出た〜!

座談会・変わりつつあるトランス/GIDの意識と行動(上)
 多様な生き方を阻む?「性同一性障害者特例法」
http://www.medical-tribune.co.jp/ss/2006-2/ss0602-3.htm
で、読んでみて…。
反省点は多々ありますが、なんといっても最大の反省点は「しゃべりすぎ」ということです。まぁ、針間さんは医者なので、守秘義務とかのからみでなかなかしゃべりにくいこともあっただろうと思うのですが、中村さんの話をもっと聞きたかったなぁと。
そういえば、かつてこの時に「いつきさん、あなたしゃべると長いわね」と言われたんですよね。なんにも反省していないってこってすm(_ _)m。

で、行ってきました

朝、パートナーはハンコを押してくれました(笑)。

で、授業が終わったら病院へ。お医者さんに「ブツです」と言って渡すと、「あ〜、ハンコが足りないんですよね〜」とのこと_| ̄|○。さらに、「あれ?セカンドの先生の予約、前回とりましたっけ」。
まぁ、前回は年末で、そのあと忘年会も控えてたし、なんだんかんだで作戦会議もしていたからなぁ。てことで、急遽もうひとりの精神科医に連絡をしてもらいました。「ブツ」は郵送ということで…。

で、しばしもうひとりのお医者さんと話。

  • いますぐ手術を希望されるのですか?それとも手術が可能な状態をつくりたいのですか?

「手術が可能な状態をつくりたいんです。「禁止をされた状態」は、かえって的確な判断がしにくいかもしれないと思うのです」

  • 合併症のことは考えておられますか。あるいは、体力面で負担がかかることは覚悟されていますか

「合併症については、すべての説明を聞いたわけではありませんが、しかたがないときはしかたがないと思っています。また、体力面の問題については、自分の体と対話をしながら、できる範囲のトレーニングをしていくつもりです」

  • 費用や入院期間・リハビリ期間については大丈夫ですか?

「まぁ公務員をしているので、首にならない限りは大丈夫でしょう(笑)」

  • 家族の同意についてはどうですか?

「パートナーはとりあえずハンコを押してくれました。子どもたちについては上の子どもは「うちの父ちゃんは男でも女でもない」と言っています。下の子どもは「お父さんは中身は女なのに、なぜおひげがあるの」と言っています。そんなふうに子どもたちを育ったのは、まぎれもなくパートナーの存在があったからです。これからも家族とは話しあっていきます。ただ、おそらく子どもに限らず生徒たちもそうでしょうが、「男・女」以前に「わたし」としてどう関係をつくっていくのかということが、最も大切かなぁと思います」

という感じで終了。

夜中の会話

明日は関西医科大学の精神神経科の日です。前回行ったのが12月だったのでかなり日がつまっているのですが、何をしに行くかというと、「同意書*1」を出しにいくんです。
で、その「同意書」にはパートナーのはんこが必要なんです*2。なので、パートナーと文面をながめながら、話をしました。
前から「さっさとやったらええやん」とパートナーは言っていたのですが、やはりいざ「同意書」という形ではんこを押すとなるとそうはいかないみたいです。あたりまえですよね。「合併症」のことや「手術したあとの身体の使い方(笑)」とか「その後のライフスタイル」のこととか、いろいろ話をしました。
実は、「同意書」を出したからといって、実際にやるかどうかはわからないんです。わたしとしては、あくまでも「できる状態」をつくることが大切で*3、「やる」こととは切り離して考えたいと思っています。あと、なんだかんだと言っても「まな板」の上に乗らないと声が届かないところがあることをこの間感じてきたので、「いっちょまな板の上で踊ってみようか(笑)」と思ったというのもあります。
ライフスタイルについても、たとえばわたしが現在SRSを受けているかどうかなんて、まわりの人はだれも知りません。知っているのは家族+αくらいでしょうか。また、もしも受けたとしても、そのことも言わない限り、誰もわかりません。では、なんのためのSRSか。結局は、自分と肉体との折りあいのありようが一番大切だということです。わたしにとってのSRSはその程度のものですし、それでもやりたいということになったらそういうことなんだということです。なので、たとえSRSを受けたとしても、おそらく今と変わらないライフスタイルをとり続けるだろうと思います。

たぶん、わたしという人間のありように一番大きな変化をもたらしたのは、「トランスジェンダー」という言葉であり、「トランスジェンダーとして生きていこう」と思った時に、いまの自分のライフスタイルへの道筋がついたんだと思います。あとは、ホルモンとかSRSというのは、自分の肉体との折りあいの結果として、あとからついてくるものかなぁ。とりあえず、そのなかで、今の自分の状態がある。そんなふうに感じます。

あ、パートナーは最終的には「明日の朝押すわ」と言って、いまごろ(笑)『性同一性障害の基礎と臨床』を読んでいました*4

*1:これ、10月にもらってたんですけど、判定委員会にかけるために必要だという認識がなくって、放ったらかしにしていたんです

*2:厳密には連帯保証人ですけどね

*3:実際、「やる」となったときに動きはじめたのではどれだけあとになるかわかりません

*4:何年か前に「読んでね」って言ってたんだけどなぁ。まぁ、必要にせまられないと読まないのはお互いさまですか…

さて、どうなるか…

朝、ひび割れた(涙)指に絆創膏を貼ろうと、保健室にちょこっと寄りました。まぁ、ついでに体重を量ったり(笑)、雑談をしたりといったこともあるんですけどね。
で、養護教諭の方としばらく年末年始の報告をしていたのですが、そのうち「そうそう、これ言わんとあかんのやわ」とプリントを一枚持ってこられました。なにかなぁと思ってのぞき込んだら「職員トイレの掃除当番一覧」でした。
前にも書いたかもしれませんが、いまうちの職場には職員トイレがありません。で、数年前から、管理棟にあるトイレを職員トイレにしようという動きがあります。最大のネックは、誰が掃除をするかなんです。もちろん生徒の当番をあてるわけにはいきません。で、「自分が使うんだから自分でやればいい」とわたしは思うのですが、「それは本務じゃない」という人もいて*1、そのまま職員トイレを設定しないという状況が続いています。で、それはまぁそれぞれの意見があるのでおいておきますが、わたし的には、もちろん「どっちを掃除するのか」が一番大きな課題です。以前教頭さんから「どっちにするんや?」言われたので、「女性用にしてください」と伝えたわけです。
で、今日当番の一覧表を見たら、きっちり女性用の掃除当番になっていた、と。
「自分が使うトイレは自分で掃除する」のならば、「自分が掃除するならば自分も使う」わけでして、これ、どうなるかなぁと思ったのですが…。でも実際、女性教職員の名前をず〜と見渡すと…、特に問題はなさそうやなぁと。数人を除いて、ほとんどの人とは、なんらかの形で話をしてきた人ばっかりのような気がします。
まぁ、結局掃除のことで頓挫をして、この一覧が誰も読むことなく破棄される可能性もあるわけですが、そうなったらちょっと残念やなぁ…。

*1:実際に、1ヶ月に一回程度業者がやっているところもあるそうな

某所のタイトル

某所には「GID研究会交流会」とあるのですが、う〜ん。
一昨年の埼玉の時の交流会の名称をめぐってさまざまな論議がありました。で、昨年度関西では「実行委員会形式」で行い、最初に行った論議が名称問題でした。全員一致がした点は「GIDは使わない」ということでしたが、さらにつっこんだ論議をふまえて、「トランス全国交流会」という名称にしました。詳しくは、こちらにあります*1
個人的には、「交流会」は、GID研究会と日程はあわせてあるものの、そことは切り離した形で、より広範な人々が集える場所*2になってほしいなぁと思うのですが…。
そうそう、GID研究会は3月19日。なんでも、イブニングセミナー*3というのがあるらしいし、そのあとは懇親会*4。で、翌日は平日。しかも、ウチの学校では終業式です。最終の新幹線で帰るか、始発の新幹線で帰るか…。悩むところです。

*1:あまり詳しくないか…

*2:名称によって排除される人が出てこない

*3:イブニング…、何時までやんねん(涙)

*4:酒の場所ははずせないんです

ちょっとミーティング

夜、ある人と会う約束があって、例によって例の如く飲み屋へ。飲み屋に向かう途中、車を運転するパートナーとすれ違ったので「行ってきま〜す」とあいさつ。

その方、某地方自治体のハローワークの要請で、GIDの雇用についてレクチャーをするとのことです。で、そのためにいろいろ聞きたいことがあるとのことでした。
難しいんですよね。雇用にかかわることって。とりあえず押さえておいてほしいところとしては、「その人の能力・適性で判断をしてほしい」「その人がありのままでいられることによって、さらに能力が伸びる可能性がある」というあたりのことだったでしょうか。
でもね〜。これって、一歩まちがうと、能力至上主義なんですよね〜。そういう機会を奪われた人にとっては、かえってしんどい社会になってしまう可能性もある。かといって、社会性の薄い人を、企業は雇用したいとは思わんだろうしなぁ…。結局、社会全体に「教育的要素」がないときついのかなぁ…。
そういえば、某青少年育成団体*1からキャンプリーダーを首になったときの理由が「あなたのことを説明できない」だったんですよね。それに対して「説明する必要なんかないじゃないですか。そのことよりも、いいキャンプをすることが大切でしょう。そうしたら、きっと説明なんかしなくてもわたしのことを理解しますよ」と返したんですよね。ところが、それに対して返ってきた答えが「あなたのことを理解するためのキャンプじゃない」だったんですよね。愕然としました。「◯◯の理解するための××」って…。キャンプってそんなもんじゃないだろう…。やってられないと思いました。
「どこからでも学びうる」「いつでも伸びうる」。わたしはそういう人間でありたいと思うし、そういうことが可能な社会をつくっていきたいと思うんですよね。「変わりうること」への期待って、とっても大切だと思うのです。
でも、社会の中に、そういう要素あるいはそれを許容する力がなかったら、あかんのでしょうね*2
そんな話をしながら、あっという間に2時間半ほどすぎてお開き。

さてさて、家に帰ってパートナーと話していると「あの人、かっこよかったやん*3。今度は連れてきてな」だって。思わずわたしも「そやろ、そやろ!」と意気投合。
しかし、あんな話で参考になったんだろうか…。

*1:キリスト教系ね(笑)

*2:そういう力のない社会の典型が、金にあかして即戦力をかき集めて、利用価値がなくなったらポイ捨てをする某球団かぁ(笑)

*3:めっちゃ長身で、すらりとしていて、なかなかハンサム。水泳をやっていたとのことでけっこうがっちり系。

なりたい自分

そういえば、年明け、リフトの上で「自分らしさってなんだろう」ということについて、いろいろ考えていたんです。で、なんとなく思ったこと…。「少年の心を失わない」。
どこからこんなことを思ったんだろう…。もしかしたら、初心者の小学生と一緒に、その子にとってはじめてのリフトに乗ったとき、ふと見えた逆光の稜線のせいだったかもしれないです。
でも、そう思ったとき、不思議と楽な気持ちになれました。

なんか頼もしいなぁ…

11月ぐらいだったかに、京都府中部のある街の学校にMtFの高校生がいるという情報を聞きつけました。で、会いに行ってきました。
まずは、対面…。まぁ、一目見て「がんばってるね!」という感じ。安心しました。
で、いろいろ今後の話とかしていたんですけど、たくましいわ…。そりゃそうです。たったひとりで自分の道を切り開いてきているんだから、たくましくて当たり前です。
この子、「通販でいいからホルモンをしたい」という希望を持っています。「かまへんのちゃう?」というのがわたしの答え。それと一緒に伝えたことは、「立ち止まったり引き返したりできる勇気を持たなくちゃいけないよ」ということ。これは、なによりわたしが必要としていることです。それから「常に第3者のチェックがもらえる状態をつくらなくちゃいけないよ」ということ。これは、たくさんの仲間に「見守ってもらっている」という、わたしの実感から出てきたことです。そうそう、第3者のチェックには「医者」という存在も含まれていますね。体調のチェックも必要ですから。
「死んでもいいからトランスしたい」という人もいるかもしれない。でも、トランスの目的は「よりよく生きる」ためにやるんだと、わたしは思っています。だから、体と対話をしながらやっていく必要があると思っています。でも、つい暴走してしまいそうになる*1。その時、自分のまわりに仲間や医者がどれだけいるかというのは、案外勝負のわかれ道かもしれないなぁと思います。
てな話をダラダラとしていたら、あっという間に5時過ぎ。まぁ相手は高校生。帰らなくっちゃね。

いくつか印象に残ったこと。
「いままで話を聞いてくれた人は、みんな過去の話ばっかり聞いてた。聞くときは『かわいそうに、つらかったんだねぇ』という態度が、ありありとわかった。でも、『別にかわいそうちゃうし』と思ってた。過去の話なんていい。これからどうするかについてアドバイスをしてほしかった。話をする前はいつきさんも同じかなと思っていたけど、いきなり『進路は?』みたいな話だった」
なるほどなぁ…。
「学校の先生やから、固い人かなぁと思っていた。メールで顔文字めっちゃ入れるんやけど、入れたらアカンかなぁと思って固い文章を書いた。そしたら、返ってきた返事が『ホイ』やった。『ホイかよ〜』と思った」
なるほどなぁ…。
「(『男風呂に入ったらスター』という話をうけて)ほんなら、手術しても男風呂入ろうかな。肩に手ぬぐいパーンと乗っけて。で、『見るのはいいけどね、ここからあとはお金をちょうだい』って言ったろかぁ(笑)」
なるほどなぁ…。
頼もしいなぁ。

*1:自戒の念を込めて…。わたしもプレマリン5錠を4錠に減らしたとき、瞬間「減らしたくない」と思いましたもんね。