滝井に到着すると、すでに自動受付機の時間は終わっています。しかたなしに鉄格子越しに人力受付に「あの…」と話をすると、O田さんはまだ診察室におられるとか。
で、いつものとおり「最近どうですか?」からはじまるかと思いきや、「最近どうですかと言ってもねぇ」とあちらも投げやりな態度です。こちらとシンクロして、ちょうどいい感じです。
さいわい、わたしのほうは先ほど仕入れたネタと父親のことがあったので、「最近」の話もできましたよ(笑)。それにしても、わたしが行く前に、何人かの方から「いつきさんのお父さん…」という話があったそうな。えらいみなさんに気を使ってもらっていて、恐縮ですm(_ _)m。
GID学会の報告会などもしていたのですが、次の予定が押していることもあって、診察の方は早々にきりあげることにしました。って、なんなんだろう、これ(笑)
カテゴリー: trans
まずは枚方から
午後から休みをとって、枚方→滝井です。
今日は昼ご飯はラーメンを食べたい気分です。でも、今日も血液検査があるので、コンディションを一定にするために*1吉野家へ。いつものものを頼みます。
で、血液検査。無事血を抜いてもらいまして、待合室へ。
それにしても、今日は長い!マジで長い!2時間待っても呼ばれる気配すらありません。このままじゃ…。受付に行って「いつでしょうか?」と聞くと、「あと2人です」とのお答え。ホッとしながら「まだ滝井があるんですよね〜」とつぶやくと、なんか、いつもと違う診察室に通されてしまいました(笑)。
で、血液検査の結果。
測定日 | E2(pg/ml) | プレマリン(錠/日) |
---|---|---|
2006/8/10 | 67.3 | 4 |
2007/2/8 | 1430.0 | 5 |
2007/4/10 | 1386.0 | 4 |
2007/6/14 | 587.2 | 3 |
2007/8/16 | 104.1 | 2 |
2008/2/14 | 681.1 | 2 |
2008/4/10 | 418.0 | 1.5 |
さがったはものの、依然400オーバー。
「で?」
と聞くと、Iちゃんさんからは
「あなたの身体がわかりません」
というもっともな答えが返ってきました。わたしもわかりません(笑)
「お酒、やめてみますか?」
と言われたので、瞬時に返しました。
「無理!」
Iちゃんさん、それは、あなたも一緒でしょう(笑)。
よくはわからないけど、おそらくレセプターのうちのある部分がそーゆー数値を出しているんだろうとのことです。ちなみに、普通にプレマリンを投与している人で1000オーバーの人ははじめてというだけじゃなくて、変動が激しいのもはじめてだそうです。
「敏感なんですね」
とのことですが…。そうなのか?
で、結論としては、いよいよ1錠/1日に突入です。いよいよ「はじめてのホルモン」状態ですね。でも、費用対コストはすごくよさそうです(笑)。
*1:そろそろこれも飽きたな
やっぱりあまりおもしろくない_| ̄|◯
午前中は、1年生のホームルームの代講とか試験監督とか。おかげさまで、いきなり1年生のクラス3つも行ってしまいましたよ。あ゛〜、また新しい1年がはじまるなぁ(笑)。
午後からは、降ってわいたような仕事で右往左往。
そうそう、あしたの通院について管理職に話さなくちゃ。
「あの、わたし、性同一性障害ってことで、2ヶ月に一回病院に行きますので…」
「はいはい。それはそうと…」
う〜ん、うちの管理職がわたしの幼なじみのきょうだいとは…。おどろきましたよ。まぁ、GIDなんかより、そっちのほうが大切ですよね。話がはずみました(笑)。
で、夕方、血液検査の結果を聞きにお医者さんのところへ。
受付の人はいつものあいさつをされます。
「お加減はいかがですか?」
で、わたしもいつものこたえ。
「絶好調です(笑)」
絶好調の人間がなんで医者に行くんだよ。単に待合室の邪魔者ですがな。
で、診察室へ。お医者さん曰く「特になにもないですね」
結果を見てみると、赤血球数と尿酸値がちょい低いだけ。まぁ、歳のせいか血の気もどんどん減っているし、妥当なところでしょう。
それにしても、なんのおもしろみもない結果ですわ…。
玖伊屋がはねたあとは…
午前のちょっと遅めの時間まで後かたづけ。その後、IちゃんとかM木ちゃんとかといっしょに、おたふくへ。
ちょっと時間が早くてまだあいていません。中の人に聞いたら「11時半から」ということだったので、しばし「中」と「外」の境界あたりをお散歩。
11時半ちょうどにふたたびお店に帰って、お好みタイム。いつものように、「男」と「女」の境界で混乱されるみなさんに、ひとしきり盛りあがらせていただきました。と、そこに「なんか会ったことがあるなぁ。どこかの集会で」というおじさま登場。「あそこですか?ここですか?」と話をしているうちに、夜間中学の教員であることが判明。めちゃくちゃ共通の知人が多いじゃないですか!そのあとは、ギョーカイ話でしばし大笑い。詳しいレポートはこちらをご覧下さい。
帰り、Iちゃんの「やっといつきさんが笑ってくれてホッとしましたよ」という言葉に、ちょっと泣きそうになりました*1。
ほんとうに、今回の玖伊屋ではいろんな人の「暖かさ」が身にしみました。ありがと!
*1:M木ちゃんも同じこと書いてくれていたよね。
これもリハビリ?
帰りに少し買い出しをして、お家に帰ります。で、今晩の食材の準備です。今晩は「ちらし寿司」でもつくりましょう。春ですからね。てことで、夕方までのんびりと調理をしました。にしても、なんか段取りが悪いです。やっぱり疲れているのかなぁ…。
夕方になって、家を出て会場へ。
実は、今日は玖伊屋だったりします(笑)。
なんか、「こんな日」に行くのもどうよと思うのですが、パートナーも「仲間と会って気を晴らしたいんやろ?」と言ってくれました。なので、行かせていただこうと。
会場に着くと、まだ誰も来ていません。
ごはんを仕掛けて、ぎょうざの皮を練って、小芋の皮を剥いて…。しばし「孤独」を楽しませてもらいました。
そうこうするうちに、徐々にスタッフみたいな人(笑)とか「お客さん」とかが来られます。会場はにぎわってきましたが、厨房は今回はなぜか大忙しです。やはり、仕込みにえらい時間がかかります。
今回のテーマは「お花見弁当」。ちらし寿司以外に、「小芋のたいたん」とか「炊きあわせ」とか「菜の花のカラシ和え」とか「ひじき」とか。そこになぜか「水餃子」も加わるわけです。そうそう、最後の方には「かんぴょうカルボナーラ」も出しました。
で、11時が過ぎたあたりから、和室でまたーり。すでに何人かの方はわたしの状況を知って下さっていて、やっぱり気を使って下さっています。そのあたりがうれしいです、ほんとうに…。
そうそう、今回は東京から来た人はもちろん、和歌山から来てくれたお友だちとか、遠くは高知から来てくれたお友だちもいたりして、そういういろんな人がいる「空気」を楽しませてもらいました。テンションはそうとう低かったですけどね(笑)。
で、時計が3時頃になったところでダウン。
昔の名前で出ています(笑)
こういう時って、「わたし」が生まれてから出会ってきたたくさんの人々と出会う時でもあります。これがまた、ややこしい。
弟はみなさん簡単に認識されます。「久しぶり」「この度は…」「弟さんですよね。ぜんぜん変わらないわね」などなど、懐かしむように声をかけておられます。続いて「お兄さんは?」。
すると、弟は「あそこに」。
「へ?いや、お兄さんのお嫁さんと違てお兄さん」
「あそこ」
「いや、あなたのお嫁さんと違てお兄さん」
「だから、あそこ」
「へ?いや〜、えらい変わらはって、ぜんぜんわからんかったわ〜」
でもそこからは
「いや〜、けんちゃん、久しぶり」
と、ごく気軽に声をかけて下さいます。わたしのほうもだんだんめんどくさくなってきているので「あ、お久しぶりです。謙一郎です」と自己紹介をするようになりました。
まぁ、どのみち「連続」が大切と思っていますから、そこを否定しちゃいかんのだろうなぁと思います。
もちろん、わたしが「いつき」として生きている事を知っている人たちは、わたしのことを「いつきさん」と呼んで下さいます。
結局、「いつき」が「わたし」であると同じくらいに、「謙一郎」も「わたし」なんだろうなぁ…。
やったね!
ところで、死亡届には届出人の欄があります。わたしが持っていったので、やっぱりわたしの名前になります。性別欄がないので(笑)、生年月日を西暦にする以外は書きにくいところはありません。
で、「これ」と出したのですが…。
「あの…。届出人はご長女ですか?」
\(^o^)/
「あの、戸籍上は長男です」
「あ、ごめんなさい」
「いえいえ、長女と言ってもらってうれしいです」
「あ、そうですか(笑)」
なごんでいただけたかな(笑)。
ちなみに、窓口には「印鑑登録証明申請書等から性別欄は削除しました」という張り紙があります。で、根拠として「特例法」があります。ふぅむ…。
異様な人数
いや、参列して下さった方がという意味ではありません。出席して下さった方の中のセクマイ率が高いんですよね。
実に、MTFがわたしを含めて4人。ビアンが1人。これ、あくまでも「わたしが把握している」という範囲です。トランスはともかく、ビアン・ゲイの人は他にもいたんじゃないだろうか。そうそう、弔電も他にもうひとりMTFから来ていたし。
まぁ、そういう人だったということなんでしょう。それが、朝日新聞の特集「家族」に出てきた
やがていつきは数学教師になって、淳子(じゅんこ)と結婚。学校に来ない生徒たちの家に通ううち、校区内の被差別地区に住まいも移し、地域とかかわるようになった。在日外国人の子どもたちを支える活動もしていると聞いた。理論家である昭夫にはできない実践だった。改めて口には出さないが「よくやっている」と思っていた。
そのいつきが、性別を超えるトランスジェンダーとして生きていくという。ならば自分から言うことはない。遠いところへ行ってしまう寂しさはあるが、「そこを信頼し、支えるのが親だろう」と思った。
それより前、同志社大時代の教え子がレズビアンだと明らかにした。同性愛者がキリスト教団の牧師になることへの慎重論もあった中で、受け入れられ、堂々と生きていることを、昭夫は誇りに思っていた。セクシュアル・マイノリティー(性的少数者)としてのそんな生き方も、いつきを思うとき思い出した。
という記述にもつながっているんでしょうね。
忘れてた!
混乱の素
ところで、警察の人、わたしにいろいろ言うのですが、なんか雰囲気がおかしいです。あとで子どもに聞いてみると、子どもに「お父さんはどこにいるの?」と聞いていたそうな(笑)。