけじゃない」と。「学校の外にも場が必要」となっての次のとりくみが「minamiこども教室」です。まさに隣保館学習会です。あるいは「サンプレイス」です。そうなんですよね。学校と家の間に、ひとつ必要なんですよね。それは厳しい生活を背負っている子どもになればなるほどです。その場は、一見「勉強の場」にしか見えない。もちろん学力保障は大切です。でも、それだけなら、子どもたちはお客さんです。実は「勉強」するフリをして、もうひとつやっている。まさに「我々はどこに行くのか」なんでしょうね。
そして、最後に山崎さんが語られたのが「識字」でした。識字で出会ったムラのおばあちゃんの話です。やはり、そこに原点がある。
理論とか「べき論」からはスタートしない、まさに「差別の現実から深く学ぶ」という解放教育の実践にどっぷりとつかれた1日でした。

今年はていねいに

ここ数年、ずっと殺伐とした気持ちで人権担当をしてきましたが、ほんとに残り年数が数えるほどになってきて、しかも今まで3年間やってきたこともできなくなって、一からやり直す感じになっちゃいました。
じゃ、立て直そうと。そのためにはどうしたらいいか。府教委のというか文科省のというか、とにかく先を見通した人事の計画をしてこなかったツケがほんとに来ています。でも、しかたないです。そのケツを拭かなきゃ、先はない。
なんか、そんな感じで、今年は積極的に打って出ようかなと。なので、1学期はかなり精神的脳みそ的に忙しいです。なにせ、人権学習は各学年を別日程で組んでいて、しかも1年生は1時間ものを2回組んでいるから、都合4回あるわけです。そのうち2回はわたしがプレゼンして、1回はゆきみちゃんの講演。そして、あと1回が来週にあります。これは担任さんにやってもらいます。ネタは「多様性カード」です。うちのガッコのオリジナル教材です。何年か前にK田さんにものすごくお世話になりながらつくった教材です。でも、たぶんはじめての人にはわかりにくい。なので、今日の放課後に勉強会です。とりあえず担任のみなさんの前でやってみる。
いちおう14枚のカードにプラスして「こんなカードもあるよね」というのを追加です。ひとつは「興梠/李」カード。もうひとつは「JAPANESE ONLY/SAY NO TO RACISM」カード。そしてもうひとつがリオオリンピックのときの「公開プロポーズ」カードです。もちろん裏はヘテロで表がレズビアン。こうやって、同じ内容でありながら属性の違いで非対称であることを伝えると、たぶんわかりやすいはず。
まぁ、そんなことを考えながら準備をして、そしてやってみました。
前なら「プラスするカードは自分で考えて」って言ってました。でも、今年はやめました。だって、考えたことのない人は、そもそも考え方がわからない。それは生徒も教員も同じです。逆に、左利きの人の生きづらさは、考えたことのない人にはわからないけど、でも、右利きであっても「わかろう」とすればわかる。そして、なぜその生きづらさがあるかというところまで深めると、他の「生きづらさ」とつながるところがある。それを関連づけることを、わたしはずっとやってきました。
できれば、そうやって考え生きてきたことを伝えたい。だからこそ、あらためて「わたしはこう考えてるよ」「わたしはこんなふうに世界を見ているよ」ということを、この教材を通して伝えたいなと思ったのです。
そしてなにより、この教材を使って子どもたちと一緒に楽しんでほしい。多様性を考えること、人選を知り考えることの楽しさを経験してほしいなと思いました。なので、「どうしよう…」という不安を少しでも減らそうと。
さてさて。
どうなるかな…。

ゆきみちゃんの講演

今日は2年生の人権学習。ゆきみちゃんの講演です。さてさてどうなるのかな。
とにかく、朝からずっと準備でバタバタ。わたしは協調性がないから、準備はひとりでやるのが性に合ってます。その代わり、片づけは任せますけどね。
で、同僚の車で駅までお迎え。合流して、プレゼンの準備です。
で、あっという間に講演の時間が来ました。

ゆきみちゃんの話、子どもたちに伝わるかな。
前から考えてることですが、強烈な被差別の経験がある人、もちろんおられます。が、すべてのマイノリティが強烈な被差別体験をしているわけじゃない。表面上はうまくやっている人の方が多いんじゃないかな。
でも、うまくやるために、マジョリティの人よりもより多くの労力が必要だったり、場面によって自分を使い分けたり、あるいはたまには自分を偽ったり、心をフリーズドライさせたり。そして、自分を隠したり。そんなことをしなくちゃならない。
わたしはそんなことを強いる社会が「差別社会」だと思っています。そして、そんなことを強いながら「気にせんでええやん」と言うことを「差別に加担すること」と思っています。
で、これ、別に「マイノリティ」と言われる人だけじゃなくて、マジョリティとされる人の中にもいる。だからこそ「差別社会」なんです。
でも、これ、なかなかわかりにくい。その一因は、例えば「いじめ」と「差別」を同じとみなすからです。つまり「差別とは行為である」ということです。たしかに、小さな子どもに対してはわかりやすいかもしれない。でも、わかりやすさの中にはウソが混じる。そのことに自覚的であればいいけど、そんな混じったウソを信じたまま大きくなった人が差別について語る時、それが「行為でなければ差別でない」と伝わる可能性が大きくなる。そしてそれは「社会のありようとしての差別」をないことにしてしまう。
で、まさにいまそうなんじゃないかと思うのです。でも、これを伝えることはなかなか難しい。なぜなら、「わかりやすさ」の引力はとても強いからです。
だからこそ、ゆきみちゃんかなと。「行為としての差別」も語りながら、そこに回収されない「社会のありようとしての差別」も語り、そして自分のマイノリティ性とマジョリティ性を自覚的に語る。さらに、ダンス教室の子どもの話ある。
ゆきみちゃんは、そんな自分の経験と、経験から考えたことをたっぷりと話してくれました。なんか、何度も涙が出てきました。それはたぶん、「わたしの知らないゆきみちゃん」を持つゆきみちゃんとわたしは、それでもいろんなことをやってきた「なかま」だからなんだろな。
ゆきみちゃんが伝えようとして子どもたちに伝わっていないことはたくさんあると思います。それを間に立って伝えるのが、わたしたち教員の仕事です。
なので、明日の授業が勝負だな(笑)。

にしても、最初のスライド「ここにいるわたし「たち」」の写真、これなんだよな。

たしかに「たち」だわ(笑)。