大詰め?→bigwaveへの序章(笑)

今日のmustは成績処理です。とは言え、他の人がすべての成績を入力し終えるまではなーんにもできません。でもま、まとまった時間がとれるのは午後ですから、それはそれでよしです。
てことで、午後はひたすら成績処理。うーん。ある子どもの成績から、満点と平均点を設定して点数化する時の欠点というかなんというか、そういうのの存在に気づいたり。
いや、当たり前のことなんだけど、そして、この手のことはさんざん論議されてるんだろうけど…。こういう点数化って、母集団のバラツキが大きい時はいろんな数値が出せるんだけど、母集団のバラツキが小さくなると、平均点まわりにだけ分布して、満点が出せないんですね。まぁ、とても簡単に言えば、満点を出そうとすると0点も出さなきゃならないんだけど、それがいなければ、低点数を多人数出さないとバランスがとれない。ところが、母集団のバラツキが小さいと、低点数がそもそも相対的にいない。となると、例えばひとり満点を出すためにかなりの人数を平均以下にしなくちゃならなくなるんだけど、そうなるとそこまでして満点を出さなきゃならないか?って話になる。
結局、こういうのって、ある程度の母集団の大きさとバラツキに担保されているんですよね。ところが、今の高校制度はバラツキを極力抑えて同質性を求めようとしている。満点と平均点の設定による差別化とは、相反する話になってしまう。
やはり多様であるほうが自然なんだなと、あらためてミルトン・ダイヤモンドさんへのリスペクトが(笑)。

てことで、さっさと成績処理を終えて、会議もすませて、お家へと。
帰りの電車は読書の時間。ものすごくおもしろい本なんですけど、読めば読むほど「残ってる場所はあるのか?」という気がします。が、きっとここまで積み上げてもらってるんだから、その「肩の上に立」たなきゃな。
しかし、わたしの公開フルボッコミニ大会まで、あと1ヶ月を切ってるよ!にもかかわらず、一文字も書けてない(笑)。
bigwaveが来るな…(;_;)。

詰め込む

朝、久々にタスクリストをつくりました。
この間、タスクリストをつくる気持ちにもならないほどグチャグチャでしたが、ようやく少し整理されてきた感じです。というか、やらなきゃならない順番にリストアップできるところまできたかなという感じ。
なんせ、この間wpathのポスターづくりと、日曜日の専門外に頭のほとんどを使ってて、さらにそこに某在日外国人教育関係の集会の資料集の組版などという作業があって、「ファンダンゴ状態」になってましたからねぇ。
てことで、リストを書くと、簡単なものもそこそこあります。あるいは、急ぎのものもそこそこあります。じゃ、今日はそんなものから優先的にやっつけましょう。

こないだ、組合の定期大会で小学校の教員の話を聞いて、「どう考えても超勤前提じゃん」と思いました。つまり「8時間」という箱の中に「仕事」という積み木を入れるのが「仕事の段取り」だとわたしは思っているのですが、何をどう組み替えても、たぶんムリです。つまり、積み木の容積の合計と箱の容積では積み木の容積の方が大きい。もちろん、積み木も圧縮可能なものもあるのですが、例えば「授業」という積み木は圧縮不可能(必ず50分という縛りがある)です。で、圧縮可能な積み木をギリギリまで圧縮した状態で、たぶん容量オーバーしている。これは、個人の努力ではクリアできない問題ではないです。根本的な「設定」の問題です。なぜ「エライ人」はそのことがわからんのかなと思うのですが、きっと「下々のこと」はわからんのでしょうね。

で、今日のわたしのタスクはそんなものではないです。たぶん全部やるとあふれちゃいますが、あふれたものは明日にまわせばいい。とにかく、急ぐものとcpuを専有する時間が短いものを優先的にすませてやると、あら不思議。なんとなくその手のものは全部終わってしまいましたとさ。
あとに残ってるのは重い処理のものばかり。明日のタスクは「考える」だな^^;;。

まぁ、こんなもん

昨日の夜、なんのために事前合宿に行ったかというと、単に寝るためだけです。なんせ、今日はトリプルブッキングの3つめ、「本務ではない仕事」があります。
それにしても、駅までが妙に遠い。しかも荷物が重い。ようやく出張先の最寄りの駅に着いて、またまたここからが遠い。
なんでこんなに遠く感じるんだろうと思ったんですけど、「歳のせいかな」と思ったけど、去年はキックボードで行ったのでした(笑)。
で、朝イチ昨日の結果がわかるのですが、見事に予選落ち。まぁ、しゃーないですね。テーマはよかったんですが、掘り下げがない。だって、とりかかるのが遅すぎます。なので、納得の予選落ちです(笑)。

で、出張の帰りに淀橋に寄って、スマホの機種変更。我ながらアホやと思いますが、やはりどうしてもほしい機種が出てくるとほしくなるんです。しかも、またポスターが一枚もできていないこんな時に機種変更なんてしたら、自分のクビを締めるのわかってるのにね。
案の定、クビがどんどん締まっていきます。
でも、いいや。今日は金土の疲れを癒やす日だ。明日がある!

採点の祭典

今年は例年とは違い、同じ内容のクラスを2クラス2セット持ってます。頭の中がかなり混乱します。
で、一番めんどくさいのが採点。一気に80人弱は萎えます。でも、わたしはまだめぐまれてるんですけどね^^;;。
で、今日は2時間目にあった試験のクラスの授業が3時間目にあるという、まさかのサプライズ(笑)。いきなり「テスト、どうやった?」と聞くヤツがいるのは織り込み済みです。
で、昼から採点開始。
もうね、途中から脳みそがマヒしはじめます。でも、採点を続けます。
採点って「続ければいずれ終わる」ものなんです。なので、ひたすら採点。で、終わって一息ついたら、6時かよ…。それからノートチェックをして、とりあえず今週の仕事を終えました。
さて、来週は…_| ̄|○

今なぜシティズンシップ教育か

今日は謀人権教育研究会の総会です。午前は会議。午後からは講演会。今日の講師は関西大学の若槻健さんです。
若槻さんの話は前から聞きたいと思っていました。ただ、内容は「格差の連鎖」だったんですね。ここ数年はやりの「排除と包摂」とか「効果のある学校」ってやつです。ところが、どうしても連絡先がわからず、そんな時に西田芳正さんって存在を知って、これがまたちょうど『排除する社会・排除に抗する学校』という、もうぜひ話を聞きたいと思ってることそのまんまのタイトルの本を書かれた時だったので、これ幸いと西田さんに講演を依頼したんですよね。でも、若槻さんの名前はずっと引っかかってました。
で、選挙年齢の引き下げに伴って「主権者教育」なんてことが突然言われるようになって、高校にそれが降りてくる。でも、その内容を見ると寒い。だって、やってることって、それぞれの地方自治体の選挙担当の人を呼んできて模擬投票をするくらい?いや、それは「主権者教育」じゃなくて「選挙権教育」やろと。というか、選挙権がない外国籍・無国籍の子どもが学校にはいる(可能性がある)わけで、そんな子らにとって「選挙権教育」がどんな思いをもたらすかなんてことを考えると、怒りすらわいてきます。更に言うなら、「主権者」とは誰か「主権」とはなにかを考えた時、「選挙権の行使」は、とても大切ではあるけど、でもそのごく一部でしかない。と考えた時、「シティズンシップ教育」に行き着いたのです。
で、講師探しです。「シティズンシップ教育」で検索かけるとK都K育大学やD志社大学にも有名な方がおられるようです。が、今ひとつピンときません。それは、カンでしかないのですけどね。まぁ、根拠をひとつだけあげるなら「大阪がいいな」なんですけどね^^;;。
てことで、引っかかってきたのが若槻さんでした。

今日のわたしの担当は「講師の送迎」と「機材担当」です。てことで、駅まで迎えに行って、会場までの道すがらいろいろ話。
い「あの、お会いするのははじめてですけど」
わ「あの、教社に書かれてましたよね」
みたいな。そこからあとは、共通の知人の話をしたり、今回の依頼の意図について話たり。
で、講演開始。
なんというか…。
話の内容はメッチャおもしろいのに、ドラマティックではない語り口なので、みんな大丈夫かなと。いや、けっこう語り口にだまされたりしますよね。有名なところではこんなのがありますか。
でも、みなさんを見ていると、スライドが変わるたびにプリントがガサガサ言ってるから、これは聞いてるなと。そりゃそうです。中身はすごくわかりやすいし、おもしろい。
結局、「シティズンシップ教育」「市民性教育」って、別に新しいことをやっているわけじゃない。ものすごくバクっと言うなら、道徳教育と人権教育を足して1.5で割った感じでしょうか。この「1.5」ってのがミソでして。その中のどこを切り取って「1」にするかなんですね。若槻さんは、その例として、いくつかの自治体でのとりくみをあげておられました。中でも「和歌山」と「品川」が両極端なのかな。和歌山は「個人型」とでも言うべきかな。善悪の判断は個人に委ねられる。そのために、「思い」や「つながり」はバッサリと切り捨てて「情報収集と処理能力」をあげる。とにかく脳みそを使う。に対して、品川は「道徳型」かな。子どもには善悪の判断は無理だからそこは教員が教えて、ボランティアとかやりながら道徳心を身につけるみたいな。まぁ肉体派ですね。
で、それぞれに一長一短があるというのが、若槻さんのおもしろいところです。つまり「人々の思いにそわないのはあかんやろ」とか「道徳心はあかんやろ」とかいう切り捨て方をするのではなく、「ここは大事だけど、これはこわいですよね」みたいな形で、それぞれに評価をつける。で、シティズンシップ教育はそれらの「せめぎあい」だと。この「せめぎあい」という感覚が、プラグマティックなわたしにはピッタリとフィットします(笑)。で、そのバランスのいい場所に「人権教育」がある。
と考えると、「人権教育はこう!」みたいな硬直したものの考え方ではなく、よりよいバランスの中に「人権教育を見つける」ことが可能になるのかな。
そんなことを考えました。
しかし、脳みそ使って疲れました(笑)。

表敬訪問

今日は午後から中学校や関連機関のあいさつまわり。
かつてはあたりまえにやってたことですが、ここ数年やらなくなっていました。でも、高校のできることはたかが知れてます。やはり、時として中学校や関連機関と連携しながら分厚く子どもをサポートしなくちゃどうしようもないこともたるのです。でも、そんなことはいきなり電話一本でできることじゃない。やはり
日常よもやま話をして関係をつくっているからこそベストパフォーマンスが発揮できるのです。
てことで、年度当初の「表敬訪問」です。
「なんかあったんか?」
「いや、なんもないです。今年もよろしくっていいに来ました」
「そうか。まぁ、座り。お茶でも飲み」
みたいな会話が大切です。
「いや、こないだこんな失敗してしもてな」
「あー、ありますよねー(笑)」
みたいな。
そんな楽しい午後。
てことで、午後の出張はドーナツを食べさせてもらっただけでした。でも、ドーナツを食べさせてもらえるところまで関係ができたんだな。
メッチャうれしい午後でした。

わさわさしてるうちに

今日は昨日に引き続き校正作業です。
基本的にはテープ起こしをしたものを、一度「読める形」にして*1、その後講演者に2次校正をお願いしているので大丈夫なはずなんですが、現実にはそうはいきません。というのは、講演者による校正にもいろいろあって、ざっと読んで「ここはオフレコ」ってところを削除するだけの人から、講演の原型をとどめないというか、一から書き起こしというか、そこまで筆を入れる人まで、さまざまな人がいます。なので、読まないとわからない。というか、どのタイプの人であってもミスはあるわけで、校正ってのはそれを見つけて訂正するものです。
で、講演を読むわけですが、おもしろい!とにかくおもしろい。講演を聞いた時にわからなかったことも、文字として読んだ時に「こういうことだったんだ」ってわかることがあります。なので、つい中身に引き込まれてしまいそうになりますが、それがまたあぶない。中身を読んでしまうと文脈で文字を理解するから、ミスが見つからなくなるんですよね。
てことで、放課後には校正終了。そこから訂正を入れていって、ホイホイホイとやると…。できた?できた!
デッドラインには間に合いましたo(^^)o

*1:上の子どもにバイトで外注

年末のごあいさつ

今日も午前は赤点の子らの相手…。と思いきや、時間変更があったらしく、すでに終わっていたというオチでした。まぁ、ひとり「ひとこと」言わなきゃならんヤツがいて、そいつを捕まえられたからよしとしましょう。
で、職場を出て、地域連携しに行きました。
この地域連携、かつては丹念にやっていましたが、社会情勢の変化とか、その他諸々の変化の中で、ここ数年あまりしなくなっていました。でも、最近、地域連携の大切さをあらためて感じることがあり、かつてほどではないにしろ、きちんとやろうという気になりました。
あらためて感じたのは、地域は待ってくれているということです。地域から学校に働きかけることは、実はとても難しい。でも、学校から地域に働きかけるのは、ルートさえあればさほど難しくない。そして、かつてそのルートはあった。そのルートを知っている人にとっては、とても簡単なことです。そして、働きかけたら、ちゃんと受けとめてくれます。
高校ではできない、とてもきめ細かなことが地域や中学校にはできます。その人たちの力を借りながら、よりたくさんの網の目で子どもたちをサポートしたいな。そんなことを考えながら帰路につきました。

帰りに、ふと前のおべんきょ場所に行ってみました。みんなきっと鉄火場だろうなと思ったら、やっぱり鉄火場でした(笑)。
がんばれ(^^)。

少しずつ、前へ

それにしても、我ながら「ムチャやな」と思う日程です。なにせ、11月1日が東九条マダンで、4日がリビングライブラリです。まぁ言うなれば、年間の最大級のビッグイベントが、わずか3日の間隔であるという。
東九条マダンの日程は個人ではいかんともしがたいのですが、リビングライブラリは動かそうと思えば動くはずなんですが、なかなかそれがうまくいかない。なので、この時期はこういうものと考えなきゃしかたないんですね。
でも、そうやってあきらめたら、なんとか準備が進みはじめるのが不思議です。東九条マダンはなんとかなりそうだし、リビングライブラリも、プリントをあと一枚つくればなんとかなるところまできました。ま、プリントは明日の朝だな。

今日も第二のふるさと・豊かな半日

昨日、とある担任さんから「ちょいと気になる生徒がいる」と相談を受けたので、今日はちょいと家庭訪問をすることにしました。
朝、職場の最寄り駅を通り越して、第二のふるさとへ。一昨日も来たし、なんか、よく来るなぁ。
まずは地域のコミュニティセンターへ。ここの人たちは、まさに「地域情報」をご存知です。たぶん、子どもたちを地域と連携しながらサポートしていくという意味では、もっとも有効なモデルだったんだろうなと思います。が、いかんせん、地域にコミュニティセンターを設置するってのはお金がかかります。なので、一般的にはなかなか有効に機能しているとは言えない現状になっています。そんな中で、この地域はまだ有効に機能しているんじゃないかなぁ。
てことだ、しばし情報交換。
で、家庭訪問。
ピンポーン「あの、○○高校のいつきです」
「センセ、来やったでー!」
うわ。15年前と一緒やo(^^)o
しばし話をしたあと、ついでに、前に別のとある教員が「気になってる」って言ってたお母ちゃんに会いにもう一軒。
ピンポーン「あの、○○高校のいつきです」
「いつきー」ガチャ
このお母ちゃん、うちのガッコの卒業生じゃないけど教え子です。それからしばしシングルマザーの子育ての苦労話を聞かせてもらいました。
で、地域のコミュニティセンターに帰って報告したあと、今度はもうひとつの地域の組織の事務所へ。ここの専従をしておられるのは、これまた教え子のお母ちゃんというか教え子のおばあちゃんというか。ここで、表には出ない地域の情報をいろいろと教えてもらいました。なんというか、地域って、いま表面的にはとても静かです。ま、たまにバイクがブイブイいってますが、かつてと比べたら雲泥の差です。でも、しんどい層はとことんしんどい。そのしんどさは、たぶん世代を引き継ぐことでより濃厚になっているかもしれません。でも、それが圧倒的少数になったから表面化しない。あるいは全体の問題ではなく個の問題に還元されてしまっている。だから、誰も地域の問題として手出しができない。でも、実際にはたぶん違うんだろうな。
そんなことを考えさせられる時間でした。

にしても、おもしろい!
かつてはこんな半日はしょっちゅうありました。それがいろいろな変遷の中で、ほんとに久しぶりに過ごした半日でした。

にしても、なぜこういう時間を教員は過ごさなくなったのかなぁ…。
いや、わたしの学校におけるセクションというのは違います。逆にかつて担任をしていた時の蓄積があるからこそ、こういう半日を過ごせたんです。
確かに多忙化をしている現実はあります。でも、電車通勤&台風前の雨の中の徒歩でも、やろうと思えばできます。ましてや車であれば、たぶん半日が2時間くらいでカタがつく。その2時間で得られる中身は、ガッコの中でパソコンの画面とにらめっこする2時間とは比較にならない豊かさがあります。その豊かさをもらいながら、わたしたちは子どもたちと向きあう、そこに実践ってやつが生まれてくると思うんだけどなぁ…。