なにに注意やねん

で、帰りのことです。いつもの通り、バイクでブイーンと走っていました。と、前を走っているトラックのうしろのステッカー「オカマに注意!」。う〜ん。そら注意せなあかんわなぁ。たしかに君の後ろをオカマが走っとるよ。バイクはすり抜けもするし、左折のときの巻き込みもあるし…。うんうん、注意して走ってね。
って、正しいやん、あのステッカー(笑)。

帰り道

いろいろ迷ったのですが、大阪の映画祭に行くというPさんと一緒に帰ることにしました。
にしても、8時14分発ひかりに間にあうように起きられるかどうか心配だったのですが、習慣とは恐ろしいもので、6時にピピピと時計のアラームが鳴ったら、起きてしまいました。
新幹線の中の約1時間半、関東と関西の病院事情の違いとか、その他いろいろ話に花が咲きました。おかげさまで、あっという間に京都に着きました。どうもありがとうございました>Pさん
昼前に「映画見に大阪に来ない?」というメールがこの人から入ってきたのですが、さすがにかなり眠たいのと、すでに上映に間にあいそうにない時間だったので、断念。一緒にお昼でもと思わないわけでもなかったのですが「三宮」とかいう話もあったので、これまた断念。おとなしく昼寝をすることにしました。

GIDしずおか

朝、ふと思い立って今日はスカート姿にしようかなぁと…。久しぶりにスカートを引っ張り出してみました。とそこに、上の子どもが来ました。「とおちゃんのスカート、◯◯(忘れた)に似てるなぁ」。とそこに、下の子どもが来ました。「とおちゃん、スカートはいてるぅ。なんで?」「パフォーマンス!」まぁ、そんなところで静岡に向けて出陣です。
会場について、ダラダラしているうちにフォーラムの開始。あとで聞いたところによると50人を超えていたとか。話の方は…。ネタおろし(「情況」の焼き直し・笑)ですが、珍しく約束の1時間ピッタリで終了。こんなこともあるんやなぁと、自分でびっくりです。その後、質疑応答。すんごく大切な感想や質問を出してくれた人がいて、大感激です。
てな感じで、4時過ぎまで話をして、その後懇親会へ。静岡は食べ物がおいしいなぁ。でも、ちょっとスカートのウェストが苦しい。
9時頃から3次会へ。プロ根性をきっちり見せていただきました。すんげぇ〜。
その後12時頃からホテルの部屋で4次会。みんなで足の見せあい。黒い大根とか、なまめかしいのとか…。ええ感じです。
でも、GIDしずおかって、おもしろいグループです。当事者もいますけど、支援者もたくさんおられます。その支援者の人たちのキャラがいいです。こんなところもあるんやなぁ…。
てなことを書いているうち、おねむ…。おやすみなさい◯O。

わたしたちのコミュニティ

わたしのサイトの中に「わたしたちのコミュニティ」というコンテンツをつくろうと思ったまま、すでに「永遠の工事中」となりそうな今日この頃です。でも、やっぱ考えることが多々あります。
トランスにとっての「たまり場」ってどこにあるんでしょうかねぇ。E館とかSイッチとかなんとかかんとか…。あるいは、OブリガードとかMグネットとか。でも、なんか違う。そしてなによりも京都にはない。
なので、玖伊屋ができたんだっけ。
玖伊屋に行くことによって、自分はずいぶんと助けられました。おそらく、玖伊屋で出会った人たちって、自分にとっての一生の「仲間」だろうなぁと思います。なにせ、それなりのいい歳になってもつきあい続けているんですから。そんな玖伊屋に恩返しをしたいと思って、いまはスタッフをしています。
かれこれ1年ほど通っている関西医科大学。待合室を少しでも楽しくしたいなぁと思って、最近ジェンダークリニックに行っている人たちの出会いの場をつくりはじめました。同じような思いを持っている人って、いるんですね。たまたまの出会いが、みんなが心の奥底に持っていたもやもやを形にすることになってきたみたいです。
そうそう、OブリガードもMグネットも、考えてみたら、きっと「憩える場所をつくりたい」という思いの結晶なんでしょうね。やっているうちに、しんどいことも山のようにあるだろうけど、そこに集まる人たちへの「仁義」で続けているところも多々あるんじゃないかなぁ。
結局、ほとんどの「場」って手づくりなんですよね。リアルに会えなくても、blogで会える。会えるから、しんどくても続ける。その繰り返し。
でも、だからこそ、どんな形であれ、出会えた人たちって、やっぱり大切だなぁと思ってしまうんですよね。だって、それぞれなりに、必死で生きている人たちですから。
こういうの、優等生だなぁと思うし、自分で書いていて鼻につくけど、酔った勢いでまぁええことにしようかな。今日はいろいろあったのよ。

めっちゃうれしかったこと

今日、授業から職員室に帰った時のことです。ある教員が「うちのクラスの生徒、『いつきちゃん、転勤せんほうがいいんとちゃうかなぁ』と言っているんです」とのことです。なんでも、その生徒、『婦人公論』を読んだそうな。で、なんで読んだかというと、別の生徒が持っていたからで、どうやら回し読みをしたそうな。で、別の生徒はなんで持っていたかというと、ある朝、新聞を読んでいた母親が「あんた!いつき先生が『婦人公論』に載ってるみたいやで。あんた仲ええんやろ。買って来!」と母親からお金を渡されたとか。で、『転勤せんほうがいい」と言った生徒は、なんでそう言ったか。「うちらは理解してるけど、転勤したらいじめられるんとちがうかなぁ」だそうです。
めっちゃ笑いました。「ほな、もうちょっと一緒の学校にいようかって言ったろうか。でも、留年せんとあかんがな」。ほんま後先あんまり考えてないよなぁと思ったけど、心の底からうれしかったです。
教員って、クラスの生徒に「最後まで守ったる!」って啖呵を切るのが仕事です。少なくとも、わたしはそう思っています。でも、生徒が・保護者がわたしを守ってくれている。そんなことを実感できることって、めっちゃ幸せです。
さてと、あしたも授業がある。適当にいじくったろうかなぁ。

でもバレました(笑)

あんまりにも髪の毛が伸びてきて鬱陶しいので、用事に出るついでに、近くの美容室へ。ここ、一人当たり30分間隔で予約を取っていて、それでも満員という盛況ぶりなんです。でも、人がごった返しているわけじゃなくて、カットしてもらっている最中はけっこう落ちついた雰囲気です。なので、気に入ってます。しかも料金も安いし。
「どんなふうにしますか?」と聞かれたので、「先っちょの痛んでるところをカットしてもらって、前髪をカットしてもらって、あとは軽くなるようにすいて下さい」という注文だけつけて、あとはボー。
と、そこに、電話。パートナーから「忘れもんがあるよ」とのこと。「あとで取りに帰るね」と返事。ちょっと時間がヤバイなぁとは思ったのですが、まぁいいかということで、ふたたびボー。隣には「おかんに髪切られたんやけど、ムチャクチャされてん。酔った勢いで切るか」とか言って、半泣きのおねえちゃん。酔ってるおかんに頼む方も頼む方やで…。
と、そこにお店に入ってきた人一人。うちの上の子どもでした(笑)。「とーちゃん、かーちゃんが持ってってって」「ありがとう、そこおいといて」「ん、んじゃ」「ほい、ありがと」。
やがて、カットも終了。お代は…。2000円でした。ここ、一般カット2800円で、メンズカットは2000円なんですね。前は2800円だったのですが(笑)。まぁ、メンズ料金で得したということですか(笑)。

(さ・も)さんへの返事

前に『トラ宣』からの引用をしたんですけど、もう一つの日記に(さ・も)さんがコメントをくださりました。それに対する返事も書いたので、(さ・も)さんのコメントの引用と返事をこちらにも転載します。
# それにしても「引用」と打つつもりで「遺尿」となるのが(笑)。

捨てる捨てないって本当に人それぞれだと思います。それぞれがその人のSTORY。捨ててしまった私からすれば、いつきさんの生活もいいなぁって思います。さ・も
正確に言えば「捨てた」のではなく「捨てられた」だったりします(さ・も)(^◇^;)

に対して、

(さ・も)さん、
 おそらくわたしが捨てたのは、「時間」と「自由」だろうなぁと思うのです。でもそのかわりに得たものもとてもたくさんあります。もちろん直接的には「家族」や「仕事」なんでしょうけど、より大切なものは、間接的に得たものだと思います。それは、たくさんの「仲間」です。
 回り道をして、時間をかけて、悩むこともあれば笑うこともある。でも、一直線に進んでこなかったからこそ、たくさんの人たち・いろんな考えを持ちいろんな人生を歩んでいる人たちと出会ってきました。だから、いまの自分があると思います。
 でもねぇ、こんなことはあとでわかることだし、「もしもあのとき」と思わないというとウソになりますよね。

です。まぁ、なんてことないのですが…。

えらいところで…

デイパを選んでいる一軒目の店で、いきなり電話。この間からの懸案事項についての電話でした。
とりあえず、お店から出て軒下で電話。いきなり「いつきさんは、トランスジェンダーをどう定義するのか?」えらい難しい話ですがな。答は、「性別を越境して生きることを選択した人のこと」でした。と、向こうから「選択、ですね」。「はい、選択です」
このあたりからはじまって、30分ほど話。印象に残っていることを少し書くと…。

  • 「ブレンダと呼ばれた少年」をめぐって

わたしはあんまり考えていなかったんだけど、電話の相手の人が一言。「あそこから得られるものは、人に生き方を押しつけてはいけない、ということですよね」。思わず、ひざをポン!

ジェンダーを獲得することで自らのジェンダーを確認するのか、ジェンダーを利用して日常生活の中で必要なパスをするのか。なんぼなんでも、日々24時間トランスとして闘い続けるのはあまりにもしんどすぎます。だれも知らないところでは、ふつうに(笑)生きたいなぁと。そういう時に、ジェンダーを利用すると、以外とふつう(笑)に過ごすことができます。まぁ「理論だけでは日常生活は過ごせない」という、堕落した人生を送っております。

たとえば、「女性は尽くすもの」みたいな考えがあったりしますよね。でも、これって、「女性ジェンダー」をはずして考えたら「依存体質」なわけです。「男はガツーン!」って、「男性ジェンダー」をはずして考えたら「サディズム」とか「権力志向」だったりします。問題は、そうした体質・嗜好etcを「女/男」に振りわけてラベリングしたものがジェンダーなんじゃないかなぁと。
わたしには、「依存的」なところや「マゾヒスティック」なところがあるかなぁ。大切なのは、それは「わたしの」特質と考えるか、それをジェンダーと結びつけて「だからわたしは◯◯だ」と考えるかなんじゃないかなぁ。

う〜む。眠くなってきたので、続きはまた、かなぁ。

折りあい…

ここに「いつきはGIDトランスジェンダーはどこで、どう折りあいをつけているのか」というメールが来たと書きました。実は、まだ返事が出せていません。ただ、ぼんやり考えていたのことが少しまとまってきたので、忘れないうちにいま書ける範囲で…。
「折りあい」という言葉を聞いたとき、「むずかしいなぁ」と思いました。なんでだろうとずっと考えていたのですが、ようやくわかりました。わたしにとって、「GID」と「トランスジェンダー」は対抗概念ではないんですね。むしろ位相の異なる概念なんです。なので「折りあいをつけている」という感覚が、すごく希薄なんです。
と、ここまで書いて、行き詰まってきたので、続きはまた今度…。はぁ…。